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第十章
罪滅ぼし
しおりを挟む門を開け、迎えのいない玄関で立ち止まる。
まとった砂埃を落として、バヤジットは肩の上で大人しくなったシアンに声をかけた。
「おい、着いたぞ」
「……」
「誰に見られる訳では無いが……自分で部屋まで歩くか?」
「……まさか、今夜も僕を泊める気ですか」
「そうだが」
「ふっ……正気とは思えませんね。寝首をかかれると思わないのですか?まさか僕の疑いが晴れたわけでは無いでしょう」
「…っ…当然だ」
「なら…」
「──だがお前は、ここで俺を殺して逃げるような馬鹿ではない。それくらいは俺にもわかる…」
「──…」
「…ッ」
シアンの口調に危うさを感じながらも、冷静にバヤジットは受け答えた。
緊迫した空気。
しばらく沈黙が流れた後──
「…ハァ」
溜息をついたシアンが、先に折れた。
「…そうですね。貴方を殺める事にはメリットを感じません。少なくとも、今は」
諦めたシアンが脱力するのを確認して、バヤジットは肩で小さく息を吐いた。
「気がすんだか?」
「…疲れました」
バヤジットは玄関から階段を上がって二階へ向かった。
目的の部屋に入ったバヤジットがシアンを下ろした先は、寝台の上だった。
衣の内側で周りが見えていなかったシアンは、頭に被った衣をとって部屋を見渡した。
「ここは、……いつもの部屋と違いますね」
「俺の寝室だ」
「貴方の?」
意外に思ってシアンがバヤジットを見る。
それほど広くない部屋の隅で、バヤジットは何重にも着込んだ上衣を脱ぎ捨てていた。
きっちり着込まれた隊服を脱ぎ去るごとに、厚みのある褐色の身体が晒される。筋骨隆々としたその肉体は野性的でありながら、厭らしく見えないのは彼の禁欲的な性格の表れか…。
「お前もさっさと着替えろ。夜は冷えるから水浴みは明日にすればいい」
あらかたを脱ぎ終えたバヤジットは、寝台で動かないシアンへ背中ごしに声をかけた。
「何を固まっている?着替えを…、──ッ」
「……」
「替えの服が…無かったな。俺のを貸すからこれを着ておけ」
乱れた服装で座るシアンに、手にしていた肌着を投げてよこす。
代わりに着替えを失ったバヤジットは、下だけを穿いた上裸の格好でシアンに振り向いた。
「…これは貴方の寝衣でしょう?僕にわたせば当然、貴方の物がなくなりますよ」
「俺はこのままで構わん」
「僕もこのままで構いませんが…。汚れた服で布団に入るなと言うのであれば、裸でも」
「…ッ…駄目だ」
「何が駄目なのですか?」
スレマンに脚衣を奪われ、帯も腰あても取られ、身体をまさぐられて弛んだ胸元から肌を露出させたシアン。
渡された肌着を横に置き、シアンは艶めかしく首を傾げた。
「貴方だって……さきほど欲情していたでしょう」
「…っ」
「誤魔化しはムダと思いますが」
彼は左胸に手をやり、留め具を外して上衣を完全にはだけさせた。
そして寝台を下りたかとおもえば、壁際のバヤジットの元へ歩み寄る。
「動かないで下さい、バヤジット様」
暗い部屋の隅で、バヤジットの顔が動揺するのを見逃さない。
「人は欲を誤魔化せられない……貴方も同類だ」
「……」
「信頼?信用?どうして近衛隊将官である貴方が、クルバンで……さらにギョルグである僕にそんな感情をいだくことがありえましょうか……!」
「お前は俺を見くびるのか…!?」
「貴方の僕に対する信頼が偽物だと証明したい」
一糸まとわぬ姿となって、シアンはバヤジットを誘惑する。
壁際に追いつめた相手の足に抱きつき、頬を付けた。
シュルッ...
