ブバルディアのために

橘五月

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悲痛な現実

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 あの日僕たちが見た光景は一生忘れない。
 氷のような青と、鮮やかな赤の瞳。長く尖った犬歯を妖艶に輝かせ、血の沼に立つ女。
 足元に横たわる女性に手を合わせて呟く。
「ご馳走様でしたっ。」

 ○

「こ……ゃあ……ぁしに…………ないわね。」

 知らない声が聞こえた。母さん、誰かと話してるのかな……夢かなあ、もう少し寝よう……。

 ーー。ーー。

「ぁぁぁぁぅ」

 呻き声と共にどさりと倒れる音。

「母さん……?」

 なんだか嫌な感じがする。ーー姉さんはまだ寝てるのか。きっと、大丈夫だよね?

「はぁぅっ。」

 肉を貫く音、どさりと倒れる音と共に、短く甲高い断末魔が聞こえた。それは紛れもなく母さんのものだった。
 そう認識した瞬間、眠気は去り、恐怖が全身を支配した。

 部屋の外で何か、何か恐ろしい事が起こっている……!
 頭の中で警鐘が鳴り響く。恐怖で支配された全身が震え出す。

 気づくと姉さんは起きていて、震える僕を抱きしめた。大切なものが壊れないよう、そっと優しく優しく。

「ススキ、大丈夫だよ。私がついてるから」

 その優しさに少し、恐怖が和らいだ。
 姉さんがついている。震える手を握り締め、姉さんと2人で寝室のドアを開ける。

「何これ……。かあ、さん……?」

 ドアの先には、僕の知らない世界が広がっていた。
 青を基調とした壁には赤い塗料が撒き散らされていて、床には赤黒い液体が水溜りのように広がっている。その中央には赤く染まった母が倒れていた。

「これって、血……?ーーっ!母さん!」

 そして、母の首に喰らいつく1人の女がいた。左半身をこちらへ向けており、碧い瞳と長い牙が見えた。

「魔女狩り……!」

 ようやく理解が追いついた。あいつは魔女狩りだ。僕たち魔女を襲いに来た。そして母さんは…………

「母さん!」

 怖くて指一本動かせない僕をよそに、姉さんが杖を構えて叫ぶ。
 
 こちらに気づいた魔女狩りは徐に立ち上がり、

「可愛いお嬢さん達、びっくりさせちゃってごめんね?危ないからそれ、しまって?」

 杖を指差し、子供を諭すような口調で姉さんに語りかける。

「あんまり戦いとか好きじゃないの。痛いし、苦手なの。もう帰るからさ、杖しまって?」

 姉さんは先ほどと同じ姿勢で杖を構えている。魔法をぶっ放し、奴を粉微塵にする、そんな様子で…………

 ことんっ。

 杖が床に落ちた。戦意はあったが、実行することは出来なかった。
 姉さんもまた、恐怖で震えて動けなかったのだった。

「ふふっ、いい子ね。じゃあまたね。ーーあなた達には期待しているわ」

 そう言って、奴は去っていった。


「母さん!!」

 僕たちは奴が去ると、母さんの元へと駆け寄っていた。傷は深く、母さんの顔は血の気が引いて真っ白だったが、

「姉さん!あんまり血出てないよ。助かるよ!きっと!」

 しかし、姉さんはゆるゆると首を振り、母さんの頬に手を添える。そして妙に落ち着いた声で呟く。

「吸われたの、血も魔力も全部。母さんは……もう……」

「この床の血は……きっとさっきのやつのだよ!だから、母さんは大丈夫だよ!」

「…………もう、息してないわ」

「そんな、嘘だよね?何言ってるの。ちょっと前まで母さんと一緒にご飯を……明日だって3人で街に行くって……」

 そんなはずがない。確かめるように母の手を握る。

 冷たい…………

 ーーーーーーーー

 …………冷たい。

 人間の手がこんなにも冷たくなるものか。何度も何度も握ったり揺すったりしてみたが、母さんの手が温かさを取り戻すことはなかった。

 母さんが死んだ。理解が及ぶと同時に、堰を切ったように涙が流れ出した。母さんの手を握り締めたまま、わんわんと泣き喚く。
 姉さんは母さんの肩にしがみつき、嗚咽を漏らしていた。

「明日は3人で街に買い物行くんだよ。帰ってきたら魔法の練習も見てくれるって……ねえ、母さん!」

「嫌だよ母さん起きて!」

 2人は思い思いの事を叫び、泣いた。

 ぎゅーっと手を握っていると、ほんの少しだけ、一瞬だけ、母さんの手が動いた。
 そしてうっすらと目を開け、今にも消えそうな声で言う。

「ごめ……んね、母……さん、もう……」

「母さん!ああ。ずっと起きてて、もう寝ちゃだめ。私たちを、おいて……行かないで……」

 姉さんの悲痛な叫びに、母さんは頬を緩ませ少し首を横に振った。

「嫌だ!だめだよ!」

「母さん……とっても、幸せなの。2人に手を……握ってもらって、逝くのが夢……だったの」

 それはもう、殆ど声になっていなかった。そして、力なく握られていた母さんの手が、力強く、ぎゅっと僕たちの手を握り返した。ゆっくり口を開く。
 
 ああ、これが最期なんだ。

 最期の言葉は絶対に聞き逃すまい。僕たちは母さんの口許にいっぱいいっぱい顔を近づけた。

「もう一つの夢……魔女が、戦わなくても……いい世界、そしてーーーーーー。仲良く、してね」

 母さんの手から力が抜けた。一瞬、僕たちの胸元のペンダントを見やる。そして、ゆっくりと眠るように目を閉じた。最期まで笑顔を崩さなかった。優しい母さんだった。

 魔女が戦わなくていい世界、そしてーー

「魔女狩りをなくして」

 母さん、僕たちが母さんの夢、叶えるから。
 僕は自分の胸元の黒いペンダントに触れて、そう誓った。
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