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13章:ラン・カレイユ人質救出作戦
7話:大事なものを守る為に(チェルル)
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とにかく全力で国境の森に向かった。そうして到着したのは一日半後。途中の町で聞き込んだ結果、特徴の合う子供が五人、昨日の夜宿泊したということだ。
子供五人で、獣のいる森に入る無謀さに奥歯を食いしばる。きっと怖いだろう。チェルルはもうここの狼達を恐れていない。けっこう情のある、今や戦友のような間柄だ。
「間に合えよ……」
疲れた体に鞭を打って、チェルルは東の森へと入っていった。
広大な森だ、東砦へと向かって歩いていても探し出せるか微妙だ。だが確実に東砦の門は潜る。その周辺で抑える事を考えなければ。
そうして森へ入ると音がした。頼りない小さな足音と、ヒソヒソという話し声に聞こえる。多分、そう遠くない。
ついている! 声のする方へと近づいてみると、先に炎の明かりがある。ランタンを持った子供五人が怯えながら森を固まって歩いていた。
男の子が三人、女の子が二人。一番年上らしい男の子が先頭を明かりを持って歩いている。
そこへ近づいたチェルルは、彼らの前に立ちはだかった。
「止まれ!」
「!」
途端、女の子は怯えて縮こまり、男の子は必死に前に出た。でも、手に持っているのは拾ったのだろう木の枝だけだ。
「やっ、やるのか!」
「怪我するからやめとけ。俺はお前等を保護しに来ただけだ」
「保護なんていらない!」
「お前等の父ちゃんは無事だ!」
言ったら、彼らはビクリと震えて顔を見合わせる。心が揺れているのは間違いない。
「農村にいる研究員や医者のおっちゃんを保護した。帝国が責任もって匿ってくれる。お前等も荷物を俺に渡して一緒に砦に行こう。絶対、助けるから」
「信じられるものか!」
「信じろ! 帝国の奴等は絶対にお前等に酷い事なんてしない!」
信じた国に裏切られて、それでももう一度誰かを信じられるようにしてくれた。許されない罪人を仲間だって言ってくれるこの場所を、チェルルは信じている。
「ねぇ、やっぱり私、嫌だよ」
「だって……」
「だってこのお薬、変だよ。お水を美味しくするお薬なんて嘘。お父さん達、泣いてるみたいだったよ」
控えていた女の子が泣き出すと、子供達の中でも不安が広がっていく。
年齢が低いのだろう子達がつられて次々泣き出した。そしてその不安が、年長の少年にも移っていった。
「その薬は毒だ。飲んだら沢山の人が死ぬ」
「……そんなの、分かってるよ」
棒を構えていた子達の手も落ちた。項垂れて、肩を震わせて。これで事は終わる。確信したチェルルは子供達に手を差し伸べた。
だがその時、暗闇から一本の矢が飛んできて子供の一人の足を射貫いた。
「ぎゃぁぁ!」
「いやぁぁ!」
矢を受けた男の子が蹲り、場がパニックになる。走り出そうとする子供達の前に立ってチェルルは大きく手を振り、傷ついた子を背負った。
「こっちだ!」
「この兄ちゃんに付いてくぞ!」
先頭を歩いていた少年の声に反応して、全員が一心不乱に森の中を走っていく。
チェルルの片手が濡れる。傷ついた少年の血がまとわりついてくる。
「頑張れ、大丈夫だ」
そう言っている間にも矢が狙いを定めて迫る。右に避けろ! 左に避けろ! と、音を頼りに声を張る。少なくとも三人はいる。
どうする、砦まできっと子供の体力じゃ持ちこたえられない。だからといって潜んでも子供五人、守りきる自信はない。何所にいるかも分からない弓兵相手に、全員殺すまでに子供が犠牲になる。
考えて、考えて、チェルルはここを流れる川を目指した。
覚えのある川を目の前にして、チェルルは背負っていた男の子の太股を強く縛った。
「荷物ここに置いて、全員飛び込め!」
「でも!」
「大丈夫だ。この川は東の町まで続いている。そこに堰があるし、緩やかな洗い場もある。最近は雨も降ってないから流れも急じゃない。全員、絶対に溺れないように行けよ」
躊躇っていた子供達も、矢が飛んでくるのを見て決意した。チェルルが音を頼りに矢をダガーで落としている間に、年長の少年が川に飛び込んだ。そして、怪我をした少年を抱えて泳いでいく。
こうなれば子供達は覚悟が決まる。次々荷物を置いて飛び込み、消えていく。
弓兵の気配は去らない。子供を始末するのではなく、あくまで荷物が目的だ。
チェルルは置き去りにされた革袋五つを引っつかんで川から遠ざかるように走った。遠回りになるけれど、川の近くだと子供達が危ない。奴等の狙いはあくまでこの中の毒だ。
それを証拠に、チェルルを狙って矢が飛んでくる。攪乱する様に緩急を付け、ジグザグに木の間を通りながら走っていく。疲れているとか、走りづらいとか関係ない。止まって相手をするにも居所が掴めない。
それでも少しでも追っ手を撒きたくて、チェルルは自分の腰に付けているポーチに薬の瓶をこっそり移して残りは後方に捨てた。
気配が少し遠くなる。荷物の中を改めているんだろう。
その間にも他の荷物から同じように瓶を回収した。全部布で巻いていて、容易に溢れないようになっている。
