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変わらぬ笑顔

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「うわぁ……頭いたい、意識がもうろうとする……寒気がする……辛い……」

 俺、古坂康太は自宅のベットで鼻水を垂らしながらに仰向けで寝ていた。
 掛け布団を深く被り、ズズッと鼻水を啜ったタイミングで脇で絞めていた体温計がピピッと鳴る。
 俺はそれを取り出し、現在の自分の体温を確認する。

「38.9℃……朝から全然下がってねぇ……。もう昼過ぎだってのに、これは明日まで長引きそうだな……」

 ゴホッゴホッと咳をしながら俺は布団から立ち上がり、部屋の隅のタンスを漁る。
 クスリが無いかを探ってみるが、ここ最近体調を崩してなかったから、前の大掃除の際に間違って捨ててしまったのか、タンスに薬のくの文字も無かった……。
 せめて頭痛が消える痛み止めがあればいいのだが……無ければお手上げだ。

 買いに行くか、とも思ったが、8℃を超える高熱と覚束ない足では怪我をしかねない。
 この時期にインフルはないし、ただの風邪だろうから、寝てれば治るだろうと、俺は何処か楽観的だった。幸い熱で食欲も無いからお腹の空きも無い。今は安静に寝てよう。今日は土曜で明日は日曜で休日だしな。

 俺は再びベットに寝ると、天上を仰ぎ。

「独り身はこんな時辛いよな……。看病してくれる人なんていねえから。ただ治る事を祈る事しかできねえ……まあ、今回のはただの自業自得なんだけどよ……」

 俺は自らの行いを自嘲する。
 本当は今回の風邪の原因を自覚している。
 
 今回の風邪の原因、それは……ただの湯冷めだ。
 我ながらに呆れる。先日、会社から帰って来て飯食べて、風呂に入った後、俺は長時間考え事をしてしまった。
 考え事……それは、先日聞いた凛たちの会話だった。

 凛が取引先の社長の孫と食事をする。
 食事って言葉だけを訊けばなんて事のない事かもしれないが、互いに社会人だ。
 食事だけで済むかどうか……。
 オオヒラのお孫さんは独身だと聞く。なら、未婚の凛と交際に発展しても不思議じゃない。
 
 凛は幼馴染の俺から見ても美人だ。
 頭は何処か抜けていて危なかったしい奴だが、面倒見が良くて、料理も家事も得意で、子供を大切にする良い女だ。
 高校生の娘はいるが、それでも良物件かもしれない。
 
 ……ハハッ。正直考えたくないな。 
 あいつが、俺以外の他の奴と一緒になるのを想像するなんて。
 けど、俺がアイツに振られた時に決めたはずだろ。
 どんな形でも良い。あいつが幸せなら。あいつが笑顔でいられるなら、俺は……祝福するって。

 シングルマザーで凛はずっと苦労したんだ。
 社長の孫って事はお金だってあるだろう。
 仮に再婚となれば、裕福な生活が出来るかもしれない。
 父親を欲しがってた鈴音にも父親が出来る。
 良い事尽くめだな。俺には出来なそうだが……。
 確か食事は今日だったよな。凛……上手くいけばいいのだが……。

 けど、出来ることなら…………。

 ヤバいな。
 風邪の所為で色々とネガティブな事を考え過ぎてた。
 ストレスや考え事は風邪を長引かせるだけだ。今は何も考えずにしっかり休もう。

「けど、何もないのは流石に辛いな……仕方ない。少し心苦しいが、アイツに頼むか」

 俺は携帯を取り出してメール画面を開く。
 朧気な視界と力ない指で画面をタッチして送り先を選ぶ。
 送り先は『田嶋』。俺と同期入社で現在は人事部に席を置いている男友達だ。

「クソっ……。最近まで独身仲間だったのに、俺を置いて結婚しやがって……。せめてもの報復として何か買って来やがれ」

 言葉通りではなく、一応頼む側としての配慮を交えながらに文章を作成。
 そして最後の部分に脅迫紛いな文章を付け足す。

「もし俺の頼みを断るなら。結婚する前、飲み目的とは言え、彼女がいる身でありながら合コンに参加していた事を嫁さんにバラすぞ?」

 と、ここは言葉通りの文章を書いたが……寸での所で思いとどまる。

「いやいや。流石にこれは酷いか。俺は信じる。男の友情ってのが結婚なんかで消えないことを」

 風邪の所為で変なテンションの俺は脅迫文を削除。
 そして送信する。
 頼んだ物は風邪薬と適当なレトルトの御粥や水分補給できる飲み物。
 それさえあれば風邪も治るだろう。
 合鍵は紛失した時用にポストに入れてある。メールにもポストの中に合鍵は入れたと書いたから、もし俺が寝てた場合でも入れるだろう。

 俺は携帯を放り投げると掛布団を深く被る。
 携帯の光で目が疲れたのか、瞼が重くなり、少し眠たくなった。
 丁度良かった。どうせ田嶋が来るのに時間もかかるだろうから、それまで、寝る……か。

