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12話:軍神降臨

8話:悲観と悲鳴(ベリアンス)

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 『セシリアの事で話がある』

 珍しく一言、ナルサッハより手紙を貰ったベリアンスは前線を離れて王都を目指した。

 前線から王都までの道のりは一週間ほどだ。
 傍らにはラン・カレイユで戦った男がいる。金髪に、真面目くさった顔の男。その頬についている傷はベリアンスが付けたものだ。


 王都に到着するとナルサッハは王への顔合わせをしないまま武器を取り上げ、セシリアのいる部屋までつれていく。
 ラン・カレイユの男、テクムも何故か同行していた。

 そうして通されたセシリアの部屋は、日中にも関わらずカーテンが引かれて暗い。そして、カチャカチャという金属の音がした。

「セシリア?」

 声をかける。すると、カチャという音がして「うー! うー!」という苦しげな声がする。
 目が闇に慣れてきた。そうして見た彼女は、数ヶ月前に会った時とまったく違っていた。

 口には猿ぐつわがされ、手にも足にも枷がはまっている。瞳には絶望が、そして何かを必死に訴えている。

「どういうことだ、ナルサッハ!」

 室内にいる男に怒鳴ったベリアンスに対して、ナルサッハはあまり感情の見えない顔をしている。とても冷たい目だった。

「自殺防止です」
「自殺? なぜ、そんな……」
「それはご自分で伺っては如何でしょう」

 怠そうに動いたナルサッハが、セシリアの猿ぐつわを緩めた。
 その途端、彼女の口から漏れたのは悲鳴のような絶望だった。

「殺して!! 兄様お願い、私を殺して!」

 悲鳴が響く。泣きわめくような、そんな絶望の声。打ちのめされたベリアンスの前で、セリシアは同じ言葉を繰り返す。
 そして徐に口元を抑えると、枕元にあった桶の中に嘔吐した。

 それが、全てな気がした。彼女のこれほどの拒絶と絶望。彼女が怯えていた事は、ただ一つだ。

「いや……嫌です、兄様……私を殺してぇ……」

 嘔吐しながらも崩れ落ちた彼女を、これ以上見続ける事ができなかった。

 沸き上がるのは、絶望と憎しみと深い殺意だった。
 それは体を突き破って溢れ、狂いそうなものだった。

 気付けば部屋から走りだし、奥院を目指していた。奥院を守る門兵を殴り倒し、そのまま王が引きこもっているだろう寝室を目指す。そしてそこを守っている者も殴り倒して剣を奪い、ドアを開けた。

 国王キルヒアイスは丁度休憩でもしていたのか、ガウンを纏い側に裸の女をはべらせている。それでも剣を持ったベリアンスを見た瞬間、顔を青くした。

「キルヒアイスぅぅぅぅ!!」

 剣を握り走り込んだベリアンスの剣がキルヒアイスへと迫る。後数十センチでその剣はキルヒアイスの首をカッ切っただろう。だが、背後から首へと何かが刺さった後、体が痺れてそのまま床へと伏した。
 それでも憎しみは、絶望は、怒りは収まらない。膝を立て、剣を向けようとしたが背後からの人物が再び引き倒して腕を拘束する。
 見上げたキルヒアイスは、酷く歪な顔で笑っていた。

「いい様だな、ベリアンス」
「貴様…っ!」
「その様子だと、あの女に会ったのだろ? ん?」

 にやついた顔。この男は本当に人間か。悪鬼か何かじゃないのか。嫌がる妹を手込めにして、乱暴もして、しかも孕ませたんだ!

「殺してやる! セシリアには手を出さないと一筆書いたのも忘れたのか!!」
「はっ、あんなものになんの効力がある。王を相手に一筆だと? そんなもの、あってないようなものだ」
「なんだと!」
「むしろ喜ぶべき事じゃないか。たかが田舎の小娘が、王の子を孕んだんだぞ? 大出世もいいところだろ」
「なっ……」

 こいつ、何を言っているんだ。人を、なんだと思っている。こいつの愚かさの為に戦場では罪の無いラン・カレイユの者が捨て駒にされている。子供まで出されていると聞く。人を……命をなんだと思ってるんだ!

