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コンビニスイーツが結んだ恋
忘れていた初恋
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『――そんな二人の初恋ショコラ。
ねえ……ケーキとぼくのキス、どっちがすき?』
「どっちも嫌いだよ」
コンビニスイーツのCMにいちゃもんをつけ、ふんと鼻を鳴らしてチョコレートクリームを作っている。親友は苦笑しながらそんな私の様子を見ている。
「嫌いなら、どうしてそんなもの作ってるの?」
「旦那が買って来てくれた物を食べたよ、と親友に報告したら、親友が一回しか食べた事ないから食べたい、って言ったんじゃないの」
「そうでした」
二人でそんなやり取りをしながら、クスクス笑う。
『初恋ショコラ』とは、全国チェーン展開をしているコンビニのチョコレートケーキで、CMキャラクターは国民的アイドルグループが努めている。
ケーキのほうも、透明なプラスチックの容器と黒色のフタに金のリボンのパッケージが施され、フォークでもスプーンでも食べられる硬さのケーキである。しかも、コンビニスイーツだからお値段も手頃だし、アイドルグループがそれぞれの個性を生かしたCMを展開しているし、『従来のチョコレートケーキに比べてカロリーオフ』との謳い文句があるもんだから、そこそこ……いや、かなり売れているらしい。
私はケーキもアイドルもそれなりに好きだ。だが、このCMに出て来るアイドルグループは、私の中では珍しく大嫌いなアイドルグループだった。
ファンの人に聞かれたら殺されそうだけど、大嫌いな理由は至って簡単。各メンバーのCMの演技が大根すぎて『初恋ショコラ』が全然美味しそうに見えないことと、アイドルグループのリーダーの顔が私の初恋の人に似ていたからだ。
今でも思い出せる、引っ越し直前のやりとり。中学一年の夏休みに急に父の転勤が決まり、慌てて引越の準備をしながらも、ほぼ終わっていた私は犬の散歩に出た。
内気で引っ込み思案な私は友達がなかなか出来ず、誰にもそのことを言えないまま、親と一緒に担任の先生たちに挨拶に行った次の日に散歩に出たのだ。
その時にたまたま会ったクラスメイトが彼だった。
『もし、世界中で私と貴方の二人しかいなかったらどうする? 私を選ぶ?』
『誰がお前みたいな根暗なんか選ぶかよっ! 世界中探し回って、別の人間を探す!』
『あはっ、あはははは! 冗談なんだから、そ、そんな力説しなくったって、わ、わかって……あはははは!』
彼が好きだったから、遠回しに告白してみたけど、彼は私に酷い言葉をぶつけた。事実だけど、好きな人から『選ばない』と聞かされたら、泣くしかないじゃない?
だから私は冗談というスタンスを取り、目から涙を流しながら笑ったのだ。笑ったから涙が出たんだよ、という感じにしたくて。
私が大笑いしているのが珍しいのか、彼はあんぐりと口を開けていたっけ。
結局彼にフラれ、引越しのことは何も言わずに父の転勤先に引越した。クラスメイトの皆がそれを知るのは夏休みが開けた九月だろうなあ、なんて思いながら。
「んー、こんなもんかな。彩、どう? 全く同じ味でしょ?」
出来上がったチョコレートクリームを遊びに来た親友の彩に舐めさせると、彩は目をまんまるくして驚きの声を上げた。
「嘘ー! 『初恋ショコラ』と同じ味!」
「当然でしょ? 同じ味を再現するのに苦労したもん。それに、一度食べた味を忘れないのが私の特技。忘れちゃった?」
「イエ、覚えてます」
「ならヨロシイ」
そんなことを言いながら、二人で笑った。最近の彩はとても明るい顔をして笑うようになった。両親や妹、元婚約者のことで辛い思いをしてたのに、それがふっきれたように笑う。
