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07. 棘とガラス
この息の詰まる墓場のような屋敷にも、唯一、心が躍る場所があった。
バラ園。
色とりどりの棘ある花の手入れをすることが、私の日課だった。この時間だけが、私の心臓が動いていることを教えてくれた。
不意に、影が落ちた。
「まるで使用人のようなことをしているのね。土いじりなんて、家の品位が落ちるわ」
アリスが立っていた。彼女の侮辱など風のように聞き流すつもりだった。けれど、私の視線は凍りついた。
彼女の喉元で輝くもの。深く、憂いを帯びた青。
息が止まる。
母様のサファイアのネックレスだ。母が私に遺してくれた唯一のもの。部屋の袖机の引き出しの奥深く、誰の目にも触れないようにしまい込んでいたはずなのに。
「それは……」
毅然と主張したいのに、声が震え、私を裏切る。
「それは私の部屋にあったはずです。母のものです。返してください」
アリスは石に触れ、チェーンを指で弄んだ。
「私のものよ。リアム様がくださったの。この青が、私の瞳を引き立てるからって。正直、古臭いデザインだと思ったわ。時代遅れで。でも、私がつけると、ヴィンテージな魅力が出るわね」
「リアム様が……?」
冬よりも冷たい悪寒が、胃の底から広がった。ゾッとするような吐き気を覚えた。
いつ? いつ彼は私の部屋に入ったの? 私が眠っている間に? 私がいない間に?
「それは母の形見です。返してください」
「いやよ、私がもらったもの」
理性が焼き切れた。私は手を伸ばし、チェーンを掴んだ。
アリスが悲鳴を上げ、身を引く。
力と、力がぶつかり合う。
ブチッ。
カツンッ。
鋭く、嫌な音がした。
サファイアが硬い石畳に叩きつけられる。深い青色の心臓に、蜘蛛の巣のような亀裂が走った。小さな破片が、星屑のように床に散らばる。
私は鉄の味がするほど強く舌を噛んだ。叫ぶことも、息をすることもできなかった。ただ、砕かれた母の記憶を見つめていた。
「あーあ。あなたが引っ張ったからよ。私のせいじゃないわ」
彼女が笑った。神経を逆撫でするような周波数の音。
私は何も言わなかった。
彼女を無視した。それが私にできる唯一の抵抗だった。私は冷たい石の上にしゃがみ込み、震える手で破片を拾い集めた。
その沈黙が、彼女の癇に障ったらしい。
「無視しないでよ!」
強い衝撃。
背中を押され、バランスを失った私は前につんのめった。バラの茂みの中へ。
棘が顔を、腕を引き裂く。私が愛した花々が、私を傷つける凶器へと変わる。
血まみれの中、私は長い間、呆然と立ち尽くしていた。
翌朝、庭は更地になっていた。
花だけではない。幹も、根も、すべてが掘り起こされ、捨てられていた。そこには乾いた土だけが残っていた。
朝食の席で、リアム様が言った。アリスを膝に乗せ、彼女の口に果物を口に運びながら。
「庭師に命じてすべて処分させた。アリスがあの棘で怪我でもしたら大変だからな」
彼は私を一瞥した。頬の傷と、腕の包帯を。
「それにしても、ひどい顔だな。食欲が失せる。傷が癒えるまで俺の前に現れるな。不愉快だ」
「申し訳……ありません」
私は俯いた。
鋭い痛みは皮膚だけでなく私の心までもを裂き、血を流させた。
バラ園。
色とりどりの棘ある花の手入れをすることが、私の日課だった。この時間だけが、私の心臓が動いていることを教えてくれた。
不意に、影が落ちた。
「まるで使用人のようなことをしているのね。土いじりなんて、家の品位が落ちるわ」
アリスが立っていた。彼女の侮辱など風のように聞き流すつもりだった。けれど、私の視線は凍りついた。
彼女の喉元で輝くもの。深く、憂いを帯びた青。
息が止まる。
母様のサファイアのネックレスだ。母が私に遺してくれた唯一のもの。部屋の袖机の引き出しの奥深く、誰の目にも触れないようにしまい込んでいたはずなのに。
「それは……」
毅然と主張したいのに、声が震え、私を裏切る。
「それは私の部屋にあったはずです。母のものです。返してください」
アリスは石に触れ、チェーンを指で弄んだ。
「私のものよ。リアム様がくださったの。この青が、私の瞳を引き立てるからって。正直、古臭いデザインだと思ったわ。時代遅れで。でも、私がつけると、ヴィンテージな魅力が出るわね」
「リアム様が……?」
冬よりも冷たい悪寒が、胃の底から広がった。ゾッとするような吐き気を覚えた。
いつ? いつ彼は私の部屋に入ったの? 私が眠っている間に? 私がいない間に?
「それは母の形見です。返してください」
「いやよ、私がもらったもの」
理性が焼き切れた。私は手を伸ばし、チェーンを掴んだ。
アリスが悲鳴を上げ、身を引く。
力と、力がぶつかり合う。
ブチッ。
カツンッ。
鋭く、嫌な音がした。
サファイアが硬い石畳に叩きつけられる。深い青色の心臓に、蜘蛛の巣のような亀裂が走った。小さな破片が、星屑のように床に散らばる。
私は鉄の味がするほど強く舌を噛んだ。叫ぶことも、息をすることもできなかった。ただ、砕かれた母の記憶を見つめていた。
「あーあ。あなたが引っ張ったからよ。私のせいじゃないわ」
彼女が笑った。神経を逆撫でするような周波数の音。
私は何も言わなかった。
彼女を無視した。それが私にできる唯一の抵抗だった。私は冷たい石の上にしゃがみ込み、震える手で破片を拾い集めた。
その沈黙が、彼女の癇に障ったらしい。
「無視しないでよ!」
強い衝撃。
背中を押され、バランスを失った私は前につんのめった。バラの茂みの中へ。
棘が顔を、腕を引き裂く。私が愛した花々が、私を傷つける凶器へと変わる。
血まみれの中、私は長い間、呆然と立ち尽くしていた。
翌朝、庭は更地になっていた。
花だけではない。幹も、根も、すべてが掘り起こされ、捨てられていた。そこには乾いた土だけが残っていた。
朝食の席で、リアム様が言った。アリスを膝に乗せ、彼女の口に果物を口に運びながら。
「庭師に命じてすべて処分させた。アリスがあの棘で怪我でもしたら大変だからな」
彼は私を一瞥した。頬の傷と、腕の包帯を。
「それにしても、ひどい顔だな。食欲が失せる。傷が癒えるまで俺の前に現れるな。不愉快だ」
「申し訳……ありません」
私は俯いた。
鋭い痛みは皮膚だけでなく私の心までもを裂き、血を流させた。
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