死んだことにした悪役令嬢、 辺境で騎士団長に溺愛されつつ帝国を建て直します

桃我タロー

文字の大きさ
15 / 70
第一章 ヴァルム試験国家編

第十話 情け感情は罰のために(2)

しおりを挟む
 団長室に戻ると同時に、その問いがもう一度飛んできた。

 机の上には、昼間の在庫表と第三班の勤務表、それに第三倉庫と門を結んだ簡単な地図が広げられている。ランプの炎が揺れ、紙の影が伸びたり縮んだりしていた。鼻をかすめるのは、紙とインクと、冷めかけの酒の匂いだ。

 シュアラは椅子に腰を下ろし、帳簿の束を胸元に引き寄せた。背もたれがぎしりと鳴り、木が抗議するように軋む。

「まず、どれくらい削られたかを見ます」

 彼女はペンを取ると、昼間の在庫調査の結果と倉庫の記録を重ね合わせ、過去数十日の減りをざっと追っていく。干し肉の袋、押し麦の袋。日付の隅に赤い点を付け、同じあたりに印が集中している列を拾い上げる。

 数字を追ううちに、指先の感覚が少しだけ鈍くなってきた。紙の端で、人差し指の腹を軽く切っていた。じわりとにじむ赤を舌で一度拭い、鉄の味を飲み込む。

「……兵五人分の冬の配給、一ヶ月ぶんです」

 ペン先が止まり、インクが一箇所で少しだけ滲んだ。

 数値を追いかけていた視線を、そのまま別の帳簿へ滑らせる。

(兵五人分一ヶ月。兵一人ぶんに換算すれば百五十日分。西の村への配給量と兵一人ぶんの給金を合わせても、妻と子ども一人の三人家族なら、この冬の終わりまでにおよそ三十日ぶん足りなくなる。ラルスの家も、おそらくその〈足りない側〉にいる)

