何度でも俺は、君を愛そう

森井 里留華

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隼人と舞花

繰り返す日を愛しい君と〈隼人〉

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   ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ


 目覚ましの電子音に、俺は目を覚ました。
 バシッと叩いてアラームを止める。デジタル式の置き時計は、八月二日の午前八時を表示していた。

 のそのそとベッドから抜け出し、洗面所へと向かう。トイレで用を足してから手と顔を洗い、緩慢な動きでリビングへと移動した。流れ作業でテレビをつけ、冷蔵庫から夕食の残りを取り出してテーブルに並べる。
 ガタッと椅子を引いて座った俺は、温めもせずにそれらを口に運んだ。


『昨日は記録的な猛暑となりましたが、今日はさらに暑くなるでしょう。熱中症などにご注意ください。では、地域ごとの天気を……』


 たまたまテレビに映し出された天気予報は、飽きることなくまた同じニュースを繰り返す。
 こんな話、もう何度も聞いた。かくいう俺も、もうルーチン化してしまった作業を何とは無しにこなしていくのだったが。

 そのとき、家のインターホンが鳴らされた。そして間髪いれずに玄関のドアが開けられる。


「おはよう、隼人! 外はいい天気だよ、出掛けよう!!」


 幼馴染の少女が、慣れたように上がり込んできて微笑んだ。まだ椅子に座ってテレビを眺めていた俺の腕を掴み、ぶんぶんと大きく揺らす。


「ねぇってば。せっかくの夏休みに、家に閉じこもってたらもったいないよ? だから私と遊んでよ」


 まるで駄々をこねる幼子のように言う彼女にひっそりと笑い、俺は立ち上がった。
 わがままを言う彼女も彼女だが、それに応える俺も俺だ。

 着替えてくるから待ってろと言うと、嬉しげに彼女は笑った。




♢♢♢♢♢♢




 蝉時雨の降り注ぐ中、はしゃぐ彼女を追いながら家の近所の坂を登る。大した動作をしたわけでもないのに、それだけで額にはじっとりと汗が滲んでいた。


「なぁ、どこ行くの?」

「えへへ、図書館! 化学の自由研究終わらせなきゃ」


 偉いでしょ? と首を傾げる幼馴染に、愛おしさが込み上げる。
 俺にとって彼女が特別なんだと気付いたのは、もう随分と前の話だ。

 褒めて褒めてとアピールしてくる彼女の頭を軽く叩き、俺はその背を追い越した。


「どうしたの?」

「先にお墓寄っていこう」


 まとわりついてくる幼馴染を見下ろすことなく答えると、彼女が笑った気配がした。喜んでいるのが雰囲気だけで伝わってくる。


「うん。みんなきっと喜ぶね」


 そう彼女は微笑んだ。





 俺には母親がいなかった。俺の物心がつく前に、病気で他界したらしい。
 それこそ乳飲み子のときは姿のない母親を求めて泣き続けたそうだが、この歳になってしまえばもう寂しさも感じない。ひとりきりの家にもとうに慣れた。

 俺には兄弟もなく、もう長らく親父と二人暮らしだ。
 病院の緊急外来に勤めている彼とは生活のリズムが違い、ここしばらく顔も合わせていない。
 けれど男子高校生と父親なんて、どこもこんな感じではないだろうか。

 しかし幼馴染の彼女は、それでは寂しいとよく俺の家を訪れる。
 俺が寂しいんじゃない。彼女が寂しいらしい。

 彼女は彼女で、すでに両親を事故で亡くしていた。母親の弟夫婦に引き取られて面倒になっているようだが、あまり関係は芳しくないらしい。叔父夫婦には俺らより一歳年下の息子がいるとかで、家にいるのが気詰まりだとよく俺のところに逃げてくる。





 こうして俺たちは、寄り添うようにして過ごしてきた。
 俺の隣には彼女が、彼女の隣には俺がいるのが当たり前になっている。
 付き合っているわけではないしはっきりと口にしたこともないが、俺には彼女しか考えられない。それは彼女にとっても同じだということも知っている。

