アズラエル家の次男は半魔

伊達きよ

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2巻

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   第一章


「えー……じゃあまずは、ようやく、よーうやく完成したアズラエル家の新居に乾杯!」

 今回の祝いの席の幹事である四男フィーリィが、天に向かってグラスを突き上げる。と、食卓に居並ぶ兄弟……アズラエル家の面々が「乾杯!」「かんぱ~い」と口々に告げて同じくグラスやコップを持ち上げた。
 がしかし、そこで「ですがぁ!」と声が上がる。誰が発したかというと、先ほど乾杯の音頭をとったばかりのフィーリィだ。林檎ジュースの入ったカップをぶつけ合おうとしていた八男のガイルと九男のシャンが「おっとっと」と前のめる。ギリギリでカップの衝突を回避して顔を上げたガイルがぱちぱちと目をまたたかせた。

「え~、なんで乾杯しないの?」

 可愛らしく首をかしげるガイルに、フィーリィがにやりと笑ってみせる。

「なんとっ、お祝い事がもう一個あるからです」

 グラスを持つ手とは反対の手の人差し指を立てた彼を見て、他の兄弟が「なになに」と顔を見合わせた。戸惑う兄弟たちの中で、一番奥に座る長男ファングは腕を組み目を閉じて、そのはす向かいに座る三男のカインは「やれやれ」と肩をすくめ、なにか知っているような態度を取っている。
 そしてもう一人、ガイルとシャンの間に挟まれて座る次男リンダが「あ」と声を上げた。

「それって、もしかして俺の話?」

 とんきょうな声を出したリンダに、フィーリィがわざとらしく鼻の頭にしわを寄せて「そぉ~だよ」とわめく。なんで張本人が忘れてんだよ、とぶつぶつ文句を言いながら。

「えっ、リン兄どうしたの? お祝いってなに?」

 隣に座るシャンにシャツのすそを引かれて、リンダは「あ、えっと、そのなぁ」と優しくほほみながら言葉をにごす。

「はいはいはい。じゃあ、リンダからみんなに報告」

 フィーリィの視線を受けたリンダが少し気恥ずかしそうに首の後ろに手をやった。そして「あー、その」とゆっくりと切り出す。
 本題を話さないリンダに、五男のヴィルダは「はやく~腹減った」とわめき、双子の六男と七男のアレックスとローディは「どうかしたの?」というように揃って右方向に首をかしげている。

「えっ、と……その、みんなのおかげで、俺、聖騎士の試験に……合格したんだ」

 一瞬、しん……と食卓が静まり返る。痛いほどの沈黙の中、リンダが「いや、しました。したんです」と言い直して、それから気恥ずかしげに何度もまたたきをしながら、ぺこりと頭を下げた。

「マジでぇっ?」

 ヴィルダの言葉を皮切りに、場が、わぁっ、と盛り上がる。

「リンダおめでとう~!」
「よかったねぇ、リンダ」

 一番に祝いの言葉を口にした双子が、そろってパチパチと拍手をしてくれた。ガイルとシャンはそれぞれ「リンダ、せいきし様になれるの? ほんと?」「すごぉい」と右と左の腕を引いてキャッキャと喜んでいる。

「すげぇー。ってか、もっと早く教えてくれよ~。なんか試験の後『どうだったん?』って聞くに聞けないしさ。気になってたんだよなぁ」

 ヴィルダは頭の後ろで腕を組んでそう言うと、最後に「おめでとう」ととびきりの笑顔を見せてくれた。

「あー……、ありがとう」
「俺が試験対策に付き合ってやったんだから、受かって当然だろ」

 照れながら何度も頭を下げるリンダに、カインがふんぞり返って鼻を鳴らす。フィーリィに「一番面倒見てやってたし、一番心配してたもんな」と言われて、ギッと厳しい視線を向けていた。

