君と秘密の食堂で

マイユニ

文字の大きさ
上 下
2 / 10

待っていたのは

しおりを挟む
  満員電車に揺られて、押し出されるようにホームに降り立ち、代わり映えのしない風景を見ながら会社までの道のりを歩いていく。

 少し早めに出勤しているから、まだ周りには誰もいない。
 自販機で買ったコーヒーを飲みながらパソコンを立ち上げてメールを確認していく。

「おはようございまーす」

 隣の席の佐伯さんがだるそうな口調で挨拶をして座った。
 入社2年目の彼女はめちゃくちゃ仕事ができるしいい子なのだが、とにかくいつもだるそうにしている。

「おはよう」

 佐伯さんならあの彼のことを知っているだろうか。

「佐伯さんさ、川瀬蓮っていう人知ってる?」

「知らない人いるんですか?」

 ……ここにいます。

「そんなに有名?」

「そりゃ有名でしょ
 今期も連ドラやってるし、もうすぐ主演の映画もやるんじゃなかったかな?」

「あー、なるほど」

「知らないでしょ、佐野さん」

「いやいやいや、知ってるよ」

「絶対に知らないと思う
 佐野さんって芸能人とか興味なさそうですもんね」

「まあ興味ない」

「やっぱりね
 どうして急に聞いてきたんですかー?」

「何となく」

「へー、興味あるならいろいろ教えてあげますよ
 私結構好きなんで」

「じゃあまたお願いしようかな」

「ミナミちゃーん、経理の吉田さんから電話ー」

「はーい
 じゃあまた今度ね
 お電話変わりました、佐伯でーす
 お疲れ様でーす」

 さて、俺も仕事しようかな。
 
 情報システム部という部署に所属している俺の仕事は主に基幹システムの保守や更新と他部署からの問い合わせに対応するというものだ。
 最近は新しく導入した会計ソフトに関する問い合わせに追われている。
 午前中はパソコンの調子がおかしいという人のパソコンを遠隔で確認したり、システム改善の確認を行ったりした。
 昼食は同じ部署の人と食べに行く。流行に疎くて、なにそれ?と心の中で思っていることが多いのだが、いろいろな情報を知ることができるからおもしろい。
 午後からもシステムの問い合わせやら、ミーティングやらに追われて、改善したシステムの通知書を作成していると「お先に失礼しまーす」という声が聞こえた。

「お疲れ様」
 
 佐伯さんは基本的に定時で帰る。
 もうそんな時間か。
 残業はするなと言われているからなるべく早く帰るように心がけている。
 片付けたい仕事だけ終わらせて俺も退社した。

 朝と同じ道を歩いて、また満員電車に揺られる。
 帰宅して、先にシャワーを浴び一息つく。

 夕食を食べ終えて、昨日出会った川瀬蓮について調べてみる事にした。

 川瀬蓮 23歳
 暴風戦隊ストームレンジャーのストームブルーでデビュー。
 その後数多くのドラマに出演
 出演した『海の終わり』での高い演技力が評価されその年の新人賞を数多く受賞。
 ドラマや映画、舞台と活躍の場を広げている。

 とんでもない子だったんだと受賞歴や作品数を見て驚く。
 そりゃ山口さんも驚くわけだ。
 やっぱり記念にサインをもらっておけばよかったと激しく後悔した。

 時計を見ると22時半。 
 眠るにはまだ少し早い。
 読みかけの小説を取り出して読み始めた。
 そのまま寝落ちしないように適当に切り上げてベッドに入って眠りにつく。
 いつもと変わらない1日が今日も終わる。

