アズアメ創作BL短編集

アズアメ

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(79)魔術師と弟子

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 数々の魔術を生み出した魔術師ラディリア。二百年以上生きる彼は、あるとき魔術に憧れる少年、サシェに弟子にしてくれと迫られ……。

 最強の魔術を手に入れたい少年×ガタが出始めた最強魔術師(見た目は若いまま)
 弟子が魔術を間違えまくってエロエロ展開に……?!にしようという気配を感じ取れなくもないけど、あんまそういう感じにはなってないっすね(プロットは大昔に打たれたものです)。ミステリアスボーイな弟子が好きです!
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 弟子を取るつもりなどなかった。自分で編み出した魔術の数々。それは誰にも教えるつもりがなかった。禁忌もそうでないものも。全て墓に持ってゆくつもりだったのに。
「師匠~! 僕にも師匠の編み出した魔術、教えてくださいよ~!」
 旅の道中、黒装束の裾を掴みながら後をついてくる少年を振り返る。子犬のような瞳と目が合い、思わず逸らす。何を隠そう、私は数日前からこのサシェ少年に執拗に迫られていた。
「駄目だ。お前には教えない。そもそも弟子を取った覚えなんかない。勝手に師匠と呼ぶのは止めろ」
「お願いします! 絶対誰にも他言しませんから!」
 腹から出された少年の大声に顔をしかめつつ、うんざりする。勿論、魔術を使って追い払うこともした。が、どういうわけか、いくら遠くに飛ばそうが、この少年はすぐに私の目の前に戻ってくるのだ。彼曰く、転移魔法だけは自身があるのだと。なればと、恐怖を与えるべく様々な魔術を使って彼を脅してみたのだが、結果は惨敗。却って彼の信仰心に火をつけてしまったのだった。こうなれば、説得より他はあるまい。
「お前はそれを覚えて何をするつもりだ?」
「そりゃあ、例えば水の魔術だったら……顔を洗ったり、料理に使ったり……」
「はぁ? 泉から汲んでこい! そんなことに魔術を使うな!」
「でも師匠は使ってますよね?」
「……私はいいんだ。もう人間と呼べないからな。でもお前は違う。人間らしく生きるべきなんだ」
「え~?」
「何も意地悪で言っているんじゃない。魔術に頼り過ぎると根が腐る。並大抵の精神では保てない。だから……」
「違います。そのことじゃなくて。……師匠だって人間でしょ」
「私が? はは。そんな冗談を言えるのはお前くらいだよ、サシェ」
「冗談なんかじゃありません。本当にそう思ってるんです。師匠が人間じゃないなら、僕も人間なんてやめてやりますよ」
「全く熱心な弟子だ。そんなに媚を売るな」
「売ってません。って、やっぱり弟子だって認めてくれてるじゃないですか!」
「……言葉の綾だ」
「師匠!」
 熱の籠もった視線が刺さる。その瞳が若い頃の自分と重なり、滅多に動かない感情がちらりと揺れる。
 昔は私もやる気に満ち溢れていた。魔術を研究するのがとにかく楽しくて、寝る間も惜しんで没頭した。でもそれは、二百年も前の話だ。禁忌に触れ、若い姿のままに延命を施した私は、二百年の時の中で、次第に生き甲斐を失くしていった。そう、心まで若く保つことはできなかったのだ。
「お前は後悔しないと言い切れるのか?」
「ええ。勿論! 僕は魔術が大好きなんです! だから、最高の魔術師である貴方に、是非ともご教授いただきたいんです!」
 この少年ならば、私のようにならずに、魔術を世のために使うことができるのだろうか。
 この少年を堕としてしまえば、私のように腐ってしまうのだろうか。
 自分の中で渦巻いた善と悪を自覚し、苦笑する。そろそろ禁忌が心を蝕み始めていることに嫌でも気づかされてしまう。こんなにも目の前の彼を自分と同じ闇に落としてやりたいと思ってしまうなんて。私は、もう……。
「わかったよ。私も追いかけっこをしている時間が惜しい。お前がそこまで言うのであれば、特別に私の知り得る全てを教えてやろう」
「さっきは教えないって言ったくせに」
「魔術師は気まぐれなんだ」
 勝手に動く口に危機感を覚えながらも、善なる自分に対する言い訳を考える。
 この少年には素質がある。魔力量なら私を凌ぐほどその体に眠っているのだ。これだけあれば、よほど無茶な使い方をしない限り魔術に食い潰される心配はないはずだ。それになにより、彼の瞳は本当に真っすぐだ。きっと私以上に心が強いはず。あとは単純に、せっかく編み出した魔術を誰にも教えずにいるのは、正直勿体ないと思っていた。だから。
 私は、自らの手で終えようとしていた命を引き延ばして、最期に生きた証を残そうと思ってしまった。それがどういう結果になるのか本当はよくわかっているはずなのに。
「ねえ師匠。僕は師匠みたいな大魔術師になれますか?」
「知るか」
「冷たいなあ」
 機嫌よく笑うサシェに言いようのない罪悪感が心を占める。違う。私は正しい。私は間違ってなどいない。
「ほら、こっちに来い。教えてやる」
「はいっ!」
「まずは水を生み出す。いいか? こうやって、指に魔力を集中させて――」
「わあ……」
 呪文を唱え、指を振るうと、人差し指の上にシャボン玉のような水の塊が生まれる。普通ならばこれだけの水を生み出すためにも、壮大な術式が必要となる。もっと言うなら、二百年前には魔術で水を生み出すなど不可能とされていた。それを、私は独自に研究してここまで縮めたのだから、教えたくなるのも無理はないだろう?
