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二十三話目 夢のあとさき 後編
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夏の季節の商店街は、大きく分けて三つの行事がある。
一つは花火大会。
一つは夏祭り。
そして最後は月読神社への願い紙の奉納だ。
月読神社――
そこは商店街を含めた一帯を護るように建てられた氏神様を祀る神社で、『霊験あらたかな願いがかなう神社』と、地元住民にはまことしやかに囁かれているのが月読神社である。
そんな場所に籐子と徹也はいた。今日の二人は揃って西陣紬の着物を着ており、籐子は淡いベージュに同色の帯、徹也はグレーの着物に黒い帯と着物と同色の羽織を纏い、燗に頼んだ特別純米酒『香田』を持っていた。
***
「こんにちは、月ヶ瀬さん」
境内で掃き掃除をしていた宮司の月ヶ瀬を見つけた籐子がそう声をかけると、月ヶ瀬は籐子と徹也の二人を見たあとで微笑むと小さく頷いた。
「おや。……願いは叶いましたか」
「はい。ですので、そのお礼と願解きに参りました」
「珍しいですね……願解きをなさる方はあまりいらっしゃいませんし。せっかくですから本殿へどうぞ」
「……わかりました」
箒と塵取りを持った月ヶ瀬に促され、籐子と徹也は顔を見合せたあとで二人揃って頷くと、月ヶ瀬のあとについて行った。
「支度して参りますのでしばらくお待ち下さい」
そう言った月ヶ瀬に二人は無言で頷いた。
籐子と徹也の願い事は、いつも商店街に配られる願い紙に書いて奉納していた。その願いは常に店のことであったり、徹也や嗣治の身体を気遣うものであった。本来ならば、なかなか子供ができないことを書くのがいいのだろうが、籐子や徹也はそんなことは一切書かなかった。……去年の願い事を除いて。
「お待たせ致しました」
月ヶ瀬が正式な神職の装束に着替え、籐子と徹也に声をかける。その途端に外の音すら聞こえなくなるほどあたりが静まり返り、本殿は荘厳な空気が満ちた。まるで、その場に神が降りて来たような雰囲気と、柔らかくて暖かい何かが二人の身体を包む。
「こちらが奉納の品です。特別純米酒です」
「ちょうだいいたしましょう。……それでは始めさせていただきます」
部屋の空気と相まってか、月ヶ瀬の祝詞の声だけが本殿に響き渡るも、籐子も徹也もどこか遠くで聞いていた。
そして、月ヶ瀬の祝詞が終わるころ、籐子は涙を溢した。
「……どうされました?」
「……私は、徹也さんやあの子たちに許されたんでしょうか」
「籐子、お前……」
普段は弱さも見せず、弱音を吐くことをしない籐子が珍しく弱音を吐いた。そんな籐子に、徹也はそっと肩を抱き寄せる。
籐子は二度流産をしている。籐子自身は自分の不注意だと思っているが、実際は違う。二度とも徹也に横恋慕していた女に階段から突き落とされたのだ。
それを知った徹也と両家の両親は激怒し、女の家を潰す勢いで女とその家族を責め立てた。そして沈んでいた籐子にはそれを伝えなかったのだ。それを知らない籐子は、ずっと自分を責めていたのだ。
「許すもなにも誰も怒ってはおりませんし、あちらは神罰が降っています。それに、今までお子を授からなかったのは、お子の準備が整わなかったからですよ」
「え……? それはどういう……?」
不思議な発言をした月ヶ瀬に、徹也はハッとして驚きの顔をし、籐子は戸惑いの顔をするものの、月ヶ瀬は微笑みを浮かべるだけでそれ以上のことは何も言わなかった。
「この先、お二人は同じ数だけの家族に恵まれる。そしてこの土地に住まう者は等しく護られている……それを忘れないように」
「……はい」
徹也は真剣な顔で、そして籐子は涙を浮かべながら同時に頷くと、月ヶ瀬は本殿から出て行った。その途端、音のしなかった本殿に本来の暑さと外の音が戻って来たが、心地よい暖かさはまとわりつくように身体に残り、ふわりと何かに包まれたような感覚がしたあとで消えた。
「……帰ろうか」
「そうね」
そっと差し出された徹也の手に、籐子は自身の手を重ねると一緒に本殿を出て月読神社をあとにした。そしてその帰り道。籐子のせいではなく、籐子を階段から突き落とした女がいたことを話すと、「そう……」と短く呟いて徹也の手をギュッと握った。
「言わなくて悪かった」
「ううん、いいの。もう終わったことだし、神罰が降っているなら、その人も無事じゃ済まされないだろうし」
そう言った籐子に、徹也は立ち止まって籐子の手を引くと抱き寄せる。
「……帰ったら抱いていいか?」
「いいけど、お腹の子はびっくりしないかしら」
「その辺はうまくやるさ」
「もう、徹也さんたら……ん……」
ニヤリと笑った徹也はそのまま顔を寄せると籐子の唇に軽くキスを落とし、籐子をギュッと抱き締めたあとで自宅へと戻った。
籐子には言わなかったが、徹也は女の末路を人伝に聞いて知っていた。籐子を突き落とした女が事故に遇い、子供を産めない身体になったことを。それを知っているかのような月ヶ瀬の言葉に、徹也は不思議な感じがしたものの、怖いとは微塵も感じなかった。
本殿にいたあの瞬間は普段の月ヶ瀬とは違い、まるで氏神様が降臨していたような気がしたからだ。
