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第20話  愛はもうとっくに消えていた

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最悪な事にハリソンが到着した時、侯爵家は手付かずのままだった。

「なによ。これッ!こんなところでどうやって暮らせというの!」
「僕にも判らないよ。で、でも、すぐ片付けるから待っててくれ」

した事もない片付けをするのだが、箒やモップが何処にあるのかも判らない。
あったとしてもどうすればいいのかも判らない。

これまでの人生でハリソンがした事のある掃除、整理整頓、片付けと言った類は机の上にある書類を纏めたり、書き損じた紙をゴミ箱に入れたりとその程度。

さらにどの部屋も窓が取り払われた母親の私室だった部屋から動物も入り込んでいたようでまともな寝台は1つもない。足が多い虫も天井の隅には張り付いているのでアレイシャの叫び声が屋敷の中に響き渡る。

衣類も全て盗まれているので、持ち込んだアレイシャの着替えはあってもハリソンの着替えは1枚もない。

全ての部屋を回って寝台の掛布を捲り、動物の糞尿がしみ込んでいないシーツを剥がしてハリソンの部屋の寝台に掛けた。

「クッサイ。なにこの獣臭…」
「母上の部屋にタヌキがフンをしてるんだ。でもそのうち片付けるからさ」
「そのうちですって?今よ!どの部屋も臭くていられたものじゃないわ。片付けるなら臭いも何とかしなさいよ。こんな臭いがするのに食事なんか出来ないわよ」


食事と言われて思い出すが、食べるものなど一切ない。なんなら料理をする為の調理器具も食器もないのだ。

アレイシャにギャンギャンと責め立てられて、ハリソンは段々と苛立ってきた。

――こうなったのも全部ルツィエのせいだ!――

なら答えは簡単だった。この家の清掃をして住める状態にするのはルツィエの責任。怠っているのだから責任を取るのは当たり前のことだ。

ただ、今は領地にいると見えて直ぐには連絡も出来ない。なんせ連絡しようにも紙はあの書置きをした紙しかないし、何よりペンがない。
それを領地にいるルツィエに届ける従者もいないのだ。

両親に連絡をしようにも両親は一番遠くの領地に引き籠ってしまった。
「もう任せても大丈夫」とルツィエの肩を叩いた両親。思い出すとハリソンはまた腹が立ってきた。


「そうか、なら製造者責任って事でルツィエの親に面倒見てもらえば良いんだ。持参金も無かったんだし父上たちが任せるに値するとまで育て上げたのは侯爵家じゃないか。も貰わないとな」

「え?誰に面倒見てもらうの?」

「あぁアリィ。暫くの間はここじゃなく公爵家で生活をしよう」

「公爵家?ホントに?」

「あぁ、ついでに文句を言っておきたいしね。育ちの悪い女を掴まされた憐れな僕を慰めてくれないか」


慰めてもらえるかと思い、ベルトを外したハリソンだったがアレイシャは動かない。

「本当に公爵家で面倒をみてもらえるのよね?そっちの確認が先よ」
「まさか一緒に行くと言うのか?」
「当たり前じゃない。後からじゃ入れてもらえないかも知れないわ。さっきの人みたいに姓があるとかないとかゴチャゴチャ言われてもアタシ、わからないもの」


これは困った事になった。
ハリソンの計画ではまずハリソンが公爵家に行き、話を付けてくる。
いくら公爵家でもいきなり行って部屋を用意しろ、使用人を寄越せといっても即日対応は出来ない事くらいは解る。今日の所は宿に泊まって欲しいと金をださせ、ガッセル公爵家の名前で暫く高級宿でアレイシャと楽しもうと思ったのだ。

何よりアレイシャが一緒に行って「私が愛されてるの」などと口走られてしまったら大問題になる。

そこは離縁をしてルツィエを囲い込むまで秘密にしておかねばならなかったが、頑として譲らないアレイシャに根負けしたハリソンは「歩きか」と思いながら玄関に向かうと何という幸運!