弟の賢司くんと二人で住んでることや、一軒家を買ったと聞かされた時には驚いたけど、新たに出会った恋人のことや、『その人のおかげでお父さんと仲直りしたの』と言った彩は、とても嬉しそうだった。その彩も、もうじき結婚式を挙げる。
彩とは引越し先の中学で出会った。一人でいることの多かった私に話しかけてくれて、なにくれとなく世話をしてくれて。
私もそれが嬉しかったから、彩と友達になった。内気で引っ込み思案を何とか克服することが出来たのは、彩のおかげだ。
まあ、初対面の人には相変わらず内気で引っ込み思案だが。
ケーキのスポンジ生地を型に流し入れ、オーブンに入れて焼く。彩におかわりのノンカフェインコーヒーを入れてから自分のカップにコーヒーを入れると、彩の目の前に座った。
彩と会うのは久しぶりだから、話も自然と弾む。
「晶、身体はつらくない? 大丈夫?」
「そう言う彩はどうなの? そのお腹で、結婚式あげるわけ?」
お互いがお互いのお腹を見つめる。私も彩も、妊娠六ヶ月だ。
「敦志さんの籍に入っているから問題はないし、式を挙げるって言っても、ごくごく内輪だけだもの」
「なら大丈夫かな」
「そう言う晶は、そのお腹で式に来れるの?」
「もちろん。旦那共々、行かせていただきます。ただ、写真の流出とかは勘弁して」
「それは大丈夫。そんなミーハーな人なんか誰一人呼んでないし、敦志さんのほうも『写真も撮らせんし、守秘義務を守らせる』、と言ってたから」
「あら、さすが警察官。頼もしいわ」
「何かそれ違うと思う……」
脱力した彩に笑いながら、話しているうちに焼き上がったスポンジをオーブンから出して型から抜き、ケーキクーラーでスポンジを冷ます。私は結婚しているが、旦那は所謂芸能人てやつだ。
母方の再従兄弟で、従兄弟や再従兄弟たちの中でも年が近いこともあり、母の実家に行くとやれ川遊びだ、やれ夏祭りだ、やれスキーだ温泉だと、よく一緒に遊んでくれたっけ。
しばらく会わなかったが、法事で再会した時に告白され、その時は私も彼が好きだったと気付いていたから付き合うようになり、結婚した。まさか彼が芸能人だったとは思わなかったけどね。
冷ましたスポンジにチョコレートクリームを塗り、それを切り分けてラッピングすると、彩に渡す。
「いいの?」
「もちろん。賢司くんやおじさん、敦志さんにもあげてね」
「私のは?」
ムッとした顔をした彩に笑いながら「彩の分もあるわよ」と言って笑い、切り分けたはじっこの部分をお皿に乗せて彩に差し出す。
「ほら、試食。ケーキは、帰ったらすぐに冷蔵庫に入れてね。冷たいほうが美味しいから」
「わかった。ありがと、彩。どれ……うーん! 美味しい! 本当に売ってるのと同じ味! 作っているのを目の前で見てなければ、買ってきたものと勘違いしそう!」
「誉めすぎだって」
そう言って、彩がニコニコしながらケーキを食べる姿を眺めながら、彩が幸せになって本当に良かったと思った。
***
「義貴ー! 彩を駅まで送って来るねー! ついでに買い物して来るー!」
「あのさあ、晶。お前も妊婦だって自覚ある?」
玄関から旦那である義貴にそう呼び掛けると、義貴は呆れた顔をしながら車のキーを持って来た。
「俺も一緒に買い物に行くから」
「だって、貴重なオフなんでしょ?」
「貴重って……お前ねえ。俺のオフは、お前の手伝いをする事前提で取ってるの。事務所の社長もマネージャーもそれを知ってるんだから、遠慮はなし!」
「わかった。じゃあ、駅までヨロシク!」
「あれ? 彩さんの自宅じゃなくていいの?」
「駅で敦志さんと待ち合わせしてるの」
「じゃあ大丈夫だね」