「……!!」
下穿の内側で、下着だけを器用にほどく。
「シアン……っ」
「まだ……熱いですね」
下着がなくなり解放された男根を、衣ごしにシアンに触れられる…。
たまらずバヤジットの顔が、火をふいたように赤くなった。
「んっ……!!」
シアンの口が、先端を食む。
その瞬間にバヤジットの意思を裏切った灼熱が、シアンの口腔に大きな脈打ちを返した。
柔らかな唇の感触も…生温い粘膜の温度も、薄い布一枚では遮れない。
しかも厭らしく舌まで絡ませてきたから、我慢できず男は呻いていた。
「…や、やめろ‥シアン‥!!」
「……」
スレマンの手で何度も吐精させられ弄ばれた身体の熱は、まだたぎっているのだろう。はぁ…と上気した顔で息を吐き、大きく開けた口で、すがりつくように男の鈴口を口淫する。
その背徳的な光景を眼下にして…バヤジットの男らしい腹筋がヒクヒクと痙攣した。
みるみる大きくなる自身の猛りが、下穿を押してそそり立つ。
引き剥がそうと肩に置いた手にも、力が入らない。
「…ッ…やめるん だ…!!…こんなコトは…間違っている……!!」
何より、男根を咥えてこちらを流し見るシアンの目が、ありえない色気を纏ってバヤジットを追い込んだ。
──先ほどと同じ目だ。
挑発して…·誘惑して…
抗えない自分を、軽蔑してくる。
“ シアン……!! ”
バヤジットの手はシアンの肩を押すのをやめて、彼の頬におそるおそる触れていた。
美しい顔が、自分を責めてくる。自分の弱さを非難している。
──…そんなシアンはやはり、綺麗だと思った。
「ハァッ……く……!」
「……!?」
バヤジットの指が、シアンの頬の痣を撫でた。
地下牢で、尋問の途中で逆上し、殴ってしまった痕だ。
その触れ方があまりに優しかったせいで……口淫するシアンの動きに戸惑いが生じる。
「……っ、離れろ!」
責めが弱まったその隙に、バヤジットはようやく彼を引き剥がすにいたった。
床に跪くシアンを残して、出口のほうへ逃げてしまう。
一度始まった行為を途中で遮られて、シアンは呆気にとられているらしかった。
「シアン…お前に邪まな感情を抱いたことを否定はできない…!スレマンに侮辱されるお前を傍観していながら、すぐに助けられなかったのは俺の弱さだ」
「……!?」
「俺はもちろん完璧では無い。頼むから…っ、そうやって俺を挑発してくれるな!俺は頭に血がのぼりやすい」
「ではっ…何を思って、貴方は僕を寝室に…!?」
「それは──…、お前を閉じこめる為だ」
話す口ぶりも相変わらず余裕が無く、男は弱さを隠せていなかった。
「お前はしばらく外出禁止だ!勝手な行動は容認できん」
「ッ…それは」
「ここはこの建物で唯一鍵がかかる部屋だ。身体を拭きたければ奥の洗い場を使えば済む」
「つまり、軟禁生活をここで送れと?」
「…そうだ」
「いつまでですか?死ぬまで?」
「いや……。
俺がお前を隊から追い出すまでだ…!」
「…ッ!?」
今度はシアンのほうが狼狽えた。
「今のお前はスレマン将官の預かりだが元の推薦先は騎兵師団だ。クルバンとして連れられて来たお前だが──…騎兵師団の配属となるなら、将官の権限でなんとか除名処分にできるだろう」
「それはっ横暴ではないですか?」
「…横暴だろうと仕方がない。死ぬまで軟禁よりはマシと思え」
「そんな馬鹿な…っ」
夜の館に、シアンの珍しく大きな声が響く。
「できる筈がありません…!僕に推薦状を送ったのは貴方よりずっと高位の貴族です。勝手に僕を追い出しては反感を買いますよ?」
「誰に目をつけられようが構ってられるか。お前は…危険だ」
バヤジットの意思は固いらしく、シアンは焦燥する。
誰に利用されようがどんな侮辱を受けようが、構いやしない。だが兵団を除名されれば、賤人であるシアンは王宮に近付くすべを永遠に失うのだ。
そうなれば、シアンの計画はすべて白紙に戻ってしまう。
「……!」
させて たまるか
「──…ッ とにかくそういう訳だ。お前が何を企んでいるのか知らんがもう諦めろ」
「お待ちください!」
「──ッッ !?」
鍵を持ち、寝室から去ろうとするバヤジットの懐に、シアンが飛び込む。
シアンの右手には掌ほどの小さな刃物が握られていた。
近衛隊のクルチ(三日月刀)やバヤジットの湾曲刀よりもずっと小さい。それは、とても戦闘であつかえるような武器ではなく
情事の際に相手のノドを掻き切る──そのくらいにしか役に立ちそうにない刃物だった。
油断したバヤジットの首に、絶妙な強さで刃が当てがわれる。
皮の一枚を傷付け、血がじわりと滲むくらいに食い込んだ。
「シアン…ッ」
「貴方に邪魔はさせない…っ」
「俺を殺すか?」
「場合によっては」
「──不可能だ」
「──ッッ!?」
だがバヤジットの相手ではなかった。
首に刃を突きつけているにも関わらず、腕を掴まれ、さらに足を使ってシアンの片足がはらわれる。
....ッ!
「く‥‥ッ」
シアンはみぞおちに膝で蹴りを入れられ、目を見開く。
刃を持つ手はバヤジットに掴まれて頭上に上げられた。腕力でこの男に勝てるわけがない。
反撃を封じられたシアンはバヤジットにのしかかられ、床の上に組み伏せられてしまった。
「──曲がりなりにも俺は隊の将官だぞ?お前がこれまで相手にしてきたゴロツキと一緒にされては困る」
「……ッ──く…!!」
「それに、シアン──…お前は まだ 人を殺した事などないだろう。殺意の無い刃ひとつで怯むものか」
「…!?…な、ぜ…」
「直感でわかる」
バヤジットは彼から刃物を没収。シアンを床に横たえさせ、自分だけゆっくりと立ち上がった。
「お前はまだ引き返せる──…」
部屋の鍵を手に、バヤジットが背を向ける。
「上官に武器を向けたお前の行為は、本来なら死罪にあたるが、目をつぶる。除隊を言い渡すまで大人しくここで待っていろ」
「……何故 目をつぶるのです?」
「……お前を殺したくない。それだけだ」
バヤジットが部屋を出た後、鍵を閉めて閉じ込められた。
殺したくない?
「ふざけるな」
暗い部屋にひとり残される。
……それで貴方は また 僕を逃がすのか
「それで罪滅ぼしのつもりなのか……ッ」
仰向けで倒れているシアンは、義手である左腕を掴み、力いっぱい爪を立てた。
───…
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