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29章:食は幸せを連れてくる(レイバン)
3話:ジェイクのお仕事
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翌日、ドラールにまた来ることを約束して、二人は乗合馬車で次の目的地へと向かった。
王都へと戻るその道中にある広大なブドウ畑といくつかの家。その中でも一番大きな屋敷を目指していた。
「ブドウ畑だけど、ドラールさんの所とちょっと違う」
村の入口で馬車を降りて屋敷への道を歩いているレイバンの問いに、ジェイクは頷いた。
「ワイン用のブドウだ。ドラールさんもワイン用を作ってはいるが、メインは果物としてのブドウだからな」
「違うの?」
「品種がな」
「へぇ」
知らなかった。
背の低いブドウの木々を見ながら進む長閑な田舎道。その先に建つ屋敷は、人の声が溢れていた。
この辺はワインを作るシャトーが集まっている。といっても、ワインを作っているのはこれから行く屋敷の他数カ所。一番大きいのがあの屋敷だ。
多くの農夫がブドウの収穫をし、ワイン仕込みの準備をしている様子を横目に見ながらレイバン達はその中の一人に声をかけた。
「リデールさん!」
数人の農夫と話し込んでいた人は、ジェイクを見ると温厚そうな目尻を更に下げた。
「これは! ようこそいらっしゃいました、騎士様」
「いや、俺は騎士じゃなく単なる料理番なんだが。ジェイクだ、この度は忙しいのに急な申し出を受けていただき、有り難うございます」
「なんの。こちらも騎士団ほどの大きな取引が出来て光栄ですよ」
リデールという五十代くらいの温厚そうな男はやんわりと言って頭を下げた。
レイバン達がここに立ち寄ったのは、旅行というよりはジェイクの仕事だ。
それというのも近々行われるカール四世の婚礼の際、騎士団でもワインが振る舞われる事となった。そこで出すワインの下調べと発注をジェイクが負ったらしい。
ジェイクは「仕事兼ねてになって悪いな」と言ったが、こんなの仕事のうちにも入らない。一緒に美味しいワインを飲んで選んで発注をかけるだけだ。
しかもこの屋敷の主人リデールの計らいで、今夜はこの屋敷に泊まる事が決まっている。
リデールの案内で屋敷の中へと招かれたレイバン達は、ツインの一室へと案内された。流石にダブルではないが、二人一室がいいと言えば受け入れられた。しかもベッドは大きい。
「立派な屋敷だね」
「それについては先祖に感謝ですね。わしの先祖はここら一帯の領主でしてね、ワイン作りを生業としておりました」
古いが手入れの行き届いた屋敷は空気もいい。数人使用人がいるらしいが、ゴチャゴチャしている感じはない。長くここに務めているらしい恰幅のいい三十代くらいのメイドとすれ違ったくらいだ。
「ワインはどこで選びますか? ダイニングにお持ちしましょうか?」
「いや、せっかくだから樽のある場所を見学したいんだ。こんな機会もなかなかないので、楽しみたくて」
「構いませんよ。今、来年分を仕込んでいるので少し慌ただしいですが」
「お忙しいのに申し訳ない」
「いやいや、光栄ですよ」
荷を置いて、リデールに連れられて再び仕込みをしているという作業場へ。収穫されたブドウの枝や葉を取り除く女性達、収穫されたブドウを潰す娘達など、見るものがとにかく珍しい。
「凄い、ワインってこんな風に作るんだ」
思わず呟くと、リデールは穏やかに笑って頷いた。
「今仕込んでいるのは来年用ですよ。今一番新しいのは去年のものです」
作業を横に通り過ぎ、その奥へ。そこには瓶に詰められたワインが木製のラックに沢山収められていた。
「すごい!」
「流石に壮観だな」
ジェイクも何処か興奮気味に言う。
リデールは一番手前にあるラックからボトルを一つ手にし、栓を抜いてグラスへと注ぐ。白ワインは軽やかな香りがした。
「去年仕込んだ白です。ここ最近は天候にも恵まれて、出来がいいのですよ」
「どれ」
慣れた手つきでジェイクが香りを確かめ、少量を口に含む。その横でレイバンはそれらを気にせず飲み込んだ。
「あ、飲みやすい」
ブドウの香りは残しつつ、スッキリと口当たりがいい。酸味もきつくはなく、こってりと甘いわけでもなかった。