「やってみなさい」
「はい!」
 元気よく返事をしたサシェが、さっそく呪文を唱え、指の上に水を生み出す。
「そうそう。その調子だ」
 やはり筋が良い。一度教えただけでここまで飲み込めるなんて……。
「あっ、師匠! 危ない!」
「は?」
 水の塊をまじまじと見つめた瞬間、ぱんっ、という炸裂音とともに水が霧散する。
「お前……」
 びしょびしょになったフードを取り、袖で顔を拭う。
 油断した。サシェのコントロールは完璧だったはずだが……。
「すみません! 師匠にじっと見られたら、手元が狂っちゃって!」
「……いや、それは仕方ない。私も悪かった」
 鈍感になり過ぎた自分に気づかされる。そうか。人間には恥という感情があったな。例え同性であろうともこれだけ近くで覗き込めば動揺もする、か……。
 濡れたまま過ごすのは御免被るので、手のひらに炎を灯し、服を乾かしてゆく。
「すごい……」
「こっちはいいから。さっさともう一度やってみろ」
 尊敬の眼差しを寄越したサシェを促し、修行擬きを再開するよう伝える。
 褒められるのは悪い気がしない。が、如何せん慣れていないのでどう反応していいかわからなくなる。
「うう……。絶対後でその魔術も教えてくださいね?!」
「馬鹿、いいから魔術に集中しろ……! それ、なんかそれ濁って……!」
「えっ?」
「うッ!」
 パンッ、と勢いよく弾けた水の塊が、運悪く私の顔面に降りかかる。
「どうやったらこうなる!」
「す、すみません! 今、乾かします!」
 粘り気のある液体を袖で拭いながら叫ぶと、慌ててサシェがこちらに手を翳し……。
「あ、おいッ……!」
「あわわ!」
 サシェの手の平に灯った炎が、あっという間に私の体を包み込む。
「馬鹿! 勝手に真似るなど……!」
「ご、ごめんなさい~」
 熱い。なんだこれは……。目の前で狼狽えるサシェを見つつ、疑問を覚える。
 体を包んだ炎は、勿論一秒経たずして水で消した。が、どうしてだか体の熱さが収まらない。むしろ、内側から徐々にじわじわと熱さが込み上げてくるようで……。
「師匠……? 僕、また間違って……」
「……っ」
「師匠!」
 どうにか熱を下げようと試みるが、既に体は熱にやられ、力が入らない。……完全に油断した。
 失敗にせよ、何かしらの効果を及ぼす魔術を生み出せるとは。この少年はやはり計り知れない力を持っているらしい。本人が純粋なのが救いか。
「とりあえず、熱冷まし、持ってこい……。薬草、わかるだろ?」
 ついに息が上がり、その場にしゃがみ込む。若い姿を保っているとはいえ、やはり人間である限りはこういう類にはめっぽう弱いわけで。
 額に当てられたサシェの手の冷たさに目を閉じる。ああ、他人にこうやって触れられたのは一体いつぶりだろうか。
「あ、熱があるんですね? じゃあ僕が魔法で……!」
「サシェ……!」
 不穏な発言に、慌ててサシェの手を握り、首を振る。
「師匠?」
「頼むから、薬草、持ってきてくれ……。それまで、耐えるから……」
 これ以上変に失敗魔術を当てられたら堪ったもんじゃない。
「わ、わかりました。薬草、探してくるんで……。その、手を、放してください……」
 消え入りそうな声で告げたサシェの言葉に理解する。
 もしかしなくとも、照れているのだろうか……。
 魔術を使われたくないあまり、距離を詰め過ぎたかもしれないが、そこまで照れることだろうか。サシェのぎこちない後姿を見て、考える。が、私の感情は当の昔に枯れてしまっているので、当然彼の人間らしさは理解できない。
「若いというだけで羨ましいとはこのことかな」
 熱でぼんやりとする頭を振ってため息を吐く。果たして、私は本当に彼に魔術を教えてしまってよいのだろうか。


「助かった」
 彼が薬草片手に戻ってくるまで、そんなに時間はかからなかった。持ってきてもらった薬草を調合して、白魔術と合わせる。そうすることで、あっという間に熱は下がり、ひと時の心細さは消え失せた。
「いえ、元はと言えば僕のせいですから」
「そうだな」
 冗談交じりで放った言葉だったが、彼はそれにすっかり肩を落としてみせた。
「師匠。僕ってやっぱり駄目な魔術師でしょうか?」
「……そうだな。お前は間違い過ぎだ」
「うう」
「でも。お前は器が大きい。修行次第で恐らく、私よりも強い魔術師になるだろう」
「えっ! 本当に?!」
 落ち込んでいた彼の表情が一瞬で満開の花みたいに変わってゆく。
「さてね」