義貴は妊婦二人を車に乗せると、駅までの短い道のりを走る。駅で敦志さんと合流した彩は、彼と一緒に私と義貴に手を振って帰って行った。
そのまま自宅マンション近くのスーパーに寄り、二人で手を繋いで買い物をするが、芸能人である義貴の存在に気付かない。いや、全く気付かれてないわけじゃないみたいだけど、「こんなところで芸能人が買い物してるわけがない」という先入観があるのか、義貴の顔を見ても「似てるわねー」なんて小さく呟くだけだ。
「いや、本人だから」と義貴と視線を合わせて笑っていると、「宇田川さん?」と旧姓で話しかけられた。話しかけられたほうを見ると、「やっぱり宇田川さんだ!」と、その人は嬉しそうな顔をした。
誰だかわからず首を傾げていると、「中学一年の夏までクラスメイトだった、熊川だよ」と言われて、初恋の彼かと思い出す。
「俺、夏休みに会った時に宇田川さんに酷いこといっちゃったってあとで気づいて、連絡網に書いてあった電話番号にかけたけど繋がらなくて。仕方がないから夏休みが終わったら謝ろうと思ってたのに、宇田川さん、急に引越しちゃったって先生から聞いて。誰も宇田川さんの行き先を知らないし……。あの時はごめん!」
「別にいいよ、今更だし。昔の話だから、許してあげる」
「良かった! それで、もしよかったら、俺と……」
「晶、誰?」
熊川の話を遮るように、義貴が私の腰を優しく引き寄せながらそう聞いて来た。顔は笑顔、声も優しげ。でも目が笑ってない。
おお、さすが俳優さん。演技力バッチリです。
「中学一年の夏休み前までの間、クラスメイトだった熊川くん。熊川くん、この人は私の旦那で義貴」
そう言うと、熊川は呆然と私と義貴を見たあとで私のお腹に視線を落とすと、なぜか苦しそうに目を閉じた。
「そ、う、なんだ。デートと買い物の邪魔をしてごめん。懐かしかったから、つい話しかけてちゃった。それじゃ」
力なく笑った熊川は、踵を返して別の陳列棚のほうに行ってしまった。
「何あれ。てか、何を言おうとしてたんだか」
「彼は、晶の何?」
「何、って言われても。さっき言った通り短期間のクラスメイトで、初恋だった人、かな。『もし、世界中で私と貴方の二人しかいなかったらどうする? 私を選ぶ?』って遠回しに聞いたらフラれたけど」
「何て言われてフラれたの?」
「『誰がお前みたいな根暗なんか選ぶかよっ! 世界中探し回って、別の人間を探す!』だったかな。涙を見せたくなくて、それを誤魔化すために大笑いしたら、あんぐりと口を開けてた」
「……なるほど、その顔に惚れたわけか」
義貴の言ってることがわからず、頭の中をクエスチョンマークでいっぱいにする。
「意味がわからないし。それに、あのCMを見るまですっかり忘れてたわよ」
「あのCM?」
「『初恋ショコラ』のCM。あのアイドルグループのリーダーと同じ顔だったの。でも、久しぶりに会った熊川くんは、あのリーダーとは似ても似つかなかったわね。義貴、買い物の続き、しよ? 今日は何が食べたい?」
そんなことを言いながら歩き始める。その後ろで、義貴が「鈍感。……でも、よかった」と呟いていたなんて、気にもせずに。
初恋の人は、アイドルグループのリーダーとは似ても似つかなかったけど、それでもやっぱりあのアイドルグループは嫌いだと一人で納得し、「冷しゃぶサラダうどんが食べたい」と言った義貴に、二人で材料を集めながら、明日義貴の事務所の社長さんやマネージャーさんにゼリーを持って行ってもらおうと考え、その材料もこっそりかき集めたのだった。
***
おまけ
「義貴さん、迎えに来ました」
彼のマンションに来たのは、自分がマネジメントをしている義貴の自宅だ。出迎えてくれたのは、義貴の奥さん。美人というわけではないが、可愛らしく、気立ての良い方だ。