 小高い丘の上にあるこの辺りで唯一の墓地に着くと、俺たちの住む小さな町が一望できた。


「お墓に来るの、ご無沙汰になっちゃったねぇ」


 伸びをしながらのんびりと言う彼女は、俺の少し前で止まって振り返った。その瞳が町の景色を映しているのを見て、俺も町を見下ろす。

 真夏の生温い風が、俺たちの髪を撫でてから通り過ぎていった。




♢♢♢♢♢♢




 空調の効いた図書館は居心地がよく、夏休みの穴場スポットだと言える。ささやかに設けられた自習席には、俺たち以外の姿はなかった。

 夕日が窓から差し込んでくる。オレンジ色をしたそれは、頬を机に付けて眠る幼馴染の白い肌を同じ色に照らしていた。
 もう図書館の閉館時間が迫っているというのに、微かな寝息をたてる彼女に目を覚ます気配はない。僅かに開いた唇から零れる息が、顔にかかった髪に触れて小さく揺らした。

 愛おしい。

 不意にそんな思いが込み上げてきた。
 焼け付くような激情はない。けれどじんわりと胸を焦がすそれは、常に俺の中にあって決してなくなることはなかった。


「舞花」


 小さく彼女の名前を呼んで、その髪を払った。精一杯の愛情を込めて、そっと優しく。


「……ん」


 少し眉根を寄せた彼女が、ゆっくりとその目を開けた。焦点の合っていない眼差しでこちらをぼんやりと見つめる。


「は、やと……」

「起きろ舞花。図書館閉まるぞ。帰ろう」


 まだ眠たそうな幼馴染にそう言うと、彼女はぎゅっと目を瞑って嫌々と首を振った。


「まだ、帰りたくない……」


 常に天真爛漫で明るく振る舞う彼女だったが、その根は寂しがり屋で甘えただ。彼女がこう言うと分かっていた俺は微笑み、頬を指で撫でてやる。


「分かった。じゃあ、花火しよう。それならいいだろ」


 途端にパチリと目を開いた彼女は、期待を込めた眼差しで俺を見た。その大きな瞳が夕日の光を反射して、きらきらと嬉しげに煌めく。


「───する!」


 その笑顔を瞼に焼き付けて、そっと俺は瞳を閉じた。




♢♢♢♢♢♢




 もうほとんど日が沈んで薄暗くなった河川敷を、彼女と並んで歩く。花火の入ったスーパーの袋をガサガサと持ち直しながら、頭一つ分低い位置にある彼女の横顔を見つめた。

 ふと、俺と彼女の手が触れた。そしてまた離れていく───という瞬間、彼女が俺の手の中に自らのそれを滑り込ませる。


「隼人……。いつもありがとね」

「何、急に。今さらだろ」


 しおらしい幼馴染の言葉に俺は軽く笑う。繋いだ手にキュッと力を込めると、それ以上に強く彼女が握り返してきた。


「それもそうかもね。でも、思ったんだもん。隼人がいなかったら私、どうなってたんだろって」


 軽く顔を伏せた彼女の肩口から、ハラリと長い髪が零れた。露わになった白い首筋は、切なくなるほどに細い。


「そんなこと分んねぇよ。でもいいじゃん、俺、ちゃんといるんだから。舞花を置いていなくなったりしない」


 なるべく穏やかな声で言ってやると、彼女は小さな声で「……ありがと」と呟いた。そして急にぴたりと足を止め、真っ直ぐに俺を見上げる。


「ねぇ、隼人。多分私、ずっと前から───」


 彼女が何か言いかけたとき、ざあっと風が吹いた。空に昇った赤い月が、不気味に俺たちを照らす。
 いつの間にか完全に暗い闇に包まれた俺たちに、生温い風が不穏にまとわりついてきた。


「は、隼人……」


 恐怖に染まった彼女の声。するりと俺の中にあった手が抜け、驚愕したように彼女はそれを見つめる。


「舞花、」

「ねぇ、隼人。私、どうしちゃったんだろ」


 呼びかけようとした俺の言葉を、震える彼女の声が遮った。掲げた両手から目を上げ、泣きそうに俺を見る。
 その指先は、どろりと黒く溶けて形をなくしていた。


「ねぇ、何これ。なんで、だって」

「落ち着け舞花」


 パニックに陥った幼馴染を抱き寄せて包み込むと、その体は硬く強張っていた。しかし背中をあやすように何度か叩いてやると、ふっとその力が抜ける。その間にも彼女の手はどんどんと溶け、びちゃっと音をたてて俺の足元に落ちていっていた。


「隼人ぉ」


 涙声で俺の名前を呼んだ彼女が、縋るように背に腕を回してきた。しかしグニャリとした感触とともに、人肌ではありえない熱さが伝わってくる。溶ける勢いはどんどんと増し、彼女の体は黒く熱く歪んでゆく。だらだらと彼女の表面を流れるそれは、耐えきれず次々と地面に垂れていた。


