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再会? いいえ、はじめまして。

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 アンジェがようやくレイピアを鞘に納める頃、地面には血溜まりに沈むフォレストウルフの死体があちこちに転がっていた。
 肩にかかる黒髪を背中に払う。
 ちょいとばかり暴れすぎたかもと、アンジェは自分の姿を見下ろした。
 ワンピースが赤く染まっていて、さすがにこのまま門の内に帰るのははばかられるなと思ってため息をつく。

「……いっそのこと、真っ赤なワンピースに染めてみたり?」

 想像して、うへぇと顔を歪める。
 血生臭そうで却下だ。
 うーんと首を捻っていると、視界の端でもぞりと動く影を見つけた。
 アンジェはなんのためらいもなくレイピアを引き抜くと、まだ息の根のあったフォレストウルフにトドメをさす。
 ゆっくりとレイピアを引き抜いたアンジェが、レイピアから血を払った時、そう離れてはいない場所から馬のいななきが聞こえた。
 アンジェが顔を上げてそちらを振り向くと、王都の方角から駆けてくる、数騎の騎馬を見つけた。
 その先頭に見慣れた赤髪を見つけると、アンジェは目を丸くする。
 そして考える間も無く、反射的にどこかに隠れようと一歩を踏み出そうとした、瞬間。

「そこを動くな───!!」

 とんでもない質量の怒号が、アンジェのところまで響き渡った。





 その日は偶然、ユルバンが直接哨戒任務の指揮を務める日だった。
 最近の魔獣の生息分布が微妙にずれ始めているという報告を受けたのが発端で、ユルバンが現場に入る口実にうってつけだったからだ。
 騎士団長となってから、ユルバンは現場へ入ることが少なくなった。
 騎士団長として騎士団の内部処理もしなければならなくなった以上、現場にずっといられなくなるのは仕方のないことだが、ユルバンも実力重視の第三騎士団で騎士団長にまで登り詰めた男。
 事務仕事よりも、体を動かす方が性に合っているからか、ほどよい理由をつけては哨戒任務に加わっていた。

(以前だったらアンジェがいたんだがな……)

 アンジェがいた頃は、哨戒任務に行かずともアンジェ相手に手合わせができていた。
 まだ初々しい少年騎士は、膂力でこそユルバンに劣るものの、身のこなしが優れ、的確に急所を付いてくるものだから、なかなか気の抜けない訓練になっていたのだ。
 だが、アンジェがいなくなった途端、騎士団内にユルバンと手合わせをしてくれる者はいなくなってしまった。
 たまに稽古をつけることはあるが、アンジェと相対したときのようなスリリングな手合わせはなかなかできていない。
 ストレスがたまる一方のユルバン。
 そんなユルバンでも、息抜きをするなら、哨戒任務が手頃でちょうど良かったのだ。

「団長、部隊召集完了です」
「ではこれより哨戒任務を遂行する。各部隊、気をひきしめて当たるように」
「「「はっ」」」

 ユルバンの号令で、騎乗した騎士達が城門から散開していく。
 ユルバンもまた手元に残した部隊を率いるべく、部隊員の顔を見渡した。
 その中には今朝話したばかりの新人ロランドもいる。アンジェばかりにこだわるユルバンも、ケヴィンの言葉は騎士団長として真摯に受け止めているからこそ、品定めの意味も含めて同じ部隊に引き入れていた。

「俺たちは街道沿いに進む。襲撃はなかったが、魔獣の目撃情報があった地点を原点に、範囲を広げるように探索をしていく」

 全員から是の言葉を聞いたユルバンが、さっそく馬を進めようとした時だった。
 街道の先から、小さな影が転がるように走ってくるのが見えた。
 目を凝らしたユルバンは、影の姿が何かを理解した途端、馬から降りて自ら小さな影に駆け寄った。
 影としか認識できていなかった騎士たちも、それが子供だと分かると次々と馬から降りた。
 ユルバンの視力の良さに、ロランドを含めた新人騎士が全員目を丸くする。
 新人達の注目など露知らず、息切れを起こしながら走ってきた子供の前に膝をついたユルバンが、子供に己の水筒の水を与えた。

