アズラエル家の次男は半魔

伊達きよ

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2巻

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   第三章


「リンダ~。お前あの『雑用部隊』所属になったんだってなぁ~」

 なはは、と笑いながら肩を組んでくるのは、弟のフィーリィだ。リンダは「うるせぇ」と言ってその腕を外すと、ぺっ、と空中に投げ出す。
 聖騎士になって三日、案外すぐに訪れた初半休。リンダは台所に立って久しぶりに手の込んだ夕食を作っていた。
 フィーリィもちょうど半休だったらしく、夕方に帰ってきて(午前で仕事は終わりだったはずなので、今までどこかで遊んでいたのだろう)、台所に立つリンダにニヤニヤしながら寄ってきた。

「なんで雑用だよ。他部隊の前処理や後処理が多いってだけで、仕事はちゃんとやってんだろ」
「そりゃあ自分とこの部隊だけじゃ案件の処理ひとつできないからだ。他の部隊の前準備や尻ぬぐいなんて、言ってみりゃ雑用だろ」

 ひぃひぃとひとしきり笑って、フィーリィは目元の涙をぬぐった。
 リンダはその顔を見て「雑用じゃない!」と言ってやりたくなったが、それをどうにか抑える。タグの言った「部隊に入ったらわかる」とはこのことだったのだ。

(わかるっていうか、これは、あー……、これはぁ)

 リンダが所属することになったタグ・グリーン部隊は、聖騎士団の中でも比較的「出来の悪い部隊」と認識されている隊であった。
 タグ部隊は、主に住民への聞き込みや調査、そしてそれを基に適した部隊への任務の割り振り。そして各部隊の対応が終わった後に、「その後いかがでしょうか」ともう一度現場におもむく……といった、いわば住民の御用聞きのような仕事をしている。実際に魔獣退治等にあたるわけではないので、人数は他の隊に比べてかなり少なめ。かつ、ほとんど戦闘に関わらないので、花形である「剣を振るって戦う聖騎士」とはほど遠い。なので「雑用部隊」やら「お荷物部隊」と呼ばれることが多いのだ。
 聖騎士といえば剣と魔法で市民を守るのが役目だ。それが、書類を片手に街や詰所つめしょをばたばたと走り回ることのほうが多いのだから、からかわれるのも多少仕方ない……とは思う。リンダとて、夢に描いていた聖騎士の仕事とはほど遠すぎて、がっかりと肩を落とすことも少なくない。

(しかもまぁ、上司がこれまた強烈なんだよなぁ……)

 リンダは直属になった上司の顔を思い浮かべて、「はぁ」と溜め息を吐いた。そんなリンダを見て、フィーリィが「お」と声を上げる。

「疲れた? 嫌になった? 俺が『あー仕事行きたくねぇ~』って言う気持ちわかった?」

 なぁなぁ、としつこく絡んでくる弟を、リンダはキッとにらみつける。

「こんくらいで嫌になったりしねぇよ。ほら、暇なら洗濯物取り込んでこい」

 あごで庭のほうを指すと、フィーリィは「はいはーい」と言ってそちらに向かっていった。
 以前であれば「嫌だよ~、家事なんて俺の仕事じゃねぇし」と悪態をついていただろうが、最近はめっきりそんなことも言わなくなった。リンダが聖騎士になるために勉強をすると言い出してから、率先して家事を手伝いはじめたのも、フィーリィだった。

(なんか、変わったよなぁ)

 フィーリィは「家事はリンダの仕事だろう」とよく言っていたので、リンダが働きに出ることを嫌がるかと思っていたのだが、そんなことはまったくなかった。
 以前カインにそのことをちらりとらしてみたところ、カインは「当たり前じゃん」と呆れたような顔をして鼻で笑った。

「フィーリィはああ見えてブラコンだからな。お前に、一緒の職場に来てほしいんだよ」
「俺に?」
「学園の時も、ちょろちょろお前の後ついて回ってただろ。違う学年のくせして、わざわざ俺たちの教室まで来て。覚えてねぇの?」

 そう言われてみれば、学園時代リンダはよくフィーリィと昼食を食べていた。あの頃カインとは疎遠(というより、一方的にけられていた)だったし、クラスでは「双子の弟と比べて魔法も使えない落ちこぼれ」という扱いで友達もいなかったため、とても助けられていた。
 しかし「ブラコン」と呼ぶほどだろうか、とリンダは首をかしげた。たしかに就職してからも家を出ず、どんなに遊び回っても必ず家に帰ってはくるが、それほど兄弟が好きとは思ってもいなかった。