「隼人っ、ねぇ、私っ」

「舞花」


 恐怖に駆られた彼女の顔を掬うように上向かせ、啄むように口付けた。何度も。しかしすぐに、彼女の頰に添えていた掌があまりの熱に火傷する。意地で離さずにいたら、ずぶずぶと沈み込んでゆく感触。彼女の顔も、既に黒く溶けた塊へと化していた。

 ずる、と彼女の顔から手を抜いて一歩離れる。もはやそこにいるのは、俺の愛した幼馴染とはかけ離れた姿をしていた。

 それはどろどろと熱く溶け出し、大きく膨れ上がって赤い月を隠す。とめどなく零れ落ちる黒いものは、俺たちの足元を覆い尽くしていた。常にシルエットを変えるその中心辺りには、一対の目が光っている。


「舞花……」


 俺の愛しい人は、化け物に姿を変えた。彼女の名前を口にした瞬間、それは身を翻して俺から遠ざかろうとする。


「待て!」


 俺は叫んだ。しかしそれは応えなかった。むしろそのスピードを上げ、河川敷を駆け抜ける。

 ふとその前方に、少年が歩いているのが見えた。遊んできた帰りなのか、その肩に金属バットを担いでいる。
 次の瞬間、その少年が迫り来る化け物に気が付いて甲高い悲鳴が辺りに響き渡った。

 ───化け物は、少年に襲いかかった。

 苦しげにのたうつ小柄な人影と、それに覆い被さる巨大なもの。どろどろと波打つ表面が、赤い月明かりを反射して不気味に光った。

 カラン、という音とともに、少年の金属バットが転がった。追いついた俺はそのバットを拾い上げ、こちらに背を向けた幼馴染だったものに近付く。
 上がった息を、やっとの思いで咬み殺した。静かに腕を振りかぶる。

  ぐしゃぁっ

 頭に叩き込まれたバットに、それは形をなくして流れだした。飛び散った黒いものが、俺の顔にもかかる。それはプスプスと音をたて、急速に冷えて固まった。

 俺は少年を一瞥した。意識はないようだが、大きく肩が動いているあたりきっと大丈夫だ。そのことを確認し、手に持っていた金属バットを放り出す。
 キィン…という余韻をどこか遠くに聞きながら、俺はアスファルトに膝をついた。
 愛しい彼女だった化け物はもはやおらず、ただその名残りの黒く冷え切った塊がそこにはあった。

 俺は、こうなることを

 朝、彼女が俺を外に連れ出すことも。
 俺たちの親の眠る墓に、二人で訪れることも。
 図書館で、嬉しそうに彼女が笑うことも。
 花火を買って、河川敷を並んで歩くことも。
 彼女が、その姿を変えることも。

 ───俺が彼女を、殺すことも。

 知っていてなお、この道を進むことしかできなかった俺を、愚かだと嗤ってくれていい。だけど俺は、何度でも同じ愚を犯す。

 仰いだ月は、赤かった。それを見つめて、俺は目を閉じる。
 そしてそのまま───ブラックアウト。



♢♢♢♢♢♢



   ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ


 目覚ましの電子音に、俺は目を覚ました。
 バシッと叩いてアラームを止める。デジタル式の置き時計は、八月二日の午前八時を表示していた。

 のそのそとベッドから抜け出し、洗面所へと向かう。トイレで用を足してから手と顔を洗い、緩慢な動きでリビングへと移動した。流れ作業でテレビをつけ、冷蔵庫から夕食の残りを取り出してテーブルに並べる。
 ガタッと椅子を引いて座った俺は、温めもせずにそれらを口に運んだ。


『昨日は記録的な猛暑となりましたが、今日はさらに暑くなるでしょう。熱中症などにご注意ください。では、地域ごとの天気を……』


 たまたまテレビに映し出された天気予報は、飽きることなく
 こんな話、もう何度も聞いた。かくいう俺も、もうルーチン化してしまった作業を何とは無しにこなしていくのだったが。

 そのとき、家のインターホンが鳴らされた。そして間髪いれずに玄関のドアが開けられる。


「おはよう、隼人!外はいい天気だよ、出掛けよう!!」


 幼馴染の少女が、慣れたように上がり込んできて微笑んだ。




 俺は、このあとに起こる全てを知っている───



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