後宮の棘

香月みまり

文字の大きさ
88 / 161
第10章 後宮

第377話 寄る方


翌朝、惺皇子の顔を見にいくと、彼はぼんやりと庭の景色を眺めていた。
整ったあどけない頬には涙の筋が残っていたが、翠玉の姿を見とめるとサッとそれを拭い取り背筋を伸ばして立ち上がった。


「よく、お眠りにはなれませんでしたか。」

異母姉譲りの睫毛の濃い大きな瞳の下に隈を見て取り、無理もないと翠玉は息を吐いた。


彼の世話につけた侍女からは、朝食もほとんど喉を通らない様子だと聞いて、心配してきたのだ。

唐突に起きた昨晩の出来事が、幼い彼の心に作った傷は相当なものである。
今まで後宮の自宮の中でしか生活していなかったものを母と離れて突然外に出され、叔父叔母といえど馴染みもない者達の邸に身を置く事が、どれほど彼にとっての負担であろうか。

立ち上がって迎えた彼をもう一度窓際の長椅子に座らせて、その前に屈む。

「お母上様の事はこちらでもご確認させていただきました。しばらくは、こちらで御身をお預かりする事をお父上様からも言い使っておりますゆえ、御自宅とは思えないにしても遠慮なく侍女達にお申し付け下さいませね」

まだふっくらとした小さな手を取ると。
その手を握る。

コクリと小さく彼が頷いて、翠玉の手を握りかえしてきた。

きゅっと真一文字に結ばれた薄い唇は、どうやら皇帝譲りで……もっと言えば冬隼ともよく似ていた。

「母から……叔母上にまだ書状があるのです」

しばらく何かを迷うように視線を彷徨わせた彼が一度室内を確認して、自身の連れてきた侍女だけが残っている事を確認して口を開いた。


「書状?」

首を傾けた翠玉に、侍女が椅子を持ってくる。
掛けるよう言われ椅子に掛けると、皇子は胸元から一通の書状を取り出した。


「母からは叔母上様だけに見せろと言われています」

そう言って見上げてきた彼の大きな瞳は緊張したようにこちらを見上げていた。

受け取って開いてみれば、昨晩と同じ筆跡と印章が目に飛び込んできた。


『おそらく私は罪を裁かれる。

惺を後宮に置いておくのは彼の命を危険に晒すこととなる。

絶対に後宮に渡す事はしないで欲しい』


昨晩と同様の、大雑把すぎる説明と願いに翠玉はどういう事かと首を傾ける。

詳しい説明は何一つとしてなく、自身の希望だけを押し付けた文章はあの姉らしいと言えばらしいところだ。

戸惑って皇子を見ると、皇子は手を出して書状を返して欲しいと言う。

素直に手渡すと、彼は脇に控えていた侍女にそれを一瞥すらしないまま渡してしまった。

受け取った侍女は、それを手にすると傍に置かれた燭台に近づけて火を灯し、同じように傍に用意されていた皿に投げる。

書状はいとも容易く、橙色の炎を上げて燃え上がり小さくなった。

最後にチラリと浮き出てきた姉の印章が燃える様が、なんとも不吉な様を連想させて、翠玉は胸が締まる気がした。

その炎が尽きるのを、皇子も黙って見守っている。9歳の子どもが自身の判断でこんな事ができようはずもない。
異母姉にこうする事を指示されていたのだろう。

見下ろした幼い顔には、罪悪感というものは微塵も感じられなかった。


書状が燃え尽きるのを確認して、侍女が皿を持って下がって行く。

「お母さまは、帰ってこないのでしょうか?」

ポツリと、小さくか細い声で呟いた彼の言葉は、初めて彼が本心を見せたような、子供の声で。

胸が締め付けられそうな痛みを孕んでいた。

「わかりません。今調べているところのようですから、沙汰を待ちましょう。私も色々と情報を集めて参りますから」

もう一度皇子の手を握ると、そのあどけなく美しい顔が泣きそうに歪んだ。

どうやら、劉妃の罪はこれだけではなく、針や泉妃の宮への侵入者のことも調べられているらしい。これが本当なら廃妃の上、極刑は免れない。
もちろん惺殿下も良くて流刑だろう。


そう……

とりあえず全て終わるまでは惺殿下の身柄はこちらで預かって欲しいと、劉妃が強く希望しているから面倒を見てくれと皇帝には頼まれているらしいのだが


彼の処遇だってどうなるか分からないのだ。

この寄る方もなく不安そうで儚い姿に、お守りいたします。と言ってやれない事が心苦しくてならなかった。
感想 260

あなたにおすすめの小説

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

一夜の過ちで懐妊したら、幼なじみの冷酷皇帝に溺愛されました

由香
恋愛
没落貴族の娘・柳月鈴は、宮廷で医官見習いとして働いていた。 ある夜、皇帝即位の宴で酒に酔い、幼なじみだった皇帝・李景珩と再会する。 遠い存在になったはずの彼。 けれど、その夜をきっかけに月鈴の運命は大きく動き出す。 冷酷と恐れられる皇帝が、なぜか彼女だけには甘すぎて――。

異国妃の宮廷漂流記

花雨宮琵(かうみやび)
キャラ文芸
唯一の身内である祖母を失った公爵令嬢・ヘレナに持ち上がったのは、元敵国の皇太子・アルフォンスとの縁談。 夫となる人には、愛する女性と皇子がいるという。 いずれ離縁される“お飾りの皇太子妃”――そう冷笑されながら、ヘレナは宮廷という伏魔殿に足を踏み入れる。 冷徹と噂される皇太子とのすれ違い、宮中に渦巻く陰謀、そして胸の奥に残る初恋の記憶。 これは、居場所を持たないお転婆な花嫁が、自ら絆を紡ぎ、愛と仲間を得て”自分の居場所”を創りあげるまでの物語。ときに騒がしく、とびきり愛おしい――笑って泣ける、異国妃のサバイバル宮廷譚。最後はハッピーエンドです。 ※本作は2年前にカクヨム、エブリスタに掲載していた物語『元敵国に嫁いだ皇太子妃は、初恋の彼に想いを馳せる』を大幅に改稿し、別作品として仕上げたものです。 © 花雨宮琵 2025 All Rights Reserved. 無断転載・無断翻訳を固く禁じます。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」