蛇が知るは秋のぬくもり(旧版)

幽月 篠

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秋の名を持つ少年と蛇

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その少年は冷たい顔をしていた。

 痛い。しんどい。私が何をしたと言うのだ。秋也は呻きながら俯せになっていた。
 退魔の仕事で危険な任務を押し付けられ、血みどろになりながら鬼祓い達を指揮するのは疲れた。その上任務の成果を報告をすれば、役立たずだの穀潰しだのと罵られて折檻を受ける。
 そんな私にとって、眠りとは唯一の癒しの時間であり至福であった。明日は休みだ。仕事明けだ。半日ぐらい眠っていたい。それほど疲れていたから寝床に入った途端、眠ったというのに。

「おい秋也起きろって」

 秋也が目を僅かに開けると、夜萩が傍にいた。

「うるさい。邪魔だ。寝かせろ」

 至福の時間を邪魔された秋也は、不機嫌を一切隠さずに睨みつけた。そんな秋也に、夜萩はごめんと苦笑する。

「耳寄りの情報があってだな。お前に聞かせようと」

 耳寄りの情報だと? 秋也の寝ぼけていた頭が覚醒する。

「何だそれは」
 
 にやりと夜萩は笑うと、秋也の耳元に口を寄せる。

「お前の式神に出来そうな妖がいる。今は石牢にいるから、その妖に頭領の沙汰が下る前に、会ってみないか?」
「本当か?」

 驚きのあまり秋也は夜萩の顔をまじまじと見ると、夜萩は振り子のように頷いた。

「種族は何だ。山海経に載ってるやつか」
「そんな大物ではない。大蛇だ。だが結構強いぞ。何せ捕まえるのにかなり時間が掛かったし、捕らえるまでに怪我人が出たからな。むしろ何故だかこちらが手加減されていたかもしれない」

 大蛇だと? 鬼祓いの守護神が蛇なのに何故、同じ生き物である蛇を捕まえ? 秋也は怪訝そうに眉をひそめた。

「まず誰の命で捕まえた? それに何の罪があった?」
「頭領の命だ。捕まえた理由は、最近人が消える事件が多く発生して、それが大蛇の目撃された時期と同じ頃だったからだ。だから捕まえて尋問してから守護神の贄にしろって頭領が……」
「はあ!? あの人でなし、またそんなことを……」

 あんな人でなしと血が繋がっていると思いたくない。秋也は額に手をやると舌打ちをした。

「で、人の血の臭いはしたのか。頭領が命を下すからには、人を喰ったという確証があったのだろ」

 秋也が夜萩に目を遣ると、夜萩は目を逸らした。

「確証は………全くないと言いますか……蛇からは人の血肉の臭いは一切しなかったというか……」
「……健吾の馬鹿は、それを知ってたのに捕まえたのか?」

 地を這うような低い秋也の声が夜萩の耳に入る。夜萩は目を逸らしたまま頷いた。

「それで蛇の尋問状況は?」

 秋也の声がどんどん冷たくなっていく。そういや秋也は自分の父に引き取られる前、里の薬師である妖狐を母と慕い育ったっけな。それなら妖に感情移入してもおかしくないよな。夜萩は冷や汗を流しながらその様なことを思い出した。

「人型で五体満足だ。だがさっき様子を見てきたけど、蛇が健吾に悪態をつくものだから、鞭打ちの音が聞こえてた。今夜には、爪剥ぎや骨を折る方向に移りかねないかと……」

 しどろもどろになる夜萩を抜き身の刃のような瞳が射抜く。

「健吾の馬鹿をしばきに行くぞ」

 長い髪を下ろしたまま、夜着の姿で秋也が傍にあった刀を掴んで外に出ようとする。まさかそこまで怒ると予想していなかった夜萩は、慌てて秋也の体を押し倒した。

「秋也落ち着けって!」
「これが落ち着いていられるか! 健吾の馬鹿、盛りだからと慰み者にしかねんぞ。健吾が死ぬのはどうでもいいが、その蛇の怒りを買って石牢を壊されればどうなる。我らは直接蛇を殺せぬ者。死人が出てもおかしくない!」