「あいつに『一番好きな食べ物は?』って聞いてみろよ。面白い答えが返ってくるぜ」

 カインが腕組みをしながら放った言葉を思い出し、リンダは「なぁ、フィーリィ」と洗濯物を取り込んで戻ってきた弟に話しかける。

「お前の好きな食べ物ってなに?」
「ん? リンダの作った飯」

 間髪を容れずに答えが返ってきて、リンダはぱちぱちとまたたく。

「は、俺の?」
「うん。どの店で食べても『リンダの飯のほうが美味うまい』って思うもん」

 フィーリィは「当たり前じゃん」といったように答えるが、リンダは驚くばかりだ。

「そ、そっか。なんだよ、嬉しいこと言ってくれて。……じゃあ今度お前の好きなやつ作るな」
「まじ? やった~」

 フィーリィは特段照れた様子もなく、タオルをたたみながら嬉しそうに笑っている。なんだかリンダのほうがこそばゆくなってしまって、野菜を刻む手が軽く感じた。この歳になっても、弟から慕われるというのは嬉しいものだ。

「じゃあさ、フィーリィ。俺と一緒の職場で働けて嬉しいか?」

 なんてな、と冗談まじりに茶化そうとしたら、顔を上げたフィーリィがにっこりと満面の笑みをリンダに向けてきた。

「おー、めっちゃ嬉しいよ」
「……ぅえっ?」

 思わず、野菜を取り落としそうになってしまった。リンダは慌てて転がりかけたいもを掴む。

「リンダが聖騎士団にいるってだけで嬉しいし、俺が活躍するとこもたくさん見てほしい」
「へ、へぇ、そうなんだ」

 これまたなんの照れもてらいもなく、屈託のない表情でフィーリィが告げる。リンダはどぎまぎしながらうなずくことしかできない。想像の中のカインが「だから言っただろ」と皮肉な顔つきで笑っていた。

『あいつは無自覚ブラコンなんだよ』

 カインが話の終わりに言っていた言葉を思い出し、リンダは「た、たしかにそうかもしれない」と内心うなずきながら、いもに包丁を刺した。

「リンダ、今日の夕飯なに~?」
「ミートローフと、春野菜のキッシュと、あとデザートに林檎のパイ」
「え~、めっちゃ美味うまそう。味見したい、味見」

「洗濯物たたんだご褒美に。な?」とはしゃぐ弟は、聖騎士としては先輩だが、家ではまだまだ子供っぽい、可愛い弟だ。
 リンダはくしゃりと相好を崩してから「わかったわかった」と大仰おおぎょううなずいてみせた。

「もうすぐガイルとシャンを迎えに行くから、その前におやつ準備していってやるよ」
「やった~」

 フィーリィは本当に嬉しそうな歓声を上げて、俄然がぜん張り切って洗濯物を片付けはじめる。

(なりは大きくなっても、まだまだ子供だよなぁ)

 フィーリィは年長組と年中組のちょうど中間なので、大人と子供、どちらとして扱っていいのか困る時がある。しかし、こう素直に兄弟としての好意を伝えられると「やっぱり可愛い弟だよな」という気持ちが湧き上がってくるというものだ。
 リンダは鼻歌を歌いながら、刻んだ野菜をボールに流し入れた。

「あ、そうだリンダ」
「ん~?」
「聖騎士団でさぁ、意地悪されたら言えよ? 相手は俺がとっちめてやるから」

 視線を手元にやったまま返事をすると、フィーリィがあっけらかんと明るい調子でとんでもないことを言った。

「はぁ?」

 驚いて顔を上げると、フィーリィはガイルの小さな靴下をちまちまと折っている。とても「とっちめる」なんて物騒なことを言ったようには見えない。

「『あのタグ隊』っていうことで馬鹿にしてくる奴とかいると思うからさぁ、そういう奴がいたら言えよ、ってこと」
「な……。大丈夫だよ、聖騎士だぞ? そんなことで馬鹿にしてくる奴いないだろ」