二十本の小瓶が革袋の中で揺れている。ポーチを右足の少し前にずらして、落ちないように気を使った。砦まで、多分あと二キロくらいだ。
その時、後方から飛んできた矢をダガーでいなしたその影から、もう一矢飛んできた。それは足を狙うように低く、そして運悪くポーチを貫き穴を開け、袋の中でガシャンと割れる音がした。
「っ! ぁあぁぁぁっ!」
走った激痛に転げるように、チェルルは前に倒れた。右足が焼けるように痛い。嫌な臭いは知っている。ボルギから臭った、なんとも言えないものだ。
あまりの痛みにのたうって、でも毒は渡せない。震えながらポーチを外したチェルルはそれを地面に叩きつけた。
幾つもの瓶が割れて、穴から地面に溢れていく。この頃には痛みが分からなかった。感じないのに、右足が引き攣れたように動かなかった。
「やられたか」
黒服を着た男が五人、チェルルを囲んでいる。仮面で顔を隠し、黒いフードを被った男達だ。
「薬品も全部割れてるか。ったく、しくじったな!」
「がっ! あぁぁ!」
右足を踏みつけられて痛みが走る。痛まなかったのに途端に焼き切れるような痛みが走って、情けない悲鳴が溢れた。
「いたぶるな、無駄だ。せめて何か喋らせるしかない」
「連れてくのか?」
「荷物は増やさないのが主義だ」
脇腹を蹴り上げられて仰向けにされ、腹に男の足が乗る。そして濡れた革袋を更に、傷ついた右足に押し当てられた。
「あっ、あぐ、あぁぁ……」
「どこでこの薬の事を嗅ぎつけた。言えば一瞬、言わなければ更に苦しむ」
足が、焼ける。感覚がなくなる。でも、言わない。絶対に言わない。
騎士団に拾って貰った命だ。意味を与えてくれた身だ。もう一度、騎士なんてご立派なものじゃないけれど、仕える主をくれた国。そして、大切な人の住んでいる国だ。
ブルブル震えながら口を閉ざした。それを見て、男がグッと革袋を強く押した。
「っ!!」
ガラス片が刺さり、中の液体が更に深く入っていく。もう、声が上がらなかった。
「やりすぎっすよ。声出なくなってるし」
「強情は嫌いなんだ」
「まぁ、いいけれど。んじゃ、殺して帰りましょう。ガキの方はどうします?」
「放っておけ。どうせ何も知らないだろ。追いかけるのが手間だ」
脇に立った軽薄そうな声の男が、黒いマントの下からナイフを出す。それが、これ見よがしにチェルルの首に当たった。
「じゃ、バイバイ。俺優しいから、苦しまないように決めてあげるよ」
振り上げられる銀色をぼんやりと見上げる。そして心の中で、ハムレットに何度も謝った。
その時、近い場所から複数の狼の遠吠えが聞こえた。
「なんだ!」
「うわぁぁ!」
後方にいたのだろう男の悲鳴。それに続いて、一匹の狼がチェルルに足を乗せる男の首に飛びついて牙を立てた。
「野生の狼!」
ナイフを持っていた男はすぐにそれをしまい逃げようと踵を返す。だがその時音も無く一羽の梟が男の目を鋭い爪で抉った。
「ぎゃぁぁ!」
視力を失った男はフラフラと顔を押さえてナイフを振り回す。だが獲物と認識した狼達がそんななまくらを怖がる事はない。足に噛みつき、引きずり倒して首に噛みつく。
五人の暗殺者は、あっという間に鎮圧されてしまった。
飛び出してきた大きなグレーの狼が、チェルルの横にきて鼻先を寄せてくる。匂いを確かめて、そして頬を一舐めした。
「マケ……」
ヘッヘッと息を荒くした狼のマケが気遣うように頬を舐め、体を気にしている。側には白い狼、ソルもいる。
「へへ、お前等いい奴だな。俺の事、覚えてくれてたのか……」
手を上げて、首元を撫でてやるとその手も舐めてくる。
でも、もうどうにも体が動かない。右足の感覚が完全に掴めなくなっている。
だが、次にガサガサと音がして、顔を出した人物を見てチェルルは希望を見た気がした。
「フェレス……リス、クス……ポリテス、も?」
「チェルル! そうか、マケが反応したから何事かと思えば、お前だったのか」
近づいてきたフェレスは、だがチェルルの様子を見て体を強ばらせる。
右足、どうなったのか分からない。けれど、ドン引きするくらいには酷いらしかった。
「触らないで。薬品、なんだ。下手に触ったらあんたらも」
「そんな事を言っていられる状態ですか」
怖い顔でリスクスが睨み、袋をどかし、傷口に布を巻いてくれた。そしてフェレスを呼んで、背中に乗せてくれた。
「東砦まであと少しです。頑張ってください」
「あそこに医者先生がいる。妙な人だが腕はいいらしい。頑張れよ!」
「あの袋は新しい革袋に入れたから大丈夫だ」
狼も驚くような早さで走るフェレスの背中は、とても温かい。この人達を苦しめたのに。
「ごめん、俺、皆に酷い事したのに……」
「今はいいっての」
「ごめん……」
「もう、いいのです。貴方は十分に償っている。今はご自分の心配をしてください」
だって、ごめんとしか言えないんだ。朦朧としていて、それしか言葉が浮かばない。渡せるものもない。なのに、この人達は助けてくれる。
やがて、砦が見えてきた。
駆け込んで来るフェレス達に門番は驚いたけれど、事情を伝えるとすぐに中に入れて、医者先生を呼んでくれると言った。
運ばれて、気力が切れそうで、体も熱い。
けれどそこに、大好きな人の声が届いた。
「こんな時間に急患? 怪我の度合いは?」
