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変わらぬ関係

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「り—————凛! お前、なんでここに!?」

 風邪で気怠い体を起こし、何故か俺の部屋にいる凛に声を荒げて訊く。
 凛は小さく口を開いて唖然とすると、はっ、と短くため息を吐き。

「人にあんな”メール”を送っておいてね」

 メール? 俺は凛にメールなんて出した覚えはないのだが。
 凛は携帯を取り出すと、俺の眼前に携帯を突きつけ画面を見せる。
 凛が見せたのはメール画面……えとえと。

『差出人 古坂康太
 
 最悪な事に風邪を引いてしまった。
 寂しい独り身では看病もしてくれる人もいないし、マジで辛い。
 慈善活動として寂しい独身男に救いの手を。
 マジで頼む。薬やレトルトとか買って来てくれ。お礼は後日するから。
 鍵はポストに入れてあるから勝手に入ってくれ。  』

 これは俺が眠る前に『田嶋』に送ったはずのメール。
 なんで凛の携帯に…………まさか!?

 俺は自分の携帯で確認すると、俺が田嶋に差し出したと思っていたメールの宛先が……田邊凛に。
 ま—————間違えてたぁあああ!
 意識が朦朧としていて、確認もせずに送ったから、田嶋に送ったと思っていたメールが凛の方に。
 宛先は五十音順に並んでいるから、ニアミスで凛の方を押していたのか……。

 俺は自分の失態で体温が少し上がる。
 ヤバい。恥ずかしい。あんな男友達に送る痛いテンションのメールを凛に送っていたなんて……。

 凛は俺の反応で大体察したのか、再び呆れた様な短いため息を吐き。

「まあ、そんな事だろうとは思ってたよ。こーちゃんが私にこんなメール送るはずないよね」

 俺のミスに薄々勘付いてたみたいだが、どこか拗ねた様子の凛。
 まあ、折角心配して看病に来たのに、間違ってましたって言われれば俺も少し怒るかもな。

「俺の間違いだと気づいてたんなら、どうして来てくれたんだ?」

「こーちゃんの事だから、メールを送った後にロクに確認もせずに眠るでしょ。んで、メールは間違った宛先に送られ、もし私がそのメールを無視すれば、誰もこーちゃんを看病はしない。となれば、風邪が長引く恐れがあるからね。こーちゃんの反応だと、私の方に送ったなんて間違い、今気づいたみたいだし」

「……俺の事、よくお分かりで……」

 凛の考察にぐうの音も出ない。
 
「……それは、一応でも幼馴染だったからね。こーちゃんのこと、分かるよ」

「ん? なにか言ったか?」

「何も言ってないよ。病人は大人しく寝てて」

 俺が起き上った際に額から落ちた濡れたタオルを凛は拾い、それを俺の額に押し付け、その勢いで俺を寝かす。その後、凛は台所に向かい。

「こーちゃん。朝から何も食べてないでしょ? 今、消化に良い物作ってあげるから待ってて」

 言いながら凛は作業を進める。
 寝たからか少し小腹も空いているが、消化に良い物って……。
 待つこと10分程度。台所から凛はお盆に土鍋を乗せて戻って来る。

「やっぱり風邪を引いた時の定番は御粥だよね。熱いから気を付けて食べてね」

 凛が土鍋の蓋を開けると、土鍋の中から白い湯気が溢れる。
 土鍋の中には、白く濁った米の海に卵の浮島、その真ん中に日の丸の如しの梅干しが……はい、ただの御粥だ。
 鶏ガラの出汁をベースにしているのか、香ばしい匂いが鼻を燻ぶり、失せていた食欲が目を覚まし、胃が覚醒する。その証拠として腹の虫がぐぅと鳴る。
 
「はい、どうぞ」

 凛は俺にレンゲを渡す。
 「サンキュ……」と俺はレンゲを受け取ると、目の前に置かれた御粥を前に唾を呑みこむ。
 この唾を呑みこむ動作は別に上手そうだなという意味ではなく……僅かならがの恐怖だ。
 
