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第二章 鬼囃子編

076 きになること

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「あの、すみませんバーニア卿」
「何か?」

 屋敷の玄関を出ようとした所、モニカがふと立ち止まってくるりと後ろを向いた。
 
「バーニア卿、最近お体が優れないとか、疲れやすいとか、そういう感じ、ございますか?」
「? いや? 何も変わらないが」
「……そうですか」
「何か?」
「いえ、変な事をお聞きして申し訳ありません。失礼します」
「いえいえ、依頼の件、よろしくお願いしますね」

 さよならの前にそんな会話をして、俺達は今度こそバーニア邸を後にした。
 堅牢そうな門を抜け、屋敷が背景に溶け込みそうなころ、リリスが口を開いた。

「モニカ、いきなりどうしたんですの?」
「え? あぁ、さっきの事?」
「ですわよ。体調がどうのとか」

 そこは俺も聞こうと思っていた所だ。
 俺が見た感じ不健康そうには見えなかったし、どちらかと言えば毎日欠かさず筋トレをしていそうな御仁だったけど。

「何ていうのかな……バーニア卿から少し、良くないものを感じて」
「よくないもの?」
「うん。呪いとか、そういう類の良くないものじゃないんだけどね。暗い影っていうのかな、そういうのを感じたからちょっと聞いてみたの」
「暗い影、ねぇ。俺は全然感じなかったけどな」
「同じくですわ」
「多分、普通の人には分からないレベルの微細なものだったと思う」
「モニカの半分はユニコーンだもんな。何か厄みたいなものを感じたんじゃないか?」
「厄……かぁ。初めて感じるものだったから正体も分からないや」

 ユニコーン、清く高貴な魂は同じく清く高貴な処女の魂を好み、その角はあらゆる病気や毒を治す万能薬ともなると言われている。
 その聖なる力は強大であり、かつ獰猛さや勇敢さを併せ持つとされ、七つの大罪の一つ憤怒の象徴とされていたこともある伝説の幻獣。
 そんな伝説の幻獣の魂が、消えかけていたモニカの魂の半分を担い、余剰な魂はモニカの手に握られている純白の錫杖ユニコーンズホーンへと姿を変えた。
 人々の為に祈り奔走し、時として人々の為に怒りを抱く。
 憤怒が頂点を超えた時の、ミッドナイトに拉致された時のモニカはそりゃあもう凄まじかった。
 指をパチンてやれば爆発が起きるような--いやそれは言い過ぎたか。
 でもそれくらい、あの時のモニカの怒りは尋常じゃなかった。
 教皇から直々に聖女の勲を賜り、ユニコーンの力を宿した聖職者の教本のようなモニカ。
 そんなモニカだからこそバーニア卿の、俺達じゃ分からない些細な変化に気付けたのだろう。
 
「でも勘違いだったみたいだけどねーへへ」

 拳を作り、コツンとこめかみを叩く仕草をしてモニカが控えめに笑う。
 それだけの仕草で周囲から「ほぉ……」という感嘆の声が聞こえてきそうだ。
 実際すれ違う人々の何人かは振り返り、モニカの握れば消えてしまう煙のような、薄幸そうな美しさに見惚れている。
 いうなれば幽寂の聖女といったところか。
 うん、我ながら良いネーミングセンスだ。

「よし、それじゃ、さっさと終わらせて王都に帰るとしよう」
「えぇ!? すぐ帰るんですの!?」
「え、なに嫌なの?」
「嫌ですわ!」
「即答かよ!」

 俺の提案にきりりとした瞳をさらにきりりとさせたリリスが異を唱えた。
 コンマ一秒の差もなく速攻で。
 リリスはきっ、と俺を正面から見つめ、その褐色の美しい顔を険しい表情に染めていた。

「当たり前ですわ! アダム様! ここがどこかお分かりですの!?」
「お分かりですのって、港町オリヴィエだろ」
「そうですわ! 港! いわゆる海! オーシャン! キャモメが鳴き、白きしぶきを伴った波が煌く砂浜に寄せては返す。雲一つない晴れ渡った空にはさんさんと輝く太陽! いわゆるブルースカイが広がっているのですよ!」
「お、おう」
「分かりますかアダム様!」

 拳を握りしめ、凄い剣幕で言い寄ってくるのだけど、俺にはリリスが何を言いたいのかがさっぱりわからない。
 言ってる事は理解出来るし、確かに俺達の目の前には砂浜が広がっているし、波も寄せては返しているけども。

「輝く太陽! 燃えるような暑さ! 白い砂浜に美しいさざなみ! 海に来て仕事だけしてさらっと帰るなんてあなたはそれでも人ですか! ろくでなし! あんぽんたん! おに! あくま! サタン! トーフの角に頭ぶつけて痛がれ! ですわ!」
「待て待て待て! 凄い言われようだな!? 何そんなに怒ってんだよ」
「いえ別に怒ってはいませんわよ?」
「ろくでなしあんぽんたん鬼悪魔(以下省略)って言われたんだけど!?」
「それはあの、ノリ……?」
「ノリで悪口言われたかぁねぇな!?」
「おほほほ!」
「おほほほって笑って誤魔化すな!」

 トーフの角に頭ぶつけて痛がれってなんだよ。
 そもそも豆腐って何だよ。
 そんなに痛いのか?
 めっちゃ硬いのか?
 恐るべしトーフ。
 あ、さては伝説のハンマーとかかな?
 リリスは見た目こそ人の姿を模倣してはいるけど中身は幻獣だし、ドラゴンだし、そういう伝説の武器を知っていてもおかしくはないな。
 トーフ、一度は拝んでみたいものだな。

「そういえばもう夏だもんね。リリスさんの言いたい事は分かるなぁ」
「そうでしょう!? あぁモニカ、あなたはやっぱり立派な聖女ね」

 雲一つないブルースカイを見上げながらモニカがぽつりと呟き、そんなモニカの手をがっしりと握るリリス。
 
「リリスはどちらかと言えば性女だもんな」
「あら! 上手い事言いますわね! 褒めても何もでないですわよアダム様!」
「褒めてないけどな」
 
 モニカの手を握り、ぶんぶんと上下に振るリリスを横目に、潮風を胸いっぱいに吸い込んで空を見上げる。
 もう七の月も下旬、太陽は肌を焦がすようにじりじりと輝き、木々の緑はさらに緑を増して揺らめいている。
 色々などたばたのあれやこれやがあり、あまり気に留めていなかったけど……。

「夏かぁ」

 一年で一番薄着になる季節、目のやり場に困るドキドキの季節がやってきた。
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