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熱砂の国の王子

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「いやー! アンジェがまさかこの国の騎士なんてなぁ! 何という運命! そら騎士になれるくらい強いなら一人で森出歩けるわなぁ!」
「ファイサル様、お飲み物です」
「あんがとさん」

 室内の止まり木に止まったジャーヒルがくるりと首を巡らせる。
 ファイサルがジャーヒルにちぎった干し肉を食わせていると、ナージーがお茶の用意ができたとファイサルを呼んだ。
 ファイサルは最後の一欠片をジャーヒルに食わせると、ご機嫌な顔でテーブルへと戻る。

「ほら、アンジェもこっち来い! 一緒に茶ぁしような!」
「いえ、私は任務中ですので」
「えー、そんなん何もない内に肩肘張ってもしょうもないやん? お茶付きおうてなー!」
「いや……あの……」
「ファイサル様、アンドレア様を困らせてはいけません」
「それ! それも気に食わんて!」

 テーブルを通りすぎてアンジェの立つ壁際まで来たファイサルが、アンジェの手を握り、ずいっと顔を近づける。

「偽名て! ひどくないか!? こっち本名名乗ったんに! アンジェ~!」
「すみません、名前に関しては本名よりもそちらで通っているので、呼ばれ慣れず……正式な場以外ではそちらで名乗っているんです」
「そうなん? ほんならしょうもないなぁ」

 困ったようにアンジェが返せば、ファイサルは渋々と手を離す。

「でも、黙ってたのはショックやわぁ。やっぱお茶付きおうてよ」
「お言葉ですが、殿下」

 辟易していたアンジェをお茶に誘うファイサルから遮るように、一人の騎士が声をあげる。
 ファイサルは金の瞳をちろりとそちらに向けた。

「なんや、言うてみ?」
「この者は殿下が護衛として所望されたので特例にて抜擢しております。本来では殿下の護衛としてこの場に侍る栄誉を手にするにはまだまだ未熟でございます。接待をお望みであれば、もっと別の者が相応しいかと」

 金の髪に深い紫の瞳の騎士が慇懃にファイサルに申し出た。

「あんた、名前なんやったっけ」
「……スハール王国第一騎士団騎士団長、エドガー・ハマートンと申します。」
「団長さんねぇ。えー、駄目なん? わし、かったるいの嫌なんやけど。無礼講でいかへん?」
「申し訳ございません。我らは御身の護衛でございます。任務に集中するためにもご容赦ください」
「つれないのー。分かったわ。アンジェをお茶に誘うんは諦める。そ、の、代、わ、り!」

 ファイサルはにんまりと笑う。

「これから街に出るでー! お忍びやー! なぁアンジェ、街を案内してーな~! 城ん中いても面白ないし! 宿がわりに部屋さえ貸してくれたらなーくらいでここ寄っただけやし! な、ええやろ?」
「えっ、あの、その……」

 くるりと表情を変えたファイサルがアンジェの手を引いて部屋を出ようとする。アンジェが戸惑い、助け船を求めようとエドガーの方を向けば、エドガーは苛立ったような表情でアンジェを睨んでいた。





 強引に町へと出たファイサルに無理矢理つれてこられたアンジェは、ファイサルに腕をぐいぐい引かれながら人混みを歩いていく。
 お忍び、ということでファイサルは元の旅人姿に戻り、アンジェと最低限の護衛をということで着いてきたエドガーの二人も私服に着替えた。
 ジャーヒルは目立つので、ナージーが世話役として城に残った。
 そういうわけで三人で城下を歩いているのだが……。

「ほれ、アンジェこれはどうや? うまいん?」
「美味しいです。冷たくて、甘くて」
「好き?」
「私は好きな味ですね」
「ならそのまま半分食いな~」
「えっ、いえ、その、毒味だけで……」
「んじゃわしこれだけでいいから、後食べて~」

