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第一章

3話 運命の番

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 3 運命の番

 * * *

 目が覚めたとき、自分がどこにいるのかさっぱり分からなかった。知らない天井と大きなベッド。隣ではリーリアが寝息を立てている。
 その額に手を当てるとひどく熱くて、あぁどうしようと考え込んだ。一度熱が出るとなかなか下がらないのだ。
 私のたったひとりの大切な家族。彼女をどうやって守ろう。そう思った瞬間、いままでのことが頭を駆け巡り、涙が溢れた。

 ここはどこ?

 * * *

「言葉が通じない?!」

 伝言を聞いて駆けつけた俺たちに、クレアがとんでもないことを云った。

「まったく分からないね。向こうの言葉もわからないし、こっちの話も全然通じてない。お手上げだよ。」

 二階からは、泣き声だけが聞こえていた。先に目覚めた黒髪の少女は、銀髪の子の側を離れようとせず、ずっと泣いているそうだ。

「それじゃあ、彼女たちの事情も?」
「事情どころか、名前もなにも分からないよ、あそこから動かないし。」

 兄貴とクレアは何やら考え込んでしまった。俺は泣き声が気になって気になって仕方ない。彼女の声に胸がえぐられるように疼いた。

「なぁ、彼女に会うのは無理か?一人にしておきたくない。」
「………。目が覚めてから、男に会わせてない。あんたを見て、さらに泣き出したらどうするんだい?」

 クレアの言葉に俺は返す言葉がない。男に乱暴されて、あんなにボロボロになって、そりゃあ怖いよな。でも、あんなに泣いている子を放っておけないだろ。

「顔を見るだけでもいい。怖がるならすぐに離れる。頼むよ。」

 クレアは医者の顔で悩んでいるようだった。

「このまま誰にも会わせない訳にはいかないだろう。私も、銀髪の子の様子が見たい。クレア、私からも頼む。」

 兄貴が頭を下げるのに続いて、俺も頭を下げた。

「まぁ、このままってわけにもいかないだろう。怯えたり、さらに泣き出したら、すぐに部屋を出てくれ。」


 クレアを先頭に診療所の二階にあがる。二階はクレアが自室として使っているので、入るのは初めてだ。

 ある部屋に近づくと泣き声が大きくなっていく。クレアが静かにドアをノックした。

「入るよ。」

 そこは小さな部屋だった。もともと荷物置き場だったのだろう。片側の窓は荷物で塞がれていて、その反対側に小さなベッドが置かれている。そこにはあの銀髪の少女が穏やかな顔で眠っていた。
 その横に座り込み。黒髪の少女がわんわん泣いている。大粒の涙が頬を伝い、顔が赤くなるのも気にせずに小さな手でゴシゴシと涙を拭う。ぬぐってもぬぐっても、後から後から涙が溢れていた。

「いい加減泣くのはおやめ。その子は大丈夫だから。」

 しゃがみこんでクレアはハンカチで少女の顔を拭く。そのとき彼女の瞳が俺たちを捉えた。
 涙で濡れた瞳は、深い深い碧色だ。新緑が芽吹く森のように美しい瞳と一瞬見つめあった。

