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第五章
忠義故に
しおりを挟む酒場の真下にある秘密の地下室。そこは、レティーの裏のための仕事部屋だ。そこにあるのは情報の山だ。
最近の遊牧国家との状態。この街に滞在する兵力の数。有力貴族の所在地。騎士団の夜のパトロール区域、通るルート。裏で行われている薬物や違法取引。そして、帝国だけでなく遊牧国家の動きや部族同士の小競り合いまで。重要なものから日常で起こった事件などの細かいものまで小さな字でビッシリと書かれている。勿論、誰かに見られぬように警戒に警戒を重ねて王国の秘密部隊だけが使う暗号文字でだ。
万が一この部屋が帝国の者に見つかった時には焼却されるように手紙の端にはルーン文字が刻まれており、書かれた内容を読む前に解除しなければ、焼却されるようになっている。
その資料の前にレティーは立つ。
「(私に課せられた任務は帝国と遊牧国家間の情報を得ること。しかし、首都が陥落してしまった今その任務の必要性は……)」
任務は秘密部隊の上司から命じられたものだ。それは、帝国と遊牧国家の戦争だからと言って王国が関係ない訳ではない。
現国王になってからは他国に攻め入ることはなかったものの、これまでは戦争を仕掛ける側でもあったのだ。国同士が争っていれば、漁夫の利を得ようと動くものもいる。そうした事情があるからこそ、敵国の国境間には間者が放たれているのだ。無論、漁夫の利を得ようとすることだけが理由ではないが……。
しかし、本来ならば意味のある任務でも、報告する国そのものが機能していない状態であれば、意味のないものとなってしまう。まさに、今のレティーがその状態なのだ。
これからどうするべきか。話し合いを終えて一人になったレティーは考える。
任務の放棄か、それともついていくべきか。
「(殿下がしようとしているのは復讐。国を立て直すのならばまだしも後先考えない自爆のようなもの)」
それに本当についていってもいいのか。本当にそれが国のためになるのか。突いて来いとは言われてはいない。しかし、王国に残った最後の王族だ。守るべき命だ。その命を無為に散らせる訳にはいかない。
「(あぁっ……何故あの二人は殿下を止めようとしない!? 敵国に侵入して皇帝を殺す何て普通じゃないんですよ!!)」
無事を確認できた時は涙を流して喜んだのに、次に出てきた言葉は皇帝を殺すだ。顔には出さなかったものの、こうして一人になるまで心中穏やかではいられなかった。
国が奪われたことに関して怒りは勿論抱いている。何せ、首都が陥落し王族が殺されたと耳にした時は人前に出ることはできなかった程だ。人形(ドール)ではなく本体が表に出て帝国騎士を目にした時には、殺そうとしていたかもしれない。それぐらいの怒りがあった。
だが、それでも復讐を何て考えはしなかった。
「(暗殺するとしてもどうやって近づくつもり何ですか? 首都まで赴かずに皇帝が都市を見回る時を狙うのは良いですけど、それでも警備は厳重になります。この都市に来た時には都市が威信をかけて皇帝を守護するだろうし、近くには精鋭もいるはずです)」
そして、近くには帝国騎士最強の称号を持つ騎士団長がいるはずだ。流石に三人が出張ってくることはないだろうが、一人は必ずいるだろう。
「こんなのこちらも軍隊を持ってこなければ無理でしょう」
いくら二人が腕が立つとはいえ、護る対象が近くにいる状態での戦いは、普通の戦いよりもずっと困難だ。
皇帝の首を取れたとしても死ぬかもしれないのだ。ならば、暗殺そのものをやめさせるかあの二人に暗殺を任せるかにして安全な後方にいて欲しいとレティーは願う。
幸いなことにここは街の外まで続く脱出路もあるのだ。避難場所には持って来いだ。
「――はぁ」
大きなため息をつく。
先程の通り、ここは自分しか知らない秘密部屋であり、脱出路もあるため逃げるにはとっておきの場所だ。これは、ミーシャが皇帝を暗殺すると言った時点でレティーも説明した。
殿下が暗殺に加わるのはどうなのかと――
二人に任せれば良いのではないかと――
もっと御身を大切にしてくださいと――
そうレティーは進言した。国に、王族に仕えている者なら当然のことだ。
だが、ミーシャがバッサリと否定したことによってレティーの案は実行されることはなくなってしまう。
何故そんなにも頑なに自身が暗殺をしようとするのか。
「…………私怨、か」
恐らく――と言うよりも確実にそうだと納得してしまった。
かつて、まだ間者としての訓練を受けていた時代に姉から聞いた王女の印象がだいぶ違う。
悪戯好き、努力家で人を傷つけることに戸惑いがある優しい方。そう聞いていたのだが、今は目的達成のためならば、どんな手段――自身の命でも手段として使いそうな危うさがある。
机の上に手をついて、項垂れる。机が揺れて積み上げられた書類が崩れてくるが、今は直そうと言う気分にはなれなかった。
「はぁ、姉さん。何てものを残してくれたの」
今は亡き姉に嘆く――が、そんなことを言っても状況が進展するわけでもないし、良い方に転がる訳でもない。むしろ、時間が過ぎている以上悪くなっていると言って良いだろう。