義貴が結婚する前はよく不摂生をして体調を壊していたが、結婚してからは、奥さん――晶さんが食事の管理をきちんとしているのか、体調を崩すことはなくなった。
義貴や僕が所属している芸能事務所はタレントが数人しかいない小さな芸能事務所だ。
だが、その数人全員が稼ぎ頭だから、小さくてもそれなりにやって行ける。
晶さんの両手には、小さな紙袋と大きな紙袋がぶら下がっている。それを見た義貴が慌てて飛んできて、大きな紙袋を持ち上げた。
過保護はまずいが、どうやら本当に重たいものだったらしい。義貴が持っても、かなり重そうだった。
それを見た晶さんが、紙袋を指してニコニコと笑っている。
「義貴、それ、必ず社長さんに渡してね? 事務所の人が何人いるかわかんないけど、多分足りると思うから」
「これなら充分足りるよ。ありがと」
「で、これは、義貴がいつもお世話になってるマネージャーの大渡さんに」
「僕に、ですか?」
小さな紙袋を差し出され、それに困惑しながら首を傾げる。晶さんは苦笑しながらも、説明してくれた。
「今言った通りいつもお世話になってるし、奥さんあまり食欲がないんですって? 妊婦なのに、食べられないのはマズイと思うから」
「どうしてそれを……ああ、義貴さんですか」
「そうなの。野菜ジュースを使ったゼリーだし、大渡さんや子供たちも食べられるゼリーも入ってるから。あと、袋の中にゼリーのレシピと、奥さんが食べられそうなレシピも入ってるから、食べさせてあげてください」
僕の妻の心配までしてくれているとは思わなかった。それがすごく嬉しくて、差し出された紙袋を受け取って中を見ると、小さなタッパに入っている茶色いものを見つけた。
「あ、そのタッパの中身は大渡さん自身に。今ここでちょっと食べてみます?」
そう言われてタッパの蓋を開けると、中から一口サイズに切られているケーキが出て来た。それを一つ摘まんで口に放り込むと。
「『初恋ショコラ』、ですか?! こんな沢山、よく買えましたね!」
その味はコンビニスイーツの『初恋ショコラ』というケーキだった。常に売り切れていて、僕や嫁もまだ二、三回しか食べたことがない。
これだけの量をよく買えたものだと感心していたのだが、晶さんが突然ニヤリと笑い、義貴は苦虫を噛み潰したような顔になった。そのことに首を捻る。
「んふふー。義貴、私の勝ちね! 千疋屋のゼリーの詰め合わせ、五箱ヨロシクねー! 二箱は彩んとこに持って行くんだから、絶対に忘れないでよ?」
「くっそー。わかってるよ!」
「あの……義貴さん?」
わけがわからず、義貴と『初恋ショコラ』を見比べる。
「それは買ったものじゃないんだ。昨日晶が、俺の目の前で作ったやつ」
「え、でも、これはどう見ても『初恋ショコラ』ですし、味も『初恋ショコラ』そのものですよ?!」
「まあ、晶の特技が特技だから……。誰にも……大渡さん一人の胸のうちに閉まってくれるって約束するなら、教えてやる。じゃあ晶、行ってきます!」
「行ってらっしゃい。大渡さん、それ、帰るまで冷蔵庫に入れておいてくださいね。奥さんによろしく。義貴、社長さんにと千疋屋、忘れないでよね!」
そう言って晶さんは、僕と義貴を送り出した。
――車の中で聞いた晶さんの特技はびっくりしたが、納得のできるものだった。
もちろん、誰にも言わない。いや、言えない。
誰かに喋ったら、即、事務所も芸能界も辞めると脅されたから。
そもそもスカウトした時も、条件が『結婚を許してくれること、結婚したら奥さん優先。それを破ったら即退社』と言ったくらいだ。
