あなたに本当の事が言えなくて

cyaru

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VOL:6  疑う事をしない女

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「間に合った。良かった」

途中小走りになりながらも劇場入り口に辿り着いたサーシャは劇場前の広場にある時計塔を見上げた。大きな針は10時5分を示していて、待ち合わせに遅れなかった事を示していた。

キョロキョロと見回すものの、リヒトの姿は見えない。
待ち合わせから10分ないし15分前に到着をするのは仕事柄当たり前の事で、サーシャは「あと少し」と歩いてきて高まった拍動と、緊張と興奮からくる早鐘を抑えるかのように胸に手を当てた。

「変な所はないかしら」

淡い黄色のワンピースに来る途中で泥でも跳ね上げていないかを確かめつつリヒトを待った。


王都には幾つか劇場があり、通常「劇場」と言えばサーシャが待っている王立劇場の事を指す。他は王立劇場よりも規模が小さく、収容人数も半分以下で必ずしも何かの演目が上演されているとは限らないし、他の劇場は「ヨルタ劇場」などと建物の名前をつけて呼ぶ。

王立劇場だけは中に5つの舞台があり、毎日最低3つの舞台で何かが上演されている。

「ここで間違いない筈なんだけど」

時計塔の針はもう11時30分を指している。
約束の時間からもう1時間過ぎているのに未だに現れないリヒトの姿をサーシャは探した。



「ぷっ!見て。キョドってるわ」
「あのワンピース、3年前の型よ。よく着て出歩けるわね。見てる方が恥ずかしいわ」
「全くだ。見てみろよ。ワンピースは気合入れてるのに木靴だぜ?」
「あんなのと並んで歩くリヒトが気の毒に思えて来たぜ」
「思っても無い事を言うなよ。はぁ~これ罰ゲームだっけ?俺、アレと歩かなきゃなんてさぁ末代までの恥だ」


劇場の入り口で待つサーシャをカフェテリアの中からガラス越しに5人は眺め、嘲笑ってあざわらっていた。


「いいこと?リヒトはゲルス劇場前だと思ってずっと待っていた。まさかと思い来てみたら?いいわね?」
「判ってるって。で、アベルが来てくれるんだろ?」
「その前にチケットを忘れてきたって買わせるんじゃなかったっけ?」
「そうよ。いい?リヒトが金を出したら払う前に声をアベルが掛けるのよ?小鹿が金を出したら買わせたあと。間違えないでよ?」
「そんでもって突然の招集でデートが出来なくなる。どんな顔すっかな?ゲヘヘ」
「顔が見える位置に立ってよ?」
「判ってるって」


時計塔の針が11時45分を指した時、リヒトが席を立ち「行ってくる」と言えば、残った4人はニヤニヤとリヒトに向かって手を振った。


~★~

「ここにいたんだ。良かったよ‥‥すっぽかしたと思ってたらどうしようかと」

わざとらしく息を切らせたリヒトがサーシャの前に駆け込んできた。

「すっすみません。私、間違ってましたか?」
「間違ってたと言うか…すまない。で劇場と言えばゲルス劇場の事を言うんだ。もしかして知らなかったんじゃないかと思って慌ててこっちに来たんだ。良かった・・・いてくれて」


騎士の間で劇場と言えば当然王立劇場の事を指すのだが、仮にゲルス劇場を示すとしてもサーシャが知るはずもない。

どの業界にもその業界でのみ通じる言葉はあるし、サーシャの働く海産物を扱う市場で「ドレス」と言えば華やかな夜会で着るドレスではなく、尾びれと頭を落とした魚の事を指す。
きっとリヒトも騎士だからこそ、劇場で通じると思ってしまったのだろうとサーシャはリヒトを疑う事はしなかったし怒りもしなかった。


「そうだったのですね。私が返事を出して確認をすれば良かったです。手間をかけてしまい…きっと長い間待ってくださっていたんですよね。申し訳ございません」


サーシャの言葉にリヒトはてっきり自分も待たされたのだと言い出すかと身構えたのに肩透かしを食らった気になって拍子抜けした。

――変わった子だな――

そう心で思いつつ、チラリとサーシャの後ろに視線を向ければアベルが劇場入り口の大柱に背を預け、口笛を吹いているのが見えた。次に進めという合図だ。

「いや、確認をしなかったのは僕も同じだ。その上で謝罪をもう1つしなきゃならないんだ」
「謝罪で御座いますか?いったいどんな・・・」
「実は慌てて屋敷を出たものだからチケットを忘れてしまって買い直さなきゃならないんだ」


リヒトの言葉をまたもやサーシャは疑う事もしなかった。
昨夜は念には念を入れて何度も確認をしたから忘れ物がないだけで、サーシャも時々仕事に行くのにエプロンを忘れてしまったりもする。決まって朝寝坊し慌てている時だ。

サーシャの心には「リヒト様も失敗するんだ」という新しい発見をした嬉しさが小さな芽を出した。雲の上の憧れの人でも忘れ物をしてしまうと言う事に親近感さえ覚えた。


「では、チケットを私が買います」
「え…いや、僕が出すよ。忘れたのは僕だし」
「いえ、コナー様は忘れてしまっただけでチケットは買ってくださってます。実を言うと今日の観劇で自分のチケット代はお支払いしようと思っていたのでこれであいこですね」

小さくリヒトに向かって微笑んだサーシャは「待っててください」と1人でチケット売り場に向かって走り出した。そんなサーシャの背を見てリヒトは胸がチクリと痛んだ。

サーシャが窓口に話しかけ、カバンから財布を出して支払う様子を見て、とてつもない罪悪感がリヒトを襲ったが、サーシャが「買えましたよ!」とチケットを手に戻って来るのと同時にアベルもリヒトに向かって歩いてくるのが見えた。


「コナー様、お席は買ってくださったものとは別になりますが最後の2枚だそうです。良かったです」

満面の笑みでリヒトに1枚のチケットをサーシャが差し出し、リヒトが受け取ろうとした瞬間にアベルの声がリヒトの名を呼んだ。

「コナー隊員。至急の招集だ。良かったよ。ゲルス劇場に行ってもいないから探したんだ」

リヒトはアベルの声にふとサーシャの顔を見た。
一瞬だけ表情が抜け落ちたようにも見えたが、直ぐにサーシャはリヒトに微笑んだ。
その微笑と、続いてサーシャから発せられた言葉がリヒトの心に小さなしこりを生んだ。

「どうぞ。行ってください」
「いいのか?」

リヒトの視線が買わせてしまったチケットに向けられるとサーシャは「はい」と頷いた。

「近衛騎士様ですからお役目の大事さは私でも判ります。優先されるべきは王族の方々です。早く行ってください。私は大丈夫ですから」

サーシャの言葉に驚きの表情を浮かべたのはリヒトだけではなく、アベルもだった。
アベルもまたサーシャはその辺の令嬢と同じく怒り出すか泣き出すか。その上ですぐさま次はいつ会えるのかと言い出すと思っていた。

「すまない。この埋め合わせはいずれ――」
「いいえ。構いません。ここで待ち合わせをして頂けた。それだけで十分です」

さぁさぁと追い立てるサーシャにリヒトの心にもアベルの心にも「予定通り」なのに何かがしこりとなって引っ掛かったが、そこで出来る事は立ち去る事だけ。

胸に小さな痛みを残すしこりを抱えたまま、リヒトとアベルは行き交う人に紛れるように路地に駆け込んだ。
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