それはとても、甘い罠

ゆなな

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それは、とてもあまい罠

4話

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 フロアは蒼いライトに照らされ、店の真ん中に位置する大きな円柱の水槽の中は、色とりどりの鮮やかな魚たちが泳いでいる。そして海のように爽やかで、それでいてどこか夜の店にふさわしい艶かしい香りが漂う。
(すごい……大人の世界だ………)
 悠はそれまでの落ち込んだ気持ちが一瞬何処かへ飛び、キョロキョロと子供のように店内を見回す。
 オープン直前だったらしい店内には忙しく動き回るスタッフが数名いた。どのスタッフもモデルかアイドルのような容姿をしている。誰も声を掛けてくることはなかったが、彼等が一様に悠を驚いたような目で見る。そのため、悠がこの場に似つかわしくないような気がしてきたところで、前を歩く美丈夫が足を止めて振り返った。
『まず濡れた制服…替えようか。着替えあるから』
『だ……大丈夫です……っ』
『濡れたままじゃ風邪ひいてしまうよ?それに制服でクラブはまずいだろ?スタッフルームに色んなサイズの着替えが置いてあるから、合うものに替えるといい』
 色とりどりの酒瓶が並ぶ棚のあるカウンターの内側に案内される。カウンターの奥に進むと、隠し扉のように壁と同じ色に塗られた扉があった。それを開くと今度は壁もロッカーも天井も何もかも黒く塗られた部屋が現れた。
 美しい彼はロッカーの一つから少し思案した後、着替えを用意した。受け取った悠が着替えるのを見詰める視線はスタッフルームが黒を基調とした薄暗い部屋であることと、学校で眼鏡を壊されてしまったこともあって悠には、はっきりと見えなかった。
『うん、サイズぴったりだね』
着替えが終わった悠を見て、満足そうにリョウは微笑んだ。

 スタッフルームで着替えると、セルフサービスのドリンクカウンターの前に置かれたスツールに案内された。
『アルコール、アレルギーある?』
『ない……と思いますが……』
 確か学校でやったアルコールパッチテストでは問題がなかったはずだ。
『そう。じゃあ未成年だし薄めに作るけど躯冷えきってるから少しだけアルコールが入ってるヤツにするよ』
 そう言って、カラフルな液体の入ったボトルを次々に手に取るとシェーカーに少しずつ注いで、流れるような美しい仕種でシェーカーを振るリョウに思わず悠は目を奪われる。
 美しい桃色の液体が小さな三角を描くグラスに注がれた。
 注いでいるとき、一人のスタッフがそのグラスを見てニヤリと笑うとリョウの耳元に何事かささやいた。
リョウはふっと笑っただけで返事は何もしなかった。
そのスタッフが行ってしまうと
『はい、どうぞ』
と、可愛らしい桃色のグラスが目の前に置かれた。
 悠がおそるおそる口をつけた初めてのアルコールは舌が蕩けそうなほど、とろりと甘くてほんの、ほんの少しだけ苦かった───
 それはまるで初めて踏み入れた大人の世界を表現したような。
『これがお酒……?』
 グラスの桃色のカクテルにそろそろと口を付ける悠をバーカウンターに凭れて目を細めてリョウは眺めていた。銜えられた煙草が悠には大人の色気に感じられた。
『子供の世界の残酷な仕打ちが些末なことに思える魔法の薬』
 そう悠に答えて艶かしい笑みを浮かべた。
 神話に出てきたその美貌で様々な人間を狂わせていったという神がもし実在するならきっと、こんな───
 リョウの話はとても面白く、また話を聞くことも上手くて、悠も思わずいつも以上に饒舌になる。
 ほんの子供である悠の話を、とても楽しそうに聞いてくれることが堪らなく嬉しかった。
 それは、先程まで死にたいと思うくらい辛かった気持ちを驚くほどあっさりと癒してくれていた。
 教師にも親にも友達にも話せないとあれほど思っていた辛い出来事についても、いつの間にかくちびるから零れだしていた。
 だが、悠がふと気がつくといつの間にか開店していた店内は客で埋まり始めていた。
『すみません…お店始まってたのに図々しく話し込んじゃいました。俺、帰ります』
 気付いた慌てて悠がカウンターのスツールから立ち上がろうとしたときだった。
『………っ……うぁっ………』
 脚に力が入らずカクン…と膝から崩れ落ちる。
え────?と悠が驚いたほぼ同時にふわりと躯が浮いた。
 カウンターの向こうに居たはずのリョウがいつの間にか躯を抱き上げていた。
『ごめん。酒のせい、だな。うんと弱く作ったつもりなんだけど。車で送って行くよ』
『か…帰れます…』
『歩けないだろ?責任取らせてよ。ね、送らせて?』
 初めてのアルコールに酔ってふわふわしているところに、こんなにも美しい男に甘い声で言われて断れる人なんているのだろうか、と悠が思っていると、悠を抱き上げたままリョウは歩きだした。俄に店内がざわめいた気がしたが、悠からはよく見えなかった。
 すれ違ったスタッフに
『送って行くから少し出る。』
と、リョウが告げる。
『あっれー?甘いカクテルで足腰立たないほど酔わすなんてリョウさんもそんなベタな手、使うんだ』
 告げられたスタッフが笑いを含んだ声で返す。どういうことなのかぼんやりした悠の頭ではわからなくて、なんのことを言っているのだろうか、と思った。
『凄く弱く作ったつもりだったんだがな』
と、リョウが苦笑した。
『送り狼禁止ですよ?こんな仔猫ちゃんに送り狼したら俺、警察に通報しちゃいますからねー。それにしても…リョウさん、清純派が好みだったとは知らなかったなー』
『バカ、悠が怖がるだろ?』
 艶然と微笑んでリョウが更に切り返す。
すると腕に抱かれた悠は近くで見るその艶かしい微笑の美しさに思わず息をのんだ───
『悠クン、ね。よろしく。』
悪い大人には気を付けて
と、クスクスと笑いながらスタッフは行ってしまった。
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