義貴は、やるといったらやる。そんな義貴に惚れられた晶さんが可哀想なのか、そんな義貴を手玉にとり舵をとっている晶さんが凄いのか……。
それは誰にもわからない。
ねえ……ケーキとぼくのキス、どっちがすき?』
「どっちも嫌いだよ」
コンビニスイーツのCMにいちゃもんをつけ、ふんと鼻を鳴らしてチョコレートクリームを作っている。親友は苦笑しながらそんな私の様子を見ている。
「嫌いなら、どうしてそんなもの作ってるの?」
「旦那が買って来てくれた物を食べたよ、と親友に報告したら、親友が一回しか食べた事ないから食べたい、って言ったんじゃないの」
「そうでした」
二人でそんなやり取りをしながら、クスクス笑う。
『初恋ショコラ』とは、全国チェーン展開をしているコンビニのチョコレートケーキで、CMキャラクターは国民的アイドルグループが努めている。
ケーキのほうも、透明なプラスチックの容器と黒色のフタに金のリボンのパッケージが施され、フォークでもスプーンでも食べられる硬さのケーキである。しかも、コンビニスイーツだからお値段も手頃だし、アイドルグループがそれぞれの個性を生かしたCMを展開しているし、『従来のチョコレートケーキに比べてカロリーオフ』との謳い文句があるもんだから、そこそこ……いや、かなり売れているらしい。
私はケーキもアイドルもそれなりに好きだ。だが、このCMに出て来るアイドルグループは、私の中では珍しく大嫌いなアイドルグループだった。
ファンの人に聞かれたら殺されそうだけど、大嫌いな理由は至って簡単。各メンバーのCMの演技が大根すぎて『初恋ショコラ』が全然美味しそうに見えないことと、アイドルグループのリーダーの顔が私の初恋の人に似ていたからだ。
今でも思い出せる、引っ越し直前のやりとり。中学一年の夏休みに急に父の転勤が決まり、慌てて引越の準備をしながらも、ほぼ終わっていた私は犬の散歩に出た。
内気で引っ込み思案な私は友達がなかなか出来ず、誰にもそのことを言えないまま、親と一緒に担任の先生たちに挨拶に行った次の日に散歩に出たのだ。
その時にたまたま会ったクラスメイトが彼だった。
『もし、世界中で私と貴方の二人しかいなかったらどうする? 私を選ぶ?』
『誰がお前みたいな根暗なんか選ぶかよっ! 世界中探し回って、別の人間を探す!』
『あはっ、あはははは! 冗談なんだから、そ、そんな力説しなくったって、わ、わかって……あはははは!』
彼が好きだったから、遠回しに告白してみたけど、彼は私に酷い言葉をぶつけた。事実だけど、好きな人から『選ばない』と聞かされたら、泣くしかないじゃない?
だから私は冗談というスタンスを取り、目から涙を流しながら笑ったのだ。笑ったから涙が出たんだよ、という感じにしたくて。
私が大笑いしているのが珍しいのか、彼はあんぐりと口を開けていたっけ。
結局彼にフラれ、引越しのことは何も言わずに父の転勤先に引越した。クラスメイトの皆がそれを知るのは夏休みが開けた九月だろうなあ、なんて思いながら。
「んー、こんなもんかな。彩、どう? 全く同じ味でしょ?」
出来上がったチョコレートクリームを遊びに来た親友の彩に舐めさせると、彩は目をまんまるくして驚きの声を上げた。
「嘘ー! 『初恋ショコラ』と同じ味!」
「当然でしょ? 同じ味を再現するのに苦労したもん。それに、一度食べた味を忘れないのが私の特技。忘れちゃった?」
「イエ、覚えてます」
「ならヨロシイ」
そんなことを言いながら、二人で笑った。最近の彩はとても明るい顔をして笑うようになった。両親や妹、元婚約者のことで辛い思いをしてたのに、それがふっきれたように笑う。
弟の賢司くんと二人で住んでることや、一軒家を買ったと聞かされた時には驚いたけど、新たに出会った恋人のことや、『その人のおかげでお父さんと仲直りしたの』と言った彩は、とても嬉しそうだった。その彩も、もうじき結婚式を挙げる。
