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ついてねえ

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「面倒ごとは勘弁してほしいんだがな」

 思わず俺はそう呟いた。瘴気に満ちたこの森の中で、神秘的に見えないこともない大木の下に一人の美少女が眠っている。遠くからでもわかるほど傷だらけだったし、長い逃避行の中であちこち汚れてはいたが、それでも絵になる光景だ。だが俺には分かる。これはフラグだ。街のニュースから考えてみても、恋愛じゃない。明らかに面倒ごとの方だ。ひどくタイムリーなことが起こったな、と俺はどこか他人事のように考えていた。

 彼女が目を覚ます気配はない。まさか、もう死んでいるのだろうか?俺は恐る恐る近づいてみる。実は罠で、次の瞬間裏切り者の勇者が俺の首を撥ね飛ばしていた……なんてことが起きませんように。この森にも慣れたと思っていたが、この瞬間はひどい緊張感があった。やはり俺は恐ろしいところに住んでいたんだ、と改めて考えながら、一歩一歩歩み寄っていく。

「頼むから目を覚まさんでくれよ……」

 せっかく森に隠れ住んだのに、なぜ今更こんな恐ろしいことをしなければいけないのだろう。禍福は糾える縄の如しとは言うものの、福に対して禍が大きすぎやしないか? ミスリルのナイフがいつでも取り出せる位置にあることを確認しながら、俺は慎重に近づいていった。本当は勇者ではなく、そっくりな一般人もしくは冒険者であることを期待していた節はあったさ。だが、今は分かる。この強者の気配は間違いなく勇者だ。俺がだいたいあと4mのところまで近づいた時、急に背後の茂みから音がした。

 急いで振り返ると、そこには1匹のホブゴブリンがいた。背丈は普通のゴブリンより少し大きいぐらい。だが、大体適正はE+ランクだ。今の俺でも倒せない敵ではない。バックステップで棍棒を躱し、腕が戻ってくる前に喉を掻き切る。返り血が街に出かけるための服について狼狽したが、それよりも今は勇者のことだ。ナイフに付いた血を軽く払って振り返ると、勇者は目を覚まし、剣を抜いて立っていた。

いや、終わった、と思った。

「ぁ、怪しい者では」

 口をついて出たのもこういう言葉だった。もしかしたらはっきり言えたのは「ぁ」だけで、その後の言葉は口をもごもごさせていただけかもしれない。ほとんど死に体で華奢な骨格をしていたにも関わらず、その威圧感は今迄に出会ったどんな怪物たちよりも強かった。急にパーティーメンバーたちのことが思い出されて、これが走馬灯か、なんて思ったりもした。途中には不健全な思い出も混じっていた。ローランドールが飼っていた鶏が震えていて、あいつが卵を産むんだと思って手を差し出した時に出てきたものがただのフンだったこととか。下らない記憶が脳裏をよぎる度、本当に死ぬんだな、という思いがした。美しい物だけを並べる訳じゃない、本当に人生の全てを見ているんだ。
 一秒が何時間にも引き延ばされるような感覚の中で、俺は堅く目を瞑った。ああ、ここで死ぬのか。好奇心は猫をも殺すってやつだ。そりゃあ三十オーバーのおっさんだって死ぬよな。猫が死ぬんだから。アルベリア、魔法雑貨屋のツケ払ってやれなくてごめん。リリアナ、この前紹介してやった温泉にはもう入ったか? 早めに入った方がいいぞ。レンドール、二か月後の飲み会は俺抜きでやってくれ。ローランドール、娘さんをあんまり泣かせるなよ……。

 しかし、結論から言うと俺は死ななかった。それも当たり前の話で、勇者は別に最初から攻撃など放っていなかった。俺の少しばかり豊かで悲観的な想像力、よく言えば危機察知能力が独身男の悲しい死にざまを描き出しただけで、実際勇者は再び大木の下に倒れていた。一瞬幻覚だったのかと疑ったが、もちろんそうではなかった。向いている方向が違ったからだ。
 逃げ出そうかとも思ったが、逃げたところでどうなるわけでもない。死んだら死んだで面倒だし、生きていたら探し出されて殺されるような気がする。そういうわけで、俺にはもう近づいて彼女の顔を拝んでやり――その後の計画は特にないが――ともかく裏切り者らしい勇者を家に連れ帰ってみる以外の選択肢がなかったわけだ。街の憲兵に突き出す? とんでもない。憲兵とは顔見知りだが、正直勇者がその気ならあいつらの手に負える相手ではないだろう。一緒に飲む酒がうまくて、あいつらは良い奴らだ。俺が危険を背負い込む理由なんてそれだけで十分じゃないか。