「あ~! またそうやってはぐらかす!」
「魔術師は気まぐれだからな。言ってることはすぐに変わる」
「いいですよ~! 気まぐれでも何でも師匠が僕を褒めてくれたんだ。僕は絶対に忘れない!」
 見ていて飽きないサシェに意地悪な顔をしてみせてから、ふと思う。
 私もきっと忘れないのだろう。忘れるほどもう長くは生きられないのだから。


 それからしばらく。サシェに魔術を教えながらの旅に慣れ始めてきた頃。
「師匠、頼みがあります。植物が育つ魔法、教えてください!」
「……まだサシェには早い」
 唐突な催促に眉を顰めて断る。植物を操るためには、地の魔術を使えなければいけない。だが、彼ができるのは水と火の魔術だけ。しかも、両方共に中途半端な結果。この二つよりも難しい地の力は、彼にはまだ早すぎるのだ。だから、彼が何と言おうが、その二つから練習させるつもりだったが……。
「僕も我儘で言っているんじゃないんです! ただ、この先の村で作物が全然育たなくなったらしくって……」
「そんなことに魔術を使うべきではない」
 なるほど、そういう事情があってのことか。どこで聞いてきたのかはわからないが、この少年は正義に燃えていた。だが、無駄だ。不服そうに見つめてくるサシェを窘めるように見つめ返す。
「じゃあ何に使うんです?」
「自分の身を守ることに使え」
「ええ。僕もそう思いますけど、ね……?」
 サシェが目配せした茂みの中から屈強な男たちが数名飛び出したかと思うと、あっという間に私たちを取り囲む。勿論、各々殺傷能力の高そうな武器を抱えてこちらを威嚇している。
「素直に作物を成長させた方が早いかな、って思いません?」
「簡単に降伏する気か?」
「そうしなきゃぶち殺されちゃいませんか?」
「物騒だな」
「それだけ彼らも必死なんですよ」
「哀れなことだ」
『おいお前ら、馬鹿にするのもそこまでだ』『魔術師なんだろ? 命が惜しくば俺たちの畑をどうにかしろ!』『逆らえばすぐさまに殺す!』
「面倒臭いなあ」
 キャンキャンと吠える傭兵どもにため息を吐き、手を翳す。
 眠らせてしまえば、武器など関係ない。そんな野蛮なものよりも魔術はもっと優秀でいて美しく……。
「待ってください師匠! 村人の皆さん、可哀想じゃないですか! ね、ここはひとつ人助けしましょうよ」
「……お前は魔術を教わりたいだけだろうが」
「えへ。バレました?」
 善人面していたサシェだったが、指摘されてからすぐに舌を出し、人懐っこい笑みを浮かべる。
「でもですよ? 恨まれるより感謝された方がいいですし。師匠だって、村の様子が気になるんじゃないですか?」
「……今回だけだそ」
「やったー!」
 やはり面倒臭いが、このままコイツと言い合う方がもっとずっと長引く気がして、結局折れてしまった。でも確かに、彼がやる気である以上、少しでも早く教えてしまった方がいいのかもしれない。


「いいか? 土に触れ、根に魔力を注ぐ。ただ、加減が難しい。一気に送ると腐れてしまう。これはもう完全に勘なんだが……。要は大地の声に耳を傾けろってやつだな」
「なるほど……? こんな感じかな……」
 雑な説明に首を傾げながらも、サシェが土に触れ、魔力を注ぐ。
「そうそう。失敗ばかりのお前にしては上出来じゃないか」
「えへへ」
「って、馬鹿! 気を緩めるな!」
「え?」
 どっ。野菜の蔓が一気に伸びて、そこにいた全員の体に巻きつく。
「お前、どれだけ魔力を注げばこんな風に成長するんだ?!」
 少し褒めればこれだ。頭痛を堪え、植物を観察する。
 まるで意志を持っているかのようにうねりながら人々を締め上げる蔦に、確信する。
 これは魔力を求めている。村人たちに比べ、サシェと私に巻き付いてくる蔦の多さは恐らくそういうことだろう。つまり、長引くとその分魔力を吸い取られるというわけで……。
「うう、師匠……、くるし……」
「チッ、水の結界を自分に貼っておけよ!」
 瞬時に爆発的な炎を灯して己に巻き付く蔦を燃やし、サシェの蔦をも焼き尽くす。
「あ、ありがとうございます」
「まだだ」
「え?」
 村人たちに巻き付いていた蔦が一斉にこちらを向き、伸びてくる。
「結界を貼る! 動くな!」
 襲い来る蔦からサシェを庇うために結界を貼る。が。
「ひっ!」
 恐怖に顔を引きつらせたサシェが、やけっぱちに覚えたばかりの水の魔術を蔦に放つ。
「馬鹿!」
 水を得た蔦は勢いを増し、サシェをなぎ払おうと大きくしなる。
 危ない――!