「よく頑張ったな、リンダ」

 一番最後に、長男であるファングが重々しく口を開く。そちらに顔を向けると、ファングは真っ直ぐにリンダを見ていた。

「だが、まだ聖騎士としての入り口に立ったにすぎない。これからだぞ」
「……あぁ」

 一緒になって喜ぶだけで終わらない、ファングらしい言葉だ。リンダは身を引き締める思いで口を引き結び、しっかりとうなずいた。

「ねー、じゃあもう乾杯しようよ。俺、腹減りすぎて倒れそう」

 ヴィルダが、テーブルの上の料理を見据えたまま訴える。兄たちは顔を見合わせて、弟たちは笑って、それぞれグラスとカップを差し出す。

「じゃあ改めて……、んんっ」

 フィーリィがグラスを持ち上げて、喉の調子を整える。

「ようやく完成したアズラエル家の新居と、次男リンダの聖騎士合格を祝って……乾杯!」
「かんぱーい!」

 フィーリィの音頭に合わせて、皆思い思いの高さでグラスやカップをぶつける。
 両脇から差し出されたカップに、手に持ったグラスを挟まれながら、リンダは「さぁ、みんなでごちそうを食べよう」と家族の顔を見渡した。


 リンダ・アズラエル、二十一歳。アズラエル家の次男。学園を卒業して、昨年まではアズラエル家の家事を一手に担っていた。アズラエル家の父母は既に亡くなっており、大人の誰かが、小さな弟たちの面倒を見る必要があったからだ。
 長男ファング、三男カイン、そして四男フィーリィは聖騎士として働き、街を守っている。五男ヴィルダ、六男アレックス、七男ローディは学生だ。毎日「宿題が多すぎるんだよ」と文句を言いながら、元気に通っている。八男ガイルと九男シャンは、昨年までリンダが自宅で面倒を見ていた。
 リンダは幼い頃から「聖騎士になりたい」という夢を持っていたが、それが叶わないこともわかっていた。なぜならリンダには、魔力がからっきしなかったからだ。
 聖騎士はたぐいまれな剣と魔法の才能、そして知恵を持つ者だけがなれる「ヴァレンザーレ国のほまれ」である。剣や勉強は努力でどうにかできるが、魔法だけはそうはいかない。生まれ持っての才能が必要なのだ。
 というわけで「聖騎士になりたい」という本音を隠して、家族のために家事に育児にと奮闘していたのだが……、一昨年の初秋、ある事実が発覚した。なんとリンダは兄弟の中で一人だけ、皆と血が繋がっていなかったのだ。そう、リンダはアズラエル家の養子だったのである。
 リンダは、聖騎士であった父が同僚の聖騎士から託された孤児であった。そのことを知っていたのは、ファングと、そしてカインのみ。が、二人ともそれをリンダに伝える気はなかった。同じ兄弟と分け隔てなく接し、日々を過ごしてくれていたのだ。
 そんな兄弟の気遣いも知らず、のほほんと過ごしていたリンダであったが、結局のところその事実を知ることとなった。しかも我が身をもって。リンダは「淫魔の血」に目覚めてしまったのだ。
 リンダの実母は淫魔であり、リンダもその血を色濃く受け継いでいた。そう、リンダはなんと、魔力がないのではなく、淫魔の力ごと魔力を封じ込められていたのだ。
 それからというもの、淫魔の力に魅了された同級生に襲われたり、その血を狙った魔族に狙われたり、そのせいで家が半壊状態に陥って建て直しを余儀なくされたり、色々……本当に色々なことがあった。一昨年の秋から冬にかけては、思い出すと頭を抱えたくなるくらいの事件に次ぐ事件の連続であった。


(本当に、とんでもない年だったな……)

 新しい自室で、リンダは「はぁ」と溜め息を吐きながら日記を閉じた。見られたら困る内容なので、自分以外が開けないように魔力を使ってきっちり鍵をかけておく。
 机の引き出しの中にきちんと日記をしまってから、リンダは部屋を見渡した。

「広くなったよなぁ」

 アズラエル家は、約一年……いや、作業が始まったのが去年の年の初めで今が春なので、しっかり一年以上の時間をかけて建て直しの工事を行った。前の家は「手狭」というほど狭くはなかったが、やはり男八人で過ごすのに余裕があるとは言えなかった。が、今回家を建て直すにあたって、それはもう広々と生まれ変わった。なぜならファングが、アズラエル家の隣にあった空き地を買い取ったからだ。
 まさか土地まで買うなんて、とギョッとしたが「費用は全部俺が払うから、なにも心配しなくていい」と言われてしまえば文句を言うこともできず。
 ついでに、改築に伴ってこれまで聖騎士団の詰所つめしょ近くで一人暮らしをしていたファングも、アズラエル家に帰ってくることとなった。八人でもぎりぎりだったのにさらに人数が増えるなんて、たしかに階数を二階三階と増やしでもしない限り、さらに狭くなっていただろう。