 食べ歩きの際、アンジェとエドガーがファイサルが口にしようとするものを片端から毒味をしていたのだが。
 アンジェが甘味ものの毒味をする時に一瞬だけ表情が輝くのに目ざとく気がついたファイサルが、甘いものを狙って買い食いし始める。
 アンジェも断るのだが、ファイサルが息をするようにあれこれと理由をつけてアンジェに甘味を渡してくるので、アンジェは食べざるを得なかった。
 今も冷やした果物にクリームをたっぷりつけて固めたものを渡されて、アンジェはむぐむぐとかじっている。
 何だかんだ言って甘いものは大好物なので、頬が弛んでいた。
 うろうろと街を見るファイサルから目を離さないようにしながらアンジェが串に刺さった果物を頬張っていると、背後から仰々しくため息をつかれた。
 アンジェが歩く速度をゆるめると、隣にエドガーが並ぶ。

「嘆かわしい。仕事をするつもりはあるのか」
「ありますよ。でも王子様がくれるので無下にもできないじゃないですか」

 アンジェがごっくんと口の中のものを飲み込み答えると、エドガーは分かりやすく舌打ちをした。

「どういう経緯で王子と知り合ったか知らんが、思い上がるなよ。あくまでも騎士のつもりだったらな。商売女になりたいのなら知らんが」
「心得ておりますよ」

 近くのゴミ箱にアンジェは串を投げ入れる。
 疑わしそうなエドガーの視線に肩をすくめながらも、アンジェはファイサルを目で追った。
 エドガーの嫌味には慣れている。
 思い上がるも何も、アンジェは騎士になりたい。
 それ以外の道には興味はない。
 ファイサルに関しても、今は偶然が重なって出会ったアンジェを面白がっているだけだと思うから、国を出る頃には興味も反れるだろう。
 それにファイサルの目的は嫁……妃探しだ。
 騎士を目指し、結婚願望も皆無なアンジェには関係ない。
 そう思ったところで、アンジェの胸がチクリと刺すような痛みを感じた。

「どうした」
「何か傷んだ気がしましたが、気のせいのようです」

 ぱふぱふと服の上から胸の上を叩くアンジェに、エドガーが一瞥をくれる。

「自分の体調の変化を見逃すなよ。毒味役の役割だからな。……城中ならともかく、こんな城下で毒を仕込む馬鹿はいないだろうがな」
「はい」

 エドガーの厳しい言葉に素直に頷くアンジェ。
 ちょうどその時、ファイサルがアンジェの名前を呼んだ。

「アンジェー、これ買お! この茶、うまいって聞いてんねん。ナージーと飲みたいんやけど」
「ガーランド産の茶葉ですね。包んでもらいましょうか」

 アンジェがそう言ってファイサルから視線をそらし、店主に茶葉を包んでもらうようお願いをする。
 エドガーがその様子を少し離れたところから見ていた。
 人通りの多い往来だ。
 きょろきょろとしていたファイサルが、人とぶつかる。

「おっと」
「あぁ、すいません。大丈夫ですか?」

 よろめいたファイサルの腕をぶつかった男が掴んで支えた。
 アンジェは茶葉を受け取りながらも視線をファイサルと男の方へと向けた。

「あぁ、へーきや、へーき。こちこそ、すまんなぁ」
「お互い様ですね」

 へらへらっと笑い合って、ファイサルと通行人は別れた。
 エドガーがファイサルに近づく。

「お怪我は」
「あらへん、あらへん。へーきやで」
「この辺りは人の往来が多いですから気をつけてください。スリも多いですし、荷物は肌身離さず持っていないといけないですよ」
「アンジェも心配性やなぁ~。これくらいへーき……、へーき……。ん? んんん?」

 ファイサルがそう言いながら懐に手を当て首を捻ると、そのまま服を捲ったり、ポケットを探ったりと、忙しなく身体中をまさぐり始めた。
 アンジェもファイサルの側へと戻る。