「それが、暗くてよくは……」
「そういうのちゃんと確認してからにしてよ」
まだ遠い。だからこそ、幻聴かと思った。だって、王都にいるはずだ。ここ、随分と離れているのに。
「チェルル?」
声が、近い。次には走ってくる音がして、グッと体を持ち上げられた。
「チェルル!」
「せん、せい?」
泣きそうな顔をしたハムレットがそこにいて、すぐに足に気付いた。
「風呂場! 水で流すから!」
体が浮いて、運ばれていく。
もう、色んな願い叶ったからいい。なんだか、気力が切れそう。
「すぐに治療するから、しっかり意識保って! いいかい、死んだら僕も後追うからね!」
「それ、どんな脅しなの?」
「一番きくでしょ」
「……痛い、先生。体、熱いよ」
弱音が出たら、涙も出た。痛くて、ギュッと抱きついていた。
風呂場について、シャワーを服の上から掛けられた。水が染みる気がする。
「普通の火傷じゃない。何か側に落ちてなかった?」
「これが」
ポリテスが革袋を渡して、中を改めたハムレットにチェルルはぽつりと「硫酸」と伝える。途端、表情が険しくなった。
「水で洗ってないね?」
首を横に振る。そんな余裕、なかった。
「大分濃度が高い。レベル三の薬傷。すぐに手術の準備!」
戸口に叫ぶとバタバタと足音が遠ざかって行く。
「先生、俺の足、切る?」
不安だった。だって、感覚が分からなくなってる。痛いのに、それも曖昧。グワングワンとしていて、変な感じがする。それに力が入らない。
でもハムレットはそっと笑って、頭を撫でてくれた。
「僕を誰だと思ってるの? そんな無様な事、しない。絶対に治すから安心しなさい」
「ん……」
優しく撫でられて、気が緩んだ。
また抱き上げられて、次には手術室に担ぎ込まれて、局部麻酔を打たれた。今はカチャカチャという器具の音がしている。
「真皮までいってる。壊死した部分は全部切除」
「はい」
目の端に、ほんの少し映ったものが怖い。真っ黒に炭化したそれは、きっとチェルルの足だった一部だ。
ボルギを、思いだした。あいつの背中も、口の中もこんなだった。真っ黒く炭化して、赤黒くなってた。あんな風に、なってしまうのかな?
「疑うなんて酷いよ、猫くん。僕が助けるって言ってるんだよ? 心臓動いてる限り、絶対治してみせるから」
「先生……」
「怖いなら目を閉じて。僕を信じなさい」
信じてる。ハムレットは王都一の外科医だ。その人が助けてくれると言うなら、信じられる。
それに、違う事も信じている。ハムレットは言ってくれたんだ。例え足がなくなっても、側に置いてくれるって。
手術が終わって、ガーゼをつけられた。でも、包帯はしていない。感染症対策の薬も打たれて、今は病室。そこに、ハムレットと二人でいる。傷ついた側を上にして、優しく頭を撫でられている。
「頑張ったね、猫くん」
ワンワン鳴るような痛みが辛くても、この優しい手があれば耐えられる。チェルルはコクンと頷いて、自由になる手を伸ばした。
「先生、俺の足動く?」
「勿論だよ」
「……動かなくても、側に置いてくれる?」
確認みたいに聞いた。治ってもきっと、酷い痕が残ると思う。そう思ったら、心配になった。
でも、そんな不安を払拭するようにハムレットの唇が額に当たる。優しい感触に、涙が出た。
「言ったよ、僕は。例え君の足がなくなっても、側に置く。何一つ気持ちは変わらない。だから、心配なんてしなくていいんだよ」
「先生……」
「泣かないの。君に泣かれると僕はとても苦しいんだ」
優しい手と唇が労るみたいに側にある。それに甘えて、チェルルは眠るまでずっとハムレットの手を握り絞めていた。
翌日、痛みに目が覚めて蹲って我慢していた。足が焼けるような痛みに浅く息が切れる。体も、関節が痛い。
室内を探してもハムレットはいない。途端に不安になってしまった。昨日のあれが夢だったんじゃないかと思う。意識が朦朧として、都合の良い幻を見たんじゃないかって。
でも、ガチャっと音がして姿を現した人を見て、アレが夢じゃ無いんだと知って、嬉しくて安心して、泣きそうになった。
「猫くん!」
「いっ、たい。先生、足が焼けそう……」
「すぐ診る」
外されたガーゼには赤黒い血がついている。そしてハムレットはとても険しい顔をした。
「麻酔する」
「きる?」
「少し大きめに周辺を取る。初期治療に時間がかかったのと、傷を踏まれて感染症も疑いある。熱も少しあるね」
「節々が、痛い」
「すぐ治療する」
元気づけるみたいに頭を撫でられて、準備されて、痛みが分からなくなった。
それでも昨日よりは覚悟ができていたのか、体が限界だったのか。少しして眠ってしまった。
そうして目が覚めたのは、お昼が近くなってからだった。
「おはよう」
「先生……」
「薬、効いてるから少し楽になるよ」
クリクリと前髪を撫で上げられて、ほっとしたこの人の顔を見て、チェルルからも力が抜けた。
「そういえば、昨日の夜に子供が五人担ぎ込まれたよ」
ハムレットの穏やかな声に顔を上げて、チェルルはハッとした。伝えられなかったから。
「どう、なったの? 一人、怪我……」
「大丈夫、ちゃんと治療したから。他の子も体温下がってたけれど全員無事。温かい飲み物を飲んで、事情を砦の奴等が聞いてる」
