BYOND A WORLD

四葉八朔

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第1章

19.セレネ公国

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 ◇

『船長、ご報告を。セレネ公国魔導船へと接近している船がございます』
「接近?」
『はい。ポートラルゴの港からやってきた船舶が、現在魔導船に対し距離75メートルの位置まで接近しています』
「ふーん。あれじゃないか? 時間的には少しばかり早いが、漁に出ようとする漁船がたまたま近くを通ろうとしてるとか」
『可能性としては低いかと。ここ数日間の漁に出るときのルートとはまるで異なっていますので』

 現在、ウーラアテネのスクリーン上に映し出されているのはポートラルゴ近海の様子。
 右上には付近の地図も別枠で表示されており、魔導船の現在位置や相手船との位置関係、そして相手船の移動経路までしっかりと確認できる。これらはすべて魔導船の近くを飛ばしているピットからの情報だった。
 
「確かに近くを通りかかっているって感じではなさそうだな」
『対象は小型漁船の模様。船上に3名の人影を確認しております。うち1名についてはポートラルゴの住人だと顔認証システムで身元が判明済みですが、残り2名に関しては不明です』

 ポートラルゴの住人はここ一月ほどでほぼ登録済み。
 まあ、住人が病気で寝込んでいたとかで一回も外に出なかった可能性は否めないし、ストレイル男爵の屋敷など警備が厳重な場所は安易にピットを近付けるのを控えていることもあり、町の住民すべてを確認できたとは言えないが。
 ともあれ、顔認証に引っ掛からないということは町の外部からやってきた可能性が高い。
 魔導船がポートラルゴの港に着いたのが3日前の話なので、外交官がやってきたにしては早過ぎる。ウーラの予測では早くても一週間程度はかかるだろうとの見込みだったはずだが。
 となると、一番に考えられるのはエルセリア王国による偵察か?

「映像をズームアップして、相手の顔がわかるようにしてくれ」

 CG処理により、暗闇の中にぼうっと浮かんでいただけのはっきり顔を判別できない映像が色を持ち、明瞭に変化し始める。

 その映像の中のひとりに、俺は見覚えがあった。
 エルパドールがポートラルゴの町に潜入した際に話し込んでいた老人のはず。たしか、この町でずっと漁師を営んでいるようなことを言っていたように思う。
 こんな真っ暗闇の中、足場の悪い小舟の上に立って手慣れた様子で櫂を漕いでいることから、長年の漁師としての経験が見て取れる。本人が話していたとおり、漁師という話に嘘偽りはないのだろう。だが、残りのふたりはとても漁師には見えなかった。

 といっても、偵察するためにやってきた兵士にも見えない。
 亜麻色の髪をした美人と、どことなく育ちが良さそうな金髪の少年のふたりだったからだ。
 エルセリア王国が密かに寄越した密偵にしては、少しばかり不釣り合いな気がする。身に着けている衣服もこの世界にしては高級そうな感じで、これから忍び込むにしては少々場違いであるような印象を受けた。

「違うか……」
『違うとは? 何か違ったのですか?』
「いや、一瞬こちらの様子を探りに来た偵察部隊かと疑ったんだが。どうみてもそれっぽい雰囲気がしないんでな」
『なるほど。安直な決めつけは好ましくありませんが、確かに兵士という雰囲気はありませんね。それで、いかが致しますか?』
「そうだな……。意図は掴めないが、あまり危険もなさそうだ。いっそ魔導船に招待してみるか?」

 魔導船などと大法螺を吹いているが、実際は18世紀頃の船舶を参考にした単なる動力船に過ぎない。
 ところどころオーバーテクノロジーな部分はあるものの、基本的な構造はこの世界でも充分通用しそうなレベルに合わせてある。そうではない、こちらの世界の人間にとって未知の技術は、軍事機密なので見せることはできないと言ってやり過ごすつもりだった。

 ――セレネ公国。
 そんな国をでっち上げたのは、この世界における自分たちの立場を手っ取り早く確立するためにほかならない。

 当然リスクはある。
 セレネ公国なんて国の存在は真っ赤な嘘だ。バレる心配がまったくないと言ったら、それは嘘でしかないだろう。
 だが、こちらの状況を馬鹿正直に話すのは以ての外。そして、こちらの世界の住人に紛れて密かに行動するとしたら、封建社会における身分制度が問題になってきそうだとも俺は考えていた。
 こんな世界では一定の身分が保証されないかぎり、自由な行動が阻害され兼ねない。おそらくその見方は間違っていまい。