 学生の頃ならいざ知らず、職場にいるのは聖騎士だ。皆清廉潔白な人物たちばかりだろう。……が、フィーリィは「ちっちっ」と指を振った。

「どんな組織にも一定数馬鹿な奴はいるんだよ。俺もまぁ下っ端のほうじゃあるけど、リンダになんかあったら絶対力になるから」
「え? あ……」

 なんと言っていいのか。リンダは返事に困って、首をかしげてしまう。と、そこではたと気づく。

「いや、お前もさっき馬鹿にしてただろうが」

 フィーリィが「雑用部隊」とげらげら笑っていたのはつい先ほどのことだ。リンダが唇をとがらせて文句を言うと、フィーリィは悪びれた様子もなく「わはは」と笑った。

「ごめんごめん。でも俺はいいの」
「いいわけあるか」

 戸惑って損した、とぐちぐち言いながらボールの中にひき肉を加える。と、たたんだ洗濯物を抱えたフィーリィが、おもむろに立ち上がった。

「でもマジな話、なんかあったら言えよな。ほら、アズラエル家って聖騎士多いからさぁ、比べられたりやっかみくらったり、色々あんのよ」
「……フィーリィ」

 たしかに、アズラエル家は魔力が強い家系で、聖騎士を輩出している。望むと望まざるとにかかわらず、他の兄弟と比べられることは多いだろう。もしかするとフィーリィも、ファングやカインと比較されて、なにか言われることがあったのであろうか。
 弟ではあるが、フィーリィとて聖騎士の先輩だ。もう二年以上きちんと務め上げているフィーリィは、十分立派な聖騎士といえるだろう。もしかすると一連の会話は、フィーリィなりのアドバイスなのかもしれない。

「てか、リンダがいじめられてるとか、兄貴たちにバレた時のほうが絶対やばいからさ。あっちにバレるより俺に相談したほうがいい。絶対いい」
「え? ……お、おう」

 いじめられることを前提で話されるのもなんだが「ファングたちにバレるとやばい」とは何事だろうか。ファングはリンダになにかあっても「自分で解決しろ」と言うだろうし、カインに至っては「いじめられるとかだっせぇ」と言いかねない。
 やばい、本当にやばいから、と繰り返しながら部屋を出ていくフィーリィを見送りながら、リンダはこっそりと首をかしげた。


   *


「いじめられたら」なんてことを話していたせいかどうかわからないが、休み明け一日目、リンダは早速年若い聖騎士に絡まれていた。

「お前さぁ、雑用部隊の新人だろ? これ、総務に持っていけよ」

 目の前に差し出された書類を、リンダは「どうしてくれようか」という気持ちで眺める。ぱっと見たところ重要ではなさそうな無記名書類なので、たしかにリンダが運んだところで問題はないのだろう。相対する相手も、さすがに重要な書類を任せようとするほど馬鹿ではないようだ。

「お断りします。それは俺の仕事じゃないので」

 現在リンダは、上司に頼まれた書類をそれこそ総務に運んでいる途中だ。もしもにこやかに「すまん。今どうしても手が離せなくて! 悪いがこの書類も一緒に運んでくれないか?」と頼まれたのであれば「もちろんいいですよ」とふたつ返事で引き受けただろう。が、相手は明らかにリンダを馬鹿にする気満々だった。そもそも「タグ部隊」ではなく「雑用部隊」と呼ぶ時点でこちらをめ切っているのがよくわかる。

(馬鹿にしやがって)

 年若い聖騎士は二人、横に並んで廊下をふさいでいる。リンダは書類を手に抱えたまま二人をじろりとにらみ上げた。
 しかし、二人はリンダのにらみなどどこ吹く風、気にした様子もなくにやにやと嫌な笑いを浮かべたままだ。

「俺たち忙しいんだよ、お前のとこみたいな『暇な部隊』じゃなくてさぁ」
「……俺も十分業務で忙しいので」

 む、として答える。これは嘘でもなんでもなく、事実だ。雑用部隊、なんて言われているが、その実とても仕事が多い。戦闘に駆り出されることこそ少ないが、やれ「魔族を見た気がする」と言われれば通報先に走って現場を確認し(これがまた勘違いが多く、骨折り損になることが多々ある)、本当に魔族が出たとなれば手が空いている部隊に「至急出動願います」と依頼を飛ばし、報告をまとめて、提出して、それが複数同時に起こるわけで……意外にも、やることが多いのだ。
 しかし、男たちはそう思ってくれないらしい。顔を見合わせて、どっ、と笑うとわざとらしく壁を叩いた。

