婚約破棄された悪役令嬢の甘い世界征服!

苺マカロン

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「おい! これはどうなっているんだ! なぜ書類が減らない!」

王城の一角にある王太子執務室。

そこは現在、雪崩の直前のような惨状を呈していた。

アレクサンドル王子は、自身の身長ほども積み上がった書類の塔を前に、ヒステリックな声を張り上げていた。

「昨日の朝から何も変わっていないではないか! 僕の優秀な側近たちは全員、昼寝でもしていたのか!?」

王子がバンバンとデスクを叩く。

その振動で、書類の塔が崩れかけ、側近の一人が慌てて支える。

「で、殿下……。昼寝など滅相もございません。我々は昨晩も徹夜で処理を……」

目の下に濃いクマを作った文官が、蚊の鳴くような声で弁明する。

「徹夜をした結果がこれか!? 以前はもっとスムーズに終わっていたはずだ! 僕が優雅にティータイムを楽しんでいる間に、いつの間にか机の上は綺麗になっていただろう!」

「それは……」

文官たちが顔を見合わせ、言いにくそうに口籠る。

「なんだ、言ってみろ!」

「はっ……。以前までは、スイート様が処理しておられたからです」

静寂。

王子がキョトンとした顔をする。

「……は?」

「ですから、スイート・フォン・ショコラ様です。彼女が、殿下が来る一時間前に登城し、重要度の低い案件から優先度の高い決済書類まで、全て下読みと分類を済ませ、必要なメモを付箋で貼り、殿下がサインするだけの状態に整えてくださっていたのです」

「…………」

王子は口をパクパクさせた。

「そ、そんな馬鹿な。あいつはただ、僕の部屋でお茶を飲んでいただけだろう?」

「いいえ。お茶を飲んでいたのは、全ての業務を神速で片付けた後の、わずか五分間の休憩だけです」

文官は遠い目をした。

「スイート様は凄まじかったです……。右手でペンを走らせながら、左手でお茶菓子の在庫確認をし、同時に部下への指示を飛ばしておられました。我々の間では『執務室の千手観音』と呼ばれておりました」