「そ……か。よかった」
これ以上、子供の犠牲なんて見たくないからほっとした。そうしたらまた、涙腺が緩んだのか涙が出た。ハムレットがそれを拭って笑ってくれる。本当に、なんだか情けない。
「ごめ、先生。俺、どうしたんだろう……」
「いいよ、それで。気持ちが緊張していたんだよ。猫くんは頑張ったから、少しだけ休憩ね。僕が側にいるからね」
触れてくれる手の温かさが、心地よく体に馴染んでくれる。甘えて、胴体に腕を回して抱きついて思いきり匂いを確かめた。そうしたら落ち着いてきて、徐々に眠くなってくる。不思議な感じがする。不安が薄れる。
穏やかに眠るまで、ハムレットはそのままでいてくれた。ずっと頭を撫でてくれて、心地よい夢に誘われていった。
ハムレットが言った通り、そこからは順調に回復していった。
関節の痛みはなくなり、微熱もなくなった。傷口を見て顔を青くしてアワアワしていたら、ハムレットは笑って「良くなってるよ」と教えてくれた。
一週間が過ぎると足も動くようになって、痛みは引けてきた。ただ、傷口は痛々しさが否めない。皮膚移植という方法もあるそうだけれど、他の部分の皮膚を剥がして覆うというのを聞いてプルプルした。それを見たハムレットが笑って「しなくていいよ」と言ってくれた。
その方が綺麗に治るらしいけれど、新しい皮膚もできてきてるから焦らなくていいということだった。
「足、まだ痛むかい?」
診察に来てくれたハムレットは傷を見ると少し辛そうな顔をする。大穴が空いていた部分は少し盛り上がるようになって、薄く肌色になっていると思う。患部の代謝を促すような薬を研究してるということで、試してくれた。その成果だと思う。
「それほど痛くないよ。激しい運動はできないけど、歩いたりもしてるんだから」
まったく痛まないわけじゃない。でも、歩行には支障がない。まだ走ったりはできないけれど、少しずつ治ってきている実感がある。
「これ、痕残るよね?」
聞いてみたら悲しそうな顔をして、頷かれた。
「皮膚の変色は残るし、時々痛む事もあるかもしれない。傷が治らないんじゃなくて」
「分かってるよ。刺し傷とかも、天気とか体調とかで痛い気がする。そういうのでしょ?」
ハムレットは頷く。治っていないわけじゃないなら、後は仕方がない。受け入れて、付き合って行くしかない。それにきっとこの戦いが終わったら、全部終われると思うから。
「猫くん、ちょっとだけ触ってもいい?」
「え?」
上半身をベッドの上に起こしたまま、呆けたように見上げている。その唇に優しく、ハムレットの唇が触れた。
「んぅ、ふっ……ん……」
疼く様なキスに、頭の中がぼんやりする。絡まる舌が優しく気持ちよくしていく。弱く吸われて、心地よさに体を預けていられる。
「先生……っ」
唇が首筋に、鎖骨に触れて、手が滑るように体を撫でて乳首を押し込む。吐息が荒くなっていって、体の芯が熱く痺れる。久しぶりに与えられる気持ちよさに、体は簡単に反応した。
「だめ、だよ……あぅ、先生!」
それでもハムレットは止まってくれない。裾から滑り混んだ手が硬くなりだした乳首を摘まんで、違う手が股間に触れる。熱くトロトロになっていくそこを揉み込まれたら、どうする事もできなくて喘いだ。
「あっ! あんぅ! 先生だめ、出ちゃうよ!」
ちょっと必死だった。従順な体が欲しそうに疼いてしまう。だって、もう一ヶ月以上触れあっていない。大好きな人にこんな事をされて、反応しない奴はいない。
それでも自分は怪我人だっていうのと、個人の屋敷じゃなくて大勢のいる砦だっていうのに抵抗があって止めようとした。
けれどハムレットは構わずズボンをずり下ろし、上の服もたくし上げて乳首に舌を這わせていく。痺れたような快楽が走って、どうにもできずに倒れても止まってくれない。これ幸いと、更にされてしまう。
患者用の白い服、その上に白衣のハムレットが跨がって、傷に触れないように気遣いながら昂ぶりに触れ、唇を寄せてくる。
いけない事をしているという感覚が強くてブルブル震えて、それでもそういう事に余計に興奮するところもあって、チェルルはあっという間に登り詰めてしまった。
吐き出したものを全部口で受け止めたハムレットは、当然のように飲み下してしまう。息を吐いて睨み付けたら、満面の笑みが返ってきた。
「先生酷いよ、こんな……俺、我慢してたのに」
「ごめん、我慢できなくて。猫くん不足だったから」
悪びれもなく言われてしまう。こんな顔をされたら怒れない。チェルルだって、ハムレット不足だった。
「毎日君に触れているのに、愛でる事はできないなんて生殺しでね。もう少し傷が良くなるまではって、我慢してたんだけどもう無理だった。でも、安心して。これ以上はしないから」
「……俺だって、先生にもっと触って欲しかったけど、我慢したのに」
毎日触れてくれるだけで我慢しようと思っていた。言葉を交わして撫でられて、それで満足しなくちゃと思っていたのにこんな……
ハムレットは目をパチクリして、次にはガバリと覆うようにして抱きつかれた。
「やっぱ離したくない!」
「ちょっ、先生!」
「もう、伝家の宝刀抜きたい」
「何それ!」
「ドクターストップ」
「職権乱用じゃん!」
やりかねない。この人冗談と本気の境目が曖昧すぎる!