(しっかしまさか、こんな力技を使うとは)

 以前はリンダとカインとフィーリィがそれぞれ一人部屋、ヴィルダとアレックスとローディが三人部屋、そしてガイルとシャンが二人部屋だった。が、今回の改築で各々おのおのに部屋があてがわれることとなった。ガイルとシャンは「えぇ~一緒の部屋がいい」と言い張ったので、しばらくはガイルの部屋で二人一緒に過ごすことになるようだが、ゆくゆくは分かれることになるだろう。
 年中組はそろそろ一人部屋が欲しいと思っていたところだったようで、それぞれ大いに喜んでいた。

「いやぁうちって金あるのかないのかわかんねぇし、『一人部屋が欲しい』なんて我儘わがまま言えなかったんだよなぁ。あぁ~持つべきものは聖騎士で金持ちの兄ちゃんだな。これからはもっと我慢せずにねだろうっと」

 と、遠慮がちなのか欲深いのかいまいちわからない感想を述べていたヴィルダは、カインに「調子に乗るな」と頭を小突かれていた。
 その場面を思い出して「ふっ」と笑ったリンダの耳に、コンッ、と控えめなノックの音が届く。

「あ、はい」

 顔を上げて扉を見やる。と、「いいか?」という問いかけとともに、カインが顔を覗かせた。

「カイン……ふはっ」

 先ほど思い出していた場面をまた頭に浮かべてしまって、リンダは思わず噴き出す。と、顔を見るなり笑われたカインが不快そうに眉根を寄せた。

「あ?」
「や、悪い。ただの思い出し笑いだ」

 ふーん、と興味なさそうに鼻を鳴らしたカインは、後ろ手に扉を閉めて部屋の中に入ってくる。そして、ざっと中を見渡した。

「部屋の中のもの、前とほとんど変わってねぇじゃん」
「え? あぁ、うん。特に物も増やしてないしな」

 部屋は広くなったが、置いてあるものは変わらない。学園に入学した年から使っている机にベッド、本棚……大物はそれだけだ。衣装ダンスはクローゼットになったので処分した。フィーリィやカインは、自分の金で家具を買い替えたりしたようだが、リンダは前の家から持ってきたものを使っている。

「欲しいって言えば、俺が金出したのに」
「は? カインが? なんで?」

 そっぽを向いてそんなことを言う弟は、やはり聖騎士としてそれなりに稼いでいるのだろう。兄を気遣う弟の優しさに、リンダはむずがゆい気持ちで「まぁ、ありがとうな」と感謝の意を伝えた。

「なんか兄さんにも同じようなこと言われたけど、俺は今使ってるやつで十分だからさ」

 そう言うと、カインがらしていた顔をリンダに向けてきた。その眉間のしわが深くなっているような気がして、リンダは首をかしげる。

「どうした?」
「兄貴も? ……ちっ、考えることは一緒かよ」

 舌打ちをするカインに、リンダはぱちぱちとまたたく。後半はぶつぶつとつぶやくような声だったのでよく聞こえなかったが、なにやらファングに不満があるらしい。

「どうしたんだよ。兄さんがどうかしたか?」
「……なんでもねぇよ」
「ふぅん?」

 なんでもない、というカインをこれ以上詮索せんさくしても答えは返ってこない。そこらの塩梅あんばいをきちんと心得ているリンダは、「まぁいいけどさ」と話を切り替えた。

「それで? どうしたんだよ、こんな時間に」

 壁にかけた時計の針は、そろそろ日付が変わることを教えてくれている。今日はお祝いということもあり、兄弟揃って散々飲んで食べて大いに盛り上がった。おかげで、少し就寝時間が遅くなってしまったが、たまにはいいだろう。
 まだ完全に引っ越しを終えていないファングだけは一人暮らしの家に帰ったが、弟たちはみんなもう自分の部屋に戻って寝ているだろう。いや、フィーリィだけは酒瓶を抱きしめてリビングのソファに転がっていた。一応ブランケットは掛けてやったが、風邪をひかずに済むだろうか。

