公爵令嬢ディアセーラの旦那様

cyaru

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ブロスカキ公爵の執務室

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ブロスカキ公爵の執務室は緊張感に包まれていた。

王太子ベネディクトの執務室の前で起こった出来事は既に報告されており、いつでも提出が出来るようにと公爵家の執務室と王宮の執務室にある執務机の引き出しにはディアセーラとベネディクトの婚約解消についての書面が忍ばせてある。

定規を当てて「解消」の文字に二本線を引いたブロスカキ公爵は素早くペン先にインクをしみ込ませると「破棄」と書き記した。

急ぎ公爵家に使いを走らせ、妻である公爵夫人に登城するよう書面も持たせた。

ベネディクトが侍らせていた令嬢との間に体の関係がない事は報告を受けて知ってはいるが、どう受け取られても仕方のない状況下が何度もあった事も知っている。


ブロスカキ公爵家としては本意ではない婚約の上、娘が良いように使われている現状、そしてベネディクトの婚約者としてあるまじき行為には幾度となく王家に抗議をしてきた。

嫡男のチェザリーノは何度目かの抗議の際に第一騎士団長の職を辞し、今は妻子とともに領地にいる。退団した当時、騎士団は大混乱に陥った。重責を担う第一騎士団の団長は騎士団全体の統率を取る将軍も兼ねていたからである。

ジェラティッド王国は決して裕福でも安寧の地でもない。

ブロスカキ公爵家の所有する鉱山は他国も喉から手が出るほど欲しい埋蔵量のある山。そしてチェザリーノの妻ビアンカの実家であるガラッシ侯爵家の領は海に面しており先祖から受け継いできた自然要塞とも言える港に手を入れる事を固く拒んできた。

ガラッシ侯爵領と隣り合うジナステラ伯爵領この2つの家に首を縦に振らせて海の向こうの大陸と交易をする為の港湾整備事業はジェラティッド王国の今後を支える事業でもある。
ジナステラ伯爵家はもろ手を挙げて賛同したが、ガラッシ侯爵家が事業を進める上で譲歩したのはディアセーラがビアンカの義妹となったからに他ならない。

王家で義妹のディアセーラが肩身の狭い思いをしなくていいようにと、ビアンカが父親のガラッシ侯爵を説き伏せたのだ。

その上、今はブロスカキ公爵の妻パトリシアが帝国の出自であり、現皇帝はパトリシアの兄。数人いる兄弟姉妹で唯一同じ両親を持つ2人だからこそジェラティッド王国は帝国の傘の下で攻め込まれる事がなかっただけである。


――ディアセーラの価値を安く見積もりおって――

憤慨するブロスカキ公爵はインクを布にしみ込ませながら、今度という今度はもう譲歩する余地はないと覚悟を決めていた。


王太子ベネディクトから言い出した事とは言え、立場は主君と従者。
しかし、鉱山を含め領地を全て没収をされ、爵位を失う事となっても退く気はなかった。尤も、公爵夫人のパトリシアに使いを出した直ぐ後に、処分しやすい財産の一部も売買手続きをし抜け目もない。


「そう言えば、娘を庇ってくれた子息がいたようだが」
「はい、リーフ子爵家のペルセス文官と報告を受けております」
「下賜するとも取れる発言もあったようだな」
「はい」
「そのリース子爵子息も呼んでくれないか」
「畏まりました」


ベネディクトがディアセーラに執着していた事はブロスカキ公爵も知っている。
あれだけ令嬢を侍らせておきながら、婚約の解消だけはしたくないとごねたのは他ならないベネディクトである。ならば何故身辺を綺麗にしないのかとブロスカキ公爵も国王も何度も注意をしてきた。

――安物の女狐2匹に踊らされおって――


王弟の娘であるマリッサとエレイナが入れ知恵をしている事も知ってはいたが、敢えて追及はしなかった。覇権争いに破れ王弟となったはいいが、やっとできた2人の娘への散財で経営が傾いている事も知っている。
どちらかと関係を持てばその時が引導を渡す時だと考えての事だったが、どうやらその前に熨斗をつけてベネディクトを引き取ってもらえるとはまさに棚から牡丹餅。


おそらく王弟側としてはマリッサとエレイナはどちらかが正妃、残った方が側妃と考えての事だろう。
しかし王家はその案には乗らない。体の関係が出来ただけでは側妃が関の山。ディアセーラは手放して貰えない可能性もあり、ブロスカキ公爵は反旗を翻す事も考えていた。そうでもしなければディアセーラは正妃とされ馬車馬のように働かされるだけだ。
しかし、反旗を翻せば賛同してくれる貴族の数は未知数。
帝国にブロスカキ公爵家が単独で亡命という形を取らねばならず無傷では済まない。

しかし、ベネディクト側から婚約破棄を言い出してくれたとなれば僥倖。
ジナステラ伯爵家には申し訳ないが、妻パトリシアの国である帝国に移住し、帝国主導でガラッシ侯爵家との単独事業とすれば良いだけである。ディアセーラという人質が取られずに済むのだ。

散々に苦汁を舐めさせられてきたジェラティッド王国は故郷ではあるが、家族と天秤にかければ重きはどちらか。考えるまでもない。

バタンと扉が開いて、満面の笑みでディアセーラが入ってきた。

「お父様っ!!」
「ディー、よく頑張ったな!」

バフっとブロスカキ公爵に飛びついたディアセーラは見えない足枷が外れた鳥のようだった。笑顔を忘れてしまったかのように張り付いた仮面を被った娘はもういなかった。

「先程、殿下から婚約破棄を――」
「聞いているよ。だから、ほら!もういつでも準備は出来ている。パティが到着次第陛下の元に行く。ディーは先に屋敷に戻っていなさい」

ディアセーラは小さく頷いた。
書面が提出され、今度は譲歩しないブロスカキ公爵家の態度を知れば拘束される可能性もある。地下牢などに放り込まれる事はないだろうが、帝国の後ろ盾も失うのだ。王家がどう出てくるかも判らない。


「あ、そうですわ。この方が殴られそうになった時に助けてくださいましたの」

ディアセーラの声に手が指し示す方向を見ればなんとも冴えない文官が身を小さくして立っていた。

「君がリーフ子爵家のペルセス君だね」
「はいぃぃ~」

さほどに高くない身の丈をピンと伸ばし、声が裏返ったペルセスはブロスカキ公爵に何故か持ったままになっていた書類の束を両手で差し出した。

文官と言えどそうそう高位貴族に名前を呼ばれる事などない。
ベネディクトの執務室に書類を持って行っても、名前を呼ばれた事もないが顔を覚えてももらえていないだろう。だからこそブロスカキ公爵が自分の家名も名前も知っていた事に舞い上がって書類を差し出すという陳腐な行動を取ってしまったペルセスだった。
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