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第十二章
" 彼 " の正体
しおりを挟むそれから自邸に戻ったバヤジットは、宿舎からここまで歩いた記憶も定かでないほど心が乱れていた。
外はかなり暗い。
帰り着くまでに時間をかけたのは確かだろう。自邸は使用人が帰った後で静かだった。
放心した状態で、バヤジットはとある部屋に足を踏み入れた。
もともとシアンに使わせていた部屋だ。
もしかしたら…シアンが帰ってきてやしないものかと一縷の望みを抱いた自分がいたのかもしれない。
けれど室内はものけの空。
シアンが置き去った彼の荷袋が、寝台の足元に残されているだけだった。
彼の姿が無く落胆するような安堵するような…複雑な顔をしたバヤジット。
「あの、バヤジットさま」
「……?オメル か」
そんな彼の前に、帰宅の物音に気付いて隣室から出てきたオメルが現れた。
「シアンは」
「……まだだ、見つからん」
「…っ」
シアンの部屋で佇むバヤジットは、オメルを見ようとしない。
オメルは、言うか言うまいか迷った後、衣の裾を握りしめて声に出した。
「シアンはっ……スレマンさまの所にいる」
「……!」
「今もきっとそこにいる。でもシアンは、好きであいつの所にいるわけじゃないんだ…!!
助けてあげて」
「……」
「喧嘩したのかもしれないけどっ…でもシアンは、いいやつなんだ。優しいやつだ…」
「……わかっている」
バヤジットの事情を知る由もない。
オメルは純粋にシアンを思い、痛めた心のままバヤジットに訴える。
「わかっている…!!」
「……バヤジットさま……怒ってるのか……?」
「違うんだ」
身体の奥底から押し出すような低い溜め息を吐き出す。
眉間のシワをやわらげようとしたところで…上手くいかない。
「…っ…気にするな…!これは怒っているのではない。それで?あいつはスレマン将官のもとにいるのか?」
「あ、ああ、そうだよ!バヤジットさまならあいつから取り戻してくれるよね」
「それは……」
わからない。スレマンは将官である前に伯爵家だ。
それにバヤジットがシアンを連れ戻す事を、他ならぬシアン自身が望まないだろう。
「あいつが戻るかどうかは、あいつが自分で決める」
「でもバヤジットさま!放ってたらシアンはまたスレマンさまに虐められる!」
「騒ぐな。迎えには出向くつもりだ」
「…本当か?」
「約束する」
バヤジットがそう言うと、オメルの顔に少しだが冷静さが戻った。
逆にバヤジットの中には、気休めの言葉でオメルを騙している罪悪感がたされてしまう。
“ お前にこれほど心を傾ける者がいるというのにそれすら気付かないのか?それとも目を背けたのか?シアン…!! ”
バヤジットは、裾を握るオメルの手をはらって部屋の中に進んだ。
誰もいない寝台は使う者が去って久しく、布団に手を置いてみても人の温もりは残っていない。
本当に──ここにシアンが居たと語る物は、足元に残る小さな荷袋ひとつだけ。
バヤジットはそれを拾った。
中に手を入れようとして……ためらいがちに止まる。
この中には、シアンの正体に繋がる何かがあるかもしれない。だが彼の全てを知る恐怖がバヤジットを躊躇わす。
“ 俺に受け止められるのか ”
彼の正体を
“ 暴く権利があるのか ”
彼が王都へ来た目的を
「バヤジットさま…?何してるの」
「……」
「それ、…っ…シアンのだよ」
「……シアンは、俺の部下だ」
「……!」
「あいつが何者だろうとそれだけは変わらない。上官である俺があいつから逃げる訳にはいかない……!!」
シアンの荷を持ち立ち尽くすバヤジットは、意を固めたようにそう呟き
荷袋の口を開いて寝台に広げた。
シュル ッ........
オメルが緊張した様子で見守っている。
シアンの持ち物は少なかった。
最も大きいのは香油を入れた壺だった。シアンがまとっていた香りと同じ匂いがするこれは、肌の手入れに使われていたのだろう。
赤い紅と、練り薬。粉末状の薬は紙で包まれ、紐で口を縛られていた。
それから、これは──
「貴族の紋章──…」
最後に手にした手筒には、背面の赤い封蝋に、貴族の紋章が付けられていた。
すでに開封されているそれから、中身を取り出す。
《 ──して、シアンと名乗る此の者を、近衛騎兵師団へ推薦するものとする 》
バヤジットは暗い室内で文面に目を通し、それがシアンへ送られた近衛隊への推薦状──否、彼をクルバンへと貶める為の手簡だとわかった。
しかし、変だ。
この推薦状には送り主の貴族の名が無く、それに内容も簡潔すぎる。他の書状があるのかと探したが、はいっていたのはこの一枚のみだった。
「──…?」
納得できず、しばらく黙って見ていたが
ふとバヤジットは──…書状の下端に、僅かな焦げ痕を見つけた。
角が黒くなって焼き切れている。
「燃えたのか?──ッ、いや違うな、この臭い…!!」
スンと紙を嗅いだバヤジットが、手簡に隠された秘密に気付いた。
焼けたのではなく
焼いたのだ、と。
そうとわかると、すぐさまバヤジットは部屋から廊下へ飛び出した。
そして、廊下の壁にかけられた燭台へ書状を近付ける。
見守るオメルは彼が手紙を燃やすつもりなのかと思ったが……それとも違う
バヤジットは書状を炙っているのだ。
すると、数度の炎の揺らめきの後、書状に変化が現れる──
「………え、なんで、字が?」
「この紙は特別な薬品にひたされている。炙り出しの文字が刻まれていたんだ」
オメルへの説明もそこそこにすませる。
全ての隠し文字が現れた頃合いで、バヤジットは改めて書状に目を通した。
「な、なんて書いてるんだ?」
「──…!!」
「バヤジットさま…!?」
「……ッ」
「あ!待ってバヤジットさま!どこ行くんだよ!」
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