彩とは引越し先の中学で出会った。一人でいることの多かった私に話しかけてくれて、なにくれとなく世話をしてくれて。
私もそれが嬉しかったから、彩と友達になった。内気で引っ込み思案を何とか克服することが出来たのは、彩のおかげだ。
まあ、初対面の人には相変わらず内気で引っ込み思案だが。
ケーキのスポンジ生地を型に流し入れ、オーブンに入れて焼く。彩におかわりのノンカフェインコーヒーを入れてから自分のカップにコーヒーを入れると、彩の目の前に座った。
彩と会うのは久しぶりだから、話も自然と弾む。
「晶、身体はつらくない? 大丈夫?」
「そう言う彩はどうなの? そのお腹で、結婚式あげるわけ?」
お互いがお互いのお腹を見つめる。私も彩も、妊娠六ヶ月だ。
「敦志さんの籍に入っているから問題はないし、式を挙げるって言っても、ごくごく内輪だけだもの」
「なら大丈夫かな」
「そう言う晶は、そのお腹で式に来れるの?」
「もちろん。旦那共々、行かせていただきます。ただ、写真の流出とかは勘弁して」
「それは大丈夫。そんなミーハーな人なんか誰一人呼んでないし、敦志さんのほうも『写真も撮らせんし、守秘義務を守らせる』、と言ってたから」
「あら、さすが警察官。頼もしいわ」
「何かそれ違うと思う……」
脱力した彩に笑いながら、話しているうちに焼き上がったスポンジをオーブンから出して型から抜き、ケーキクーラーでスポンジを冷ます。私は結婚しているが、旦那は所謂芸能人てやつだ。
母方の再従兄弟で、従兄弟や再従兄弟たちの中でも年が近いこともあり、母の実家に行くとやれ川遊びだ、やれ夏祭りだ、やれスキーだ温泉だと、よく一緒に遊んでくれたっけ。
しばらく会わなかったが、法事で再会した時に告白され、その時は私も彼が好きだったと気付いていたから付き合うようになり、結婚した。まさか彼が芸能人だったとは思わなかったけどね。
冷ましたスポンジにチョコレートクリームを塗り、それを切り分けてラッピングすると、彩に渡す。
「いいの?」
「もちろん。賢司くんやおじさん、敦志さんにもあげてね」
「私のは?」
ムッとした顔をした彩に笑いながら「彩の分もあるわよ」と言って笑い、切り分けたはじっこの部分をお皿に乗せて彩に差し出す。
「ほら、試食。ケーキは、帰ったらすぐに冷蔵庫に入れてね。冷たいほうが美味しいから」
「わかった。ありがと、彩。どれ……うーん! 美味しい! 本当に売ってるのと同じ味! 作っているのを目の前で見てなければ、買ってきたものと勘違いしそう!」
「誉めすぎだって」
そう言って、彩がニコニコしながらケーキを食べる姿を眺めながら、彩が幸せになって本当に良かったと思った。
***
「義貴ー! 彩を駅まで送って来るねー! ついでに買い物して来るー!」
「あのさあ、晶。お前も妊婦だって自覚ある?」
玄関から旦那である義貴にそう呼び掛けると、義貴は呆れた顔をしながら車のキーを持って来た。
「俺も一緒に買い物に行くから」
「だって、貴重なオフなんでしょ?」
「貴重って……お前ねえ。俺のオフは、お前の手伝いをする事前提で取ってるの。事務所の社長もマネージャーもそれを知ってるんだから、遠慮はなし!」
「わかった。じゃあ、駅までヨロシク!」
「あれ? 彩さんの自宅じゃなくていいの?」
「駅で敦志さんと待ち合わせしてるの」
「じゃあ大丈夫だね」
義貴は妊婦二人を車に乗せると、駅までの短い道のりを走る。駅で敦志さんと合流した彩は、彼と一緒に私と義貴に手を振って帰って行った。