 俺は瞼を閉じ、視界が暗転する。

—————人は辛い時、ふと、夢で楽しかった時のことを思い出す。

 そう言えば、昔もこんな事があったな。

 俺は小学生の時に、高熱を出して学校を休んだ事があった。
 俺の家は父さん、母さんと共働きで、二人共仕事に行かないといけなかった。
 流石に母さんは熱を出した息子を放っておけずに休もうとしたが、強がった俺は『これぐらい大丈夫だよ。だから、お母さんは心配せずに仕事頑張って来てよ』と母さんを見送った。
 何かあれば電話しなさい、と言い、母さんは仕事に行ったが、家に残った俺は風邪の辛さと家に自分しかいない孤独感で辛かった。
 
 辛さと寂しさで正直泣いた。だけど、どうする事も出来ない俺はただひたすら、熱が引くのを祈り、眠る事しか出来なかった。
 気を紛らわす為にただ眠っていた俺だったが、気づいた時には額に冷たい感触があった。
 俺は重たい瞼を上げると、視界に入ったのは。

『あ、起きたんだ。おはようこーちゃん。気分はどう? 楽になった』

『り、凛……』

 屈託のない笑顔を浮かばせる田邊凛おさななじみがいた。
 額の冷たい感触の正体は濡れたタオル。凛の傍らに氷水が入った洗面器が置かれていた。

『お前どうして……学校は?』

『もうとっくに終わってるよ。今日はこーちゃんがいなくてつまらなかったよ。だから、早く元気になって学校に来てよ?』

『あ、あぁ……』

 ニシッと凛は歯を見せ笑うと、部屋のテーブルの上に置かれたお盆に乗った物を俺に差し出した。

『お腹空いてるでしょ? なら、これ食べて』

 そう言って差し出したのは、土鍋に入った湯気の立った御粥だった。

『これお前が?』

『うん。家にあったレシピ本を見て作ったんだ。初めて作った割には上手でしょ?』

 見た目は完璧な御粥。
 朝から食欲も無くて寝てばっかりだった俺の腹は、御粥を見て覚醒したのか腹の虫を鳴らし。

『……いただくよ』

『召し上がれ』

 俺は凛に渡されたレンゲを使い、御粥をすくい、ふぅふぅと息で少し冷ますと、口に頬張る。
 舌に乗せた瞬間、口に広がった味は—————

『甘ッ! 超甘いこのおかゆ! お前、これに何入れやがった!?』

『え、ええ!? 私、レシピ通りに作ったはずだよ!』

『ならこの甘さはなんなんだよ! お前、塩とかと間違えて砂糖入れたんじゃないのか!?』

『……そう言えば、塩の隣に砂糖があったような……』

 呆れを通り越して絶句した。
 塩と砂糖を間違えるなんて王道の失敗を体験するなんて思わなかったから。
 小学生で料理経験の薄い凛を強く攻める事は出来ないが、流石にこれは酷かった覚えがある。
 
 正直甘すぎて食べられた物じゃなかったが、俺の為に一生懸命作ってくれた凛の心遣いを無碍にする事は出来ず、俺は二口目を食べる。

『駄目だよこーちゃん。不味いんでしょ……なら』

『食べるよ。腹減ってるし……それに、お前が折角作ってくれたんだ、残すのも勿体ないだろ』

 俺は凛の制止を聞かずに黙々と甘いおかゆを食べ進め、全て平らげた。
 流石に量もあるが、甘いおかゆは胃を攻撃したのか嘔吐感が増したが、お腹は膨らんだ。
 凛は食後に母さんから聞いていたのか、薬を用意してくれて、それを俺に飲ました。
 薬は苦くて嫌だったが、早く良くなって凛と遊びたいと俺は我慢した。

『……ありがとな、凛。お前のおかげで大分元気になったよ。だから、お前は早く帰れ』

『どうして?』

『どうしてって……風邪は人に伝染うつるって言うし、お前に風邪がいくかもしれないぞ……』

 俺は凛の事を気遣って言ったのだが、この能天気なお姫様は再び笑い。

『もし私にこーちゃんの風邪がうつったら……その時はこーちゃんが私の看病をしてよ。それなら、私、何回だって風邪引くから』

『……ハハッ。駄目だコイツ。とんだワガママ娘だ』

『誉め言葉として受け取っておくよ』

 俺達は笑いあった。
 凛の看病のおかげで俺は次の日に風邪は治ったが……危惧していた通り、次の日は凛が風邪を引いてしまい。言われた通り、恩返しとして次は俺が凛の看病をした。
 
 あの時は本当に楽しかった。
 もし時間を戻せるなら、あの時をもう一度あの時を過ごしたい。
 そして……可能なら次こそは———————


 ヒヤリ。俺の額に冷たい何かが伝わった。
 これは夢の続きか? いや、違う。これは現実だ。
 誰かが俺の額に何かを置いたのだ。田嶋か? アイツがそんな気の利いた事をするはずがない。
 俺は恐る恐ると瞼を開けると……視界に入ったのは。

「あ、起きたんだ。おはよう、こーちゃん。気分はどう?」

 顔つきも大人びて、あの時の面影は要所要所にしか残らなくなった今でも、変わらぬ屈託のない笑顔の田邊凛おさななじみがいた。
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