「ぐあっ!」
「師匠……!」
 蔦に背を打たれ、地面に伏した隙に、容赦なく蔦が再び体を締め上げる。
「くそ……」
「ああ、師匠! どうしよう、僕、水の魔術ぐらいしか知らない……!」
「馬鹿、来るな……!」
「でもっ……!」
 泣きそうなサシェに向かって、無理やり微笑むと、出来るだけ優しい声音で教えを紡ぐ。
「いいか? 身体中の魔力を手に集めろ。んで、掌で燃える炎をイメージして。熱い魔力を練ったら、呪文を唱えて、一気にぶっ放せ! 呪文は覚えているな?」
「は、はい!」
「失敗してもお前だけは逃げろ。いいな?」
「……いえ。 僕が、必ず師匠を助けてみせますッ!」
 情けなく揺れていた瞳が、キッと覚悟を示し、サシェの手の平が燃える。放たれた炎は、見事なまでに凶悪な蔦を焼き尽くす。
「は。珍しく上出来だな……」
「師匠!」
 倒れそうになったところを、サシェに支えられる。今の魔術は完璧だった。私自身、水の魔術で守っていなければ、死んでいてもおかしくないほど強かった。
「だが、物理攻撃はさすがに堪える……」
 締め付けられた体と、打たれた背中の痛みがきつくて、つい弱音を零す。
「この村で少し休ませて貰いましょうよ。残った野菜を成長させさえすればきっともてなしてくれますよ!」
「いや、ここはすぐ出る。魔術に頼るような村だ。一時しのぎはできても、碌な結果にはならないだろう。そのまま依存されても困るしな」
 そう。弱音など吐いている暇はない。物騒な村人どもが倒れている今のうちに逃げるに限る。
 地面に陣を描き、手を添える。歩けないのならば運んでもらえばいい。
「我が導きに応えよ、シュイ!」
「か、可愛い……」
 召喚した獣を見て、サシェは顔を緩める。私の得意とする召喚獣はこの、猫を大きくしたような可愛らしい見た目のシュイだ。勿論、シュイは可愛らしいだけでなく優秀だ。これでいて結構強いし、何より足が速い。
「シュイ。次の村まで乗せて行ってくれ」
「にゃあん?」
 シュイは、さっそく鋭い瞳でサシェを見つめて訝しがる。
「弟子のサシェだ」
「んにゃ……?」
「わかってる。着いたら魚をたくさん奢るよ」
 何と言っているかはわからないが、恐らくは魚の催促だろう。シュイは中々大食らいで、ほぼ腹を空かせている。だから、報酬はもっぱら食料である魚だ。
「召喚術まで出来るんですね……」
「ああ、極力呼ばないようにはしてるんだがな」
 シュイの背中で揺られながら、痛みを我慢する。今は吹き付ける風すらもが敵に等しい。
「あ、体辛いですよね? 僕が抱き包んで支えるので、師匠は寝てて大丈夫ですよ?」
「や、それより、治癒魔法をかけてくれ」
「どうやるんです?」
「こう、清い心で怪我をした部分に手を当てて祈るんだ」
「なるほど。こんな感じ、ですかね……。どうですか?」
「う……ん?」
 見よう見まねでやってみせたサシェにホッとしたのも束の間――。
『好きです! 師匠のことが好き!』『愛してるんです!』『ああ、師匠! 師匠のことをめちゃくちゃにしてみたい!』
「っ!?」
 流れ込んでくるサシェの声に、堪らず身を離す。
「あれ、また失敗しました? 痛かったですか?」
「……お前、どういう気持ちで魔術を」
「えっ? え~と。師匠を治したいなって。治ってませんね。もう一度」
「いや、もういい。少し休めば私の魔力も回復するから……」
「でも、怪我の手当てだけでも僕に……」
「!」
 触られた途端、今度は一気に体温が高まり心臓が跳ねる。
「師匠?」
「あ……。いや。ほら、着いたみたいだ。お前は、シュイのために魚を買ってきてくれ。私は宿を探すから……」
 これはまずいかもしれない。サシェの失敗魔術の正体に気づき、頭を抱える。
 なんせ、サシェ顔を見るだけでときめく。これはもしかしなくても相手を無理やり惚れさせる系の術だ。私にもそういう感情がまだ残っていたとは。久々に味わうその感覚は何とも心地よく、心地悪い。
「でも、師匠フラフラだし。ほっとけないです!」
「っ……。わかった。じゃあ、私はここで待ってるから。お前が宿も魚も探してきてくれ」
「わかりました。すぐ戻りますから、じっとしててくださいね」
