BYOND A WORLD

四葉八朔

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第1章

60.ジェネットの崩壊

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 ◆

 現在、ジェネットの町は大混乱に陥っていた。
 最初に気付いたのは誰だったのだろうか。避難民の亜人だったのかも知れないし、城壁の外を巡回をしていた兵士のひとりだったのかも知れない。
 いずれにせよ、ひとたび魔物の襲来を告げる声がどこからか聞こえてきたかと思うと、まるでその声が伝播するかのように、あちらこちらから危険を知らせる悲鳴が届いたのが事の発端だった。

「くっ。これ以上はマズい。城門を閉めるぞ」
「ま、待ってくれ! まだイオスの旦那がプッチのことを探しに行ったきり、ふたりとも戻ってきてないんだ」
「いかが致します、ロイド隊長?」
「構わん、閉めろ。これ以上退避を待っていたら、魔物に侵入されてしまうおそれがある」
「お願いだよ。あと少しだけ……もう少しで、連れてくると思うからさ」
「緊急事態ゆえ、お前らのような亜人連中まで城壁の中に入れてやったのだ。それだけでも有難く思うことだな」
「そりゃ有難いとは思っているさ……。だけど、きっともう少しすればふたりとも戻ってくるはずなんだよ」
「もう止めておけ、シリィ。イオス殿の腕ならきっと無事だろう。ゴホッ……それにプッチのことだって、今頃はもう見つけだして、ふたりで安全な場所におられるはずだ」

 懇願するようにロイドに詰め寄るシリィのことをマルカが止めに入る。
 ただ、まだ完全には傷が癒えていない状態でここまで移動したせいか、ときおり咳き込んではいる様子ではあったが。
 
「マルカ……」
「とにかくもう待つことはできぬ。これ以上文句を言うようなら、お前も城壁の外に叩き出すことになるぞ」
「そんな……」

 そんな悲痛な呟きが漏れたのは、何もシリィの口からだけではない。
 シリィの背中に隠れたレミの口からも、同じように落胆したため息がこぼれ落ちていた。

 これまで城壁の外に締め出されていた避難民も、魔物の襲来があったことで一時的に中へ逃げ込むことを許されていたが、いまだイオスは帰ってきておらず、プッチも依然として行方不明のまま。
 今城門を閉ざしてしまえば、ふたりが帰ってきたときに逃げ込む場所すらないという状況に陥ってしまう。
 いくらイオスが凄腕だとはいえ、これほど多くの魔物に囲まれた状態で、どこにも逃げ込む場所がなければ、無事切り抜けられるかどうか。
 それほど大量の魔物が南からも東からも西からも、ジェネットの町へと一斉に押し寄せてきていた。

 こういった魔物の氾濫はこの世界では稀に起こることだ。
 天変地異によるものだったり、餌不足だったり、或いは魔物の生息域が変化したり。その時その時によって原因となるものは様々だが、その場合には前兆があることが多い。
 その前兆に気付くことができれば対処だって可能だろうが、今回のように前兆がなく、いきなり魔物の氾濫が起きた場合には、村や町がまるごと全滅した例がなかったわけでもない。
 今回の場合、兵士が駐屯しているジェネットの町付近で発生したこともあって、比較的運が良かったとも言えるのだろうが。

「ロイド隊長。状況は?」

 そんな中、不安そうに成り行きを見守っていた避難民たちの間から、ひとりの若者が歩み出てきて、ロイド隊長に対して話しかける。

「ルメロ殿下……。今のところ何とか防衛することができております。ですが、このままでは状況が悪くなる一方かと」
「それは少しばかりマズそうだね。魔物の数はどれくらいなんだい?」
「後から後から魔物が押し寄せてきているため何とも言えませんが、斥候の報告では少なくとも500を超えているのではないかという話です。ただし、その数も現在近場に居る魔物だけの話らしく……」
「最低でも500か……。災厄レベルとまでは言わないが、なんとも厳しい状況だね。それにしてもいったい何故こんなことに?」
「わかりません。ただ、なぜか虫系の魔物ばかりだったそうです。それと、尋常ではない大きさのクローリーニードルを1体確認したそうです」
「虫系の魔物と、大型のクローリーニードルだって?」
「はい。おそらく変異種かと思われます。もしや殿下には何か心当たりが?」
「うーん、いや。どこかで似たような古い記録を見かけたような気がするんだよね。といっても、うろ覚えに過ぎないから僕の気のせいかも知れないけど。このことをアンドリュース卿には?」
「もちろん報告済みです。大型のクローリーニードルには魔法部隊を以って対応するため、その準備が整うまで城門を固く閉ざし、飛行系の魔物を侵入させないように城壁の上や矢狭間やざま(*1)から矢を放って応戦せよとの仰せでした」
「虫系の魔物は硬い外殻に覆われているものも多いと聞く。どこまで弓矢による攻撃に効果があるか……。それで被害のほうは?」
「残念ながら兵士たちの間にも被害が広がっております。我がほうもけっこうな数の魔物を倒しているはずなのですが、倒したそばから新しい魔物がやってくるという状況でして」

