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第10章 後宮
第377話 寄る方
翌朝、惺皇子の顔を見にいくと、彼はぼんやりと庭の景色を眺めていた。
整ったあどけない頬には涙の筋が残っていたが、翠玉の姿を見とめるとサッとそれを拭い取り背筋を伸ばして立ち上がった。
「よく、お眠りにはなれませんでしたか。」
異母姉譲りの睫毛の濃い大きな瞳の下に隈を見て取り、無理もないと翠玉は息を吐いた。
彼の世話につけた侍女からは、朝食もほとんど喉を通らない様子だと聞いて、心配してきたのだ。
唐突に起きた昨晩の出来事が、幼い彼の心に作った傷は相当なものである。
今まで後宮の自宮の中でしか生活していなかったものを母と離れて突然外に出され、叔父叔母といえど馴染みもない者達の邸に身を置く事が、どれほど彼にとっての負担であろうか。
立ち上がって迎えた彼をもう一度窓際の長椅子に座らせて、その前に屈む。
「お母上様の事はこちらでもご確認させていただきました。しばらくは、こちらで御身をお預かりする事をお父上様からも言い使っておりますゆえ、御自宅とは思えないにしても遠慮なく侍女達にお申し付け下さいませね」
まだふっくらとした小さな手を取ると。
その手を握る。
コクリと小さく彼が頷いて、翠玉の手を握りかえしてきた。
きゅっと真一文字に結ばれた薄い唇は、どうやら皇帝譲りで……もっと言えば冬隼ともよく似ていた。
「母から……叔母上にまだ書状があるのです」
しばらく何かを迷うように視線を彷徨わせた彼が一度室内を確認して、自身の連れてきた侍女だけが残っている事を確認して口を開いた。
「書状?」
首を傾けた翠玉に、侍女が椅子を持ってくる。
掛けるよう言われ椅子に掛けると、皇子は胸元から一通の書状を取り出した。
「母からは叔母上様だけに見せろと言われています」
そう言って見上げてきた彼の大きな瞳は緊張したようにこちらを見上げていた。
受け取って開いてみれば、昨晩と同じ筆跡と印章が目に飛び込んできた。
『おそらく私は罪を裁かれる。
惺を後宮に置いておくのは彼の命を危険に晒すこととなる。
絶対に後宮に渡す事はしないで欲しい』
昨晩と同様の、大雑把すぎる説明と願いに翠玉はどういう事かと首を傾ける。
詳しい説明は何一つとしてなく、自身の希望だけを押し付けた文章はあの姉らしいと言えばらしいところだ。
戸惑って皇子を見ると、皇子は手を出して書状を返して欲しいと言う。
素直に手渡すと、彼は脇に控えていた侍女にそれを一瞥すらしないまま渡してしまった。
受け取った侍女は、それを手にすると傍に置かれた燭台に近づけて火を灯し、同じように傍に用意されていた皿に投げる。
書状はいとも容易く、橙色の炎を上げて燃え上がり小さくなった。
最後にチラリと浮き出てきた姉の印章が燃える様が、なんとも不吉な様を連想させて、翠玉は胸が締まる気がした。
その炎が尽きるのを、皇子も黙って見守っている。9歳の子どもが自身の判断でこんな事ができようはずもない。
異母姉にこうする事を指示されていたのだろう。
見下ろした幼い顔には、罪悪感というものは微塵も感じられなかった。
書状が燃え尽きるのを確認して、侍女が皿を持って下がって行く。
「お母さまは、帰ってこないのでしょうか?」
ポツリと、小さくか細い声で呟いた彼の言葉は、初めて彼が本心を見せたような、子供の声で。
胸が締め付けられそうな痛みを孕んでいた。
「わかりません。今調べているところのようですから、沙汰を待ちましょう。私も色々と情報を集めて参りますから」
もう一度皇子の手を握ると、そのあどけなく美しい顔が泣きそうに歪んだ。
どうやら、劉妃の罪はこれだけではなく、針や泉妃の宮への侵入者のことも調べられているらしい。これが本当なら廃妃の上、極刑は免れない。
もちろん惺殿下も良くて流刑だろう。
そう……
とりあえず全て終わるまでは惺殿下の身柄はこちらで預かって欲しいと、劉妃が強く希望しているから面倒を見てくれと皇帝には頼まれているらしいのだが
彼の処遇だってどうなるか分からないのだ。
この寄る方もなく不安そうで儚い姿に、お守りいたします。と言ってやれない事が心苦しくてならなかった。
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