「あー……」

 しばらく何事かを言いよどんでいたカインが、後ろ手に回していた片手をリンダに差し出してきた。

「ほら」
「ん? わっ」

 なにかを投げて寄越されて、リンダはわたわたと両手を広げて受け取る。手の中に落ちてきたのは、細長い箱だった。

「なんだこれ。開けていいのか?」
「あぁ」

 振ってみると、かたかたと中になにかが入っている音がした。リンダは丁寧に包装紙を開いてみる。……と、包みの中には立派な木の箱が収まっていた。

「よっ、……っと。って、これ、ペン?」

 ぱこっ、とふたを外した箱の中には、一本のペンが入っていた。あえてつやを消したような木炭色のペンは、すらりと細身で手に持つとよく馴染なじんだ。重すぎず軽すぎず、ペン先もほどよい太さだ。

「すごく手に馴染なじむ良いペンだな……、ってもしかして、これ俺に?」
「そうだよ」

 リンダは驚いて目を見張る。ペンはそれなりに高級そうに見えたし、まさかカインから贈り物をもらうなんて思ってもいなかったからだ。

「や、嬉しいけど。いいのか?」
「お前、家計簿だのなんだの、よく書き物してるだろ。それに、聖騎士団に入ったらなにかと書類仕事も多いし……、あー……」

 早口でそこまで言ってから、カインが天を仰いだ。そして、思い切ったようにリンダに顔を向ける。

「聖騎士の試験に合格した祝いだよ。……よく頑張ったな」

 思いがけない祝いの言葉に、リンダは目を見開き、そしてそれをきゅっと細めた。

「ありがとう。カインや、みんなが協力してくれたおかげだよ」

 それは世辞でもなんでもなく、事実だった。リンダが聖騎士の試験に合格……、いや、そもそも挑戦できたこと自体、家族の協力あってのものだったのだ。


 リンダはもともと、自分で望んでアズラエル家の家事を一人で担っていた。そのために、外に働きにも出ていなかったのだ。魔力を取り戻したからといって、今さら「聖騎士になりたい」とは兄弟にもなかなか言い出しづらかった。
 しかし、一昨年前の冬。聖騎士でありフィーリィの上司でもあるハワードに「半魔でも試験を受ける資格はある」と聞いて、やはりどうしても夢を追いかけてみたくなったのだ。
 そこでまず、長男であるファングに相談を持ちかけた。最初は少し渋った様子だったが、それでも兄はリンダの夢を否定しなかった。以前にちらりと「本当は聖騎士になりたかった」と伝えていたからかもしれない。

「試験は受けてもいい。だが、聖騎士はなりたいといってすぐになれるものではない。勉学に集中できた学生の頃ならいざ知らず、今の生活の片手間でできる挑戦ではないぞ」

 試験の許可を得た上できっちりと釘を刺されて、リンダは「それは、そうだよな」とうなだれた。たしかに、今の生活のままでは試験に合格なんて夢のまた夢だ。ましてや家には幼い弟が二人いる。リンダが仕事に出てしまったら、誰が面倒を見るというのか。
 現実問題、試験に挑戦できるのは二人が学園に入学してからか……と覚悟していたのだが、その問題は意外な方法で解決することとなった。なんと、ガイルとシャンが国の運営する特別魔力養育幼稚舎に入学することになったのだ。
 特別魔力養育幼稚舎とは、学園に入る前の子供の中でも特に魔力に優れる者を、文字通り養い育むための施設だ。基本的には主要な都市の学園のそばに併設されており、国の認定を受けた者だけが通える。名前は堅苦しいが、ようは優秀な人材を確保し育てたいという国の取り組みだ。ファングやカイン、そしてフィーリィといった優秀な人材を輩出するアズラエル家は、前々から注視されていたらしい。
 ガイルとシャンはその適性試験に見事合格した。アズラエル家でも初めての快挙だ。たしかにガイルは既に物を動かすなどの魔法を使えたが、まさかシャンにも魔力の才能があったとは、リンダも驚きだった。
 入学にあたっては、本人たちの希望も聞いた。もし二人が「行きたくない」と言うのであれば、もちろんそのまま家で面倒を見るつもりだった。三年や四年試験を受けるのが遅くなったとしても、どの道聖騎士の夢を諦めるつもりはなかったからだ。
 しかし、リンダの予想に反して二人は「いってみたい! 僕、にいちゃんたちみたいな聖騎士になりたいもん」「そのためには、魔法のおべんきょうしたほうがいいんだよね?」とあっさり入学を希望した。ガイルとシャンは、リンダよりよほどしっかりと未来を見据えていたのだ。
 幼稚舎が学園に併設されているということもあり、送り迎えはヴィルダたち学生組が請け負ってくれた。どうせ自分たちも同じ方向に行くのだから、わざわざリンダが出る必要もないだろう、と。
 これによって、リンダが家に縛られる理由がなくなったのである。
 リンダはガイルとシャンの幼稚舎入学を機に、ファング以外の家族にも「聖騎士の試験を受けたいと思っている」と伝えた。リンダが養子であること、また淫魔の血を引いていることは伏せた上で。
 理由はわからないが、なくなったと思われていた魔力が復活した、なので聖騎士の試験に挑戦できる、してみたい、と頭を下げて願ったのだ。
 一度は自主的に主夫の道を選択したリンダの突然の方向転換に、しかし家族は意外にも肯定的だった。「え~、いいじゃん」「リン兄頑張って」「僕も聖騎士になりたい」と盛り上がって、応援してくれたのだ。ただ一人、カインだけを除いて……