 東の大陸に人が住んでいる様子も確認されていない。
 といっても、探索範囲が今のところごく一部に過ぎないこともあり、はっきりしたことは何も言えないのだが。
 とはいえ、地球の例からすれば、先史時代に人類がユーラシア大陸からアラスカへと渡ることができたのは、そのときにはまだベーリング海峡が地続きだったからだ。
 それと比べるとこちらの世界の大陸間の距離はかなり離れており、海峡と呼べるような場所も存在していない。地球のように大陸プレートが分裂しているのだとしても、より長い歳月が経っているはずだ。だとすれば、人の移動が起きていない可能性が高いと見るべきだろう。
 まあ、それらはあくまで憶測に過ぎないのだが、実際のところ東大陸に人が住んでいようがいまいが、どちらでも構わないのだ。

 大洋を渡れる船がない以上、バレる可能性は極めて低いように思う。
 こちらの世界の船舶製造技術と、海獣という地球には存在しない外敵がいることを考慮してシミュレートした結果、少なくともあと100年は東にある大陸を発見できないだろうとの予測だった。
 気になるのは魔法の存在だが、さすがに海を越えて飛んでいけるような魔法は存在しないと踏んだ。それにしては未開の地域が多く、そこまで交通網も発展していないことを考えれば、そんな便利な魔法は存在しないと見るべきだろう。
 少なくとも、ポートラルゴの住人は海の向こう側に別の大陸があることすら知らなかったぐらいだ。

 仮にエルセリア王国が、セレネ公国本土に対し使節団を派遣すると言ってきた場合の対応も一応は考えてある。
 それに、いざとなればウーラアテネを使って、いかようにも切り抜ける自信があった。
 現地の人間と接触するにあたり、どういう形で接触するかウーラとさんざん話し合った結果、多少リスクを冒してもセレネ公国という国を創り上げてしまったほうが何かと都合がいいと結論付けたってわけだ。

『本当によろしいのですか?』
「ああ。せっかく向こうから尋ねてきたんだ。きっと何か用事があるんだろうさ。一般人、いやこちらの世界の場合は平民か……単なる平民のようには見えないからな。色々と情報を聞き出すチャンスかも知れん」
『こちらから声をかけますか?』
「いや、そこまでする必要はない。乗船できるようにしてやるだけで充分だ。それで登って来ずに回れ右をして帰るようなら、無理して追う必要もないだろ」
『了解しました。右舷側面に乗り降り用のタラップを用意しておきます』

 画面に視線を戻すと、小舟は魔導船のすぐ間近まで迫っていた。その船の上で3人が魔導船のことを驚愕の眼差しで見上げているのがわかる。
 残念ながら音声は拾えなかったが、3人で何事が話し込んでいる様子。
 その手振り身振りからすると、どうやら女性のほうが行先を指示しているっぽい。そして女性に対し老人が頭を下げている状況からすれば、老人は女性の部下かただの船頭だと考えるべきだろう。

 だが、肝心の女性と少年のふたりについては、どんな立場なのか皆目見当が付かない。
 女性のほうはかなりの美人と言っていいだろう。
 美形に造ってあるドールを普段から見慣れているこの俺ですら、思わずはっとしたほどだ。リアード村の少女も確かに可愛かったが、こちらのほうが俺好みの美人だと言える。
 そして少年のほうもあどけなさは残っているが充分美形と言える範疇で、ふたりが兄弟だと言われればそれで納得してしまいそうな感じだった。
 となると、いいところのおじょうちゃん、おぼっちゃんが物珍しさから魔導船を見物に来たと考えればしっくりくる。そういった感じの話なら何も問題ないのだが。

「万が一相手が攻撃してきた場合、完全に撃退する必要はないが、かといってあまり好き勝手させるのも不自然だ。無力化して軽く拘束したあと、わざと逃がしてやれ。そこらへんは上手いこと対処してくれればいい」
『了解しました』

 小舟は船首のほうへと進路を変えていた。
 警戒して登ってこないようなら仕方ない。それならそれで、予定どおりエルセリア王国との折衝を待つだけのこと。
 だが、相手が美人だったからなのかも知れない。スケベ心を起こしたわけではないと思いたいが、俺は登ってきてくれることに期待している自分がどこかに居るような気がした。

 ◇

『みょおおおおおおおおお!!!』
『いたっ!』

 画面上に見えたのは、現在女性のことを背後から拘束しているリリアーテの姿。
 そこまでは予定通りと言える行動だった。多少、手荒な真似をしたところで問題はあるまい。
 表向き、相手は無断で侵入してきた賊に過ぎない。エルセリア王国の法律がどういったものかわからないが、さすがにこちらに非はないはずだ。
 だが、それと同時にこちらにとって想定外の事態も起きていた。

『こらっ! 孫六、止めなさい!』
『みょ? みょみょおおお!』

 甲板で侵入者を出迎えたのはバルムンドとリリアーテ、そしておまけで連れていった鎧姿の孫六の3人。
 なぜ孫六を魔導船に一緒に向かわせたかと言えば、世話をさせているリリアーテに魔導船の船員という役目を与えたせいだ。それに孫六の種族がこちらの世界の住人と、いったいどういう関係にあるのか気になっていたこともある。
 さすがに敵対関係にあるとは思っていないが、食用として見られている可能性はある。あらかじめセレネ公国の庇護下にあると説明しておけば、食べられる心配もしなくて済むはずだと。

