後宮の棘

香月みまり

文字の大きさ
116 / 189
第10章 後宮

第377話 寄る方

しおりを挟む

翌朝、惺皇子の顔を見にいくと、彼はぼんやりと庭の景色を眺めていた。
整ったあどけない頬には涙の筋が残っていたが、翠玉の姿を見とめるとサッとそれを拭い取り背筋を伸ばして立ち上がった。


「よく、お眠りにはなれませんでしたか。」

異母姉譲りの睫毛の濃い大きな瞳の下に隈を見て取り、無理もないと翠玉は息を吐いた。


彼の世話につけた侍女からは、朝食もほとんど喉を通らない様子だと聞いて、心配してきたのだ。

唐突に起きた昨晩の出来事が、幼い彼の心に作った傷は相当なものである。
今まで後宮の自宮の中でしか生活していなかったものを母と離れて突然外に出され、叔父叔母といえど馴染みもない者達の邸に身を置く事が、どれほど彼にとっての負担であろうか。

立ち上がって迎えた彼をもう一度窓際の長椅子に座らせて、その前に屈む。

「お母上様の事はこちらでもご確認させていただきました。しばらくは、こちらで御身をお預かりする事をお父上様からも言い使っておりますゆえ、御自宅とは思えないにしても遠慮なく侍女達にお申し付け下さいませね」

まだふっくらとした小さな手を取ると。
その手を握る。

コクリと小さく彼が頷いて、翠玉の手を握りかえしてきた。

きゅっと真一文字に結ばれた薄い唇は、どうやら皇帝譲りで……もっと言えば冬隼ともよく似ていた。

「母から……叔母上にまだ書状があるのです」

しばらく何かを迷うように視線を彷徨わせた彼が一度室内を確認して、自身の連れてきた侍女だけが残っている事を確認して口を開いた。


「書状?」

首を傾けた翠玉に、侍女が椅子を持ってくる。
掛けるよう言われ椅子に掛けると、皇子は胸元から一通の書状を取り出した。


「母からは叔母上様だけに見せろと言われています」

そう言って見上げてきた彼の大きな瞳は緊張したようにこちらを見上げていた。

受け取って開いてみれば、昨晩と同じ筆跡と印章が目に飛び込んできた。


『おそらく私は罪を裁かれる。

惺を後宮に置いておくのは彼の命を危険に晒すこととなる。

絶対に後宮に渡す事はしないで欲しい』


昨晩と同様の、大雑把すぎる説明と願いに翠玉はどういう事かと首を傾ける。

詳しい説明は何一つとしてなく、自身の希望だけを押し付けた文章はあの姉らしいと言えばらしいところだ。

戸惑って皇子を見ると、皇子は手を出して書状を返して欲しいと言う。

素直に手渡すと、彼は脇に控えていた侍女にそれを一瞥すらしないまま渡してしまった。

受け取った侍女は、それを手にすると傍に置かれた燭台に近づけて火を灯し、同じように傍に用意されていた皿に投げる。

書状はいとも容易く、橙色の炎を上げて燃え上がり小さくなった。

最後にチラリと浮き出てきた姉の印章が燃える様が、なんとも不吉な様を連想させて、翠玉は胸が締まる気がした。

その炎が尽きるのを、皇子も黙って見守っている。9歳の子どもが自身の判断でこんな事ができようはずもない。
異母姉にこうする事を指示されていたのだろう。

見下ろした幼い顔には、罪悪感というものは微塵も感じられなかった。


書状が燃え尽きるのを確認して、侍女が皿を持って下がって行く。

「お母さまは、帰ってこないのでしょうか?」

ポツリと、小さくか細い声で呟いた彼の言葉は、初めて彼が本心を見せたような、子供の声で。

胸が締め付けられそうな痛みを孕んでいた。

「わかりません。今調べているところのようですから、沙汰を待ちましょう。私も色々と情報を集めて参りますから」

もう一度皇子の手を握ると、そのあどけなく美しい顔が泣きそうに歪んだ。

どうやら、劉妃の罪はこれだけではなく、針や泉妃の宮への侵入者のことも調べられているらしい。これが本当なら廃妃の上、極刑は免れない。
もちろん惺殿下も良くて流刑だろう。


そう……

とりあえず全て終わるまでは惺殿下の身柄はこちらで預かって欲しいと、劉妃が強く希望しているから面倒を見てくれと皇帝には頼まれているらしいのだが


彼の処遇だってどうなるか分からないのだ。

この寄る方もなく不安そうで儚い姿に、お守りいたします。と言ってやれない事が心苦しくてならなかった。
しおりを挟む
感想 260

あなたにおすすめの小説

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました

蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。 そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。 どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。 離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない! 夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー ※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。 ※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。