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幌馬車に乗って

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 ことことと椅子が揺れ、頭巾を深くかぶったエリスの頭が俺の二の腕のあたりに寄りかかっている。本当は肩のあたりに乗せてやれたらいいが、身長差があるのでどうしてもこういうことになってしまう。

「娘さんかえ?」
「まあ、叔父と姪みたいなものです」
「ほうか、ほうか! 仲がええのは、ええことさね」

 今アルベリアが住んでいる地域まで続く乗合の幌馬車は、三日に一回の頻度で出ている。駅での休憩がある方と無い方があって、無い方はスレイプニルが馬車を引く。俺たちは今回、ない方に乗った。ペットが許可されるのはスレイプニル便だからだ。後ろに取り付けた魔法の籠の中で、子狼が静かに眠っている。俺もたまに乗ることがあるが、最後の三時間ほど延々と続くのどかな田園風景はやはり一見の価値ありと言ってもいいだろう。
 乗り合わせたのは質素な服を着てはいるが仕草から気品がにじみ出るような老婆と、眉間に深い皴が刻まれ、未だに背筋をしゃんと伸ばした奥に一本芯の通ったものを感じさせる老爺だった。

「それで、そちらの方は?」
「うちの亭主よ。二人で孫娘に会いに行くところひゃ」
「さぞお孫さんもお喜びになるでしょうね」
「っふ、はて、どうだかな。毎度迷惑ほうな顔をしよるわ」
「そうは言っても、内心嬉しいものですよ。ご両親が今もこうして会いに来てくれるのは健康の証です」

 俺がそう言うと、老婆は空気の抜けるような音をたてて笑った。

「健康すぎるのも困りものよ! 齢百と三十を過ぎれば、あとは重荷とわざわいしか残らんわい。隣の爺がまさにそれひゃな。ほれ、ほれ、とっとと逝かんか」
「やめい……」

 老婆が若芽に接ぎ木された枯れ枝のような手で老爺を叩くと、彼はそれを鬱陶しそうに払いのける。彼女のくしけずられた白い髪の毛はよく磨かれた石の髪留めでシニヨンにされていたが、よく見るとその髪留めは相当な昔から使われていて、愛情のみがそれを長持ちさせていることが感じられた。老爺の頭には大きさがバラバラな染みが至る所にあったが、その中のどれ一つとして病の兆候を感じさせない。長い年月が作った揺るぎのない気の置けなさがそこにあった。

「ときに若い人よ、なにか重大なことを決めたような顔をしておるが、いったい何をするひゅもりかえ? 婆さんに話ひてみんか」
「……話さんでええぞ。男には秘密の一つや二つあるっちゅうに、この婆みっともない真似をしょる」
「なあにがみっともない真似か! おまえの頭の方がみっともないわ。帽子でも被ればいいものを、性に合わんだのなんだの言いよって……」

 幌馬車は揺れる。老婆はどこからともなく水晶玉を取り出して、年の割にしっかりした腕を伸ばして真ん中に捧げた。老婆の魔力が水晶玉の内側に沈みこんでゆき、星の内部のような紫色の対流を作り出した。肩の少し下には相変わらずエリスの温もりがあった。相当作業に熟練しているのか、二人は軽口を止めない。

「本気でやりよるつもりか」
「爺さんは黙っとき。若い人、婆さんの占いはよく当たるぞえ。少し覗けば運命が見える、近ければ近いほど強く……乗合馬車も何かの縁ひゃ、着くまでの間、何が見えるか教えてひゃろうぞ」
「兄さん、見んほうがいい。これが若いころ占い師をやっとったのは本当だが、試しに己を占わせたのが運の尽きだわ。水晶玉にこの爺さんの頭が見えるなんて言って、あれよっちゅう間に結婚させられた。とんだ詐欺師よ」
「あんたも満更じゃなかったひゃろ、助平爺」
「あの頃はAランク冒険者で顔も光を放っとった。もっといい女が山ほどおったわ」
「まあまあ、お二人とも……」

 俺が止めに入ると、老婆は笑って老爺から水晶玉の方に顔を戻した。爺のせいで話がほれたわ、と言い、煙の上にぼんやりとした身長差のある二人分の影を生み出す。旅の影だの、と老爺が言った。

「若い人。ほこの子供を連れて、旅にでようとひておるようひゃな」
「ええ、まあ」
「何があったかは知らんが、大変なことよ」

 老夫婦は言い合いを止め、真面目な表情で水晶玉の中を見ている。何度かアルベリアに占ってもらったことがあるが、これほどはっきりとした影が出てきたことはなかった。実は名の知れた人間なんじゃないか、と思い、俺も物思いにふけっていた頭を切り替えて水晶玉を覗き込んだ。

「……こりゃ、相当長いかもしれんの」
「ほれ、苦難の避け方を占ってひゃろ」

 ふと思ったことがあって、俺はそれに口を挟んだ。老爺は口に気持ちいいほどはっきりした弧を描き、対照に老婆は少し表情を曇らせた。

「お兄さん、よく言うた。それでこそ男よ!」
「若い人。あんたはほれで結構かもひれんが、隣の子に大変な思いをはへるのは、婆さんは感心せんよ」
「なに、この男なら大丈夫よ。中々気概がある。なあ、ある者同士は分かる」
「肩書と見た目に釣られて、少し寝て起きたらすぐ見放されるまでがオチひゃった男が何を言うか」
「……ん……」