「……アンドレア・ジルベール」
「はい」
「追え」
「はい」

 アンジェは茶葉をエドガーに渡すと、一目散に駆け出した。
 背後からファイサルが「『ハレムの鍵』がない~!」と叫ぶ声が聞こえる。
 白のシャツに茶のベスト、スラックスも茶、髪は茶と金の間のような色で、あまり印象に残らない面立ちの男。
 ファイサルにぶつかった時、念のためマークしたが……役立っては欲しくなかったとアンジェは思う。
 スリの男が消えていった方向へと走ったアンジェは、自分の身長では人混みに埋もれて見つけることは叶わないと考え、細い路地へと入る。
 手頃な足場を見つけると、がらくた、窓や壁を蹴り、屋根の上へと身を踊らせる。
 そして視線を下へと向け、男の姿を探す。

「見つけた」

 一望すれば、少し距離が離れたところで人混みを歩く男を簡単に補足することができた。
 ファイサルとエドガーからそれなりに距離を取ったところで、露天の並ぶ細い路地へと入っていく。
 違和感なく人込みに溶けながら徐々に確実に逃げていく男にアンジェは目を細める。
 アンジェはそのまま屋根の上を疾走する。
 屋根から屋根へと跳び移る度、瓦がこすれて音がなる。
 男の入った路地と隣接する屋根まで来ると男が人気のない場所まで行くまで待つと、男の進路を遮るように地面へと降り立つ。

「うわぁっ」
「手を上げて。捕ったものを返しなさい」
「捕ったものって何のことです?」
「じゃあちょっと第二騎士団の所まで同行願えますか」
「はぁ……」

 あくまでもとぼける男に、アンジェは目を細める。

「別に何も無ければいいんです。で、同行してもらえるんですか?」
「……チッ!」

 男は柔和な面持ちを一変させ、アンジェに肉薄してきた。
 男が袖の内からナイフを取り出す。
 アンジェは軽く目を見張り、迎撃の体勢を取った。
 男が斬りかかってきた腕を掴み、いなし、背中側で固定する。
 男が逆の腕で肘鉄を繰り出す。
 アンジェは距離を取り、それを避けた。

(ただのスリじゃない……!)

 アンジェは気を引き締めると、姿勢を低くする。
 狭い路地だ。レイピアを使うには狭すぎる。
 かといって腕力のみでアンジェは男に勝てない。
 男が逃げ出す。
 アンジェの瞳孔が大きく開く。

「逃がすわけないでしょ……!」

 アンジェは跳んだ。
 地面から、近くの壁を蹴り、民家の出窓を足場にし、高所から男めがけて飛び降りる。
 男がアンジェに気がつき、ナイフを構えた。
 アンジェは空中で体勢を変える。
 男を背後から蹴り倒すつもりだったのを、ナイフを足場にするように左足で踏み込んで、右膝を男の顎下から打ち上げる。

「は、あがっ!」

 蹴られた衝撃で後ろに倒れる男。
 脳が揺れたのか、呻いたまま動かなくなった。
 アンジェが前にかかる黒髪を後ろに払ったところで、背中から声が上がった。

「うわぁ! ええなぁ、ええなぁ、アンジェ強いなぁ!」

 少し離れたところからファイサルとエドガーが駆けてくる。
 屋根に上ったアンジェを目印に追いかけて来たらしい。

「殺したのか」
「物騒ですね。昏倒させただけですよ」

 エドガーが眉をひそめるのを見て、アンジェは肩をすくめて否定した。
 ファイサルはアンジェのすぐ側まで来るとその手を握って、ぶんぶんと上下に振り始める。
 そしてとんでもないことを言い出した。

「アンジェ! 嫁に! やっぱ嫁に来ぃ! わし、アンジェみたいな可愛くて強い嫁がえぇ!」
「へっ?」

 金の瞳を輝かせたファイサルが、とびきりの笑顔で握っていたアンジェの手の甲に唇を押し当てた。


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