「そんなに急いでどうした」
「あ、おじ、さっ、きしさ、まっ?」
「……水を飲め。落ち着いて呼吸を整えてからでいい。何をそんなに急いでいた」

 おじさんと言われたことにわずかにショックを受けつつも、ユルバンは子供をなだめながらしっかりと話を聞き出す。
 顔が老け顔のせいか年齢を上に見られがちだが、まだユルバンは二十代半ばである。まだおじさんではないのだ。
 子供を落ち着かせたユルバンがもう一度子供に問いかける前に、子供がユルバンにずいっと顔を寄せた。

「おねーちゃんが! おねーちゃんがおれを逃がすために、魔獣の、おとりに!」
「なんだと!」

 ユルバンを含め、騎士が皆息を飲む。

「場所は!」
「まっすぐ行ったとこ!」
「ネイト、お前はこの子供を保護しておけ!」
「はっ!」

 騎士の一人に子供を預け、ユルバンは今一度馬に跨がると手綱を握った。
 気合いと共に馬を走らせる。
 子供の足ならばそう遠くはない場所だろうとあたりをつけ、ユルバンは痕跡を見落とすことのないよう慎重に視線を巡らせる。
 だが、それは探すまでもなく、ユルバンの五感に感じさせてきた。
 まず始めに感じたのは血の臭いだった。
 ユルバンの嗅覚はかなり優れている。それこそ数十メートル先から風にのって匂ってくる血の臭いをかぎとるくらい造作もない。
 風に乗って臭ってくる臭いに気を引き締めたユルバンの視界に飛び込んできたのは。
 血溜まりに伏す魔獣の骸。
 風になびく黒く長い髪。
 血に染まるワンピース。
 右手に握られた銀のレイピア。
 そして。

「アンジェ……っ!?」

 嗅覚だけではなく、視力も常人以上であるユルバンは、魔獣の骸の中心に立つ少女の顔がアンジェにそっくりであるのを見てしまう。
 アンジェの顔をした少女が驚いたように動こうとしたのに気づいたユルバンは、反射的に鼓膜が破れんばかりの声量で声を張り上げた。

「そこを動くな───!!」

 ビリビリと大気を揺らすほどの怒声は、森に潜んでいた鳥達を羽ばたかせ、小さな動物達を混乱させた。
 すぐ後ろを駆けていた騎士達も顔を歪め、馬が驚き嘶いた。
 ユルバンとその馬だけが速度を落とすことなくまっすぐに少女の元へと駆けていく。

「アンジェー!!」
「うわぁぁぁっ! 馬ぁぁぁっ!」

 止まることなく迫り来る馬の迫力に思わず逃げる少女だが、それがなおさらユルバンの心に火をつけた。

「止まれと言っているだろうがぁぁぁっ!」
「だったら馬を止めてくださいぃぃぃっ!」

 ユルバンの鬼の形相に背を向けて全力で走り出した少女。
 だが全力で馬を走らせたユルバンに彼女の足が勝てるわけでもなく。

「見つけたぞ……アンジェ……」
「ひ、ひぇ……」

 少女の前を遮るように、ユルバンが馬を止めた。
 馬から降りたユルバンが、アンジェの顔を持つ少女に歩み寄る。

「ようやく……ようやく会えたなアンジェ……」
「ひ、人違いですぅ! 誰のことか分かりませんっ!」
「その顔をして何を言うか! アンジェ以外に誰がいるという!」
「アンジェだけどアンジェじゃないですぅぅぅ!」

