あなたに本当の事が言えなくて

cyaru

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VOL:18  ハゼーク侯爵

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倒れそうになったサーシャを受け止めたラウロは鬼の形相でアベルを睨みつけた。
凄みを効かせた睨みにアベルは立ち止まるが、父親の侯爵もこの場にいるからなのか、こめかみをヒクヒクと痙攣させながらもラウロを睨み返した。

「エトナ小父おじ。ファルコ。これはどのような場なのです?」

地を這うような低い声。耳元で聞いたサーシャはラウロがこんな恐ろしい声を出したのを始めて聞いたが不思議と怖くはなく、そっと体を支えてくれるラウロの手にサーシャは手を重ねた。

「サーシャ。心配ない。俺が守ってやるからな」

小声になったラウロはサーシャだけに聞こえるよう囁いた。
応えるようにサーシャは小さく頷く。


「ラウロ。ハゼーク侯爵家のご子息がサーシャと婚約を望まれていてな」

エトナ男爵も先触れの30分後にやってきたハゼーク侯爵とアベルには困惑の表情をしていた。一昔前なら爵位が1つでも上の貴族からの申し入れに抗うには大変な労力と金が必要だったし、基本は下の身分の者は断れなかったからだろうかとラウロは感じた。

法が出来たのが半世紀前でも人の心はなかなかON・OFF出来るものではない。

しかし今は違う。
婚姻時に女性の純潔が問われなくなっただけが変更点ではなく、同時にそれまで逆らえない立場の者への婚約や婚姻の強要も出来なくなった。

かつては資産のある低位貴族に困窮した高位貴族が金目当てに姻戚関係を強引に結ぶことあって、現在はあくまでも婚約、婚姻についてお互いの立場は同等とされている。

断っても何ら問題がない。
だが、エトナ男爵とファルコの表情が曇っていて、ハゼーク侯爵たちを追い返せないのはラウロとサーシャが戻る前に聞いた話からだった。





サーシャとラウロが帰宅する少し前、エトナ男爵家にハゼーク侯爵家から先触れが届いた。事業の提携とサーシャの婚約についてと書かれた先触れにエトナ男爵もファルコも「はて?」と首を傾げた。

事業提携と言ってもエトナ男爵領で収穫できる作物は僅かしかない。市場に卸す事が出来るようになって領民達はやっと現金を稼ぐ事が出来るようになった。
他の貴族と違って商会を持たないエトナ男爵家に提携する事業が存在しないのである。

そしてサーシャの婚約。婚約については爵位も低い事から平民と婚姻を結ぶ男爵家も多い。サーシャは後継ではないので結婚については自由にさせる。それはエトナ男爵家の取り決めでもあった。

しかし、先触れからたった30分でやってきたハゼーク侯爵は「ご息女の為です」と婚約を迫ってきた。

既にサーシャはコナー伯爵家のリヒトと関係を持っていて、ここ半年サーシャの名は茶会や夜会で聞かぬ者がいないほどに話題を提供する令嬢として有名だというのだ。

囁かれる話の中にはリヒトに執着する余りサーシャがどこかの令嬢の頬を張り負傷させた、ドレスを切りつけた、あわやの乱闘騒ぎを起こしそうになったという令嬢で無くても致命的となるようなものも含まれていた。

「このままではエトナ男爵家という名前が出ただけで収穫できる作物を買う者はいなくなるでしょう。ですが我がハゼーク侯爵家なら守ってやる事が出来る。醜聞がある点についても侯爵家に嫁いだとなればおいそれと口にする者も色々と考えて発言をするようにもなるでしょう。幸いにこのアベルはサーシャ嬢と領地で暮らすと言っております。口性無いくちさがない話が聞こえる事もなく穏やかに過ごせると思うのですがね」


エトナ男爵とファルコにはにわかに信じられない話だが、紹介をまだされていないとは言え話に出てきたコナー伯爵家のリヒトに家の近くまで仕事帰りに送って来てもらっているのは知っていたし、市場方面に出向いた際にサーシャと1人の青年が仲良く屋外で食事をするところを見た事もある。