自分たちを乗せて来た馬車が馬具を積み込むためにまだいたのだ。
これまで使ってやった御者に「もうすぐ給料日」と囁けばガッセル公爵家まで乗せていってくれるという。

歩いたらそこそこの距離のあるガッセル公爵家。
アレイシャがまた文句を言うのは確実だったので助かったと思ったハリソンだったが…。

馬車が侯爵家の門をようかとした時、優男の使いが侯爵家を訪れた。
「大事そうな手紙だ。持って言ってやれ」と差出が王宮関係で未開封の手紙の束を届けさせたのだ。

「なんだこれは」
「大事そうな手紙なので会頭が持って行けと。渡しましたからね」

30通以上ある手紙で上から2、3枚を手に取り差出人を見て王宮からだと判ったハリソンは手紙を受け取った。その中ほどに半年ほど前に既に期限の切れた離縁の確認書もあったが、ハリソンは気が付かなかった。

馬車はガッセル公爵家で2人を降ろすと今度こそ去ってしまう。
ハリソンは手紙の束をアレイシャに預け、公爵家に向かった。



★~★

結果としてガッセル公爵家に到着をして、応接室までは入れてもらえた。対応をしたのはルツィエの父親ではなく兄のクレセルだった。

結婚した後はガッセル公爵家との付き合いは全く無く、堅苦しい夜会も早々に抜け出してアレイシャやその前に抱えていた愛人の元に戻っていたため代替わりをした事を失念していた。

知らなかった訳ではなく、そう言うえばそうだったと記憶を辿って思い出した。


「本日はどのようなご用件でしょうか」
「用件も何も。ルツィエの不手際で当家は大変な目に合っているのです。その責任を取って頂かねばならないとこうやってわざわざ!という事ですよ」


目の前で足を組みかえた美丈夫なクレセルに隣に座っているアレイシャは熱い視線を送る。
うっとりとクレセルを見つめるアレイシャは頬まで染めてしまっていた。

「ルツィエの不手際と?いったいどのような」
「屋敷の中がぐちゃぐちゃだ。庭の手入れをする庭師も解雇したと見える」
「ほぅ。それは何時からの話でしょう」
「いつ?‥‥いつと言われても…ここ数か月です」
「その数か月、1年には12カ月御座いますのでね。先月?先々月?そこを明確にして頂ければこちらも出来る対応をさせて頂けると思いますがね」


何時だったかと考え込んだハリソンはポンと手を打った。

「3カ月前ですね。その後先月だったか余りにも杜撰なので置き手紙をしたのです。それすら無視。いったいガッセル公爵家は人との約束についてどんな教えをされたんでしょうね」

「3カ月前で間違ないですかね」

「3…いや4カ月前だったかも知れない。だが2月ふたつき3月みつきも違う訳じゃない。そんなのは誤差の範囲だ」

「そうですか。よく判りました。良かったです。当家とは全く関係ない話と解って安心しましたよ」

「関係ない?何を言ってるんだ!」

「関係ないでしょう。貴殿と妹はあと数日で半年になりますが離縁が成立しています。先程仰った4カ月前だとしても妹とはとっくに離縁が成立している時期。他人となっているのに約束も何もないでしょう」

「離縁?!まさか!いや、そうだとしたら確認が入るだろう!」

「入るでしょうね。王宮からの文書をそのままにしておく意味、ご存じですよね。まさかと思いますが届いていないのであればそれは確認不足。当主としての在り方を問われますし、知っていたけれど手続きをしなければ承諾と同じですからね」

「え?その手紙ってこの中にありますかぁ?」

アレイシャがクレセルに向かって上目使いになり、甘えた声を出す。
差し出した手紙の束をハリソンは横からひったくるようにして1枚1枚を確認していく。

――ルツィエは僕を愛してるんだ。離縁なんてあり得ない――

ルツィエの愛が消えることなどあり得ないと思っていても手紙を捲る手が震える。


「あった…まさか…」

それらしい宛名の部署名の印が押された手紙。封を切って中を確認するととっくに異議申し立ての期限の切れた離縁届が出された事を示す書類が出て来た。


「ご自身で持っていらっしゃるじゃないですか。ランフィル侯も人が悪い。これが本気の言い掛かりだったら騎士団ではなく憲兵に突き出すところでした」

憲兵と聞いてハリソンの肩がビクリと跳ねる。
ここはランフィル侯爵家よりも格が上のガッセル公爵家。仮にハリソンが伯爵家だったらこの場で殺されていても文句は言えない。

首の皮1枚が繋がった事は理解が出来たが、同時にこの先どうやって生きていけばいいのかが判らない。

「ランフィル侯、そしてお連れ殿。お帰りはあちらだ」

ハリソンにはその時のクレセルの笑顔が悪魔の微笑みに見えた。
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