「面白かったぞ。婚約者に詫びながら体は服従していく様など、興奮するじゃないか。これだから他人の女を寝取るのはいい。靡かない生意気な顔を拝むと、絶対に落としてやりたくなるんだよ」

 ゲスな笑みのまま、キルヒアイスはベリアンスの頭を踏む。屈辱的だった。だがそれ以上にこの男を殺してやるという気持ちに心の中がドロドロになっていった。

「第一、既に死んだ男に操を立てる意味がどこにある? レーティスだったか。あんな弱い者に何ができる。むしろ感謝すべきだろ? 死人が女を満足させてやれるのか? ん?」

 目の前が染まる。心に流れ込むドロドロした闇が、全部を染めていく。

 すまない、セシリア。お前を差し出した俺が悪かった。仲間を連れて、逃げればよかった。お前だけでも、逃がせばよかった。逃げられないなら一緒に死んでやればよかった。そうしたら……こんな地獄を見なくてよかったのに。

「ころ……す……ころして、やる……」

 涙すら出ない。動かない体はなんてクズなんだ。
 そんなベリアンスの首に、冷たい剣が当たった。

「王に剣を向けた罪は、分かっているんだろうな?」

 愚かだろうか。殺すならそれもいいと思った。死んだら、絶対にこの男を呪ってやる。地獄の悪鬼と契約しても、こいつを殺してやる。絶望を与えてやる。死して尚も苦しむ様な罰を与えてやる。
 例えこの魂まで闇に染めても、こいつだけは許すものか!

「お待ち下さい、陛下」

 とても穏やかな声がした。姿など見なくても分かる。その声に、キルヒアイスの剣が止まった。

「替えのきかない駒もございます。彼を殺せば誰が、怒れる軍神を抑えるのでしょう」

 ナルサッハの声に、キルヒアイスは舌打ちをしてベリアンスの頬を薄く裂いた。

「ちっ、面倒な事だな。ベリアンス、お前の罪はお前の武勲で償え。軍神の首を持ってこい。そうすれば、産まれた子供に領地の一つでも与えてやってもいい。できなければあの女を殺す」

 この言葉に、ベリアンスの瞳からは光が消えた。無理だ。あの男は常人が抑えられるものじゃない。前線でもギリギリだった。それでもまだ、強さの底が見えないんだ。

「あぁ、それともあの女が子を産む様を見学でもするか? どんな顔をするのか、お前も見たいだろ。憎い男の子が育ち、産み落とす瞬間の絶望は面白い」

 誰か……誰でもいいから、こいつを殺してくれ。もしも敵うなら、俺の全てを差し出す。どんな責めも受ける。生きたまま焼かれようとも、沈もうとも、裂かれようとも構わないから、だから……

「まぁ、暫く牢にぶち込んでおけ」

 抵抗できないまま手枷をはめられた。足にも、同じように枷をされた。そうして引きずり出され、ベリアンスは暗くかび臭い牢に放り込まれた。

「いい顔をしていますね、ベリアンス」

 ナルサッハの声がする。見ているのに、見ていないような気分だった。

「あぁ、いいですね。心の中が真っ黒です。憎いですよね? 絶望ばかりですよね?」

 嬉しそうな声だ。触れた手が、まるで愛しい者でも撫でるようにしている。
 こいつは何を望んでいる? 主を裏切り、あの悪鬼に国を食わせて、何が望みなんだ。

「私の望みですか? そうですね……醜く壊れ、崩れていくことですかね」

 ベリアンスは疑問を感じていた。思っただけで、言葉にしていない。こいつは、どうして分かるんだ。

「おや、不思議ですか? ふふっ、貴方は面白いですね。こんなにも染まっているのに、まだ理性的な考えができる。感情がありますね」
「お前……」
「私を堕としたこの国も、家族を狂わせたラン・カレイユも、安住の地を奪った帝国も、皆等しく爛れ落ちればいい。その後がどうなろうが、私はどうでもよいのです。ただ人の心が絶望に染まり希望が消え失せればいい」