 また爺さん婆さんの言い合いが始まろうかという時に、不意にエリスが目を覚ました。彼女は自分が何をしていたかをすぐに理解し、顔を赤らめて姿勢を正す。

「おお、お嬢ちゃん。今婆さんが二人の運命を占っとるところよ」
「ふ、二人の運命……!?」
「ボケ爺、起き抜けにそんなこと言っへも分かるわけないひゃろう。旅先でなにが起こるか、危ないことはないか占っへやろうほいう訳ひゃ」
「エリス、このお二人は俺の見立てだと凄い人たちだぞ」

 俺の言葉に寝ぼけたエリスは首を傾げる。老爺はふむふむとうなずき、水晶玉に手をかざす。彼の手のひらの先に、ぼんやりと青い光が灯った。それを見た老爺と老婆が瞬きするかしないかのほんの一瞬目を合わせていたというのを、俺は後でエリスから聞いた。二人の雰囲気が変わった。水晶玉にはアルベリアのものとは比べ物にならないほど濃い靄が映っていたが、それでも俺達には二人ほど鋭く解釈する力は備わっていなかった。

「ひゃて、見えてきた……これは……おお、苦難ひゃ」
「婆さん、これは言うな。男の決心ちゅうもんがある」
「訳の分からん……ああ、過ぎ去ってひもうた。はて。お二人はん。あんた方は、長い旅の間に様々なものを見るであろ。ほれは、波の立ち騒ぐ海……降り積もる雪につく誰かの血の跡……裏路地で取引される薬物、この広場は……?」
「愛の広場ぞ。そして、破局する何人もの男女」
「そんな広場を知っとるとは、スケベな爺ひゃな」
「馬鹿、何とでも言え。お兄さん、お嬢ちゃん、漠々とした砂漠の蜃気楼に、その果てにあるオアシスが見えるかね。王国の……これは、深い闇か。市民と同盟市から集めた黄金きらめく、壮麗な城。対岸の見えない大きな川、底に潜む巨大な魚と、腐ってゆく獣の死骸……」
「阿呆、ほんな暗いものばかり伝えるひゃつがいるかね。お嬢ひゃん、心配へんでええ。ほんな物も見える。精霊の他は未だ誰も足を踏み入れたことのない花畑、ほこに沈んで花の色を変える夕日。たくさんの武器密輸人たち、大草原で白い鬣を風に溶かす馬の群れと短弓を携えた女たち。小はな国の内乱ひ、貧民窟、古代の壁画はあるへども……」
「しかし、お兄さん……あんた、大変なことをやろうとしとるぞ。勇者に成り代わるつもりかね? それは無用な心配だ。新聞は勇者が裏切ったなんて書いとるが、新聞社は金を貰って嘘をつくのが仕事だ。悪魔とでも取引する」
「このボケ爺は余計なほとしか言わんひゃな」

 まあ、世界を救うって言うのは男の夢ですよ。俺がそういうと、老爺の方は深くうなずき、老婆の方はよく分からないといった顔をした。しかし、エリスの方を向いて、その目になにかを読み取ったのか、品のいい顔つきの中に真剣なものが宿る。

「……いいひゃね? お嬢ひゃん。世界を救うというひょとは、今婆さんが言った全てを、そしてそれの数万倍もある、多様な全てのものを救うとひゅうことぞよ。よいこと、悪いこと、ひょれをひっくるめて世界と呼ぶのひゃ。ほの覚悟があるかえ」

 エリスは黙って頷いた。

「お兄さん、男の決意を鈍らせたくはないが、水晶球に見えたものはええもんばかりじゃないぞ」
「それで構いません」

 口先で言うのは簡単だ。だからこそ、俺は目の中にも固い決意の光が宿るようにして、じっと老爺の方を見据えた。駅馬車が数回揺れた。老夫婦はやがて相好を崩した。

「馬車が着いひゃら、孫娘の家でひばらく待っひょれ。役に立つ手紙を書いてひゃろう」
「婆さん、誰に書くのかね」
「ひょうひょうがひょかろ」
「あ……あの老いぼれか?」
「爺さんひょりは若く見えるひゃろ」

 俺とエリスは二人のやり取りに顔を見合わせて笑った。

「あの占い、凄かっただろ」
「本当にあんな沢山見えてたのかな」
「そう信じたいな」

 そういえば、老婆は運命が近ければ近いほどよく見えると言っていた。実は俺かエリスと関わりの深い人たちだったのだろうか。あるいは、これから深くかかわる二人だったのか。馬車は、それを聞くタイミングが来る前に止まってしまった。子狼はすぐさま箱から飛び出してきて俺の足を引っ搔いた。相変わらずだ。

「お兄さん、お嬢ちゃん。家に寄ってってくれんか」

 筋肉が相当落ちてはいたが、それでも頑健な体で老爺がある方角を指し示した。俺たちもそちらに行く予定だったので喜んで付いて行く。何となく、ある仮説が頭を通り過ぎた。

「お爺さん。アルベリア魔道具店って、聞き覚えありませんか?」

 すると、老爺と老婆の表情が明るくなり、口々に騒ぎ出した。エリスは小狼を胸に抱きかかえながら田園風景を眺めていたので、その表情は伺い知れなかった。多分楽しんでいるだろう。老婆が嬉しそうに言った。

「ひゃはや、うちの孫娘の店も、思ったひょり名が知れるひょうになったひゃの」

 これで納得がいった。何のことはない。この二人はアルベリアの祖父母だったのだ。思わぬ偶然に嬉しい気持ちになりながら、長い道を歩いていく。彼女はどんな顔をするだろうか。
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