 凛が作った御粥。見た目は美味しそうだ。そして匂いも食欲をそそられる。
 消化が悪くなる病人にとって御粥は最善の食事で、俺も丁度お腹が空いている。
 だが……俺は直ぐにこの御粥に手を付けられなかった。何故なら……。
 俺は数分前に夢で過去に実際に起きた出来事を思い出してしまったのだから……。

「…………砂糖、入ってないよな?」

「入ってないよ。いつの話をしているの。味見もしっかりしているし、大丈夫だよ。大丈夫だよ?」

 何故二回言った。
 味見をしている……ってなら安心だな。凛が相当な味音痴でない限りは。
 ヤハリ躊躇う俺だが、人が作った物を粗末にすることは出来ず、恐る恐ると御粥を掬い、口に運ぶと。

「——————美味しいな」

 舌鼓を打ち、素直な感想がポロッと口から零れた。
 実際にこの御粥は絶品だった。市販の御粥なんて栄養さえ取れればいいでしょ?と言わんばかりの薄口で味もお世辞も言えないレベルだけど、この御粥は上手い。
 鶏ガラの出汁が効いているのか、難なくレンゲが進み、昔と違って嘔吐感も無く腹を満たして完食。

「はぁ~美味しかった。ご馳走さん」

「お粗末様。食器は私が洗っとくから。後、薬も買って来てあるから飲んでよね」

「あ、あぁ……色々とすまないな」

「いつも仕事の方で迷惑をかけてるからね。ここら辺でポイント稼ぎを。前の報告忘れはこれでチャラってことで」

 調子の良い事を言いやがって。
 まあ、先日の注意の後、反省したのか逐一営業の報告もしているし。別に根を持ってないから、こちらとしてはそれで今回の恩が消えるなら万々歳……営業? 先日?

「だぁあああああああ!」

「ちょ、どうしたのこーちゃん! いきなり叫んで!? 病人なんだから安静に」

 食器を洗っている途中だったのか、泡の付いたスポンジを片手に戻って来た凛に、俺は慌てながらに訊いた。

「お、お前! なんで悠長に俺の看病してるんだよ! 確か今日じゃなかったのか! オオヒラの所との会食!」
 
「あ、そのこと? それなら、さっき断りの連絡はしたよ」

「…………は?」

 あっけらかんに答える凛に俺は目を点にする。
 俺が止まっていると、凛が申し訳なさそうに頭を下げ。

「こーちゃん……いや、古坂課長。申し訳ございません。私の勝手な判断で、取引先との会食の約束を破ってしまいました……。会社に迷惑がかかりましたら、課長や他の人たちの判断で私を処罰してください」

 幼馴染の田邊凛としてではなく、デリス食品の社員、俺の部下である田邊凛として凛は謝罪する。
 取引先との会食を断るなど、社会人として疑問視される。
 懲戒免職になっても可笑しくない不祥事だ。凛もそれを覚悟して、俺の所に……。

「凛……1つ訊く。この際、取引先との関係云々はいい……だが、いいのか? 相手はここら辺では大きい会社だ。そんな会社の社長の孫との会食。もし上手くいけば、お前は……」

 その先の言葉が出なかった。いや、言いたくなかった。言おうとすれば俺の胸が締め付けられるから。
 言い切れなかった言葉だが、凛はその先の言葉を読んだのか、一切の未練がない笑みを浮かべ。

「相手からしたら、そういう目的での会食だったかもしれない……けど、私からすればよりも、こーちゃんの方が心配だったから」

 凛の言葉に俺は思わず掛布団を深く被る。
 表情筋が緩み顔の熱も上がる。
 馬鹿だろ……こいつ。
 折角のチャンスだったかもしれないのに……娘の為に、裕福の為に金を持つ相手との結婚も悪い事じゃないはずなのに……。こんなただの昔馴染みの奴の風邪でそのチャンスを捨てるなんて……。
 本当に馬鹿だよ……それが嬉しいと思ってしまった、俺が……。