 シュイに乗ったままサシェを見送り、どっと脱力する。
「あ~。くそ。こんな魔術にかかるなんて。情けない……」
 いくら蔦に魔力を吸い取られたからと言って、こんな俗物的な催眠に掛かってしまうとは……。やはりサシェは只者ではない。
「師匠!」
「う……。早かったな。見つかったか?」
「はい。宿の方は見つかりました。けど、魚が……」
 長い時間物思いに耽っていたわけでもないのに、サシェは颯爽と姿を現す。
「魚がどうした?」
「にゃあん?」
「いや~。その。どうにも最近、海が魔物によって荒らされてるみたいで……。そのせいで魚が取れないどころか、海にも近づけないらしくて」
「にゃあん?!」
「そうか。それじゃあ他の村に……」
 嫌な予感がしたのでそう提案したのだが、言うより前にサシェによってそれは遮られる。
「師匠、僕に雷の魔法を教えてください」
「お前、魔物を今から倒そうってのか?」
「はい。村人みんな困ってるんです。僕も頼まれてしまったので」
「お前ね。今、私は碌に魔術を使えない。つまり、お前が失敗したとしても助けることができないんだぞ? シュイには悪いが、次の村まで運んでもらって、それで……」
「僕のことを心配してくれるのはとても嬉しいんですけど、僕はここの人たちが困っているのを放っておけないんです」
「心配してるわけじゃ……。というか、お前はどうにも甘すぎるぞ」
「師匠、お願いします」
 真剣なサシェの眼差しに、心臓がどきりと嫌な音を立てる。
 くそ……。さっきの魔術がまだ消えてない……。
「わかった。だが、もう少し魔力が回復してからだ。お前も少なからず消耗してるはずだ」
「ありがとうございます!」
「にゃ~ん」
 甘いのはお互い様か。魚が手に入るのならば一安心、と穏やかな鳴き声に変わったシュイの喉を撫でてやる。
 可愛い。そう思える心がまだ少し残っていることに安堵を覚える。でも、急がなくてはいけない。私は……。
「師匠! 今聞いたんですけど、さっき数人村人が魔物退治に向かったらしくて……! 碌な武器もないのに……!」
「まだ休めてないぞ」
「これ以上は待てません」
「チッ。シュイ、海まで連れてってくれ」
「にゃん!」
 潮風が頬に当たる度、蔦の葉で切った頬が痛むが、そうも言ってはいられない。
「いました! あれです!」
 海の中で村人たちを絡め取っているおぞましい魔物が、ぎろりとこちらを睨みつける。
「いいか? 魔力を練ったら、空間を引き裂くように手を振り下ろして……一気に呪文を唱える! しっかり狙って打て」
「はい!」
 私が唱える呪文を追うようにしてサシェの口が動く。彼の頭上の雲が渦を巻く。そして、彼の手に雷が宿り――。
『ぐおおおお!』
 どんっ、と勢いよく魔物に向かって放たれた雷撃は、見事にダメージを負わせてゆく。
「よし、そのままトドメだ!」
「はい!」
 ふいに、元気よく返事をしたサシェの足元に、魔物の足が迫るのを見る。
「危ない!」
「えっ?」
「っ、ぐアアア!!」
 魔物がサシェの足を絡め取る前に、サシェを突き飛ばし、自ら身代わりになる。
 くそ、毒か……。
 魔物の触手をよくよく見ると、棘のようなものがあった。恐らく、ここから毒を分泌して得物を弱らせるのだろう。
「師匠ッ!」
 もがいて魔物の足を剥がそうとするが、痺れて上手く動けない。せめて、魔力が回復していれば……。
 サシェの声が、激しい水音にかき消されてゆく。
 ああ。情けない。こんな終わり方。
 海に引きずり込まれた体は、次第に力を失ってゆく。
 まだ、教えなくてはいけない魔術があったのに。まだ、あと少しだけでもサシェの傍に居たかったのに……。
 朦朧とする意識の中で、腕を掴まれる。
 ああ。この少年は、まだ私を諦めていないのか……。
 力強いその腕に、全てを委ねて意識を手放す。きっと後悔するだろうに、逆らうことなどできなかった。


「ん……」
 どれだけの時間が経ったのだろうか。重い瞼をこじ開けて起き上がる。すると、痺れがないことに気づく。それに、背中の痛みもない。
「師匠! 良かった……。また失敗したのかと」