「千手観音……」

なんて可愛げのないあだ名だ。

王子は信じられないといった顔で書類の山を見た。

「つまり、何か? この山のような書類を、あいつ一人が捌いていたと?」

「はい。しかも、誤字脱字のチェック、予算の計算間違いの修正、他国との条約文の翻訳まで、全て完璧に」

「嘘だ! あいつにそんな能力があるわけがない! あいつはただの甘いもの好きの……そう、砂糖中毒者だぞ!」

王子は現実を受け入れられず、手近な書類をひったくった。

『北方国境警備隊における冬季暖房費の補正予算案について』

中身を見る。

数字と文字がびっしりと並んでいる。

「えーと……。前年度比百二十パーセント増……理由は燃料価格の高騰および……」

王子は読み進めようとして、眉間に皺を寄せた。

「……なんだこの単語は。『逼迫』? なんて読むんだ?」

「『ひっぱく』でございます」

「知っている! 試しただけだ!」

王子は顔を真っ赤にして書類を投げ捨てた。

「くそっ! 字が小さい! 内容が堅苦しい! 読むだけで頭が痛くなる!」

王子は椅子にふんぞり返った。

「おい、誰かこれを要約しろ! 三行でまとめろ!」

「今、全員手一杯でして……」

「役立たず共め!」

王子が怒鳴り散らしていると、執務室のドアがノックもなしに開いた。

「ア~レ~ク~様ぁ~!」

甘ったるい声と共に飛び込んできたのは、現在の婚約者であるミント男爵令嬢だった。

ピンク色のフリフリとしたドレスを身に纏い、子猫のような足取りで王子に駆け寄る。

「もう、遅いですわよ! 今日は新しいドレスの生地を選びにいく約束でしたでしょう?」

「ミ、ミント……」

王子の表情が、一瞬でデレデレしたものに変わる。

「すまない、少し仕事が長引いていてね」

「え~っ! またお仕事ですかぁ? アレク様は働きすぎですわ~。そんな紙切れ、後で適当にハンコを押せばいいじゃないですかぁ」

ミントが書類の山を指先でツンと突く。

その無邪気な(無知な)発言に、周囲の文官たちのこめかみに青筋が浮かんだのが見えた。

「はは、そうだな。ミントの言う通りだ」

王子は鼻の下を伸ばして同意する。

「よし、気分転換だ! 出かけよう!」

「わーい! アレク様大好き!」

「待ってください殿下!」

文官長が立ちはだかった。

「この予算案だけは、今日中に決済をいただかないと困ります! 現場の兵士たちが凍えてしまいます!」

「うるさいな! そんなもの、適当に承認しておけ!」

「金額が大きいのですよ! 殿下のサインなしでは国庫が動きません!」

「チッ……」

王子は舌打ちをし、再びペンを握った。

「わかったよ、サインすればいいんだろ、サインすれば!」

王子はミントの腰に手を回しながら、内容も確認せずにサラサラと署名をした。

「はい、これで文句ないだろう!」

「ありがとうございます……。では、こちらの治水工事の件も……」

「あーもう! 一つだけって言っただろ!」

王子が再びキレようとした時、ミントが書類を覗き込んだ。

「あ、これなぁに? 『堤防の補強』? ねえアレク様、堤防なんて可愛くないから、代わりに花壇を作りましょうよぉ」

「おっ、いいアイデアだねミント! 花壇か、国民も喜ぶだろう!」

王子は書類の『堤防補強』の部分を二重線で消し、『王立大花壇の造営』と書き換えた。

「はい、修正完了!」

「……で、殿下……正気ですか……?」

文官長が絶望的な顔で呟く。

堤防を花壇に変えたら、次の大雨で下町が水没する。

しかし、今の王子にはその想像力が欠如していた。

「さあ行こうミント! 君に似合うピンクのシルクを探しに!」

「きゃーん、嬉しいっ! 行きましょう!」

二人は腕を組み、スキップしながら執務室を出て行った。

残されたのは、絶望の淵に立たされた文官たちと、改悪された書類、そして依然として減らない紙の山。

「……終わった」

誰かがポツリと言った。

「この国、終わったぞ……」

「スイート様……。戻ってきてください……」

「あの方の入れた、絶妙な温度の紅茶が飲みたい……」

「あの方が小声で呟く『これ全部燃やしたい』というボヤキが聞きたい……」

執務室に、男たちのすすり泣く声が響いた。

   *   *   *

数時間後。

ショッピングから戻ってきた王子を待っていたのは、国王陛下からの呼び出しだった。

「……アレクサンドル」

謁見の間。

国王は、氷のように冷たい視線で息子を見下ろしていた。

「は、はい、父上。急に呼び出して、一体何事……」

ドサッ!!

国王は、一束の書類を王子の足元に投げつけた。

「これは何だ」

「えっ? しょ、書類ですが……」

「中身を見ろと言っている!」

王子の悲鳴のような声が響く。

震える手で書類を拾い上げると、そこには先ほど自分が書き換えた『王立大花壇造営』の決済書があった。

「堤防の予算を削り、花壇を作るだと? お前の頭の中は、お花畑か?」

「ひっ……!」

「それだけではない。北方警備隊への補給物資が滞り、隣国からの親書への返信は一週間も放置され、あろうことか『至急』の印が押された書類がゴミ箱から発見されたそうだな」

「そ、それは……ミントが『汚い紙』だと言って……」

「黙れ」

国王の一喝。

広間の空気がビリビリと震える。

「これまでは、何も言わなかった。お前が多少愚かでも、成果物は完璧だったからだ。……だが、それはお前の力ではなかったようだな」

国王は玉座から立ち上がり、重々しく告げた。

「ショコラ公爵令嬢がいなくなってから、お前の無能さが露呈した。……いや、ここまで酷いとは思わなかったぞ」

「ち、父上……! しかし、彼女は性格に問題が……」

「性格に問題があるのはお前だ!」

国王はこめかみを押さえた。

「いいか。一週間だ」

「へ?」

「一週間以内に、滞っている業務を全て正常に戻せ。そして、ショコラ公爵令嬢との関係修復を図れ。……もし出来なければ」

国王の目がギラリと光った。

「お前の王位継承権を剥奪し、弟のセオドアに譲ることを検討する」

「なっ……!?」

王子は顔面蒼白になった。

廃嫡。

その二文字が、頭上から巨大な岩となって降ってきた気分だった。

「さがれ! 顔も見たくない!」

「は、ははーーーっ!!」

王子は転がるようにして謁見の間を逃げ出した。

廊下に出た王子は、壁に手をついて荒い息を吐く。

「くそっ……くそっ! なんなんだよ! どいつもこいつも、スイート、スイートって!」

王子はギリギリと歯ぎしりをした。

「あいつがいなきゃ何も出来ないなんて……そんなわけあるか!」

だが、現実は非情だ。

執務室に戻れば、倍に増えた書類の山が待っている。

そして、今の自分にはそれを処理する能力も、手助けしてくれる優秀な婚約者もいない。

あるのは、甘えてくるだけのミントと、過労死寸前の部下たちだけ。

「……迎えに行くしかないのか」

王子は屈辱に震えながら呟いた。

「あの生意気な女を……僕の『道具』として、連れ戻すしかないのか……!」

王子の目には、反省の色など微塵もなかった。

あるのは、自分の保身と、スイートへの逆恨みだけ。

「待っていろよ、スイート。次は王命を持って迎えに行ってやる。そうすれば、お前も断れないはずだ……!」

王子は歪んだ笑みを浮かべ、再びあの森へ向かう計画を練り始めた。

一方その頃。

当のスイートは、そんな王都の混乱など知る由もなく。

「ふふ~ん♪ 今日のシフォンケーキは、過去最高の膨らみね!」

オーブンの前で、幸せそうに鼻歌を歌っていた。
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