でも次にチェルルを見る目は優しくて、とても困っていて、名残惜しそうに額にキスをしてくれる。
「しないよ」
「先生……」
「気持ちではしたい。でも、嫌でしょ?」
「……うん」
「君に悲しい顔をされるのは、僕も嫌だから。これがね、全く君に関わりのない争いごとなら止めている。でも、君の故郷と仲間の事だから。そこに、後悔を残すのは後々にも響いてくる。そんなの、僕も嫌なんだ」
旅立つときにも伝えてくれた思いだ。それを感じて、チェルルも「うん」と頷いた。
「もう少し、ここにいる間だけは触れさせて。ちゃんと動ける様になったら、ちゃんと手を離すから」
「俺、戻ってくるよ」
「勿論、そうして。待ってるからね」
切なそうな声に、チェルルにも切なさが募る。そうして改めて、この人の側にいることを誓った。
子供五人で、獣のいる森に入る無謀さに奥歯を食いしばる。きっと怖いだろう。チェルルはもうここの狼達を恐れていない。けっこう情のある、今や戦友のような間柄だ。
「間に合えよ……」
疲れた体に鞭を打って、チェルルは東の森へと入っていった。
広大な森だ、東砦へと向かって歩いていても探し出せるか微妙だ。だが確実に東砦の門は潜る。その周辺で抑える事を考えなければ。
そうして森へ入ると音がした。頼りない小さな足音と、ヒソヒソという話し声に聞こえる。多分、そう遠くない。
ついている! 声のする方へと近づいてみると、先に炎の明かりがある。ランタンを持った子供五人が怯えながら森を固まって歩いていた。
男の子が三人、女の子が二人。一番年上らしい男の子が先頭を明かりを持って歩いている。
そこへ近づいたチェルルは、彼らの前に立ちはだかった。
「止まれ!」
「!」
途端、女の子は怯えて縮こまり、男の子は必死に前に出た。でも、手に持っているのは拾ったのだろう木の枝だけだ。
「やっ、やるのか!」
「怪我するからやめとけ。俺はお前等を保護しに来ただけだ」
「保護なんていらない!」
「お前等の父ちゃんは無事だ!」
言ったら、彼らはビクリと震えて顔を見合わせる。心が揺れているのは間違いない。
「農村にいる研究員や医者のおっちゃんを保護した。帝国が責任もって匿ってくれる。お前等も荷物を俺に渡して一緒に砦に行こう。絶対、助けるから」
「信じられるものか!」
「信じろ! 帝国の奴等は絶対にお前等に酷い事なんてしない!」
信じた国に裏切られて、それでももう一度誰かを信じられるようにしてくれた。許されない罪人を仲間だって言ってくれるこの場所を、チェルルは信じている。
「ねぇ、やっぱり私、嫌だよ」
「だって……」
「だってこのお薬、変だよ。お水を美味しくするお薬なんて嘘。お父さん達、泣いてるみたいだったよ」
控えていた女の子が泣き出すと、子供達の中でも不安が広がっていく。
年齢が低いのだろう子達がつられて次々泣き出した。そしてその不安が、年長の少年にも移っていった。
「その薬は毒だ。飲んだら沢山の人が死ぬ」
「……そんなの、分かってるよ」
棒を構えていた子達の手も落ちた。項垂れて、肩を震わせて。これで事は終わる。確信したチェルルは子供達に手を差し伸べた。
だがその時、暗闇から一本の矢が飛んできて子供の一人の足を射貫いた。
「ぎゃぁぁ!」
「いやぁぁ!」
矢を受けた男の子が蹲り、場がパニックになる。走り出そうとする子供達の前に立ってチェルルは大きく手を振り、傷ついた子を背負った。
「こっちだ!」
「この兄ちゃんに付いてくぞ!」
先頭を歩いていた少年の声に反応して、全員が一心不乱に森の中を走っていく。
チェルルの片手が濡れる。傷ついた少年の血がまとわりついてくる。
「頑張れ、大丈夫だ」
そう言っている間にも矢が狙いを定めて迫る。右に避けろ! 左に避けろ! と、音を頼りに声を張る。少なくとも三人はいる。
どうする、砦まできっと子供の体力じゃ持ちこたえられない。だからといって潜んでも子供五人、守りきる自信はない。何所にいるかも分からない弓兵相手に、全員殺すまでに子供が犠牲になる。
考えて、考えて、チェルルはここを流れる川を目指した。
覚えのある川を目の前にして、チェルルは背負っていた男の子の太股を強く縛った。
「荷物ここに置いて、全員飛び込め!」
「でも!」
「大丈夫だ。この川は東の町まで続いている。そこに堰があるし、緩やかな洗い場もある。最近は雨も降ってないから流れも急じゃない。全員、絶対に溺れないように行けよ」
躊躇っていた子供達も、矢が飛んでくるのを見て決意した。チェルルが音を頼りに矢をダガーで落としている間に、年長の少年が川に飛び込んだ。そして、怪我をした少年を抱えて泳いでいく。
こうなれば子供達は覚悟が決まる。次々荷物を置いて飛び込み、消えていく。
弓兵の気配は去らない。子供を始末するのではなく、あくまで荷物が目的だ。
チェルルは置き去りにされた革袋五つを引っつかんで川から遠ざかるように走った。遠回りになるけれど、川の近くだと子供達が危ない。奴等の狙いはあくまでこの中の毒だ。
それを証拠に、チェルルを狙って矢が飛んでくる。攪乱する様に緩急を付け、ジグザグに木の間を通りながら走っていく。疲れているとか、走りづらいとか関係ない。止まって相手をするにも居所が掴めない。
それでも少しでも追っ手を撒きたくて、チェルルは自分の腰に付けているポーチに薬の瓶をこっそり移して残りは後方に捨てた。
気配が少し遠くなる。荷物の中を改めているんだろう。
その間にも他の荷物から同じように瓶を回収した。全部布で巻いていて、容易に溢れないようになっている。