――のちに籐子は子供を三人産むことになるが、それはまだ先の話。
一つは花火大会。
一つは夏祭り。
そして最後は月読神社への願い紙の奉納だ。
月読神社――
そこは商店街を含めた一帯を護るように建てられた氏神様を祀る神社で、『霊験あらたかな願いがかなう神社』と、地元住民にはまことしやかに囁かれているのが月読神社である。
そんな場所に籐子と徹也はいた。今日の二人は揃って西陣紬の着物を着ており、籐子は淡いベージュに同色の帯、徹也はグレーの着物に黒い帯と着物と同色の羽織を纏い、燗に頼んだ特別純米酒『香田』を持っていた。
***
「こんにちは、月ヶ瀬さん」
境内で掃き掃除をしていた宮司の月ヶ瀬を見つけた籐子がそう声をかけると、月ヶ瀬は籐子と徹也の二人を見たあとで微笑むと小さく頷いた。
「おや。……願いは叶いましたか」
「はい。ですので、そのお礼と願解きに参りました」
「珍しいですね……願解きをなさる方はあまりいらっしゃいませんし。せっかくですから本殿へどうぞ」
「……わかりました」
箒と塵取りを持った月ヶ瀬に促され、籐子と徹也は顔を見合せたあとで二人揃って頷くと、月ヶ瀬のあとについて行った。
「支度して参りますのでしばらくお待ち下さい」
そう言った月ヶ瀬に二人は無言で頷いた。
籐子と徹也の願い事は、いつも商店街に配られる願い紙に書いて奉納していた。その願いは常に店のことであったり、徹也や嗣治の身体を気遣うものであった。本来ならば、なかなか子供ができないことを書くのがいいのだろうが、籐子や徹也はそんなことは一切書かなかった。……去年の願い事を除いて。
「お待たせ致しました」
月ヶ瀬が正式な神職の装束に着替え、籐子と徹也に声をかける。その途端に外の音すら聞こえなくなるほどあたりが静まり返り、本殿は荘厳な空気が満ちた。まるで、その場に神が降りて来たような雰囲気と、柔らかくて暖かい何かが二人の身体を包む。
「こちらが奉納の品です。特別純米酒です」
「ちょうだいいたしましょう。……それでは始めさせていただきます」
部屋の空気と相まってか、月ヶ瀬の祝詞の声だけが本殿に響き渡るも、籐子も徹也もどこか遠くで聞いていた。
そして、月ヶ瀬の祝詞が終わるころ、籐子は涙を溢した。
「……どうされました?」
「……私は、徹也さんやあの子たちに許されたんでしょうか」
「籐子、お前……」
普段は弱さも見せず、弱音を吐くことをしない籐子が珍しく弱音を吐いた。そんな籐子に、徹也はそっと肩を抱き寄せる。
籐子は二度流産をしている。籐子自身は自分の不注意だと思っているが、実際は違う。二度とも徹也に横恋慕していた女に階段から突き落とされたのだ。
それを知った徹也と両家の両親は激怒し、女の家を潰す勢いで女とその家族を責め立てた。そして沈んでいた籐子にはそれを伝えなかったのだ。それを知らない籐子は、ずっと自分を責めていたのだ。
「許すもなにも誰も怒ってはおりませんし、あちらは神罰が降っています。それに、今までお子を授からなかったのは、お子の準備が整わなかったからですよ」
「え……? それはどういう……?」
不思議な発言をした月ヶ瀬に、徹也はハッとして驚きの顔をし、籐子は戸惑いの顔をするものの、月ヶ瀬は微笑みを浮かべるだけでそれ以上のことは何も言わなかった。
「この先、お二人は同じ数だけの家族に恵まれる。そしてこの土地に住まう者は等しく護られている……それを忘れないように」
「……はい」
徹也は真剣な顔で、そして籐子は涙を浮かべながら同時に頷くと、月ヶ瀬は本殿から出て行った。その途端、音のしなかった本殿に本来の暑さと外の音が戻って来たが、心地よい暖かさはまとわりつくように身体に残り、ふわりと何かに包まれたような感覚がしたあとで消えた。
「……帰ろうか」
「そうね」
そっと差し出された徹也の手に、籐子は自身の手を重ねると一緒に本殿を出て月読神社をあとにした。そしてその帰り道。籐子のせいではなく、籐子を階段から突き落とした女がいたことを話すと、「そう……」と短く呟いて徹也の手をギュッと握った。
「言わなくて悪かった」
「ううん、いいの。もう終わったことだし、神罰が降っているなら、その人も無事じゃ済まされないだろうし」
そう言った籐子に、徹也は立ち止まって籐子の手を引くと抱き寄せる。
「……帰ったら抱いていいか?」
「いいけど、お腹の子はびっくりしないかしら」
「その辺はうまくやるさ」
「もう、徹也さんたら……ん……」
ニヤリと笑った徹也はそのまま顔を寄せると籐子の唇に軽くキスを落とし、籐子をギュッと抱き締めたあとで自宅へと戻った。
籐子には言わなかったが、徹也は女の末路を人伝に聞いて知っていた。籐子を突き落とした女が事故に遇い、子供を産めない身体になったことを。それを知っているかのような月ヶ瀬の言葉に、徹也は不思議な感じがしたものの、怖いとは微塵も感じなかった。
本殿にいたあの瞬間は普段の月ヶ瀬とは違い、まるで氏神様が降臨していたような気がしたからだ。
――のちに籐子は子供を三人産むことになるが、それはまだ先の話。
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