「忙しいのでぇ、だってさ」
「お前らが忙しかったら俺らはそれ以上だ。忙しすぎて死んじまうな」

 大きな声を出して笑う二人の前で、リンダは「むむむ」と口を引き結ぶ。これが職場の人間でなければ「うるせぇ!」と一喝し無視して進んでいるところだが、さすがにそうもいかない。

(俺の態度が悪いと、部隊に迷惑かかるし。兄さんやカインたちもなにか言われるかもしれねぇし)

 さっさと立ち去りたいが、彼らが道をふさいでいては進むこともできない。だが、明らかにリンダの邪魔をしている彼らは本当に「忙しい」のだろうか。

(俺に構ってる暇があるなら、さっさとその「お忙しい仕事」に戻れよ)

 リンダはむかむかする気持ちを抑えながら、一歩下がってぺこりと頭を下げた。

「すみません、他の仕事を思い出しましたので失礼します。お忙しい中こんな新人に構っていただきありがとうございました」

 慇懃無礼いんぎんぶれいな物言いを逃げ口上に、リンダはさっさときびすを返す。書類は急ぎではないのでまた後で提出しに行けばいい。幼稚な嫌がらせに付き合うくらいなら、二度手間になるほうが幾分かマシだ。

(ったく。聖騎士は素晴らしい人しかいないって思ってたのに)

 聖騎士は憧れの存在だったが、いざ組織の中に入ってしまえば色々なものが見えてくる。フィーリィの言っていた「どんな組織にも一定数馬鹿な奴はいるんだよ」という言葉はたしかにその通りかもしれない。いや、さすがに「馬鹿な奴」とまでは言わないが、色々な人物がいるのはたしかだ。

「急になんだよ~。これ持っていけって、おーい雑用」

 リンダが引いたというのに、二人はひらひらと書類を振りながらしつこく追いかけてくる。

(いや、やっぱり馬鹿だ)

 新人団員を追いかけ回すのは、絶対に聖騎士の仕事ではない。リンダは苛々いらいらしながら、聞こえないふりをして早足に歩く。

「なぁ」

 肩を掴まれて、ぐいっ、と無理矢理振り向かせられる。リンダは思わず、キッと相手をにらみつけた。

「お」

 怒りを込めたからだろうか、相手が少し驚いたような表情を見せた。

「お前、ファング隊長やカインさんの兄弟なんだろう? あんまり似てないよな」
「……」

 ファングやカイン、そしてフィーリィも、雰囲気は違うが「美形」と言われることが多い。しかしリンダはひと目見て「美形だね」「格好いいね」と言われることはほとんどない。顔自体はどうやら淫魔の母ではなく、人間であった父に似ているらしい。まぁそんな顔にもかかわらず、変なやからに目をつけられることは多々あるが。それはおそらく、淫魔の血のせいだろう。
 兄弟の名前を出されて、リンダは目をすがめる。

「ははっ、その顔はちょっとファング隊長に似てるかも」
「あ、わかる。いつも眉間にしわ寄ってるしな……って、これ隊長に言うなよ?」

 急におびえたように小声になったのは、彼らもやはりファングを恐ろしく思っているからかもしれない。

(兄さん、どんな印象持たれてるんだよ……)

 一瞬だけ兄に思いをせてから、リンダは首を振る。

「そんなこと言いません。言いませんから、もう俺に構わないでください」

 交換条件のようになってしまったが、しつこく構ってこないのであればもうなんでもいい。リンダは掴まれた腕を振って、離してもらおうと試みる。

「え~、どうしようかな」

 この期に及んでまだリンダをからかい足りないらしい。「いい加減仕事しろやっ」という言葉を呑み込んで、リンダは腕を掴む男をジッと見つめた。リンダの視線をもろに食らった男は「お?」と不思議そうに目をまたたかせた。

「お前、……全然美形じゃない、けど、なんか構いたくなる顔してるな」

 全然とはなんだ、と文句を言いたくなったが、口をつぐむ。リンダに見つめられた聖騎士は、どことなくぼんやりとした表情でわずかに首をかたむけていた。
 その表情を見て、リンダはハッとして視線をらす。しかし男は、腕を掴んでいるのとは反対の手でリンダのあごを掴んだ。そして、く、と自分のほうへ向ける。