二十本の小瓶が革袋の中で揺れている。ポーチを右足の少し前にずらして、落ちないように気を使った。砦まで、多分あと二キロくらいだ。
その時、後方から飛んできた矢をダガーでいなしたその影から、もう一矢飛んできた。それは足を狙うように低く、そして運悪くポーチを貫き穴を開け、袋の中でガシャンと割れる音がした。
「っ! ぁあぁぁぁっ!」
走った激痛に転げるように、チェルルは前に倒れた。右足が焼けるように痛い。嫌な臭いは知っている。ボルギから臭った、なんとも言えないものだ。
あまりの痛みにのたうって、でも毒は渡せない。震えながらポーチを外したチェルルはそれを地面に叩きつけた。
幾つもの瓶が割れて、穴から地面に溢れていく。この頃には痛みが分からなかった。感じないのに、右足が引き攣れたように動かなかった。
「やられたか」
黒服を着た男が五人、チェルルを囲んでいる。仮面で顔を隠し、黒いフードを被った男達だ。
「薬品も全部割れてるか。ったく、しくじったな!」
「がっ! あぁぁ!」
右足を踏みつけられて痛みが走る。痛まなかったのに途端に焼き切れるような痛みが走って、情けない悲鳴が溢れた。
「いたぶるな、無駄だ。せめて何か喋らせるしかない」
「連れてくのか?」
「荷物は増やさないのが主義だ」
脇腹を蹴り上げられて仰向けにされ、腹に男の足が乗る。そして濡れた革袋を更に、傷ついた右足に押し当てられた。
「あっ、あぐ、あぁぁ……」
「どこでこの薬の事を嗅ぎつけた。言えば一瞬、言わなければ更に苦しむ」
足が、焼ける。感覚がなくなる。でも、言わない。絶対に言わない。
騎士団に拾って貰った命だ。意味を与えてくれた身だ。もう一度、騎士なんてご立派なものじゃないけれど、仕える主をくれた国。そして、大切な人の住んでいる国だ。
ブルブル震えながら口を閉ざした。それを見て、男がグッと革袋を強く押した。
「っ!!」
ガラス片が刺さり、中の液体が更に深く入っていく。もう、声が上がらなかった。
「やりすぎっすよ。声出なくなってるし」
「強情は嫌いなんだ」
「まぁ、いいけれど。んじゃ、殺して帰りましょう。ガキの方はどうします?」
「放っておけ。どうせ何も知らないだろ。追いかけるのが手間だ」
脇に立った軽薄そうな声の男が、黒いマントの下からナイフを出す。それが、これ見よがしにチェルルの首に当たった。
「じゃ、バイバイ。俺優しいから、苦しまないように決めてあげるよ」
振り上げられる銀色をぼんやりと見上げる。そして心の中で、ハムレットに何度も謝った。
その時、近い場所から複数の狼の遠吠えが聞こえた。
「なんだ!」
「うわぁぁ!」
後方にいたのだろう男の悲鳴。それに続いて、一匹の狼がチェルルに足を乗せる男の首に飛びついて牙を立てた。
「野生の狼!」
ナイフを持っていた男はすぐにそれをしまい逃げようと踵を返す。だがその時音も無く一羽の梟が男の目を鋭い爪で抉った。
「ぎゃぁぁ!」
視力を失った男はフラフラと顔を押さえてナイフを振り回す。だが獲物と認識した狼達がそんななまくらを怖がる事はない。足に噛みつき、引きずり倒して首に噛みつく。
五人の暗殺者は、あっという間に鎮圧されてしまった。
飛び出してきた大きなグレーの狼が、チェルルの横にきて鼻先を寄せてくる。匂いを確かめて、そして頬を一舐めした。
「マケ……」
ヘッヘッと息を荒くした狼のマケが気遣うように頬を舐め、体を気にしている。側には白い狼、ソルもいる。
「へへ、お前等いい奴だな。俺の事、覚えてくれてたのか……」
手を上げて、首元を撫でてやるとその手も舐めてくる。
でも、もうどうにも体が動かない。右足の感覚が完全に掴めなくなっている。
だが、次にガサガサと音がして、顔を出した人物を見てチェルルは希望を見た気がした。
「フェレス……リス、クス……ポリテス、も?」
「チェルル! そうか、マケが反応したから何事かと思えば、お前だったのか」
近づいてきたフェレスは、だがチェルルの様子を見て体を強ばらせる。
右足、どうなったのか分からない。けれど、ドン引きするくらいには酷いらしかった。
「触らないで。薬品、なんだ。下手に触ったらあんたらも」
「そんな事を言っていられる状態ですか」
怖い顔でリスクスが睨み、袋をどかし、傷口に布を巻いてくれた。そしてフェレスを呼んで、背中に乗せてくれた。
「東砦まであと少しです。頑張ってください」
「あそこに医者先生がいる。妙な人だが腕はいいらしい。頑張れよ!」
「あの袋は新しい革袋に入れたから大丈夫だ」
狼も驚くような早さで走るフェレスの背中は、とても温かい。この人達を苦しめたのに。
「ごめん、俺、皆に酷い事したのに……」
「今はいいっての」
「ごめん……」
「もう、いいのです。貴方は十分に償っている。今はご自分の心配をしてください」
だって、ごめんとしか言えないんだ。朦朧としていて、それしか言葉が浮かばない。渡せるものもない。なのに、この人達は助けてくれる。
やがて、砦が見えてきた。
駆け込んで来るフェレス達に門番は驚いたけれど、事情を伝えるとすぐに中に入れて、医者先生を呼んでくれると言った。
運ばれて、気力が切れそうで、体も熱い。
けれどそこに、大好きな人の声が届いた。
「こんな時間に急患? 怪我の度合いは?」
「それが、暗くてよくは……」
「そういうのちゃんと確認してからにしてよ」
まだ遠い。だからこそ、幻聴かと思った。だって、王都にいるはずだ。ここ、随分と離れているのに。
「チェルル?」
声が、近い。次には走ってくる音がして、グッと体を持ち上げられた。
「チェルル!」