 そんな会話が交わされている間にも城壁の外では兵たちによる魔物との近接戦闘が繰り広げられていた。
 さきほどロイド隊長が話したとおり、その場には兵士が倒した魔物の死骸が散乱していたが、そんな死骸など物の数にも入らないほど大量の魔物が押し寄せてきている状況だった。

 むろん1体1で戦えば、武装した兵士が魔物に遅れを取ることもそうそうないだろう。それに普通に考えれば、魔物だって永遠に増え続けるはずがない。いつかは勢いも止まるはずだ。
 だが、現状は辛うじて持ちこたえているだけ。
 不測の事態に対応が後手に回ってしまったこともあるが、四方八方から次々と押し寄せてくる魔物に、兵士たちがてんでバラバラになって戦わざるを得なくなっているのも手間取っている原因のひとつだった。
 それどころか1体の魔物と戦っている最中に、別の魔物からの奇襲を受け、傷を負う兵士もいたほど。
 中には地面の上に倒れ伏し、そのまま動かなくなってしまう兵士の姿すら見受けられた。
 
 まるで苦い薬でも飲み込んだようなルメロの顔を見てもそうだし、実際に防衛の指揮にあたっているロイド隊長の表情にしてもそうだ。
 現在の状況がけっして楽観できるものでないことも容易に察せられた。 

 そんな不利な状況を避難民たちの目から隠すように、城門がギギギっという重々しい音を立てて閉ざされていく。
 その光景を見ていた避難民の一部から漏れ聞こえてきたのは、ほっとしたような安堵のため息だった。

 城門さえ閉ざしてしまえば、魔物が城壁の中にまで侵入することはまずない。
 押し寄せてきた魔物の中にはキラービーやグレイヴモスのように飛行系の魔物も混じっていたが、ほとんどは大アギト蟻や鎧カマキリ、朱色毒蜘蛛、クローリーニードルといった地上の魔物だ。空を飛んで、高い城壁を飛び越えることはできないはず。
 それに城壁の外とは違い、この場所は兵士たちに守られている。城壁の外に出て、魔物と戦っている兵士も多いが、すべての兵士が出払っているわけではないのだから。

 そんな安心感が避難民の心の中にあったのだろう。そんな想いは避難民のみならず、ジェネットの町の住人にしても似たようなものだったのかも知れない。

 が――、

 避難民がそんな安堵感を抱けたのも束の間の話に過ぎなかった。

 南の方角から突然ドシンという地響きのような物凄い大音が聞こえてきたと思うと、しばらくして城壁の上に居る兵士たちから緊急事態を知らせる大声が届いたからだ。

「ロイド隊長! 大変です。どうやら大型のクローリーニードルの突進によって、南西の城壁の一部が崩壊した模様。周囲に居たほかの魔物まで一緒になってなだれ込んできています!」

 ◇

 634……、631……、633……。
 俺の目の前でホログラムモニタの右上に表示された数字がそんなふうに増減していく。と同時に、俯瞰視点で表示されている地図上でも赤い光点が消えたり、新たに現れたりもしていた。

 現在、ジェネットの町を襲っている魔物の数と位置だ。
 ただし、そこまで正確な情報というわけでもない。
 ピット1台ですべての範囲の魔物の動きを把握し続けることは難しく、どうしても推測に頼らざるを得ない部分があることは否めなかったからだ。
 まあ、そこまで正確な情報を欲しているわけでもない。個体個体のテータは今もアケイオスが集めている最中だし、大まかなことさえわかればそれで充分だろう。

 だが、そんなモニタの映像のほうにも、ある劇的な変化が訪れていた。

「マズいな。城壁が崩されたぞ」
「ええ。どうもあの異常個体が厄介な様子ですね。ほかの魔物は兵士たちでも何とか対処できていましたが、大型だけはまるで攻撃が通用していません」
「ラァラは今どこに居る? ラァラの安全は確保してあるだろうな」
「現在は天翔けるアヒル亭の1階部分に居ますね。グランベルが秘密裡にそばで守っておりますので安心してください。それと最悪の場合、グランベルにラァラ様の救出を優先させようと思いますが、そのようにして構いませんか?」
「ああ。たとえその結果グランベルの異常性が露見することになってしまうとしても、ラァラの安全のほうを優先してくれ」
「了解しました」
「それでバルムンド。この魔物の動きをどう見る?」

 別のモニタに映っているグランベル視点の映像を確認したのち、俺は後ろを振り向いてバルムンドにそう問い質す。
 
「明らかに統率された動きですね。おそらくあの異常個体が関係しているものと思われます」
「だろうな。ただ、そうなってくると単なる魔物のスタンピードなどではなく、人為的な可能性も出てくるが」
「というと、魔法的な何かが関わってくると?」
「ああ。様々なフェロモンを用いて昆虫の行動を強制することは可能だろ? 魔法ってものをいささか汎用的に捉え過ぎている気がしないでもないが、そんな生物化学的な現象と似たようなことができたとしても不思議ではないからな」