 体勢的には夜萩が秋也に馬乗りになっているが、秋也に金的を食らわされてもおかしくない。夜萩はひやひやしながらも、怒りを露にしている秋也を拘束していた。

「秋也落ち着けって……このままだと俺達がそういう関係だと誤解されるぞ」

 秋也がはっと夜萩を見上げる。そして自らの身体を見下ろした。はだけた夜着と乱れた髪。そんな私を押し倒す夜萩。……確かに誤解されかねない。

「すまなかった。暴れぬから夜萩、さっさとどけ」

 秋也の怒りがすっと静まっていったので、夜萩はふうと息を吐いて離れる。秋也は胡座を掻くと、顎に手をやった。

「お前、その蛇を式神にしないかと言ったよな? だが、石牢にいるとなると人目を盗んで侵入しろと言うことか?」
「そう、そのとおり」

 夜萩は悪巧みする笑みで笑う。何を企んでいるんやら。秋也が手櫛で髪を整え始めると、夜萩が秋也の目の前に鍵を差し出した。

「石牢の合鍵くすねて来たんだ。お前も仕事休みだろ?今夜、忍び込もうぜ」

 全くこの悪友は何てことをしでかしているんだ。バレればお前も罰せられるというのに。秋也は呆れていたが、それでも幼馴染みの好意が嬉しかった。

「お前は馬鹿か? もし私が式神を得ても、お前の徳にはならんだろ」
「なるだろ。いつかお前が頭領になれば、俺はお前の片腕として金も地位も約束されるんだからな」

 確かにそれはそうだと笑いそうになる。なのに何故か顔の筋肉が動かなかったので、少し悲しくなった。

「分かったよ。なら今夜、頭領が外に出た時な」

 秋也と夜萩は軽く互いの拳をぶつけた。



 日が落ちて夜も更けた丑三つ時。秋也は次代の証である装飾の施された黒衣に着替えると、夜萩の家へと入った。

「秋也、頭領は外に出たか」
「ああ、朝までは帰って来ないだろうよ。では行くか」

 秋也と夜萩は準備をすると音も立てずに、牢屋の傍に忍び寄った。牢屋の入り口の近くには見張りが二人いる。

「それで、どうする?」

 夜萩が秋也の方を向くと、秋也はさして悩んだ顔はしなかった。

「夜を統べるは月詠命。ならば彼の神に頼めばいい」

 秋也は手を会わせると月に向かって唱え始めた。

「伏して願い奉らん。夜を統べし月詠命よ。者共を眠りに:誘(いざな)いたまえ」

 月の光が一瞬辺りを包み込むと、入り口の者達が急に傾ぐ。秋也と夜萩が近づくと、見張りはぐうぐうと寝息を立てていた。

「秋也、すごいじゃないか!」
「大したことはない。神の力をお借りしたまでだ。それにお前で一度試したし」
「え………?」

 いつ試された。思い当たるとすると、二人で野宿した時ぐらいか?

「さあ此処で突っ立っていないで行くぞ」

 夜萩が訊く前に、秋也はすたすたと牢屋へと入っていった。



「あーもー、まったくあの大蛇腹立つ」

  休憩で握り飯を齧りながら健吾は舌打ちをした。

「鞭で何度打っても全然何も言いやしない。凌辱すればすぐ口を割ると思うんだがな」

 そんな健吾を、凪人は呆れたように見ながら白湯を啜った。

「頭領も言ってたでしょ。『人を喰った妖と交わるのは穢れるからするな』と。健吾、そんなに男と交わりたいのなら、陰間屋にでも行ってきなさい」

「分かったよ。うっせーな」

 健吾は立ち上がる。

「絶対人を何人食ったか吐かせてやる。それで蛇神の贄とすれば、弔いになるもんだ」
「人を食ったと確証はありませんよ。それにあの蛇が人を喰っていようがいなかろうが、贄にすることは確定のようです。それでも健吾は、あの大蛇を痛めつけようと言うのですか?」