 だがその孫六が、リリアーテが目を離した隙に、何故か侵入者に対して攻撃を始めてしまったのだ。

「おいおい、あいつってあんな攻撃的な性格だったか?」
『わかりません。ですが、少なからずNBSが関係しているとものと思われます。本来であれば臆病な性格の持ち主で、ちょっとしたことで神経調整性失神を起すはずですが、現在NBSによって血流が正常の状態を保ったままです。そのせいで攻撃的な部分だけが残っているのかと』
「なるほどねえ。健康体になったことで、思わぬ副作用が出たってことか。ただ、それだけじゃない気もするが……」

 薄暗い中だというのに振り下ろされた槍は見事、少年の頭に直撃していた。
 それもそのはず。なんせあの鎧は特別製だ。
 孫六の目には、まるで日中のように風景が映っているはずだ。念のために身を守れるような装備を与えてやれとは言ったものの、ウーラは過剰なまでに高度な機能を孫六の鎧に施していた。

 一方、少年からすれば暗がりから不意に繰り出された攻撃だったのだろう。ろくに対応できなかったようで、頭部に直撃を受けてその場に膝をついてしまっていた。
 それにも構わず、トドメを刺さんとでも言わんばかりに二度、三度と槍を振り下ろす孫六。もしかしたらリリアーテの行動を見て、変な勘違いを起こしているのかも知れない。孫六自身は相手のことを敵だと認識しているような雰囲気があった。

 その様子を見て、慌ててバルムンドが止めに入る。
 バルムンドは槍を掴んで孫六の動きを止めると、そのまま膝をついた少年のことも上から身体を押さえつけるようにして力づくで拘束した。

 想定外の展開だが、相手に大きな怪我はさせてないはず。あの槍も素材自体は軽いものなのでそこまでダメージがないはず。攻撃モードに切り替えれば、人間の胴体など、まるで紙きれのように真っ二つに切ることも可能らしいが。

『ちょ、ちょっと。この手を離しなさいって。大丈夫? マーカス!』
『これ以上暴れるようなら、手枷を嵌めますよ。そこの少年なら大丈夫です。頭にコブができた程度だと思いますので』
『わかったわよ。暴れないから手を離しなさいよ。腕が痛いんだって』
『そこまでキツく拘束していませんが。それで、あなた方はいったい何者なのですか? それを聞いてからです』
『な、何者って。それは……』

 リリアーテに誰何された途端、急に言い淀む女性。
 少年のほうを見て大丈夫そうだと確認したのち、言ってしまおうかどうしようかと悩んでいるような様子だった。

『もしかして名乗れない理由でもあるのですか? さすがに盗賊の類いということはなさそうですが』
『お待ちください! このお方は――』
『マーカス、黙ってなさい!』

 少年のほうが何事か言い掛けたが、女性の叱責に押し黙る。
 その様子からすれば、どうもふたりは兄弟などではなく、主従の関係のようにも見える。

『身元はエルセリア王国の人間ということで間違いありませんよね?』
『ええ、そうよ。というか、ここはエルセリア王国の領海。王国民である私がどこに行こうと、何も問題がないはずだわ』
『この船はセレネ公国所有の魔導船です。ここがたとえエルセリア王国の領海内だとしても、船の上は基本的に治外法権扱いになるというのが我が国での一般的な認識なのですが。エルセリア王国の法では違うのですか?』
『さ、さあ。それはどうだったかしら?』
『こんな真夜中に忍び込んできて、いったいどんな企みがあるのか知れたもんじゃありません。別にこちらとしては、無理に大事おおごとにしようと言うつもりもありませんが、そちらが名乗らないとなると罪人として扱うしかありませんよ。このままエルセリア王国に引き渡してもいいのですが?』
『ちょっと待ちなさいよ。私はただ、この魔導船っていうのが見たかっただけなの』
『お嬢様、ここは身分を明かされたほうがよろしいのでは』
『だって、こんなことをしでかしたとバレたら、お父様に怒られるじゃない』
『正直な話、今更かと。このままでは大騒ぎになってしまいます』

 少年の言葉に、女性が気に食わないとでも言いたげに眉を顰める。
 だが、ひとつだけため息を落としたあと、観念したように口を開いた。

『ふぅ……、しょうがないわね。私はエレナ・ジークバード。ポートラルゴを含む北部一帯地域を治める領主ベーリット・ルイス・ジークバード伯爵の娘よ。そしてこっちは従者のマーカスね。セレネ公国の皆さま、手厚い歓迎をしてくださって感謝しますわ』
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