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第1章 法廷のシーメール

01: シーメール

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 指定された時刻までの残り時間を確認するために腕時計を見た。
  アナログ式だがクォーツで時を刻むには、そこそこの精度はあるだろう。
 部下の何人かは、デジタルどころか腕時計すら持っておらず、スマホの画面で事足りる人間もいる。
 好きなようにやれば良いが、瞬間的に時刻を確認しなければならない時、ワンテンポ遅れるような気がする。
 我々の仕事では、そんな事が必要とされる場面と、そういった緩慢さがミスに繋がる可能性がある。
 まあ未だに、それでヘマをした部下はいないが、、。
 私はその腕時計と、シャツの袖口の隙間に見えた自分の変色した肌の色を見て少し胸が痛んだ。
 若い頃、両手足と首から上以外は、全て刺青を施すつもりで、まずはそのスタートを両腕から始めた。
 そして途中で気が変わって、その刺青を消すために自分で薬品を使ってそれを焼き、次に皮膚の移植手術をした。
 その名残だ。

 『親の敷いたレール』とは否定的な言葉として良く用いられるが、そのレールが必ずしも間違っているとは限らない。
 私の場合は、そのレールにあらがい、酷く逸脱して野放図というよりも犯罪者すれすれの生活を送ったが、ある出来事をきっかけにして元のレールに戻った。
 今はその事に感謝し、レールの延長線上にある現在のこの仕事、この生活こそが自分の天命だと思っている。
 だが今もって、その逸脱した時期に藻掻き苦しんでいた自分の姿が嫌いにはなれない。
 それが私・真澄雄悟の胸の痛みの正体だ。

 我々、特殊犯捜査第6係に割り当てられた資料倉庫のような刑事部屋の壁には、壁裏の配管のせいか、他では見られない窪み、まさに「壁龕=ニッチ」があり、そこには下手なアリバイ作りを思わせるような花瓶と差しっぱなしの造花がある。
 その造花を見て、これから会うことになっている第6特殊犯捜査管理官・亀虎眞魚警視の言葉を思い出した。
「こっちをニッチ産業みたいな扱いにしておきながら、今では第6に頼りぱなし、特に第1の3係なんてザマはないわ。でも真澄、私はこれを足掛かりに、もっと上を目指す。私だけじやなく6係も引き上げて見せる。だから頑張って。他がもって来る事案をこなすだけじゃ駄目よ。他じゃ手が出せない何か大きなのを引っ張って来なさい。でも、今抱えてる事案にも全力で当たる事。難しい事があったら、なんでも私に言って、私が身体を張ってでも、なんとかするから。」
 亀虎眞魚は、キトラマナと読む。
 最初の頃は、亀虎をカメトラと読み、カメトラをもじって良からぬ渾名が横行したそうだが、それは直ぐに消えてなくなった。
 なにせ、当の本人がカメトラという怪物じみたイメージからかけ離れた美女だからだ。
 その美女ぶりも、ただ化粧が上手くて、美人に見えるというレベルではないのだ。
 普段の彼女は、制服姿でポニーテール、化粧気はほとんどない。
 私の知り合いで、科学警察研究所に努めている復顔術に詳しい男がいるが、彼に「美人は頭蓋骨だけでも見分けがつくのか?」と聞いたら、彼は当たり前だと答えた。
 亀虎眞魚警視は、そんな頭蓋骨の持ち主だった。
 ただ、その本性は、定着しない渾名であるカメトラの如く怪物的だったが。
 そうそう、美人と言えば、これから紹介する指尻ゑ梨花氏も相当なものだ。

 私の愛読書の一つである秋田昌美氏の著書の中に、『スルカは一つのルールのもとに人体を完全な性的オブジェに変身させられている。まるでポリエステルとファイバーグラスで型を取って固め、その上に精巧な塗料で多彩色をほどこしたようなゴムでできた女の顔をしたマスクをつけ、ブロンドのかつらをぶり、皮膚に似たラバー・スーツを頭からすっぽり身につけているような、、。』 というシーメール・スルカに関する文章があり、私はいたくその一節が気に入っている。
 なぜなら、その描写が、私の所属する特殊犯捜査第6係の外部コンサルタントである指尻ゑ梨花氏の雰囲気を良く言い表しているからだ。
 もちろん、スルカはアメリカの有名なポルノスターであって、日本人の指尻ゑ梨花氏の外見がそのスルカにそっくりという事ではない。
 指尻ゑ梨花氏の容貌は、極端に彫りが深いというわけでもなく、よく見ればヨーロッパ系の血がクォーター程度混じっているのかという東洋系の美女だ。
 ただ彼女の肉体の存在感は、スルカのそれと同等という話なのである。

