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第2章 スラップスティックな上昇と墜落

26: 記憶と記録

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 漆黒は疲れがたまっていたせいか、橋に向かうヘリに搭乗した直後、浅い眠りに落ちた。
 考えてみれば二日に満たない日程で、第七統括ブロックからパイプを使って、もはや外国と呼んでも良い第二統括ブロックの外れまで移動し、更に教団ロアとの接触を果たして容疑者たちを追跡したのだ。
 おまけに又、相棒の鷲男を暴走させかけていた。
 漆黒のクローン体の身体には余力がまだ残っていたが、その精神は相当へたっていたのだ。
 そんな漆黒は、この短い眠りの中で、長い『夢』を見た。

    ・・・・・・・・・

 地球から高度3万6千キロメーターの上空に、大きな人工衛星をうかべ、それにエレベーターをつなぐと、地球の自転の遠心力と衛星とエレベーターの重力がちょうどつり合い、なにもしなくてもその装置自体が空中に浮く事が出来る。
 その巨大人工衛星が、ヘブンだ。
 エレベーターを建築するにあたっての当初の問題は、遠心力で引っ張られる力にたえられる強度の素材がなかった事だ。
 そして第三世代カーボンナノチューブ素材の発明によって、求められていた強度がクリアされ、この問題が解決した。

 しかしこのエレベーターのメンテナンスに、同じ第三世代カーボンナノチューブ素材の外皮を用いた強化亜人類が使役されている事はあまり知られていない。
 疑似外骨格を纏った彼らの外見は、昆虫によく似ており、口の悪い人間達は、彼らの事を飛蝗人間と呼んだ。
 クローン人間生成技術を応用はしているものの、基は亜人類だから、「飛蝗人間」という明け透けな呼び名にも罪悪感が働かないのだろう。
 実際、その見栄えは、人間からかけ離れた部分があって、彼らの脚や腕の構造は飛蝗のものに近い。
 そもそも二本脚での直立歩行など、宇宙エレベーターの修理メンテナンスにはなんの役にも立たないからだ。

 その内の一匹、いや一人が、この無限軌道エレベーター・シャフトの外壁から地上に墜ちた。
 普通に考えれば地面に激突した飛蝗人間は跡形もないぐらいに飛散し死亡する筈だったが、彼は第三世代カーボンナノチューブ素材の外骨格のお陰で、死なずに生き残り、しかも「暴走」した。

 飛蝗人間は、墜落地点周辺で出会った人間達を殺して回り、姿を消した。
 それを探し当て、確保したのが、漆黒だった。
 当時は民間警察も、この飛蝗人間を追っていたから、警察としては大金星である。

 漆黒と飛蝗人間の逮捕劇は数時間に及んだ。
 人間の運動能力を高められた漆黒であっても、既に怪物となった飛蝗人間には到底敵わなかった。
 漆黒は周囲にある、ありとあらゆる物と状況を総動員して、つまり最も卑怯な手を使って、この闘いに辛勝した。
 漆黒の刑事としての実力評価は、この飛蝗人間を確保した事で決定的なものになった。
 つまりこの時点で警察としては、漆黒の立場が契約刑事であっても、その正体が野良クローンであっても、彼をないがしろには出来なくなったのである。
 その評価が、その後、鷲男のトレーナーと推薦される一番大きな要素となったのだが、、、。

 しかし、どんな出来事にも裏があるものである。
 事は、そう単純ではなかった。
 漆黒はこの事件の後で、人間が大儀ではなく個人の思惑で、個人所有の道具として新しい生命を造り出す不遜な生き物であることを知った。
 更に、追い詰められた人間は、人間である事を捨て「違うもの」になる事があり、更に彼らを「違うもの」に変える事を、躊躇わない人間が存在する事も知った。

 この秘密は最後まで公にはならなかったが、漆黒が逮捕した飛蝗人間は、亜人類ではなく、その中身は、地上で生きる行き場をなくしてしまった一人の人間男性だったのである。

 そしてこの時、漆黒にとって、もう一つ重要な出来事が発生した。
 この逮捕劇で、瀕死の重傷を負った漆黒は、生死を彷徨う無間地獄の中で、本来存在する筈のない、原体の生々しい記憶を「夢」の形で、思い出したのだ。

 クローン人間生成上の最大のタブーは、人の意識の完全複製だ。
 つまりもう一人の自分を造り出すということ。
 死んだ家族をクローン技術によって再生する事は、このタブーに抵触するギリギリのラインだったが、当人の死をもってその記憶に一旦ピリオドを打ち、再生クローンの空白人生に、故人の記録上のデータを継ぎ当てる事で、人々はこの問題をクリアした。
 俗に言う、ソウルプリンター技法だ。
 この技法は皮肉なことに漆黒猟児の原体である漆黒賢治が完成させている。

 現在、歴史の記録から漆黒賢治の実像が消去されつつあった。
 昔、時代の寵児だった漆黒賢治の記録は数々の映像を初めに大量に残っている筈なのに、その殆どが誰かの手によって葬り去られていて、今、残っているのは彼に関する忌まわしい都市伝説だけだ。
 つまり漆黒賢治という天才は、人間の根本的な生死観を塗り替える程の偉業を成し遂げたと同時に「やってはいけない」事に手を出した男、存在してはいけない男と見なされているのだ。

 本来のソウルプリンター技術はそうではないが、法的に認められた使い方で用いられるデータ(ソウル・インク)は事実の列挙であって、その時々に付随する複雑な感情はない。
 死んだ人間の代わりによみがえったクローンが知っている自分の過去は、連続した記憶ではなく、感情の伴わない移植されたデータなのである。

 故に、それがクローンの夢として現れる時は、その夢は感情を伴わないまったくの記号に過ぎない。
 そして又、意識のブランク体として生成されるクローン脳に、原体の生の感情を伴った記憶を転写、あるいは植え替えるソウルプリンター行為は、これから生まれ出ようとするクローン体に著しいダメージを与えるものとされていた。

 だが漆黒の「夢」に現れたものはデータではなく、断片的ではあったが、それは間違いなく感情を伴った記憶だった。
 第一、漆黒賢治が、「誰かの為」に、自分のクローンを残した形跡はない。

 そして、その「夢」が、再びヘリの中で居眠りをする漆黒の眠りの中に姿を見せて始めていた。
 「夢」は、鴻巣という名前に酷く反応していたのだ。
 それに付随する感情は、複雑怪奇なものだったが、言葉として一番近いものは「無念を晴らす」の「無念」だった。
 鴻巣は、漆黒の原体・漆黒賢治と深い関わりがある男の名なのだろう。
 そしてその夢は、漆黒の目覚めと共に霧散したが、漆黒に奇妙な後味を残した。

 ・・・俺が刑事になったのは、本当は原体・漆黒賢治の遺言の指示に従う為なのではないか?・・・
 ・・・漆黒賢治は死して後、漆黒猟児となって、何かを成し遂げる為に、己のクローン体を作ったのではないか・・・と。




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