「いっ!」
「おい、怪我はさせるなよ」

 無理矢理首の向きを変えられて、思わず痛みに声を上げる。と、背後に立って腕組みしていた聖騎士が、眉根を寄せたのが見えた。発言から察するに、あくまでからかうことだけが目的だったようだ。
 腕を掴む聖騎士の目つきが変わったことで、リンダは内心「まずい、かな」と焦る。淫魔の力を使ったつもりはないが、興味を持たれるとどうもそちらの方面に考えてしまう。しぱしぱと目をまたたかせてから、できる限り男から顔をらす。

「離してください」

 ぼそぼそと抗議するも、目の前の男はじろじろとリンダを見るばかりで、一向に手を離す様子がない。後ろの聖騎士のほうはさすがにまずいと思ったのか「おい、手は離しとけ。こんなところ先輩に見られたら……」と気まずそうに早口で男をかす。
 と、その時。

「見ーたぞ、見ーたぞ」

 ふいに、歌うような声が響いて、リンダを掴まえていた男の手が跳ねる。リンダもまたびくりと肩をすくめて、声がしたほうに顔を向けた。

「後輩をいじめるなんて聖騎士にあるまじき行為だよなぁ。ましてや新人じゃん? あ~かわいそうに~。こりゃ部隊長に報告すべき案件だな」

 芝居がかった言い方をしながらこちらに近づいてきたのは、小柄な聖騎士だった。つややかな灰色の髪をさらりと揺らして、自分より背の高い聖騎士を、まるで見下すようにツンと冷たく見やっている。

「おま、ケネス……! なにかっていうとすぐ告げ口しやがって、この……」
「はぁ~? 責任転嫁すんなよ。どう考えても告げ口されるようなことするほうが悪いだろ。っていうかいい加減、うちの新人の手ぇ離せ」

 小柄な聖騎士……ケネスがそう指摘すると、リンダの手を掴んでいた男が「ちっ」と舌打ちをして腕を離す。思ったより強い力で掴まれていたらしいそこは、じわ、と赤く色付いていた。
 ケネスはちらりとそれを見やると、大仰おおぎょうに「あ~」と叫んだ。

「痛そうだな~かわいそうだな~! 反省もしてないようだし、やっぱり部隊長じゃなくて副団長あたりに話をしておいたほうがいいな、こりゃあ」
「おま……っ」

 副団長といえば、自分に厳しく他人にも厳しい「規則の鬼」と呼ばれるグラント・カーターだ。岩の如き固い信念を持つ副団長の名前を出されて、男たちどころか、リンダもブルッと身を震わせる。

「あらら震えてかわいそうに。意地悪な先輩にいじめられて、かわいそうな新人だぜ」

 両手を口に当てて悲愴感の交じった顔をするケネスに、聖騎士の一人が憤慨ふんがいしたような顔をしてこぶしを振り上げる。が、もう一人が「おいっさすがにまずいだろ」となだめて、男の腕を取った。

「もう行こうぜ。こいつならマジで副団長に告げ口しかねない」
「……っち!」

 ケネスはバタバタと慌てて去る男たちを、にこやかな笑顔で見送っている。表情だけ見たら柔らかな雰囲気だが、「とっとと行けやこのうすのろども」と小声で言っているので、どうにも穏やかとはほど遠い。

「あ、ケ、ケネス……さん」

 リンダは手首に手を当てたまま、ケネスの後頭部に声をかける。と、にこやかな笑みを浮かべていたはずのケネスが、冷たい半眼でリンダを振り返った。

(げ……)
「ちっとも帰ってこねぇからなにしてるかと思えばよぉ~。まじでなにしてんだよ。あ? 油売りたいなら厨房に行け! びっしゃびしゃに油売って揚げ物作ってもらえ! そうじゃねぇならとっとと総務行って帰ってこい! こっちはガキのお使い待ってられるほど暇じゃねぇんだよ」

 げ、と思ったその瞬間。まるで暴風のような叱責が飛んできて、リンダはその風にさらされながら「す、すみません」とかろうじて謝る。

「すみませんで済んだら聖騎士はいらねぇんだよ。おら、とっとと書類持って総務に走れ! 百数える間に戻ってこいよ!」
「……っんな無茶な!」

 言いながら、リンダは走り出す。なにを言い返したところで「先輩にそんな口きいていいと思ってんのか?」と返されるのがわかりきっているからだ。

「それが終わったら俺と聞き込みだから。詰所つめしょ前に集合なっ! 走れっあと八十!」

 後ろから声が飛んできて、リンダは「はいっ」とだけ返事をして、慌てて駆け出した。


 ケネス・クランストンはリンダの直属の上司だ。つまりタグ隊のメンバーであり、「魔」の力を持つ者……なのだが、その力の実態は、リンダにもわからない。タグ隊の隊員はそれぞれどんな特性を持っているのか、また半魔なのか魔族なのか、はたまたまったく別のなにかなのか、それら全てをできる限り口にしないようにしているからだ。