 起き上がるなり抱き着いて来たサシェにどきまぎしながら腕を動かすと、確かに全身の痛みがすっかり取れていた。
「お前が治癒したのか?」
「はい。でも、心配で。大丈夫ですか? ちゃんと治ってます?」
「ああ。大体は」
 不安そうに見つめてくるサシェから目を逸らし、そっと胸に手を当てる。
「治ってないとこがあるってことですか?」
「……いや」
 気づかれていないなら好都合。忌々しい呪いを自らの魔術によって解いておく。
 よし。これで胸が高鳴ることもなくなるだろう。人間の感情を久々に味わうのも悪くはないが、恋ほど愚かなものはない。所詮、私には不要なものだ。
「にゃん♪」
「シュイ、魔物も魚も平らげちゃってご機嫌なんです」
「そうか。ありがとな、シュイ。また頼む」
「にゃ~」
 シュイをひと撫でしてから魔法陣へ戻す。どうやら魔力も大分回復したみたいだ。
「ありがとうサシェ。私を助けてくれて。お前はやはり魔術師として優秀だ」
「師匠……! こちらこそ、ありがとうございます!」
 感極まって瞳を潤ませるサシェに苦笑する。
「まだ修行は終わってないんだけどな」
「あはは。そうでした。えっと、あと教わってないのって……」
「風ぐらいだな。あとは全部応用みたいなもんだからな」
「それじゃあ早く教えてください!」
「駄目だ。そんなに簡単には教えられない」
「そんな……。どうすれば教えてもらえるんですか?」
「そうだな……。お前が、信用に足る人間だとわかったとき、だろうな」
「師匠、もしかして僕のこと、未だに信用してないってことですか?」
「そういうことだ。だから、お前は清くあってくれよ?」
 サシェの澄んだ瞳を見つめる。これが悪に染まるはずがない。そう思うのに、私はまだ躊躇っている。
 サシェに私と同じ苦しみを味わわせたくない。
 本心がそう叫んでいることはもうとっくに気づいている。だけど。
 サシェに自分と同じ苦しみを味わってほしい。
 穢れに傾いた心は、そう私に囁きかける。
 正しい道はわかっている。だけど、それなのに、私は……。


「師匠! 近くの村で魔物が暴れているみたいです!」
「魔物が……?」
 己の心を探りつつ旅を再開した私に、サシェが深刻な面持ちで魔物の襲来を告げる。
「助けに行きましょう!」
 間髪入れず誠意を示したサシェの瞳には一点の曇りもない。
 なのに。
 胸騒ぎがした。残ったちっぽけな正義が抵抗を続けているせいかもしれない。
 でも。そんなものはもう今更必要はない。
「よし。行こう。今のお前ならきっとできる。なんなら風の魔術だって教えよう」
「それは、師匠が僕のことを信用してくれた、という意味ですか?」
「ああ。そうなるな。サシェほど正義感と魔力の強い人間ならば、きっと大丈夫だ」
 大丈夫。ちっぽけな偽善は満たされた。だから――。


 村には異常なほどの数の魔物が蔓延っていた。村人たちは、必死に逃げ惑う。そのほとんどが既に大けがを負っているのだが、もはや私には関係がない。
「さあサシェ。教えたとおりにやってみろ」
「はい。師匠」
 言われるがままに、サシェは呪文を唱え、難しいはずのそれを失敗することなくマスターする。
『ぎぃいいいいいいいい!』
 風に切り刻まれた魔物の断末魔があちこちから聞こえる。それに人間の声が混じっているのは、きっと気のせいだ。幻聴だ。
「なるほど。これが風の魔術……。これで、やっと僕は師匠の魔術を制覇したんですね?」
「ああ」
「ふふ。ありがとうございます、師匠」
「サシェ、お前は……」
 にっこりと笑ったサシェの瞳は全くもって空っぽだった。真っ黒に塗りつぶされたそれは、何の感情も灯していなくて……。
「本当はわかっていたんでしょう? ラディリアさん」
「何を」
「僕は清くも正しくもない。ただただアンタの力が欲しかった。そのイカれた禁忌を知りたかっただけ」
「ああ……」
 なんだ。やはり彼はこちら側の人間だったのか。
 安堵と共に、膝を折る。
「そうそう。安心してくださいよ。ポンコツなアンタより、僕はもっと上手くこの力を使ってやりますから。だから」
「ッ、ああ……!!」