 狂っている。そう、思わざるを得ない。これは、この男の復讐なのか。一人の人間の憎しみが、こんなに狂った世界を作るのか。

「ベリアンス、貴方ももっと墜ちてください。心を業火に焼かれ、光など消え失せたその先にあるものを、私と共に見ましょう?」

 光……
 その言葉にふと、ベリアンスは光を思いだした。胸の奥に灯る熱いなにかが脈打つように訴えてくる。

『ベリアンス、人は好きですか?』

 それは、荒廃した故郷の復興をしている時にアルブレヒトが問いかけた事だった。
 あぁ、アレは光だ。あの人は希望だ。あの人は生きている。生きているんだと、信じられる。あの希望は、まだ消えていない。

 途端、頭を床に叩きつけられた。ベリアンスの瞳に、光が戻っている。思いだした温かなものが体を巡っていくようだった。

「まだ、あの男を信じているのですか。これほどに裏切られたのに、まだ」
「あの方に裏切られたなんて、思っていない」
「では何故お前を救わない。お前の妹を救わない。神の子などと言われて、お前達兄妹を助ける力もないのか?」

 神の子。確かにそう言われている。神秘的な力があるのも知っている。
 それでも、万能ではないのも確かだ。あの人が神ならば、死んだ人間に涙などしないだろう。死にゆく命を惜しんだりはしないだろう。人を苦しめる者を嫌悪などしないだろう。全てを、思いのままにできるだろう。

「あの人も、人だ。万能じゃない。お前は側で見ていただろ。どうしてそれが分からないんだ」

 他人の為に涙できる。それだけで、あの人は美しい。それだけで救われる。踏みにじられるような子供を抱いて、泣きながら「ごめんなさい」と謝罪するんだ。死にそうな者の手を握って「頑張りましたね」と声をかけるのだ。相手がどんなにみすぼらしくても、あの人の目にはまるで美しいもののように映っているんだ。

 ナルサッハは、震えていた。頭巾で隠した顔は分からない。その下で、こいつはどんな顔をしているのだろう。

 逃げるようにナルサッハが立ち去った後は、静かだった。動く気力もなかった。
 だが次に人が来る気配があって、ベリアンスは目を向けた。

「テクム?」

 男を確認して、ベリアンスは自嘲する。
 この無様な姿を笑いにきたのだろう。この男を、そして主である王女を捕らえたのはベリアンスだ。その後の事は分からないが。

 だがテクムが向けてきたのは、同情の眼差しだった。

「俺は今まで、お前が憎くてたまらなかった」
「?」
「だが……今は同情している。我が国の王もどうしようもない人だったが、この国の王よりは随分可愛いものだった」

 溢すような言葉に、ベリアンスは俯く。顔をまともに見られなかった。

「お前は腐っていない。お前の怒りは当然だ。その絶望もまた、当然だ」
「……何が言いたい」
「希望は捨てるべきではない。帝国は強い。奴等がこの国を解放することを願うより他にないだろう。お前の妹を解放することを、祈るしかないだろう」

 その言葉に、僅かな希望を持ってしまう。帝国は、まっとうだ。奴等と戦って分かった。とっくの昔に捨てた誇りを持っている。国の為の剣である事を望んでいる。誰に命じられたからではない、己の職務に全てを捧げられる強い意志を持っている。

「俺も、願っている」
「え?」
「イシュクイナ王女を、誰かが救ってくれることを。我等近衛の命を捧げた姫の、無事を」

 男の瞳が、強い意志を持ってこちらを見る。
 そうだ、まだ希望は残っている。主はきっと生きている。この身は既に仕えるに価しないが、それでも何かの役に立てるならばそうする。
 絶望の淵、そこから遙か遠くにあるかもしれない希望を胸に、ベリアンスはただ願っていた。
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