「私たちは特殊部隊だからねぇ。仲間の力を知っている……ということがいつか弱みになってしまうかもしれない。まぁ知った時は知った時だけど」

 これは、入隊してすぐタグに言われたことだ。「相手がどんな力を持っているかは、できる限り詮索せんさくしない」これはタグ隊の暗黙の了解であるらしい。
 ケネスは二十二歳、リンダのひとつ上だ。どうやらカインと同時期の入団らしいが、二人の関係性は今のところなにも見えない。というより、お互いあまり関わりがないように見える。
 肩まである灰色の髪に、リンダよりまだ小柄な体。どちらかというと「可愛らしい」印象を受けるケネスだが、その中身は見た目とは真逆である。気性は荒いし、態度はでかいし、口も悪い。ひと言言えば十倍になって返ってくる。はっきり言って暴君だ。
 タグ隊は、隊長のタグを除くと五人しか隊員がいない。副隊長のラズリー、隊員のジョシュア、ティーディア、ケネス、そしてリンダだ。ケネスはリンダが来るまで一番若手だったらしく、リンダが入隊したことをそれはそれは喜んでいた。「よーうやく俺にも手下ができたぜ」と。
 ケネスはタグ含め他の隊員に下働きさせられているようには見えない(仕事を頼もうものなら「はぁ~? なんで俺がやらなきゃいけないんすか?」とすごむ)ので、今さら下ができたところで……という気はするのだが、ケネス本人は名実ともに揃った下僕(でいいだろう)が得られてほくほくなようだ。ケネス以外はのほほんとした人柄の隊員(タグ含め)しかいないのだが、行動をともにするのはほぼケネスなのであまり意味はない。


「おっ、……はぁ、お待たせしました!」

 リンダはぜいぜいと荒い息を吐きながら、詰所つめしょ前に駆け込む。門の前に立っていた当番の聖騎士が「お気の毒に」という目で見ているのがわかったが、それに視線を返すこともできず、リンダはケネスに向かってしっかりと頭を下げた。ケネスの性格はタグ隊だけでなく、聖騎士の多くが知っている。

「おー、待たされた待たされた。んじゃ行くか」

 詰所つめしょ前の壁に身を預けていたケネスが、ゆるりと体を起こして歩き出す。リンダはその横に並んでから、一緒に足を進めた。

「さっきみたいの、よくあるのか?」

 歩きながら、装備一式にれがないか確認していると、横から声がかかった。

「え、さっき?」
「ああいう、他の隊の奴に絡まれたりとか」

 ちらりとこちらを見上げたケネスの視線で、先ほど聖騎士に絡まれたことを言っているのだと気づき、リンダは「あぁ」と手を打つ。

「いや、今日が初めてです」

 聖騎士団内を歩いている時にちょこちょこと陰口らしきものを言われているな、という場面に遭遇することはあったが、実際面と向かってからかわれたのは初めてだ。

「ふーん」

 気のない返事をしたケネスはそれきり黙ってしまった。
 もしかして心配してくれたのだろうか、とリンダはちらりと上司を見やる。

「ああいうの、これからも結構あると思うからさぁ」
「は、はい」
「じゃんじゃん上に言えよ。放っとくと害虫ばりに湧いてくるから、早いとこ根絶やしにしろ。隊の仕事にまで影響が出たらうざい」

 心配……ではないのかもしれない。これは単純に「自分に迷惑が及んだら面倒だから」と思っているようだ。リンダは「はは……、はい」と乾いた笑いとともにうなずいておいた。
 ケネスは前を向いたまま、ずんずん進んでいく。聖騎士の制服を着ていると街の人から注視されることが多いのだが、ケネスは絶対にそちらに反応したりしない。

「あ、聖騎士様だ」

 そう声を上げた子供に、リンダはにっこりと笑って手を振っておく。が、ケネスはやはり前を向いたままであった。どこまでも自分を貫き通すその姿勢は、ある意味尊敬に値する。……かもしれない。

「ケネスさん、今日の聞き込みってどこに?」
「関所だ」

 歩きながら問いかけると、ケネスが面倒そうに答えた。


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