「お前はほら、最初の頃結構反対してたし……。結局は俺の魔力の調整とか試験対策とか手伝ってくれるようになったけど、その……正直今も反対してるのかと思ってた」

 リンダはもらったばかりのペンを手の中で転がして、視線をさまよわせた。
 カインはリンダの挑戦に対して「俺は反対だ」と一人強固に反対し続けていた。まぁ、最終的には諦めたのか、リンダの安定しない魔力を整える訓練に付き合ってくれたり、実技試験の特訓をつけてくれたりしたが。

「反対に決まってんだろ」

 カインは「ふん」と鼻を鳴らして腕を組んだ。

「淫魔の力だって安定したとはいえ、どこでどうなるかまだわからねぇし。お前、あいつに襲われたこと、忘れたわけじゃないよな?」
「それは……」

 カインのいう「あいつ」がどちらのことを指しているのかわからず、リンダは言葉をにごす。リンダは以前、淫魔の力のせいで何度か命や貞操の危機に陥った。たとえば、昔学園で一緒だった同級生の騎士に襲われたり、はたまた、上級魔族に目をつけられたり……。どう考えても平穏無事とはほど遠い。

「自分の身も守れない奴が聖騎士になるなんておかしな話だろ。それで市民を守れるのか?」
「……っ」

 カインの言葉に、リンダはとっさに返事ができず、ぐ、と息を呑んだ。しかし、ここでひるむわけにはいかない。なぜならリンダは、聖騎士になるのだから。

「っ、ま、守れ……」
「なんてな。前はそう思ってた」

 どうにか絞り出した言葉をさえぎられ、リンダは握りしめていたこぶしをがくっと下に落としながら「へ?」と間抜けな声を上げた。

「でも、お前が……リンダが本気で聖騎士になりたい、街や、そこに住む人を守りたいって思ってるって……本当は、ずっと前から知ってたしな」

 途中、照れたように言葉をにごしながらも、カインが続ける。

「だからまぁ、いいんじゃね? ……ってことで、それ」

 それ、とあごで手の中のペンを指されて、リンダはきょとんとそれを見下ろす。

「聖騎士になるなら、ちったぁ見栄えの良いの使えよ。商店街のくじ引きでもらった安物じゃ、格好つかないだろ」

 リンダは、ペンを見て、カインを見て、またペンを見て。そして、じわじわと口端を持ち上げた。

「……あぁ」

 つまりこのペンには、カインなりの「おめでとう」と「これから頑張れ」の気持ちが込められているのだろう。リンダはペンをしっかりと手のひらに包んだ。

「大事にする」

 握りしめると、自身の熱がペンに移って、なんだかほかほかと温かく感じる。カインはどこか気まずそうに頭の後ろをかいてから「素直なら素直で、調子狂うな」とそっぽを向いて口をとがらせた。