「……は?」

 カイが椅子から身を乗り出した。

「そんなに削れてたのか」

 マグカップを持つ手が、僅かに強張る。その指の白さが、彼の驚きの度合いを代弁していた。

「正確な値は、もう少し検算が必要ですが、大きくは変わりません」

 シュアラは数字の横に、『暫定』と小さく書き添えた。

「帳簿の上では、これが全部“借り”です」

 ラルスの名の横に、細い字で数字を書き込む。そこに金貨の記号はない。ただ、日数と袋の数だけが並ぶ。

「借りを返させる役目は?」

 カイの問いには、さっきより冷たい成分が混じっていた。

「倉庫の補修と荷運び、それと配給列の整理です」

 シュアラは迷いなく答える。

「倉庫から門までの“抜け道”は、彼が一番よく知っています。その道を潰すにも、壁の穴を塞ぐにも、彼の足と腕が必要です」

「盗人に倉庫を触らせるのかよ」

「盗人だからこそです」

 紙の上で、第三倉庫と西門を線で結びながら説明する。

「どこが死角だったか。どの時間が薄かったか。それを全部吐かせて、逆にそこに人を立てる。壁に穴があれば、彼自身に塞がせます。重い石や木材も、彼の肩に乗せます」

「罰と仕事が一緒になってやがるな」

「罰だけの仕事は、長続きしません」

 シュアラはきっぱりと言った。

「配給のときは?」

 カイがマグカップを机に置く。底が木の板を叩き、鈍い音がする。

「今日、配り終えたはずの飯が、どうして足りなくなったか。列の端で一番よく見ておくべきなのは、本人です」

「……列に座らせるつもりか」

「はい。配給台の横に、縄付きで」

 その光景を思い浮かべると、喉の奥が少しだけざらついた。明日の朝の空気が重くなるのも分かる。

「誰がどれだけ食べているか。自分が抜いたぶんで、誰の皿が軽くなったか。それを、彼に毎日見せます。記録も書かせます」

 ラルスが数字を書くたびに、誰かの顔を見る。兵士、炊事係、村人。彼らが冬を越せるかどうかは、今後の彼の働きぶんにも関わる。

「……飯はどうする」

 しばらく黙っていたカイが、ぼそりと問うた。

「負債が五人分一ヶ月あるってんなら、そいつの配給減らせばいいじゃねえか。半分とか三分の一とか」

「減らします」

 シュアラは頷いた。

「ただし、“動けるだけの量”は維持します。動けなくなったら、返済できません」

「やっぱり甘いな」

「甘くありません」

 即答してから、彼女は自分の声の硬さに少しだけ気付く。

「死なせると、完全な赤字です」

 カイが、呆れたように笑い声を漏らした。

「お前なあ……。人が死ぬのを『赤字』って言う女、初めて見たぞ」

「正確な表現だと思いますが」

 シュアラは自分の言葉を内側で一度転がす。感情的な意味ではなく、ただ収支の話として。

 それでも、胸の内側が少しだけざわついた。

 彼女は懐に手を入れ、封筒の縁を指先でなぞる。

 帝都に提出されたはずの、自分の死亡届。ろうを割り、封を切ったあと、再び封じた紙。まだ新しい羊皮紙の感触が、布越しに伝わってくる。

「帝都の帳簿では、私はすでに“死人”です」

 独り言のように口に出すと、カイが眉をひそめた。

「ここでまで死にたがってるようには見えねえがな」

「ここでは、逆です」

 シュアラは静かに言った。

「帝都の帳簿の中では、私は『使用済みの死者』に分類されています。だからこそ、ヴァルム砦では、できる限り“死なせない側”に回りたい」

 カイはしばらく黙り、天井の煤の跡をじっと見ていた。やがて、短く息を吐く。

「……理解はできる」

 ぼそりと呟くように言う。

「納得できるかどうかは、正直まだ怪しいがな」

「納得していただく必要はありません」

 シュアラは首を振る。

「ただ、“冬までに何人死なせずに済むか”という数字だけは、共有していただきたい」

「お前、本当に変な女だな」

 カイは頭を掻きながら笑った。

「ラルスの件は、お前の案でいく。ただし、ひとつだけ条件だ」

「条件?」

「同じことをもう一度やったら、そのときは俺が殴る」

 椅子の背にもたれ、目を細める。

「どれだけお前が計算しても、二度目は止めるな」

 シュアラは少しだけ考え、それから頷いた。

「再利用の余地がなくなったら、そのときは処罰に切り替えます」

「最初からそう言え」

 ぶっきらぼうな言葉。だが、さっき倉庫で見たときよりも、カイの目の濁りは薄くなっているように見えた。主観でしかない変化だが、彼女はそれを観察として胸の中に留める。

 紙束をまとめ、手帳を開く。新しいページの上部に、ペン先で文字を刻んだ。

『砦の胃袋を縫う』

 少し間を空けて、その下にもう一行。

『処罰より再利用』

「……物騒な見出しだな」

 向かいから、カイの声が落ちてくる。

 彼は椅子の背にもたれ、片肘を机に乗せたまま、眠気と疲労の混ざった目でこちらを眺めている。その奥に、薄く笑いが浮かんでいた。

「仕事の名前は、分かりやすくあるべきです」

 シュアラは顔を上げずに答えた。

「中身はもっと物騒ですよ。人を殴るより酷いことをします」

「おい」

 カイが眉をひそめる。

「殴るより酷ぇって、本人の前で平然と言うな」

「事実ですから」

 淡々と返すと、カイは短く息を吐いた。

「……まあいい。お前の『酷ぇやり方』で、この冬の死人が減るなら、文句はあとでまとめて言う」

「まとめて、ですか」

「ああ。三ヶ月後にな」

 そう言って、カイは椅子から立ち上がった。外套を掴み、肩にひっかける。

「ゲルトにも伝えとけ。『殴りかけた兵を止めた分、仕事が増える』ってな」

「それは団長が自分で伝えるべき内容では?」

「やだね」

 ぶっきらぼうに言い捨てて、カイは扉へ向かう。取っ手に手をかけたところで、ふと振り返った。

「……ラルスの件」

「はい」

「あいつが本当に“使える”かどうかは、お前のやり方次第だ」

 カイの声は低いが、その中にわずかな期待の色が混ざっていた。

「外したら、今度こそ遠慮なく殴る。覚えとけ」

「外さないようにします」

 シュアラは手帳を閉じた。

「団長の拳は、砦の資源ですから」

「お前なあ……」

 カイは呆れたように笑い、それきり何も言わずに部屋を出ていった。

 扉が閉まる音が、静かに響く。

 シュアラは一度だけ深く息を吐き、机の上の帳簿に手を伸ばした。まだ乾ききらないインクの匂いと、窓の隙間から入り込む冷たい空気。その境目に、自分の盤面が広がっていると、彼女は理解していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。

黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」 豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。 しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。

身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜

しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」 魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。 鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。 (な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?) 実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。 レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。 「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」 冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。 一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。 「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」 これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。

なぜ、私に関係あるのかしら?

シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」 彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。 そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。 「…レオンハルト・トレヴァントだ」 非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。 そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。 「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」 この判断によって、どうなるかなども考えずに… ※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。 ※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、 ※ 画像はAIにて作成しております

王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!

ちゃっぴー
恋愛
「ラーニャ、貴様との婚約を破棄する!」 卒業パーティーの真っ最中、ナルシストな第一王子ウィルフレッドに身に覚えのない罪で断罪された公爵令嬢ラーニャ。しかし、彼女はショックを受けるどころか、優雅に微笑んで拍手を送った。 なぜなら、ラーニャはとっくに王子の無能さに愛想を尽かし、この日のために完璧な「撤退準備」を進めていたからだ。

お前のような地味な女は不要だと婚約破棄されたので、持て余していた聖女の力で隣国のクールな皇子様を救ったら、ベタ惚れされました

夏見ナイ
恋愛
伯爵令嬢リリアーナは、強大すぎる聖女の力を隠し「地味で無能」と虐げられてきた。婚約者の第二王子からも疎まれ、ついに夜会で「お前のような地味な女は不要だ!」と衆人の前で婚約破棄を突きつけられる。 全てを失い、あてもなく国を出た彼女が森で出会ったのは、邪悪な呪いに蝕まれ死にかけていた一人の美しい男性。彼こそが隣国エルミート帝国が誇る「氷の皇子」アシュレイだった。 持て余していた聖女の力で彼を救ったリリアーナは、「お前の力がいる」と帝国へ迎えられる。クールで無愛想なはずの皇子様が、なぜか私にだけは不器用な優しさを見せてきて、次第にその愛は甘く重い執着へと変わっていき……? これは、不要とされた令嬢が、最高の愛を見つけて世界で一番幸せになる物語。

『外見しか見なかったあなたへ。私はもう、選ぶ側です』

鷹 綾
恋愛
「お前のようなガキは嫌いだ」 幼く見える容姿を理由に、婚約者ライオネルから一方的に婚約を破棄された 公爵令嬢シルフィーネ・エルフィンベルク。 その夜、嫉妬に狂った伯爵令嬢に突き落とされ、 彼女は一年もの間、意識不明の重体に陥る――。 目を覚ました彼女は、大人びた美貌を手に入れていた。 だが、中身は何ひとつ変わっていない。 にもかかわらず、 かつて彼女を「幼すぎる」と切り捨てた元婚約者は態度を一変させ、 「やり直したい」とすり寄ってくる。 「見かけが変わっても、中身は同じです。 それでもあなたは、私の外見しか見ていなかったのですね?」 静かにそう告げ、シルフィーネは過去を見限る。 やがて彼女に興味を示したのは、 隣国ノルディアの王太子エドワルド。 彼が見ていたのは、美貌ではなく―― 対話し、考え、異論を述べる彼女の“在り方”だった。 これは、 外見で価値を決められた令嬢が、 「選ばれる人生」をやめ、 自分の意思で未来を選び直す物語。 静かなざまぁと、 対等な関係から始まる大人の恋。 そして―― 自分の人生を、自分の言葉で生きるための物語。 ---

勘当された悪役令嬢は平民になって幸せに暮らしていたのになぜか人生をやり直しさせられる

千環
恋愛
 第三王子の婚約者であった侯爵令嬢アドリアーナだが、第三王子が想いを寄せる男爵令嬢を害した罪で婚約破棄を言い渡されたことによりスタングロム侯爵家から勘当され、平民アニーとして生きることとなった。  なんとか日々を過ごす内に12年の歳月が流れ、ある時出会った10歳年上の平民アレクと結ばれて、可愛い娘チェルシーを授かり、とても幸せに暮らしていたのだが……道に飛び出して馬車に轢かれそうになった娘を助けようとしたアニーは気付けば6歳のアドリアーナに戻っていた。

処理中です...