 そのとき、俺の中の何かが音を立てた。彼女を抱きしめたい。その涙を全て舐めとって、体全体で彼女を感じたい。どうしようもない欲望が体中を駆け巡る。

「こいつらは、お前たちを助けた騎士団長だ。怖がらなくていい。伝わらないだろうが……。」

 彼女の目が、じっと俺を見つめている。俺っていうか俺の…。

「なんかすごい頭を見られてないか?」
「頭というか、耳じゃないのかい?」

 彼女は俺の頭にある黄色と黒の縞模様の耳を、すごい顔で見ている。続いて、同じ縞模様の尻尾を見ると、ひどく驚いた様子だ。

「この子は、獣人を見たことがないのかもしれない。」

 兄貴が冷静に判断している間も、俺は彼女の顔から目が放せない。ぱっちりとした二重に透き通るような肌、その頬の涙の痕をすぐにでも拭いたい。

「少なくとも獣人は犯人ではないのかもしれないな。」

 この子たちを凌辱したクソ野郎が同族でないことにホッとしながら、彼女に感じている自分の欲望がひどく汚いものに思えて仕方ない。

「もう泣くのはやめな。この子も、じきに目を覚ますさ。」
「*〆〇∞%◎▼?▼%∞〇〆*。」

 彼女の可愛らしい声に、すぐにまた俺の欲望が疼く。
 俺たちに何か問いかけていることは分かるが、意味がひとつも分からない。

「兄貴、いまの分かったか?」
「まったく分からないな。聞いたこともない言葉だ。」

 クレアも首を振っている。彼女の目にまた涙が溢れだした。

「*∞〇、リリー、リリー……。*∞%〇。」

 泣きながら、いまだに目を覚まさない少女の手を握った。同じ言葉を繰り返している。

「リリー?リリーってのがその子の名前なのか?」

 俺はゆっくりと彼女のそばに跪いた。うっ、近くで見るとさらに可愛い。

「この子がリリーなのか?リリー?」

 眠る少女を指差して、ゆっくりと尋ねる。すると彼女はその小さな顎で頷いた。

「リリー、リーリア。リーリア。」
「この子はリーリアって名前か!俺はガロン、ガロンだ。わかるか?」

 自分の胸に手を当て、何度も自己紹介した。

「〇%∞〆。……ガロン…?」

 彼女に名前を呼ばれた瞬間、カッと自分の顔が赤くなった。

「ぐっ…ふっ………。」

 なんだこれ、嬉しすぎる。

「お前、名前呼ばれて赤くなるほど、初心だったのかい?」
「うるさいっ!いやっ…この不意打ちはしょうがないだろ…。」

 クレアはひどく呆れ顔だった。

「私はクレアだ。クレア。分かるかい?」
「私はシオンと言う。シオンだ。ガロンの兄だが、それは伝わらないだろうか。」

「…クレア?…シオン…?」

「そうだ、お前さんの名前は?」

 クレアが彼女を指差して、尋ねる。その意味をゆっくりと探しているようだった。

「…エル。リーエル。リーエル。」

「あんたはリーエルって名前かい。リーリアとリーエルね。可愛い名前だ。」

 彼女=リーエルがはにかむように微笑んだ。冬の花がほころぶような弱々しい笑顔だったが、俺の胸を撃ち抜くには充分な威力だった。

「…うぅっ……。」
「お前さっきからいちいちうるさいよ。」

 撃ち抜かれた胸を押さえ、もう一度リーエルに向き合う。どうにかして彼女に泣き止んでほしかった。

「リーリアは大丈夫だ。このクレアが言ってるから、間違いない。大丈夫だ!だから泣くな!」
「それで伝わりゃ苦労しないよ。」
「大丈夫だ!絶対、大丈夫。」

 碧色の瞳が俺を見つめていた。何度も何度も何度も大丈夫だと伝えた。

「〆∞%〇、ダイ…ジョーブ?」
「そうだ、大丈夫だ。だから安心してくれ。」

 リーエルは、傍らで眠っている少女を見つめている。とても大切なものを見る優しい眼差しだった。
 そのとき、彼女の頭がグラリと揺れた。

「おい、どうした?!」

 咄嗟に彼女を抱き寄せる。俺に体重を預けたまま、彼女は意識を失った。

「何日も飲まず食わずで、あれだけ泣けば、貧血にもなる。この子と一緒に寝かせてやりな。」
 
 ゆっくりと彼女をベッドに寝かせる。彼女の体温が心地よくて、ずっとこのままでいたかった。

 * * *

「クレアせんせー!急患ですー!いらっしゃいますか?!」

「ここにいる!いま、行くよ!」

 診療所の入り口から声が響いた。部屋を出ようとしたクレアは振り向いて言った。

「あんたたち、間違っても襲うんじゃないよ。」
「誰が襲うか!」

 バタバタとクレアが階下に降りていく。クレアにはそう言ったものの、もしリーエルと二人きりなら危なかったかもしれない。

「襲いたいのか?」
「なっ…!兄貴まで…。」

 兄貴はベッドに近づき、銀髪の少女リーリアを見つめる。

「もし、この子が許してくれるなら、私は襲いたいがな。」

 リーリアの銀髪を撫でながら、兄貴が平然と言い放った。

「ちょっ、兄貴?突然どうした!?」
「お前が羨ましかっただけだ。私も早く彼女に名前を呼んでもらいたい。」

 どんな女に言い寄られても、まったく興味を示さない兄貴が、まだ目を開けない少女に熱い視線を向けている。

「お前も感じているだろう。この子が特別だと。絶対に離すなと、本能が訴えてくる。初めて見たときから、私はリーリアが欲しくて堪らない。」

 その言葉に、この感情の理由に気がついた。

「俺もだ、他のどの女とも違う。リーエルは特別だ。」

「「彼女がきっと俺の番なんだ。」」

 獣人が人生でただ一人全身全霊で求める相手、番。この広い世界で、番に出逢える獣人は少ない。

「双子の俺らの番まで双子なんて、笑えるな。」

 久しぶりに兄貴の笑った顔を見た。


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