 サシェが呪文を唱えた瞬間、足元から生えた蔦が絡み、そこから体中に電流が流れる。
「なんだ。呆気ない。もっと抵抗すると思ったのに。ま、無理もないか。そんだけ禁術に体を蝕まれてちゃあ、ね」
「ッ……」
「アンタも馬鹿だな。早くくたばっとけばよかったのに、僕に絆されてまんまと全部教えてくれた」
 頬を撫でた手が、黒装束の中を探り、ペンダントを引きずり出す。
「やっぱりあった。これがアンタの魔力の源だろう? 相当年季が入ってるみたいだけど。一体どれほどの人間から魔力を奪い取ったのかな」
 禍々しい色をした魔石が目の前で光る。それは彼が言った通り、私の罪の証だった。
「魔力も無限じゃないもんね。アンタは、研究のために人々を殺した。そして、多大なる魔力をこの魔石に蓄積したんだ」
「……そうだと言ったら?」
「最高です。貴方はやはり素晴らしい魔術師だ。だけど」
「ぐ……」
 サシェが虚空を握りつぶした瞬間、蔦が首を締め付け始める。
「最高の魔術師は二人もいらない。貴方の魔術と魔力は、僕がすっかり受け継いで差し上げましょう」
「か、は……」
「見ててください、ラディリアさん。この世界、僕がぜーんぶ思い通りに壊してやりますから」
 不気味なほどに感情のない瞳で彼は言った。
 このまま彼に殺されるのも悪くない。むしろ、私にとっては望ましい。
 だけど。
「……れが」
「?」
「誰が、全部教えたって?」
 ぶちり。黒く染まった腕で蔦を裂き、サシェの手から首飾りを引きちぎる。
「ッ……!」
「お返しだ。受け取れ!」
「ぐあ……!」
 不快な旋律を唱え、真っ黒な魔力を容赦なくサシェにぶつける。流石に黒魔術までは受けきれないらしい。
「なんだよその力……。聞いてないんだけど……?」
「ああ。どうやら私の良心はまだ健在だったらしい」
「ふざけるな……。その力も、僕に寄越せ……!」
「無理だよ。黒魔術は僕の知る中で最も扱いが難しい。いくら君が天才だからって、見よう見まねじゃとてもできない。そして、この力はやはり人に渡すものではない」
「くそ!」
 向かってくるサシェの魔力に闇をぶつけて相殺する。黒魔術さえあれば、全ての力は無に等しい。だが、だからこそ扱いが難しく、代償が大きい。
「魔法なんて夢でいい。現実にあってはいけないものだ」
「その力さえあれば何でもできる! 僕はこのクソみたいな世界、壊したいんだ! アンタだってそうだろう? 危険な魔術師だからって執拗に命を狙われたんだろ? だからアンタは人間が憎いだろ?」
「ああ。憎いさ。だけど、それももうすぐ終わりだ。私はお前を道連れにして人生に終止符を打つ」
「馬鹿な! 命が惜しくないのか?!」
「命が惜しくて魔術師がやれるか。それに、弟子の失態は師が請け負うものだ」
「アンタ、本気で死ぬ気か……?」
「心が駄目になる前に自らの手でどうにかしないと、ね。……サシェ、お前と過ごした時間は私の人生の中で一番楽しかったのかもしれない」
「今言うことかよ」
「はは。これが最期だからなッ!」
「させない……」
「え?」
「ラディリアの命は、まだ終わらせない……!」
 サシェのどこまでも黒い瞳に生気が宿る。いつか見た清い輝きが真っすぐにこちらを見つめて……。
 カッ。
 サシェの膨大な魔力が白く光り、私の体を包み込んだ。そして――。


「ん……?」
 目を覚ます。妙に体が軽い。胸に手を当てる。いつもならば不快な感情を湛える心が、今はやけに晴れやかで。
 ああ、そうだ。昔、若い頃は私もこんな風に空を見上げるだけで心が弾んでいたっけ……。
 どうして、どうして今更になって……。
「あ……」
 白い光を思い出し、慌てて辺りを見回す。
「サシェ! どこに……」
 ふと側に横たわる黒猫に目を止める。
「サシェ……、なのか?」
 ただの猫に向かってそう呟いた己に驚くが、それと共に確信を得る。
「サシェ、サシェなんだな! 待ってろ、今、生き返らせる!」
 彼が最期に使っていたのは、恐ろしいほどの白魔術だった。私は確かに己ごと彼を黒魔術で包んだ。死ぬ気だった。だが、彼は守った。己の身ではなく、私を。強力な白魔術を注がれた私は、己の黒魔術に潰れることなく生き延びた。そして。