 こういうことは早く済ませようと思い、俺は急いで彼女を背中におぶった。さっぱりして赤みがかった短髪に、剣を握るよりハープでも弾いていそうな滑らかな手。ぱっちりした目は閉じられて、長い睫毛が瞼の動きに合わせて苦しそうに揺れていた。

 勇者は本当に裏切ったのだろうか? 俺は歩きながら考えた。考えたというか、本当に裏切っていたら殺されるのだから、殺されないはずだと自分を納得させようとしていたというのが一番しっくりくる表現だ。
 ゲームの話をしよう。俺が少しプレイした『アルケイン・レガシー』の主人公は、それなりに暗い過去を持っている。病気をこじらせて、一時生死の境をさまよっていた主人公が、両親によって王都の療養院に送られる。そして主人公が王都に着いたすぐ後に、主人公が住んでいた村が魔王軍に襲われる、という筋書きだ。ストーリーは王道ファンタジーだが、その分細部まで設定が作りこまれていて好きだったな。
 いや、一つ訂正しておくが、細部まで、って言っても俺自身はそこまで詳しくやってない。動画配信サイトでやりこんでる人の解説を聞くのが好きだった、そんな具合だ。なかなか面白いストーリーだった。主人公の兄はすごい人で、主人公はその人に憧れてたんだが、そいつも魔王軍の襲撃で亡くなってしまう。そういう心情の深堀や兄と友人だったキャラクターとのイベントもあって、そういうところが俺に刺さったんだよ。重い過去を背負わせるだけじゃなくて、ちょっと出ただけのNPCもあの世界にいた一人の人間なんだな、と思えた。あとはストーリーも悲惨過ぎないし、本当に俺にぴったりのゲームだった。コンシューマーで出るだけあるな。

 小屋に着いて、勇者をベッドに降ろした。バカ狼がわんわん吠えているが無視だ。保存の魔法をかけた容器に水が入っているから、それを取ってきて傷口を洗ってやる。神様にお祈りしながら服を脱がせたが、目を覚ます様子はなかった。変な想像しないでくれよ。俺も前世を合わせれば精神年齢は五十代だ。特に何も思わなかったさ……いや、ちょっとは思った。本当はな。でもちょっとだけだ。
 彼女の体はかなりひどい状態だった。すさまじい毒に侵されていて、いったい何と戦ったらこうなるんだろうと不思議なぐらいだ。仮にも俺は元Bランクだし、それなりに危険な奴とも戦ってきてる。ポイズントードの親玉や、場合によってはバジリスク討伐隊にも名前を連ねたことがある。そんな俺でもこれほどの毒にはお目にかかったことがない。福袋みたいに色んな症状が詰めあわされていて、俺じゃないやつがおぶったらそれだけで生死のふちを彷徨う羽目になったような気もする。

 正直、彼女が本当に裏切ったとは思いたくない。俺はゲームと動画でしか勇者を知らないが、本当に良い奴なんだ。性格もいいし、女性を選択したらかわいいイベントもあるし、男性の場合はちょっとHなイベントもあるし、裏ダンジョンの最強装備を序盤で手に入れると楽しいし、何より折れない心を持ってる。イベントは全回収したわけじゃないから悪い面もあるかもしれないが……待て、俺の言い分を聞いてくれ。例えば恋愛ゲームをやったとして、本当に心の底からヒロインに入れ込めるのは、実は最初の一回じゃないか?
全ルートを攻略してしまった場合、自分がそのヒロインを好きだからやってるのか、CGとイベントを回収するためにやってるのか分からなくなる、そんなことなかったか?
 俺はそっち派だったのさ。正直今は後悔してるけどな。このイベントがこの先どうなるのか不安で仕方がないよ。

 そんなことはどうでもいいんだ。本当に勇者が裏切っていた場合、俺が彼女を助けることは俺の知り合いが危険な目に遭うことを意味する。人類の敵になるってことだからな。問題は、そういうリスクを、俺の個人的な感情で人類全体に負わせていいのかってことだ。中間管理職みたいな悩みだ。

 俺は比較的きれいなシーツを引っ張り出して、堅いベッドの上で苦しそうに呻いている勇者にかけ、その上から軽く紐で体を括り付けた。意味があるとは思わないけれども、ないよりはマシだろう。

「お前はどうすればいいと思う?」

 俺が聞いても、子狼は我関せずといった様子で返事もせず餌皿に盛った飯をがつがつと食べている。畜生、かわいいやつめ。俺が殺されたらお前も死ぬんだぞ。

「ついてねえんだろうなあ、俺は」

 頭をガシガシと掻いた。俺はベッドの脇に屈みこんで、勇者の白い肌にじくじくと膿んでいる傷口に手をかざした。さて、俺のスキルが彼女の毒に太刀打ちできるといいんだが。
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