 ユルバンの鬼の形相に、迫られた少女───アンジェも半泣きで必死で抵抗……もとい否定をするけれど、突然の邂逅になんの対策も練っていなかったアンジェは何の説得力もない言葉しか出てこない。
 ユルバンが迫る。
 いよいよ追い詰められたアンジェがあわあわとしていると。

「アンドレア!」

 知らない声がアンジェの耳に入る。
 でもその声は、確かにアンジェの名前を呼んだ。
 それも、今ではアンジェのいた孤児院の仲間しか知らないはずの名前で。
 驚いたアンジェが振り向けば、ユルバンを追いかけてきた騎士のなかで、金の髪の貴公子が馬から下りてくる。

「アンドレアじゃないか! 久しぶりだね! 元気にしてた?」
「え、待って。誰。あなた誰??」

 見覚えのない貴公子に名前を連呼され、親しげにまでされて、アンジェは疑問符を飛ばす。
 わしゃわしゃわしゃと頭をかいぐりかいぐり撫でられまでもして、いやいやいやとアンジェはハッとする。

「いやー、君、こんなに小さかったっけ? でも顔は変わってないねぇ」
「いやだからどなた様!?」
「僕のこと忘れたの? それはちょっと薄情じゃない?? こっちは一時も忘れたこともないのになぁ」

 にこにこ笑う貴公子に、アンジェはじぃっと目を凝らす。
 そしてようやく気がついた。

「あなた、もしかしてロランド!?」
「正解~! 久しぶりだね、

 人懐こそうに笑うロランドに、アンジェは一瞬呆気に取られた。
 ロランドはアンジェの孤児院時代の仲間だった。
 金髪に空色の目で、昔はちょっと格好いいくらいの面立ちだったのが、今ではすっかり声変わりもして顔の良さまでグレードアップしている。
 アンジェが孤児院を出てもうすぐ八年。
 八年で人がここまで変わるとは。
 アンジェが感慨深くロランドの顔をまじまじと見ていると。

「……ロランド。アンジェと知り合いなのか?」
「団長。はい。孤児院での幼馴染みですね。団長こそ、アンドレアとお知り合いでしょうか? アンジェって愛称で呼び合うほどの仲なんて知らなかったよ」

 にこっと笑うロランドに、アンジェはハッとした。
 昔はロランドもアンジェを「アンジェ」と呼んでいたはず。
 それがどういうわけか、あえてアンドレアと呼んでいる。
 今このチャンスを逃がす手はないと、ここぞとばかりにロランドに話を合わせた。

「ち、違うよロランド! 私はこの人のこと知らない! まったくもって! これっぽっちも! 面識は! 無い!」
「えー? そうなの?」
「アンド……レア?? いや、こいつはどこからどう見てもアンジェだよな? な??」

 今度はユルバンが混乱し出して、追いついた他の騎士たちに確認を取る。
 アンジェの顔を知らない新人もいたが、中にはアンジェが世話になった先輩騎士もいて、彼らが困惑したようにアンジェの顔を凝視していた。

「アンジェ……だよな?」
「顔はめちゃくちゃアンジェだね」
「いやまて、この子、ワンピース着てるぞ??」
「あっ、ほんどだ。じゃあアンジェじゃないってこと?」
「え、でもこれ他人のそら似レベルじゃねぇだろ」

 まじまじ見られて、アンジェは居心地悪くなる。
 この窮地をどう切り抜けようかと考えていたら、助け船が意外なところから出てきた。

「そういやアンジェ、孤児だって言って前騎士団長が連れてきていたな。もしかして、アンジェの双子の妹とか……?」

 全員がハッとする。
 アンジェもハッとした。
 ぼそっとしゃべった騎士から、再びアンジェに視線が移る。
 アンジェは一か八か、どうにでもなれと思いつつ、堂々と宣った。

「あ、兄がいつもお世話になっております……!」

 わぁっと騎士団が声を上げるなか、ユルバンだけが何かを考える素振りで黙っていた。


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