そのまま自宅マンション近くのスーパーに寄り、二人で手を繋いで買い物をするが、芸能人である義貴の存在に気付かない。いや、全く気付かれてないわけじゃないみたいだけど、「こんなところで芸能人が買い物してるわけがない」という先入観があるのか、義貴の顔を見ても「似てるわねー」なんて小さく呟くだけだ。
「いや、本人だから」と義貴と視線を合わせて笑っていると、「宇田川さん?」と旧姓で話しかけられた。話しかけられたほうを見ると、「やっぱり宇田川さんだ!」と、その人は嬉しそうな顔をした。
誰だかわからず首を傾げていると、「中学一年の夏までクラスメイトだった、熊川だよ」と言われて、初恋の彼かと思い出す。
「俺、夏休みに会った時に宇田川さんに酷いこといっちゃったってあとで気づいて、連絡網に書いてあった電話番号にかけたけど繋がらなくて。仕方がないから夏休みが終わったら謝ろうと思ってたのに、宇田川さん、急に引越しちゃったって先生から聞いて。誰も宇田川さんの行き先を知らないし……。あの時はごめん!」
「別にいいよ、今更だし。昔の話だから、許してあげる」
「良かった! それで、もしよかったら、俺と……」
「晶、誰?」
熊川の話を遮るように、義貴が私の腰を優しく引き寄せながらそう聞いて来た。顔は笑顔、声も優しげ。でも目が笑ってない。
おお、さすが俳優さん。演技力バッチリです。
「中学一年の夏休み前までの間、クラスメイトだった熊川くん。熊川くん、この人は私の旦那で義貴」
そう言うと、熊川は呆然と私と義貴を見たあとで私のお腹に視線を落とすと、なぜか苦しそうに目を閉じた。
「そ、う、なんだ。デートと買い物の邪魔をしてごめん。懐かしかったから、つい話しかけてちゃった。それじゃ」
力なく笑った熊川は、踵を返して別の陳列棚のほうに行ってしまった。
「何あれ。てか、何を言おうとしてたんだか」
「彼は、晶の何?」
「何、って言われても。さっき言った通り短期間のクラスメイトで、初恋だった人、かな。『もし、世界中で私と貴方の二人しかいなかったらどうする? 私を選ぶ?』って遠回しに聞いたらフラれたけど」
「何て言われてフラれたの?」
「『誰がお前みたいな根暗なんか選ぶかよっ! 世界中探し回って、別の人間を探す!』だったかな。涙を見せたくなくて、それを誤魔化すために大笑いしたら、あんぐりと口を開けてた」
「……なるほど、その顔に惚れたわけか」
義貴の言ってることがわからず、頭の中をクエスチョンマークでいっぱいにする。
「意味がわからないし。それに、あのCMを見るまですっかり忘れてたわよ」
「あのCM?」
「『初恋ショコラ』のCM。あのアイドルグループのリーダーと同じ顔だったの。でも、久しぶりに会った熊川くんは、あのリーダーとは似ても似つかなかったわね。義貴、買い物の続き、しよ? 今日は何が食べたい?」
そんなことを言いながら歩き始める。その後ろで、義貴が「鈍感。……でも、よかった」と呟いていたなんて、気にもせずに。
初恋の人は、アイドルグループのリーダーとは似ても似つかなかったけど、それでもやっぱりあのアイドルグループは嫌いだと一人で納得し、「冷しゃぶサラダうどんが食べたい」と言った義貴に、二人で材料を集めながら、明日義貴の事務所の社長さんやマネージャーさんにゼリーを持って行ってもらおうと考え、その材料もこっそりかき集めたのだった。
***
おまけ
「義貴さん、迎えに来ました」
彼のマンションに来たのは、自分がマネジメントをしている義貴の自宅だ。出迎えてくれたのは、義貴の奥さん。美人というわけではないが、可愛らしく、気立ての良い方だ。
義貴が結婚する前はよく不摂生をして体調を壊していたが、結婚してからは、奥さん――晶さんが食事の管理をきちんとしているのか、体調を崩すことはなくなった。