「こっちの台詞だ」

 笑いながらこぶしでカインの胸を小突く。と、カインはひとつまばたきをしてから、真剣な目でリンダを見下ろした。

「聖騎士で、一から十まで丁寧に教えてくれる奴なんてほとんどいない。そんな暇はないからだ」
「ん?」

 なんの話が始まったのかと思って、リンダは目をまたたかせる。

「お前がどこの部隊に配属されて、どんな仕事を任されるかはわからないけど……。どこでも、まず自分で考え自分で答えを見つけるってことを意識しとけよ」

 言葉を切ったカインの、そのとろりととろけそうな蜂蜜色の目を見ながら、リンダは視線だけでうなずいた。

「リンダ。聖騎士になったら、周りをよく見ろよ。よく見て、よく学べ。そんで、学んだことはそのペンで書き取ってしっかり覚えろ」

 思いがけず真摯しんしな目をするカインにそんなことを言われて、息を呑む。手の中のペンを、もう一度しっかりと握りしめてから、リンダはしっかりとうなずいた。

「ああ、肝に銘じておく」

 真剣にうなずくリンダを見て、カインは「よし」と言うと、片頬を持ち上げた。そして「あー……あとは、淫魔の力か」と、悩ましげにあごに手をやった。

「う……」
「たしかに、俺と……まぁ、兄貴の協力もあったし、リンダの魔力はかなり安定した」
「あ、あぁ」

 淫魔としての血に目覚めたばかりのリンダの魔力は、それは不安定だった。どうしても淫魔の本能が暴走して、精気を欲してしまうのだ。特に魔力とみると、それを「餌」として認識してしまうようで、目の前で魔法を使われて淫魔化してしまったこともある。
 ファングとカインはそんなリンダのために、定期的に精気を提供してくれた。そして、聖騎士になるため「力を調整できるように」と魔力の出力を細かに調整する訓練まで付き合ってくれたのだ。
 おかげでリンダは、ある程度の魔法は問題なく発動できるようになったし、誰かが魔法を使ったからといってむやみやたらと精気を求めることもなくなった。元々半魔だからか、魔法の扱いにもけていた。魔法のみでの対決なら、フィーリィにも負けないほどだ。

「けど、リンダが絶対に淫魔として暴走しない、とは言えない。その確証はないだろ?」
「う、ん」

 どんなに安定してきたとはいえ、「絶対」ではない。もしも聖騎士の任務中に淫魔としての力に目覚めてしまったら……、市民を守るどころか、確実に恐怖や不安を抱かせてしまうだろう。

「そこんとこ自覚して仕事に励めよ」

 カインの言うことはもっともだ。日頃皮肉や嫌味を言うことの多い弟だが、こと聖騎士の仕事に関してはとても真面目に、真摯しんしに向き合っている。リンダもまたそうありたい、とペンを握ったこぶしを、とん、と胸に打ちつけた。

「絶対、どんな時も忘れない」

 今ここで聞いたカインの言葉は、しっかりと胸に刻みつけたと知らせるように。

「んじゃ、はい」
「ん?」

 手を掴まれて、するりとペンを取られる。「あ」と声を出して視線で追うと、それは机の上に置かれてしまった。そして空いた手は、カインの手に包まれる。

「なんだよ」
「聖騎士の仕事が始まるまでは特訓が必要、だろ?」

 カインはそう言って、リンダの腕を引きながらグッと体で押してくる。リンダは、あ、という間もなく、ベッドの上に仰向けに倒されていた。

「はっ、ちょ、カイン」
「安心しろ。鍵はかけたし、防音の魔法は既に張ってある」
「お前いつの間に……、いやまぁ、大事だけど」

 今から行われるであろう行為を他の兄弟たちに知られるわけにはいかない。だから、部屋の音がれないようにするのは重要なことだ。

「お前の魔力がより安定するように、いくらでも付き合ってやるから」

 倒れたリンダに覆いかぶさるように、カインが身を進めてくる。

「カイン……、ん」

 両手で押し返そうとするものの、カインから吸い慣れた精気の気配が漂ってきて、リンダは、ひく、と唇をわななかせた。

「特訓、だろ?」
「あ、あぁ……」

 そう言われると、強く否定することもできない。リンダはカインの胸に当てていた手からゆるゆると力を抜いていく。「これは特訓、欲に負けたわけじゃない」と言い聞かせながら。


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