これからどうするべきか。早く答えを出さなければならない。
ついていくべきか、それともここで意味のない任務を全うするか。
長い時間考えを巡らせすぎたのか、喉の渇きを覚えて、飲み水を取りに行く。木製のコップに水を注ぎ、一気に飲み干そうとした時だ。
ふと、水面に映った自分の顔を見た。
「――――――」
水面には波が立ち、歪んだ自身の顔が見える。だが、レティーにはその自分の顔が、酷く恐怖に怯えているように見えた。
「はぁ、馬鹿馬鹿しいなぁ。何が揺るがない忠疑心ですか」
これまで持っていたと思っていた忠義。敵に殺されても揺るがないと思っていた自分自身を嘲笑う。
あまりに馬鹿馬鹿しくて恥ずかしい。
何を迷っていたのだと数分前の自分を殴り飛ばしたくなる。無意識に危険に晒されることに恐怖していたなんて――。
怯えた表情をした自分を消すように水面に映った自身を腹の中に流し込む。そして、喝を入れるために思いきり、頬を叩いた。
――バチンッと乾いた音が部屋の中に響く。
「よしっ!! 切り替え完了です」
もうレティーの中に迷いは見えない。だが、ミーシャの行い全てに『はい』と答えるつもりはなかった。
「(殿下にはついていきます。しかし、暗殺は私がやりましょう。これだけは譲れない。いくら私怨であろうともあの方の命はもう王国の中で最も重いものなのだから)」
瞳の中に確かな意思を宿し、再び進言をしようとミーシャのいる部屋に脚を向ける――――と、唐突に目の前にミーシャが現れた。
「キャア!?」
「……可愛らしい声だな」
「え、あ――殿下、申し訳ございませんっ」
思わず口から漏れた女の子らしい声を指摘される。忠義を向ける相手とは言え、自身よりも遥かに幼い子供に可愛いと言われるとは思わなかったレティーは耳まで真っ赤になるが、直ぐに取り繕い、跪く。
「何だ。隠すのか……勿体ない」
「ご冗談を……しかし、透明状態になるとは、何かあったのですか?」
「別に、驚かしてやろうと思っただけだ」
肩を竦めて悪びれる様子もないミーシャを見て、半分呆れる。どうやら悪戯好きという所は未だに変わっていないらしい。こんな状況で悪戯をするのはどうなのだと流石に注意をしようと思い、口を開きかけるがミーシャの方が早かった。
「一つ、聞きたくてな。先程のこの街の地理の話だが、この街の主な兵糧庫は二つで間違いないか?」
「え、はっはい。その通りです。戦争になった時のために用意されている兵糧庫はこの二つだけです」
「そうか」
しばらく顎に手を当てて考え始めるミーシャ。
幼い顔つきには似合わない皺を眉間に作りながら考える少女。訓練を受けた自分ですら悲しみに暮れていたのだ。自分以上に悲しみや失望、怒りに支配されただろう。その衝動に駆られて動き出してしまうのは仕方がないのかもしれない。
しかし――
「――殿下」
「ん? 何だ?」
言わなければならない。止めなければならない。命を懸けることをさっき覚悟したばかりの新参者だが、姉が守った者を今度は私が守る番だと意志を固くする。
「殿下が、暗殺に加わるのはおやめください」
「…………」
「殿下の命は最早王国の国民全てより重いものです。何よりも優先しなければいけないものです。暗殺実行はこの私にお任せください。私はこれでも暗殺術にも長けています。必ずや殿下の望みを叶えて見せます」
――だから、だからどうか。ここに身を隠していて欲しい。
怒りも憎しみもあるのは分かっている。だが、その衝動に駆られずにどうか、理性ある判断をして欲しいとレティーが懇願する。
国王とは国の柱であり、国民の心のよりどころでもある。代理ではだめなのだ。それでは民が納得しない。だから、正当な血族であるミーシャが必要なのだ。その血を絶やさないために、王国が復興するために……。
例えここで納得はして貰えなくても、するまで懇願し続ける。そう決意を固めるレティーだったが、意外にもそれはあっさりと叶った。
「……………………分かった」
「本当ですか!?」
「あぁ、私の名に懸けて誓おう。本当ならば自分で首を刈り取りたいと思っていたが、成功確率が上がるのならば、それで良い」
あっさりと、ミーシャが考えに同意を示す。
反対されると思っていたレティーもあっさりし過ぎて夢ではないかと思ったが、誓いまで立てたのだ。嘘はないだろうとホッと胸を撫で下ろす。
「良かったです。粘られると思っていたので」
「私もそれ程馬鹿じゃないさ。それよりも、少し目が冴えていてな。暇潰しに付き合ってくれないか?」
「何なりと――」
「それじゃあ、この街と周辺のことを教えてくれ。遊牧国家の部族とかどうなんだ? 正直野蛮としかイメージがないんだが?」
「そんなことはございませんよ。これでも一部の部族の者と関りはありますので彼らのことは少しだけ存じています。彼らは――」
レティーとミーシャは話を続けていく。その中で、ミーシャが一度表情を隠すような仕草をしたが、安心しきっていたレティーは違和感を持つことはなかった。
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