義貴や僕が所属している芸能事務所はタレントが数人しかいない小さな芸能事務所だ。
だが、その数人全員が稼ぎ頭だから、小さくてもそれなりにやって行ける。
晶さんの両手には、小さな紙袋と大きな紙袋がぶら下がっている。それを見た義貴が慌てて飛んできて、大きな紙袋を持ち上げた。
過保護はまずいが、どうやら本当に重たいものだったらしい。義貴が持っても、かなり重そうだった。
それを見た晶さんが、紙袋を指してニコニコと笑っている。
「義貴、それ、必ず社長さんに渡してね? 事務所の人が何人いるかわかんないけど、多分足りると思うから」
「これなら充分足りるよ。ありがと」
「で、これは、義貴がいつもお世話になってるマネージャーの大渡さんに」
「僕に、ですか?」
小さな紙袋を差し出され、それに困惑しながら首を傾げる。晶さんは苦笑しながらも、説明してくれた。
「今言った通りいつもお世話になってるし、奥さんあまり食欲がないんですって? 妊婦なのに、食べられないのはマズイと思うから」
「どうしてそれを……ああ、義貴さんですか」
「そうなの。野菜ジュースを使ったゼリーだし、大渡さんや子供たちも食べられるゼリーも入ってるから。あと、袋の中にゼリーのレシピと、奥さんが食べられそうなレシピも入ってるから、食べさせてあげてください」
僕の妻の心配までしてくれているとは思わなかった。それがすごく嬉しくて、差し出された紙袋を受け取って中を見ると、小さなタッパに入っている茶色いものを見つけた。
「あ、そのタッパの中身は大渡さん自身に。今ここでちょっと食べてみます?」
そう言われてタッパの蓋を開けると、中から一口サイズに切られているケーキが出て来た。それを一つ摘まんで口に放り込むと。
「『初恋ショコラ』、ですか?! こんな沢山、よく買えましたね!」
その味はコンビニスイーツの『初恋ショコラ』というケーキだった。常に売り切れていて、僕や嫁もまだ二、三回しか食べたことがない。
これだけの量をよく買えたものだと感心していたのだが、晶さんが突然ニヤリと笑い、義貴は苦虫を噛み潰したような顔になった。そのことに首を捻る。
「んふふー。義貴、私の勝ちね! 千疋屋のゼリーの詰め合わせ、五箱ヨロシクねー! 二箱は彩んとこに持って行くんだから、絶対に忘れないでよ?」
「くっそー。わかってるよ!」
「あの……義貴さん?」
わけがわからず、義貴と『初恋ショコラ』を見比べる。
「それは買ったものじゃないんだ。昨日晶が、俺の目の前で作ったやつ」
「え、でも、これはどう見ても『初恋ショコラ』ですし、味も『初恋ショコラ』そのものですよ?!」
「まあ、晶の特技が特技だから……。誰にも……大渡さん一人の胸のうちに閉まってくれるって約束するなら、教えてやる。じゃあ晶、行ってきます!」
「行ってらっしゃい。大渡さん、それ、帰るまで冷蔵庫に入れておいてくださいね。奥さんによろしく。義貴、社長さんにと千疋屋、忘れないでよね!」
そう言って晶さんは、僕と義貴を送り出した。
――車の中で聞いた晶さんの特技はびっくりしたが、納得のできるものだった。
もちろん、誰にも言わない。いや、言えない。
誰かに喋ったら、即、事務所も芸能界も辞めると脅されたから。
そもそもスカウトした時も、条件が『結婚を許してくれること、結婚したら奥さん優先。それを破ったら即退社』と言ったくらいだ。
義貴は、やるといったらやる。そんな義貴に惚れられた晶さんが可哀想なのか、そんな義貴を手玉にとり舵をとっている晶さんが凄いのか……。
それは誰にもわからない。
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