 シーメールとは、英語のshe(彼女)、male(男性)の合成語である。
 そこから判るように、shemaleは、乳房を持った女性の外見を持ちながらも、外性器を全て残した男性のことを示すアメリカの俗語である。
 我が国でいう「ニューハーフ」と同じと言っても良いが、シーメールはあくまでも、「女性の乳房と男性器を併せ持つ男性」という限定的な呼称であり、例えば、手術による人工的な女性器を持つと、もうその人間はシーメールの範疇には入らない。
 つまりシーメールと呼ばれる人間の「性別」は、あくまで「男性」であり、俗に言う「ふたなり」的な存在ではないのだ。
 だが、シーメールが放つ色気は、間違いなく女性特有のものが濃縮されている。
 例えば指尻氏は、現場で捜査協力してくれる事も多いのだが、氏が激しく動き回った後のあの姿。
 氏のアップにまとめあげている髪の毛が崩れ、頬や首筋に房束がほつれかかり、汗にまみれて肌にまとわりついている、その風情。
 多くの男性が、その姿に欲情するだろう。

 ちなみに特殊犯捜査第6係がなぜ、そのような女性、いや男性を外部コンサルタントとして契約を結んでいるのか?という疑問だが、あなた方は1936年(昭和11年)に起こった「阿部定」事件というものをご存じだろうか?
 当時は、この阿部定という加害者女性が、愛人を殺害後、その男性器を切断して持ち去ったという行為の猟奇性故に非常に騒がれた。
 しかし現在は、この程度のアブノーマルさなどでは、さほどセンセーショナルな事件とは呼べないだろう。
 現在の性の多様化、人々の心理の荒廃が、こういった犯罪を更に複雑怪奇なものにして来たのだ。
 そしてその怪奇性故に、事件の解明自体が不能に陥る事さえある。
 そういった混迷を極める事件対応の為に、我々の特殊犯捜査第6係が存在する。
 我々の捜査が、性の混迷や人の意識の倒錯故に、我々の手に余る時、シーメール精神鑑定医・指尻ゑ梨花氏への協力要請が発生するのだ。

 我がコンサルタント指尻ゑ梨花氏は言葉遊びが好きな一面もあり、時折、我々の住む都市を「ビザランティス」と呼ぶ事がある。
 この言葉の複合元となるビザールbizarreは、「奇怪な、異様な、信じられない」という意味だ。
 ビザンチウムByzantiumは、ヨーロッパの南東、バルカン半島のトラキアの東端に位置する小さな半島の先端部分にあった東ローマ帝国の首都都市である。
 そして言わずもがなの、伝説の超古代文明「アトランティス」が対の言葉だ。
 指尻ゑ梨花氏が口にするビザランティスとは、滅び去る巨大首都、あるいはそこに住む人々の事をさす。
 氏いわく、このビザランティスでは、人の姿をした亡霊が、超絶的な快楽を求め、いつも彷徨っているらしい。

 さてここでは、我々、第6特殊犯捜査第6係が、このシーメール・指尻ゑ梨花氏と最初に出会う事となった、ある一つの事件と、その裁判について話しておきたいと思う。
 そうそう、これからここでは指尻ゑ梨花氏と呼ばずに、指尻ゑ梨花女史と呼ぶことにする。
 どう考えても「氏」よりも、「女性の学者・芸術家・評論家・政治家などを尊敬して呼ぶ言葉」としての「女史」の方が、指尻氏には似合うと思うからだ。
 わざわざ女性であるということを、殊更にとりあげて言っているように受け止められる「女史」は、「性差別用語」だと、とらえる向きもあるようだが、それなら尚更の事である。
 指尻ゑ梨花女史は、この社会の、正邪・新旧を問わず、ありとあらゆる「思い込み」に、自らをトリックスターとして挑戦している人物でもあるからだ。

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