 凪人は憂いを浮かべた顔で健吾を見る。健吾は頷いた。

「人でなしどもを傷つけて何が悪い。食われる前に殺すのが道理だろうが」

 健吾は石牢がある方向を睨み付けた。



 牢屋はいくつもの部屋に分かれており、奥にある石牢が蛇のいる場所だ。幸い、殆どの牢の中には誰も居ないので楽に石牢まで入ることが出来た。

「でこれに鍵を差し込んで……」

 カチャカチャと夜萩が音をさせると、石牢の奥にいる人影が動く。秋也は、ただそれを黙って見つめていた。

「秋也、開いたぞ」

 ぎぎっと戸を横に引くと、人影の姿がはっきりと見えた。秋也はゆっくりとその人影に近づいた。大蛇が人の形にされたようだが、見た目はただ男のようである。髪は地に引き摺る程長く、身体は細身。肌は捕まる前ならば絹のように滑らかであっただろうが今は赤い鞭の跡が刻まれている。そして手は指の爪が全部剥がされたのか、赤い肉が見えていた。その痛々しい様に秋也は顔をしかめる。

「誰だ……貴様は………」

 掠れた声と共にぐったりと下を向いていた頭が上がり、秋也の方を見た。黒曜石のような黒い瞳と憎悪を浮かべても尚美しい顔。なるほどこれなら健吾も肉欲を向けてもおかしくないな。敵意を越えた殺意を含んだ視線に秋也は怯むことなく大蛇を見据えた。

「私は紅原秋也。鬼祓いの長の次代だ。実の父である長からは嫌われているがな。まず、私の同胞がお前に酷いことをしたようだ。それについて謝らせて頂きたい」

 秋也は頭を大蛇に向かって下げた。そんな秋也に一瞬大蛇は憎悪を忘れる。だがすぐに秋也を睨み付けた。

「貴様が謝って何になる。どうせ私は贄にされるのだろう?」

 ああと秋也は頷いた。

「そうだな。このままでは、お前は我々の神の贄にされる。頭領がその方針を変えそうにもないからな。だが、唯一それを免れる方法がある」

 あの親父は人でないものを嫌っている。ここで彼を逃がしてもきっと彼を殺すのだろう。そんなことをさせてたまるか。秋也が大蛇の手枷に触れると、手枷が粉々に砕ける。大蛇は唖然として秋也を見上げた。

「なあお前、私の式神にならないか?」

 秋也はそう言って大蛇に手を差し出した。そんな秋也の言動に、大蛇は大きく目を見開いて言葉も忘れてしまいそうになった。それでも憎悪はすぐに元に戻る。

「………………は? 貴様のような小僧の僕になれと?」

 予想通りの反応であったが、秋也の心がずきりと痛んだ。やっぱりそうだよな。今までこんなことをされて式神などなれないよな。私が言っていることすら身勝手だし……。それでも秋也は交渉を諦めない。

「お前だって死にたくはないだろう。私もお前を死なせたくはない。卑怯だと思うだろうが、今のところそれしか助ける方法はないんだよ。数年後に契約を解消してもらって構わない。だから……今助ける代わりにしばらくの間、私に力を貸してくれないか?」