全てを否定する事も出来ないだけでなく、ハゼーク侯爵はそのリヒトが「当家のエルサと婚約間近」だと告げた。コナー伯爵家と調整中であり、正式な契約を結んでいないだけで関係は周知の事実。サーシャの行為はハゼーク侯爵家としても看過することが出来ず不貞行為として訴える事も検討中だと言った。




ラウロに付き添われ、アベルとハゼーク侯爵から距離を取った場所に用意した椅子に座ったサーシャは「嘘です!」ハッキリと否定をしたものの、全てについて否定は出来なかった。

カフェで聞いたエルサとビアンカの会話。
ハゼーク侯爵家とコナー伯爵家で婚約が調整中なのであれば、2人が体の関係を結んでいても不思議な話ではない。だが、そうなればやはりサーシャがリヒトと行っていた昼食や帰宅時に送って来てもらっていた行為は不貞行為と言われても仕方がなかった。


「僕はね、リヒト君に相談されたんですよ。サーシャ嬢、貴女につき纏われて困っていると。だから劇場で手を貸してくれと頼まれ引き受けたんです」

「つき纏っているなんて…そんな。あれはその前に参加した夜会でコナー様が花をくださったんです!」

「夜会で?彼がいる事を知っていて参加し、迫ったからでしょう?」

「違います!コナー様の方から声を掛けてきたんです!」

勢いよく立ち上がって否定をするサーシャにハゼーク侯爵は「くすっ」と笑って軽く受け流した。


「サーシャ嬢、今となっては花を貰っていようが、どちらから声を掛けてきたのかなんてどうでも良いんですよ」

「そんな…」

「茶会や夜会でここ半年流れている噂。全く身に覚えがなければ噂など流れません。我がハゼーク侯爵家としては最大限の譲歩をしてるんですよ。本来なら娘の婚約者に手を出したと慰謝料を請求するところですが、数年前から慈善事業にも手を広げていましてね。ピンチはチャンスとも言うでしょう?我がハゼーク侯爵家も考えたんです」


ハゼーク侯爵家が慈善事業を始めたのはサーシャも聞いた事があった。貧富の差がはっきりしているこの国ではサーシャやメアリのように10歳になる前から家計の為に働きに出る者もいる。

サーシャたちは市場長の好意もあって文字の読み書きも算術も覚える事が出来たが、貴族でも平民同様に文字の読み書きが出来ない者は多いし、平民に至っては識字率は10%未満。

国はテコ入れをしているが、学問より先ずは就労が先で結局負のループから抜け出せず華やかな王都でも毎日のように何処かで炊き出しが行われている。

金のある貴族が炊き出しや中古衣料を配布するのは行う事にによって税率の優遇を受けられるからなのだが、商売と同じで新しく参入しても長く続けている家よりは知名度が低い。

ハゼーク侯爵家はまだまだ新参者な上に炊き出しも過去には食中毒を起こした事もあって人の集まりも悪い。食材などは寄付でまかなう事も多いので市場に長く務めるサーシャを取り込むのは都合がいいのだろう。

貴族に対しても醜聞塗れの令嬢にも子息との結婚を許すという寛大な心を世間に向けて叫ぶ事も出来る。家名を重んじる貴族なら間違いなく選ばない選択肢。

何処までもサーシャを利用しよう。そんな思惑が透けて見えた。


「アベルと共に東の領地を盛り立ててくれるなら全てを水に流しましょう。万々歳でしょう?貴女も醜聞に耐えながら王都に住まわなくていい。噂など侯爵家という名前で抑え込む事なんか簡単なんだから」


――私って本当にバカな事をしてしまったんだわ――

やはりリヒトからの食事の誘いはずっと断り続けるべきだった。
この半年で絆された上に、帰宅時に送って貰ったり、安価な屋台飯でいいからと誘いに乗ったことで結局家族にも多大な迷惑をかけてしまったのだとサーシャは涙ぐんだ。

その半年が無ければ茶会や夜会でなんと噂をされようと関りがないのだから出る所に出て勝負すら出来たはず。そのチャンスを自分で摘んでしまったのだ。

――これが賭けの正体だったんだわ――

サーシャの目に涙が零れそうなほど溢れた時、サーシャの肩にラウロの大きな手が乗った。
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