「サシェ……。お前はやはり……」
 サシェの頬を撫でつつ、己の命を削って黒魔術を唱える。迷いなどなかった。彼がそうしたように、私も己の黒魔術をたっぷりと彼を生き返らせるために注いだ。

「は……。なんでアンタが僕を生き返らせるんだ……?」
「なんでだろうな」
 猫の姿から人間の姿に戻り、息を吹き返したサシェに向かって微笑む。
「アンタ、僕を生き返らせるなんて無茶して……。寿命が……」
「猫と同じぐらいならまだ生きられる。丁度いいだろう?」
「……お人好し」
「君だってお猫好しだろ」
「はは。なんだよそれ……」
 毒気の抜けた顔でサシェが笑う。それを見た私は、心底己の寿命を削った甲斐があったと思うのだった。


 サシェの正体は、化け猫だった。元々魔力を持って生まれたらしく、更に、自分を撫でる人間の魔力を吸いとることでその命を伸ばし、膨大な魔力を貯め込んでいたらしい。
「なるほどシュイが怪訝な顔をしたわけだ」
「シュイは異界の猫とはいえ、同じ化け猫ですからね。匂いで感じ取ったんでしょう。あの時は少し焦りましたよ」
「お前は一体何歳だ?」
「さあ。でも、大体アンタと同じだよ。こんな形で同世代と出会えるとは思っていなかった。アンタを見つけたときはそりゃあもう興奮したよ。自分と同じく長い時を生きて魔力を貯め込んだ得物がいたんだから」
「じゃあお前はどうして結局私を殺さなかったんだ?」
「だってさ、アンタがあんまりにも僕のタイプだったからさ。変に魔術間違えて弄んじゃった。いや~、あれは見てて面白かったな。アンタってば全然遊ばれてることに気づいてないんだもん。可愛くてさ……。んで、気付いたら惚れてたっていう、ね」
「猫が人間に惚れるもんか」
「失礼だな~。どうせ化け物同士なんだし、いいっしょ?」
「私のこと人間って言ったのはお前だろ?」
「貴方が人間なら僕だって人間ってことですよ」
「じゃあ何か、まさか本当に正義感からでなく……?」
「正真正銘、惚れた弱みってやつですよ。結構ギリギリまでその気持ちに背いたつもりなんですけど。やっぱり貴方を死なせたくなくて」
「……正気か?」
「ラディリアこそ、僕を生き返らせたのは、そういう気持ちがあったからじゃないわけ?」
「馬鹿なことを」
 見透かすような視線から目を逸らす。そんなことを言われても、私にはまだこれがそういう気持ちなのかわからない。何しろ、長いことそういう気持ちを忘れていたのだから。
「で。これから僕はどうすれば?」
「君の好きなように生きればいい」
「魔術で人を殺すかも」
「それはない。今の君ならきっとやらない」
「そういう期待を込めた発言はやめてくださいよ」
「はは」
「僕の好きなように生きていいんだったら、こういうのはどうでしょう」
「ん?」
「ラディリアと一緒に、また気まぐれな旅がしたい」
 横に並んだサシェが、ぽそりと聞こえないぐらい小さな声で呟く。
「私はお前のように街を救ったりはできないぞ?」
「それは、僕だって。そもそも、さっきの村で思いっきり魔力刈り取りましたし。誰も、偽善の旅になんか誘ってません。ただ、僕は貴方と少しでも多く歩いていたい。それだけなんです」
「黒魔術まで吸収してポイじゃなく?」
「ええ。例え僕が貴方を超えようが、貴方を殺したりはしません。命を伸ばすことはあっても、ね」
「……私はお前より長く生きる気はないぞ?」
「ええ。死ぬときは一緒です。でも、飽きるまで僕は貴方の傍にいることを約束します」
 腕を引き寄せられるがままに、その身をサシェに預ける。温かい。途方もない歳月を一人で生きてきた私にとって、その温もりはまるで懐かしく。
「じゃあそうしてくれ。でも、飽きるのは無しだ」
「ふふ。可愛いとこありますね」
「うるさいな。弟子なら黙って言うことを聞け」
「は~い。師匠の仰せのままに」
 にこやかに返事をするサシェの唇が重なり、目を閉じる。こんな甘い余生も悪くないのかもしれない。なんて。
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