 仕事を終えて、今日もいつもと変わらない日になるはずだった。
 マンションのエントランスにたどり着いたところで帽子を被ってマスクをした男に声をかけられた。

「俺だよ、俺」

 不審がる俺を見て、マスクと帽子を取り男が素顔を見せた。

「君!何やってるの?」

 慌ててマスクと帽子をもとに戻すように促す。
 その男は少し前にやってきた俳優の川瀬蓮だった。

「どうしたんだい?」

「あんたを待ってた
 部屋に行っていい?」

「いいけど」

「夜飯一緒に食べよーぜ」

「俺の家で?」

「うん、またあんたのご飯が食べたくなった」

「そうなんだ」

 そんなにお気に召してもらえたのか。
 と言われてもそんなにたいしたものはできないんだよな……。

「たいしたものはできないけどいいかな?」

「なんでもいいよ
 あっ、味噌汁は絶対にほしい」

「了解」

 家の中に入り、急いで手を洗って準備を始める。
 彼は何も言わなくても普通にソファで寛ぎ始めた。

 下味してある鶏肉をフライパンで焼き、冷凍してあるほうれん草と人参を解凍してナムルにする。
 味噌汁には豆腐と切り分けてあった野菜ときのこミックスを入れた。
 足りないかもしれないな。
 冷蔵庫を開けてみるけれど、煮物しかない。
 1番ボリューム感がありそうな厚揚げと大根の煮物をとりあえずレンジに入れて、出来上がったものをテーブルに並べていく。 
 何だかパッとしないけど、仕方がない。

「おぉ、うまそー
 いただきまーす」

 最初に味噌汁を飲んだ。

「やっぱうま」

 その後も次から次へと平らげていく。
 気持ちいいくらいたくさん食べるな。

「ご飯おかわりいる?」

「いいの?じゃあお願いします」

 あっという間に食べ終わって満足そうにお腹をさすっている。

「そうだ、この前はありがと」

「何が?」

「マネージャーに対する態度指摘してくれて
 あの人優しいから何も言わないのをいいことに、ストレスの捌け口にしてたかもって、改めて思い返したら良くなかったなって思ったんだよね」

「そうなんだ
 ちなみにあれってマネージャーさんにだけだよね?」

「まぁ、そうだね
 普段は普通に話すようにしてるから俺の本性なんて誰も知らないんじゃない?」

「それがストレスになってるのかな」

「さぁ、どうだろ?
 いろいろあるから
 とにかくありがとう
 山口への接し方改めるから」

 彼が頭を下げた。
 自分がかけた言葉が彼に響いてくれた事が嬉しかった。
 きっと根はいい子なんだろう。

「あんまり山口さんに心配かけるようなことしちゃだめだよ」
 
「分かってるって
 母親かよ」

「なんだか心配になってしまうんだよね、君」
 
「別に何もしてないって」

「それならいいんだけど」
 
「あのさ、たまにでいいんだけどご飯食べに来てもいい?」

「ここに!?」

「うん、ダメかな?」

「俺が作ったものでいいの?」

「あんたが作ったやつがいい」

 無邪気な笑顔で言うから、そんなに言うならと了承した。
 ただ事前に連絡がほしいと言うと連絡先を交換しようということになった。
 超人気俳優の連絡先を知ってしまった。

「名字なんだっけ?」

「佐野だけど」

「じゃあ佐野食堂にしよ」

「なんだよそれ」

「佐野食堂きょうからオープンね」

 彼だけのための佐野食堂が開店した。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

性感マッサージに釣られて

恋愛 / 完結 24h.ポイント:383pt お気に入り:17

言ってはいけない言葉だったと理解するには遅すぎた。

BL / 完結 24h.ポイント:688pt お気に入り:460

鬼は内、福も内

BL / 完結 24h.ポイント:177pt お気に入り:39

私が王女です

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:21,846pt お気に入り:193

踏み出した一歩の行方

BL / 完結 24h.ポイント:434pt お気に入り:66

【R18】幼馴染が変態だったのでセフレになってもらいました

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:504pt お気に入り:39

獣人の恋人とイチャついた翌朝の話

BL / 完結 24h.ポイント:1,164pt お気に入り:32

天使の分け前

BL / 完結 24h.ポイント:773pt お気に入り:1,854

処理中です...