「せん、せい?」
泣きそうな顔をしたハムレットがそこにいて、すぐに足に気付いた。
「風呂場! 水で流すから!」
体が浮いて、運ばれていく。
もう、色んな願い叶ったからいい。なんだか、気力が切れそう。
「すぐに治療するから、しっかり意識保って! いいかい、死んだら僕も後追うからね!」
「それ、どんな脅しなの?」
「一番きくでしょ」
「……痛い、先生。体、熱いよ」
弱音が出たら、涙も出た。痛くて、ギュッと抱きついていた。
風呂場について、シャワーを服の上から掛けられた。水が染みる気がする。
「普通の火傷じゃない。何か側に落ちてなかった?」
「これが」
ポリテスが革袋を渡して、中を改めたハムレットにチェルルはぽつりと「硫酸」と伝える。途端、表情が険しくなった。
「水で洗ってないね?」
首を横に振る。そんな余裕、なかった。
「大分濃度が高い。レベル三の薬傷。すぐに手術の準備!」
戸口に叫ぶとバタバタと足音が遠ざかって行く。
「先生、俺の足、切る?」
不安だった。だって、感覚が分からなくなってる。痛いのに、それも曖昧。グワングワンとしていて、変な感じがする。それに力が入らない。
でもハムレットはそっと笑って、頭を撫でてくれた。
「僕を誰だと思ってるの? そんな無様な事、しない。絶対に治すから安心しなさい」
「ん……」
優しく撫でられて、気が緩んだ。
また抱き上げられて、次には手術室に担ぎ込まれて、局部麻酔を打たれた。今はカチャカチャという器具の音がしている。
「真皮までいってる。壊死した部分は全部切除」
「はい」
目の端に、ほんの少し映ったものが怖い。真っ黒に炭化したそれは、きっとチェルルの足だった一部だ。
ボルギを、思いだした。あいつの背中も、口の中もこんなだった。真っ黒く炭化して、赤黒くなってた。あんな風に、なってしまうのかな?
「疑うなんて酷いよ、猫くん。僕が助けるって言ってるんだよ? 心臓動いてる限り、絶対治してみせるから」
「先生……」
「怖いなら目を閉じて。僕を信じなさい」
信じてる。ハムレットは王都一の外科医だ。その人が助けてくれると言うなら、信じられる。
それに、違う事も信じている。ハムレットは言ってくれたんだ。例え足がなくなっても、側に置いてくれるって。
手術が終わって、ガーゼをつけられた。でも、包帯はしていない。感染症対策の薬も打たれて、今は病室。そこに、ハムレットと二人でいる。傷ついた側を上にして、優しく頭を撫でられている。
「頑張ったね、猫くん」
ワンワン鳴るような痛みが辛くても、この優しい手があれば耐えられる。チェルルはコクンと頷いて、自由になる手を伸ばした。
「先生、俺の足動く?」
「勿論だよ」
「……動かなくても、側に置いてくれる?」
確認みたいに聞いた。治ってもきっと、酷い痕が残ると思う。そう思ったら、心配になった。
でも、そんな不安を払拭するようにハムレットの唇が額に当たる。優しい感触に、涙が出た。
「言ったよ、僕は。例え君の足がなくなっても、側に置く。何一つ気持ちは変わらない。だから、心配なんてしなくていいんだよ」
「先生……」
「泣かないの。君に泣かれると僕はとても苦しいんだ」
優しい手と唇が労るみたいに側にある。それに甘えて、チェルルは眠るまでずっとハムレットの手を握り絞めていた。
翌日、痛みに目が覚めて蹲って我慢していた。足が焼けるような痛みに浅く息が切れる。体も、関節が痛い。
室内を探してもハムレットはいない。途端に不安になってしまった。昨日のあれが夢だったんじゃないかと思う。意識が朦朧として、都合の良い幻を見たんじゃないかって。
でも、ガチャっと音がして姿を現した人を見て、アレが夢じゃ無いんだと知って、嬉しくて安心して、泣きそうになった。
「猫くん!」
「いっ、たい。先生、足が焼けそう……」
「すぐ診る」
外されたガーゼには赤黒い血がついている。そしてハムレットはとても険しい顔をした。
「麻酔する」
「きる?」
「少し大きめに周辺を取る。初期治療に時間がかかったのと、傷を踏まれて感染症も疑いある。熱も少しあるね」
「節々が、痛い」
「すぐ治療する」
元気づけるみたいに頭を撫でられて、準備されて、痛みが分からなくなった。
それでも昨日よりは覚悟ができていたのか、体が限界だったのか。少しして眠ってしまった。
そうして目が覚めたのは、お昼が近くなってからだった。
「おはよう」
「先生……」
「薬、効いてるから少し楽になるよ」
クリクリと前髪を撫で上げられて、ほっとしたこの人の顔を見て、チェルルからも力が抜けた。
「そういえば、昨日の夜に子供が五人担ぎ込まれたよ」
ハムレットの穏やかな声に顔を上げて、チェルルはハッとした。伝えられなかったから。
「どう、なったの? 一人、怪我……」
「大丈夫、ちゃんと治療したから。他の子も体温下がってたけれど全員無事。温かい飲み物を飲んで、事情を砦の奴等が聞いてる」
「そ……か。よかった」
これ以上、子供の犠牲なんて見たくないからほっとした。そうしたらまた、涙腺が緩んだのか涙が出た。ハムレットがそれを拭って笑ってくれる。本当に、なんだか情けない。
「ごめ、先生。俺、どうしたんだろう……」
「いいよ、それで。気持ちが緊張していたんだよ。猫くんは頑張ったから、少しだけ休憩ね。僕が側にいるからね」
触れてくれる手の温かさが、心地よく体に馴染んでくれる。甘えて、胴体に腕を回して抱きついて思いきり匂いを確かめた。そうしたら落ち着いてきて、徐々に眠くなってくる。不思議な感じがする。不安が薄れる。