 集合フェロモンや道しるべフェルモン、或いは攻撃フェロモンといったリリーサーフェロモンを用いて、生物をある程度こちらの思い通り行動させることは可能だ。
 特に昆虫類はフェロモンの働きが哺乳類よりも格段に強い。
 カメムシ類の成虫が放出する集合フェロモンは同種のみならず、天敵である卵寄生蜂までをも誘引してしまうし、働き蟻は餌を見つけたあと道しるべフェロモンを分泌しながら巣まで帰ることで、仲間の働き蟻に餌の在りかを知らせたりもする。
 そういったフェロモンを用いて、虫系の魔物をジェネットの町におびき寄せることは可能だろう。

 ただ、これが魔物の仕業だと仮定した場合、様々な種類の魔物が一斉にジェネットの町を襲ったことの根本的な理由に皆目見当が付かない。
 餌不足のせいでたまたま人間を襲ったという雰囲気がなく、すべての魔物からジェネットの町を襲うという明確な意志を感じたからだ。
 それにアケイオスからの報告にあった大型のクローリーニードルが地下に閉じ込められていた件や、プッチがその場所に捕らえられていたことも合わせて考えると、今回の異常行動は人為的な何かが関わっていると睨んだほうが自然な気がしていた。

「城から新たな兵士が出てきましたね。どうやらこれまで増援の準備をしていたようです」

 ピットから送られてくる映像が切り替わり、城壁が壊された南西部分にズームアップする。
 見ると、城壁の内部にまで魔物の侵入を許してしまったようで、ジェネットの町は大混乱に陥っている様子だった。
 大型のクローリーニードルはむろんのこと、通常の魔物までもが侵入してしまったことにより、少しずつ町の住人にも被害が出始めている様子がある。

 建物が崩され、その瓦礫の下敷きにされる若者。
 いきなり魔物に飛び掛かられ、為すすべもなくその場に引き摺り倒される年配の女性。
 逃げ戸惑う群衆に足をすくわれ、転倒して泣き叫んでいる子供。

 その場はそれまでの雰囲気と一点して、阿鼻叫喚の様相を呈していた。

 当然、付近に居た兵士が何もしなかったわけではない。
 急ぎその場に駆けつけ、何とか通常の魔物だけでも排除しようと試みてはいたが、大型が暴れまわっているせいでろくに近寄ることすらできていない状況。

「だが、あの大型をどうする? 弓矢による攻撃も近接武器による攻撃も、まるで歯が立たなかっただろ?」
「増援部隊の中に、以前リアード村で見かけた白鷺騎士団の魔法使いと似たような恰好をした者を何人か見掛けました。もしかしたら魔法を使うのかも知れませんね」
「なるほど。確かにこの世界には魔法という秘密兵器があったな。だが、果たしてその魔法にどれほどの効果があるものか」

 魔法という存在が未知数である分、あらゆる可能性があると思っておいたほうが良いっていうのはある。ただ、その威力や効果については、この世界の文明レベルからしても俺たちの想像の域を出ないのではないかというのが俺たちの見立てだった。

「魔法なり何なりを使ってあの異常個体さえ倒すことができれば、残りの魔物は兵士たちだけでも何とかなりそうな感じですが。それでもし増援部隊の攻撃が上手くいかなかった場合はいかがなされますか?」
「そうだな。ジェネットの町や住人にはそれほど思い入れもないが、せっかく作ったルメロとの繋がりが消えてしまうのは、少しばかり痛いな」

 バルムンドが聞いてきたのは、助け船を出すかどうかという意味だろう。
 魔法による攻撃が効かなかった場合、ジェネットの町が壊滅するだけでなく、ルメロだったりレミ、プッチなどの亜人連中まで被害に遭う可能性が高い。ジェネットの町の住民を初め、それらの連中を見捨てていいかと聞かれれば、さすがにそこは悩んでしまうところだった。

「仕方ない。いざとなったらアケイオスを使うしかないか……」

 できればアケイオスが目立ってしまうような事態は避けたかった。
 とはいえ、アンドリュース伯爵の兵士が俺たちが想像していたより弱かったこともある。それなりに被害が出ることは予想していたが、城壁内部への侵入まで許すのは想定外だった。
 となれば、こんな状況になってまで、アケイオスがどうこうなど言ってもいられなくなる。

「了解しました。アケイオスがいつでも動けるように、ジェネットの町付近での待機命令に変更致します。それとマヤを異常個体の監視に向かわせようと思いますが、構いませんか?」
「ああ」

 増援部隊が大型のクローリーニードルの元に向かって揃って移動していく。
 俺はその様子をモニタ越しに眺めながら、もしこれが魔法による攻撃であるのならば、どのような規模と威力なのかを確認するいい機会だとも考えていた。



 *1) 矢狭間 城や城壁にぽっかりと空けた空間から弓矢を撃つ場所のこと。   
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