 現在の表情を悟られないように、俺は凛に背中を向けながらに語る。

「……安心しろ、凛。元々、オオヒラとウチの契約は社長同士の親交で結ばれているんだ」

「……それってどういう」

 俺は昔、白雪さんから聞いた話を凛に語る。

「ウチの社長はオオヒラの社長からすれば恩人に当たるらしい。なんでも、社長が相手側に多額の金を寄付した事で家族が助かったとか……。だから、食事の約束を断ったぐらいで契約を打ち切られる事はないだろう」

 安堵の息が聞こえる。これで凛の心配事が減れば幸いだ。
 だが、社会人としての常識に欠けた行動だった事は猛省して欲しい。
 普通なら相当な罰を負わされる事だってあるかもしれない。 

「もし、万が一に責任を問われた時は……一緒に責任を取ってやるよ。責任は俺にもあるんだから」

 だが、部下の不祥事は上司である俺の不祥事でもある。部下を守るのは上司の役目だ。
 凛だけに責任を負わせるわけにはいかない。
 
「…………ありがと、こーちゃん」

 ……礼を言われる立場じゃないんだけどな。

 時が止まった様に部屋は静かになり、気まずくなる……何か会話を。

「……今日はありがとな、凛。お前のおかげで随分楽になった。だから、お前は帰っていいぞ。後は、自分一人で出来るから」

「そういう訳にはいかないよ」

 部屋の壁に対面して座っていたから気づかなかったが、いつの間にか凛は俺の直ぐ背後にいた。
 凛は俺の肩を掴むと、投げる様に俺をベットに転がす。そして俺の額に手を当て。

「まだ熱があるよね。なら、こーちゃんが寝るまではいるつもりだから」
 
「け、けどよ……。お前、風邪が伝染うつるかもしれないぜ。風邪は辛いぞ?」

「何度も風邪を引いた事があるからね、知ってるよ。もし私に風邪が伝染うつったら————その時は、こーちゃんが看病してくれればいいから。…………なんちゃって」

 茶目っ気に舌を出す凛。
 顔も身体も大人びて、あの頃とは全然違う容姿なのに、根本的な所は昔と変わらないな……。

「30超えたいい大人が舌を出すなよ、見苦しい」

「女性に対して歳を出すなんてデリカシーがないよ、こーちゃん!?」

 凛は俺からすれば振られた相手。普通なら話すのも辛いかもしれない。
 けど、それでも俺がコイツの事を本気で好きだったんだって気持ちは嘘じゃなかったんだな。
 
「それにしても、こーちゃんもそろそろ身を固めてもいいんじゃないのかな? 看病してくれる様な相手がいても損は無いと思うよ。……独り身は寂しいんでしょ?」

 ニヤニヤと揶揄する様に笑う凛。先程の歳での意趣返しか。

「うるせえな。初体験どころかファーストキスもまだな程、小心者の俺がそう易々と出来るかよ。前にも言った通り、本気で欲しい時は婚活するから、その話題は出すな」

 俺、幼馴染になんて恥ずかしいことを暴露してるんだ……。
 はぁ……違う意味で病気が長引くかもしれないな……。
 
「……ファーストキスも、まだ、ね……」

「あ? なんか言ったか?」

「別に何も言ってないよ」

 はぐらかす様に手を振る凛だが、パンと手を叩き。

「はい。そろそろ病人は大人しく寝ようね。なんなら、子守唄でも歌ってあげようか?」

「歌わなくていいから! 俺は子供か!? 寝る! 寝るからお前、もうマジで黙ってくれ! 本当にうざいから!」

 本当に、まるで昔にタイムスリップした様な気持ちだぜ。
 どんな事があっても、俺とコイツはまだ……幼馴染なんだな。
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