 大蛇は黙ったままだ。断られるのだろうか。秋也は冷や汗をかいた。

「私を助けるなど烏滸がましいにも程がある。私を憐れんでいるのか? 反吐が出る。だが…………私は死ぬわけにはいかない」

 大蛇は傷だらけの腕を上げて、差し出された秋也の手を掴もうとする。秋也はすぐに腕を伸ばすと大蛇の手を掴んだ。

「どうせすぐに解消するだろうが………良いだろう。お前の式神になってやる」

 罪悪感はあるがこれで初めて自分は式神を持つことが出来た。秋也は笑う代わりに大蛇に向かって頷いた。

「ああ、よろしくな」

 秋也はその場に座ると、空いた手で自分の懐を探り、酒瓶と短刀、そして盃を取り出した。

「これを飲めば、私の式神としての契約が成立する。そうすれば、この里でお前を傷つける者はいなくなるだろう。……頭領以外は」

 秋也は自分の腕を短刀で傷つけると、傷口から溢れた血を盃に落とす。そしてその盃に御神酒を注ぐと盃を大蛇に渡した。大蛇は嫌そうな顔をしたものの、盃を秋也の手から受け取ってごくりと飲み干した。
 大蛇が口を離すと、どこか苦虫を噛んだような顔をする。

「お前、血を飲むのは初めてか?」

 大蛇は小さく頷いた。

「………これで血酔いはしないのか?」

 苦々しげな顔をしているのはそのことか。秋也は空の盃を受け取った。

「これは妖や神の魂を血で縛り、式神に下す為の物だからな。縛られた者は血酔いをしない代わりに、主以外の血はおろか、肉すらも口に出来ないようになっている」

 血酔いとは人の血肉を口にした妖が、人の血肉を求めて女子供を拐うようになることだ。血酔いをするのは妖だけでなく熊などの獣もそうだが、そうなれば討伐対象へとなる。なので血酔いを嫌い、人の血肉を食わぬ人外が大半である。

「これも契約によるものか?」

 大蛇は秋也に己の手の甲を見せる。大蛇の剥がされていた爪はいつの間にか新しい爪に生え代わっていた。

「ああ。だけどまだ回復するには足りないだろ?」

 秋也は片肌脱ぐと、大蛇に己の身体を晒した。まだ年若い少年の筈の秋也の肌は傷跡や生傷が多く大蛇は眉を顰める。

「私の血を飲め。ただし私の肉を食い千切るのと、此方が死ぬほどに飲むのはなしだがな」

 大蛇は信じられないと言いたげに目を見開いた。それはそうだろう。人の血肉を食ったと濡れ衣を着せた組織に所属する小僧が自ら己の身体を差し出しているのだから。

「貴様……正気か?」

 秋也は肯定するように一歩大蛇に近寄った。

「正気も正気。お前がすぐに動けるようにしないと、私が健吾に殺されかねないのでね」

 大蛇は嫌なのか目を伏せて唇を噛む。だがこのままでは動けないのは事実だ。大蛇は意を決したように秋也の肩に冷たい唇を置くと、歯を立てて噛みついた。

「ぐっ………う………」

 秋也は痛みに呻くが抵抗せず、子供をあやすように己よりも上背がある大蛇の背中を撫でる。大蛇は目を細めるとその生温かな血を啜った。

「くっ………あ……」

 ごくりごくりと大蛇の喉がゆっくり動く。肉に刺さる歯が痛くて、霊力を持っていかれる感覚が大きくて意識を失いそうになる。まだだ。こんなの頭領の折檻などに比べると児戯同然。それに……。

『がっ……あああああっ────!!』

 喉が裂けるほどに叫んだあの夜程ではない。目を瞑っている秋也の顔から汗がぽたりと落ちる。それを横目で見ながら大蛇は唇を離した。

「はあっ………あっ………」

 ぜえぜえと息をする秋也の身体がそのまま傾ぐ。床に身体が叩きつけられる寸前、大蛇は無言で秋也の身体を支えた。そのままゆっくりと床に寝かせると、大蛇は秋也を複雑そうな眼差しで見下ろす。そんな大蛇の身体は、秋也の霊力の大半を食ったからか、傷一つない美しい身体に戻っていた。
 息を整えた秋也は目を開けると、大蛇の本来の美しさを目にした。別に男になど情欲を向ける趣味などないし大蛇の顔は冷たいままだ。だが、何故か秋也は大蛇に微笑んでしまった。
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