穏やかに眠るまで、ハムレットはそのままでいてくれた。ずっと頭を撫でてくれて、心地よい夢に誘われていった。
ハムレットが言った通り、そこからは順調に回復していった。
関節の痛みはなくなり、微熱もなくなった。傷口を見て顔を青くしてアワアワしていたら、ハムレットは笑って「良くなってるよ」と教えてくれた。
一週間が過ぎると足も動くようになって、痛みは引けてきた。ただ、傷口は痛々しさが否めない。皮膚移植という方法もあるそうだけれど、他の部分の皮膚を剥がして覆うというのを聞いてプルプルした。それを見たハムレットが笑って「しなくていいよ」と言ってくれた。
その方が綺麗に治るらしいけれど、新しい皮膚もできてきてるから焦らなくていいということだった。
「足、まだ痛むかい?」
診察に来てくれたハムレットは傷を見ると少し辛そうな顔をする。大穴が空いていた部分は少し盛り上がるようになって、薄く肌色になっていると思う。患部の代謝を促すような薬を研究してるということで、試してくれた。その成果だと思う。
「それほど痛くないよ。激しい運動はできないけど、歩いたりもしてるんだから」
まったく痛まないわけじゃない。でも、歩行には支障がない。まだ走ったりはできないけれど、少しずつ治ってきている実感がある。
「これ、痕残るよね?」
聞いてみたら悲しそうな顔をして、頷かれた。
「皮膚の変色は残るし、時々痛む事もあるかもしれない。傷が治らないんじゃなくて」
「分かってるよ。刺し傷とかも、天気とか体調とかで痛い気がする。そういうのでしょ?」
ハムレットは頷く。治っていないわけじゃないなら、後は仕方がない。受け入れて、付き合って行くしかない。それにきっとこの戦いが終わったら、全部終われると思うから。
「猫くん、ちょっとだけ触ってもいい?」
「え?」
上半身をベッドの上に起こしたまま、呆けたように見上げている。その唇に優しく、ハムレットの唇が触れた。
「んぅ、ふっ……ん……」
疼く様なキスに、頭の中がぼんやりする。絡まる舌が優しく気持ちよくしていく。弱く吸われて、心地よさに体を預けていられる。
「先生……っ」
唇が首筋に、鎖骨に触れて、手が滑るように体を撫でて乳首を押し込む。吐息が荒くなっていって、体の芯が熱く痺れる。久しぶりに与えられる気持ちよさに、体は簡単に反応した。
「だめ、だよ……あぅ、先生!」
それでもハムレットは止まってくれない。裾から滑り混んだ手が硬くなりだした乳首を摘まんで、違う手が股間に触れる。熱くトロトロになっていくそこを揉み込まれたら、どうする事もできなくて喘いだ。
「あっ! あんぅ! 先生だめ、出ちゃうよ!」
ちょっと必死だった。従順な体が欲しそうに疼いてしまう。だって、もう一ヶ月以上触れあっていない。大好きな人にこんな事をされて、反応しない奴はいない。
それでも自分は怪我人だっていうのと、個人の屋敷じゃなくて大勢のいる砦だっていうのに抵抗があって止めようとした。
けれどハムレットは構わずズボンをずり下ろし、上の服もたくし上げて乳首に舌を這わせていく。痺れたような快楽が走って、どうにもできずに倒れても止まってくれない。これ幸いと、更にされてしまう。
患者用の白い服、その上に白衣のハムレットが跨がって、傷に触れないように気遣いながら昂ぶりに触れ、唇を寄せてくる。
いけない事をしているという感覚が強くてブルブル震えて、それでもそういう事に余計に興奮するところもあって、チェルルはあっという間に登り詰めてしまった。
吐き出したものを全部口で受け止めたハムレットは、当然のように飲み下してしまう。息を吐いて睨み付けたら、満面の笑みが返ってきた。
「先生酷いよ、こんな……俺、我慢してたのに」
「ごめん、我慢できなくて。猫くん不足だったから」
悪びれもなく言われてしまう。こんな顔をされたら怒れない。チェルルだって、ハムレット不足だった。
「毎日君に触れているのに、愛でる事はできないなんて生殺しでね。もう少し傷が良くなるまではって、我慢してたんだけどもう無理だった。でも、安心して。これ以上はしないから」
「……俺だって、先生にもっと触って欲しかったけど、我慢したのに」
毎日触れてくれるだけで我慢しようと思っていた。言葉を交わして撫でられて、それで満足しなくちゃと思っていたのにこんな……
ハムレットは目をパチクリして、次にはガバリと覆うようにして抱きつかれた。
「やっぱ離したくない!」
「ちょっ、先生!」
「もう、伝家の宝刀抜きたい」
「何それ!」
「ドクターストップ」
「職権乱用じゃん!」
やりかねない。この人冗談と本気の境目が曖昧すぎる!
でも次にチェルルを見る目は優しくて、とても困っていて、名残惜しそうに額にキスをしてくれる。
「しないよ」
「先生……」
「気持ちではしたい。でも、嫌でしょ?」
「……うん」
「君に悲しい顔をされるのは、僕も嫌だから。これがね、全く君に関わりのない争いごとなら止めている。でも、君の故郷と仲間の事だから。そこに、後悔を残すのは後々にも響いてくる。そんなの、僕も嫌なんだ」
旅立つときにも伝えてくれた思いだ。それを感じて、チェルルも「うん」と頷いた。
「もう少し、ここにいる間だけは触れさせて。ちゃんと動ける様になったら、ちゃんと手を離すから」
「俺、戻ってくるよ」
「勿論、そうして。待ってるからね」
切なそうな声に、チェルルにも切なさが募る。そうして改めて、この人の側にいることを誓った。
応援ありがとうございます!
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