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終幕 其の壱
しがらみを捨て、大事な相棒と道を歩む
(終幕は其の参まであります)
「う……ん……?」
秋也がぼんやりと目を開けるとそこは見慣れぬ場所であった。壁にはぎっしりと薬棚が並べられており、薬草の臭いが鼻腔を擽る。
「主様、お気づきになられたのですか!?」
顔を上げると、彼の黒曜石の瞳が此方を見ている。その顔があまりにも泣いてしまいそうだったので、また心配をかけてしまったと申し訳なく思った。
「ところで……此処は……? ぐっ……う……」
桔梗の部屋で嗅ぎ慣れた臭いもあるが桔梗の部屋でないという直感があった。では此処は一体何処なのかと確かめようとして身体を起こそうとする。だが、身体全身に痛みが走り、秋也は呻いた。
「主様、まだ起き上がっては駄目です。何しろ5日程お眠りになられていたのですから」
そんなに眠っていたのか。手を上げてみると、指の先まできっちりと白布が巻かれており、衿の間から見える己の身体も布が巻き付けられている。そう言えば鞭を受けた上、爪を剥がされたっけな。ならばこれ程重傷人扱いされても仕方がないか。秋也はただ影縄を見上げた。
「此処は桔梗のお父上の家です。場所としては国境の辺りだそうです」
「そうなのか。……心配をかけてしまってすまなかった」
影縄は首を横に振って、安堵したように深く息を吐く。
「いいえ、謝らなくて良いのです。生きてくださっていて……本当に良かった」
その言葉の暖かさが胸に染み渡る。影縄にはすまないが、自分を心配し生きていることを喜んでくれる存在がいることが嬉しくて仕方がない。
「ようやく目覚めたか坊主」
三十路くらいの男の声が聞こえ秋也が首を動かす。すると三十路か四十路程の男が薬草を摘んだ籠を抱えて立っていた。すらりとした細身の長身で、さぞ異性に好かれそうな美形といった外見。どことなく雰囲気が桔梗に似ているような気がする。
「貴方が桔梗のお父上ですか……?」
「おうよ。わしは桔梗の父こと棗だ。紅原の坊主、調子はどうだ?」
「まだ身体が痛いです」
桔梗の父親というならば千年以上生きている狐であろう。どうしてもそのように見えないのは年齢の割には外見が若々しいためか。棗殿は私に近づくと、私の額に手を置いた。
「まあ痛いのは仕方ねえさ。熱は大分下がったようでなにより。痛みも塗り薬を使えば少しずつ治まるから安静にしてな。あと爪が剥がれている以上、お前さんは物は掴めねえ。わしがいる限り、爪はきっちりと生え揃うから、それまで影縄さんに身の回りのことを任せるように」
「はい……分かりました」
私は言われることにただ頷くと、棗殿はにっこりと笑う。その顔が桔梗に似ており、本当に桔梗の父親なのだと確信した。
「まったく桔梗の奴め、突然夜中にお前さんを連れてきたんだぞ。まあ仕事手二人も寄越してきたのは許すが、ちゃんと安静に運んだのやら」
二人? 影縄だけでなく誰かついてきたのか? 誰なのだろうと考えていると、誰かの足音が聞こえてくる。
「棗殿、摘んだ薬草は何処に置くといいのですか?」
その声は健吾と全く同じ声。どうして此処に彼がいるんだろうか。首を傾げていると、健吾が建物に入ってきた。
「ああ健吾。それは入り口に置いておくといい。それよりもようやく坊主が目覚めたぞ」
「はい!? おお本当だ。次代、随分のお寝坊だこと」
健吾が嬉しそうに近づいてくる。私と影縄はともかく、健吾が何故此処にいるんだ。夜萩かと思ったのに。
「健吾殿どうして此処に……」
「夜萩は鬼祓いとしては平だが、俺は若衆の長なのに頭領を裏切ったからな。抜けることはしない代わりに、此処に置いてもらうことになった」
健吾は目を泳がせ頬を掻きながら答える。確かに凪人の為とはいえ、私の味方につくような真似などしては里にいられない。そう判断して桔梗が此処に保護させるようにしたのだろう。きっと若衆の長は交代しているだろう。せっかくの出世を妨害したようで申し訳ない。そんな私の心を呼んだかのように、健吾は軽く私の額を指で弾いた。
「馬鹿。若衆の長の座は譲ったが、お前の為なんかじゃねえよ。目的は果たしたし、あれだけのことをして俺の命があるだけ十分だ。それに此処で棗殿から薬の知識を学ぶのも悪くないからな」
「健吾は中々飲み込みが早い。健吾のことは此処に置く間、守ってやるからお前さんが心配しなくてもいい」
健吾と棗殿の言葉に思わずほっと息を吐く。健吾が重い罰を受けなくて良かった。そう安堵した途端、腹が鳴って秋也は赤面すると健吾と棗が笑った。
「坊主は何日も食ってないもんな。丁度いいし皆で飯を食べることにしよう」
そして棗殿が作ってくださった粥のなんと美味いこと。両手が使えない秋也は影縄に食べさせてもらったが、久しぶりの食事に涙が出そうになった。
そうして完全に癒えるまで三ヶ月掛かった。二月ふたつき後には棗殿のお陰で物が掴めるようになったのでもう京に出ようとしたが、影縄と棗殿に止められてしまった。何故か知らぬ土御門に連絡する前に土御門の方から此方を心配をする文が届いたので健吾に代筆してもらうことにした。それで連絡を取り合い夏の終わりに出立することが決まった。
出立する前日、健吾から御守りを渡された。
「これは一体?」
「奥方様の使いから、お前に渡すようにと言伝てを頼まれた。社の物ではないから開けてみるといい」
御守りの布袋をそっと開くと小さな紙が入っている。それを開くと、護符であった。何処かで見たような……。それに気づいた途端、秋也の目から涙が溢れた。
「次代!? おい、泣くな! せっかく奥方様がお前の為にと……待て、濡れるから、これで拭け!」
健吾から渡された手拭いで涙を拭く。泣きすぎたせいで目の周りが赤くなってしまい、影縄に心配をかけてしまった。
出立の日、健吾と棗殿は見送ってくれた。
「坊主、これからも大変だろうが精進するように。何、貴族達はお前の里のようなことはしないから安心しな」
「はい、棗殿。これまでありがとうございました。これから修行に専念しようと思います」
棗殿は笑うと、影縄に視線を向けた。
「影縄さんもどうか達者でな。もし坊主が無茶をしたら止めるんだぞ」
「はい、勿論です」
影縄は微笑んで頷く。そんなに無茶をしないと思うから心配しなくてもいいだろうにと秋也は内心思いつつ、健吾に話しかけることにした。
「健吾さんもお元気で」
「此処にいれば病にもかからないから大丈夫だろ。次代も土御門に迷惑を掛けるんじゃねえぞ」
健吾は口端を上げると、わしゃわしゃと俺の頭を撫でる。子供扱いされるのは複雑な気持ちだが、決して嫌ではないのはどうしてだろう。私はしばらく撫でられるままにしていたが、健吾の手が離れると影縄を見た。
「影縄行こうか」
「はい」
穏やかに笑う少年の声に蛇は頷く。これからも主の行く道のりは険しく辛いものが待ち受けているだろう。彼が涙を流して優しさという名のぬくもりが消えぬように傍で守り抜こう。影縄は心の中に誓いを立てる。そして、孤独の闇にいた大蛇は少年と手を繋ぎ、長く続く道にゆっくりと足を踏み出す。彼らの道行きを彩る景色は秋の柔らかな色に彩られ始めていた。
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◾️その他
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