「こちらは辛口です。こちらは同年に作られたものですが、甘口に仕上げてありますよ」
そう言って出されたワインは同じように見える。けれど飲めばまったく別物だ。ブドウ本来の甘みやフレッシュ感が残っているものの、酒を飲んでいるというよりは高級なジュースを飲んでいる気分だ。
「白は辛口がいいな」
「わかりました」
「赤はどうだ?」
「それならこちらを」
リデールは奥の方からやや古いラベルのワインを出して来て、新しいグラスに丁寧に注ぐ。色の濃いものだ。
一口飲み込んだレイバンは思わず眉根を寄せた。それというのも飲み慣れないものだったのだ。渋みを強く感じる。鼻に抜ける香りは確かに濃いのだが、沢山飲むようなものには思えない。
「渋いんだろ」
笑うようなジェイクを睨むと、リデールも笑った。
「確かにフルボディは飲み慣れない方には受けが良くありませんからね」
「俺はこれで十分に思えるんだが、確かにワインを飲み慣れている隊員は少ないかもしれないな」
「では、こちらの若いワインはいかがでしょう?」
そう言って出してくれたのは手前側にあるものだ。
グラスに注いだ時の色がまず違う。透明感のある赤がとても綺麗だ。
「あ、飲みやすい」
渋みが少なくフルーティーで、香りも果肉の瑞々しいものを感じる。
「随分若いが……レイバンはこっちか?」
「これ、好き」
「お前、甘党だからな」
コクコクと注がれた分を飲み干せば、笑ったリデールが今度はしっかりと注いでくれる。
隣ではジェイクが先に開けてもらったフルボディの赤を飲んでいる。
コレが好きなんて……。思いながらも飲めない自分が子供なのかと、少し負けた気になりながらレイバンは若いライトボディのワインを堪能していた。
結局白は辛口のものを、赤はフルボディを少量とライトボディを仕入れる事が決まった。
「レイバン、少し赤いぞ」
「ジェイさんも首筋、少し赤くなってるよ」
美味しくて、結局何だかんだと話ながらセラーで少し飲んでしまった。足元が危ういわけではないが、少し気持ちがいい。
そうして明るい場所にリデールも含めて出てくると、その先で若い男女が人目を避けるように抱き合い、深刻そうな顔をしているのが見えた。
「あれ?」
「「!」」
レイバンの声に驚いたらしい娘が先に走り出し、男もそれとは違う方向へと走っていく。その背中を見たリデールは悲しそうな目をした。
「孫娘のリュミと、ここで働いている農夫の息子です」
「恋人だよね?」
「そう、上手く行かなくて困っているのですよ」
穏やかなリデールのただならない様子に、レイバンとジェイクは顔を見合わせてしまう。何か、とても困ったもののように思えたのだ。
「どういうことだ?」
「当人達は想い合っているのですがねぇ。あれの父親同士がどうにも上手く行かないで、反対しているのです。どちらも片親、捨てられなくて」
親のないレイバンにしたら、おそらく一生分からない問題。ジェイクももう親がどうのという年齢ではない。以前水を向けてみたら「勝手にしていいらしい」と簡単に返ってきた。
「リュミの父親と相手のカイルの父親は同い年で、同じワインの仕込みの仕事をしておりましてな。どちらも腕がいいものだから比べられて。そして性格も似ているのか、互いにライバル心が強く次第にいがみ合う様になって」
「辛い事ですね」
「でも、それで子供が不幸っておかしくない?」
「わしはいいと思うのですよ。リュミは気立ての良い子ですし、カイルは働き者で明るく真面目で。年もリュミが二つ程上の姐さんですからね。このような仕事では女が年上の方が安定するものです」
孫を思う祖父の顔をするリデールを見て、レイバンとジェイクは互いに顔を見合わせ、なんとも言えない顔をすることとなった。
ほろ酔いを冷ますように二人でブドウ畑を歩いている。ワイン用のブドウは果物用よりも粒が幾分小さい。
歩いている間に、ジェイクが違うシャトーへと寄ってそこで昼食を頂いた。シャトーであり、レストランをやっていたのだ。
季節野菜のピザと、牛ステーキ、それにワインが出てくる。
だがこのワイン、リデールの所で飲んだワインとはまったく違っていた。
「何コレ甘い! でも、ジュースみたいな甘さじゃない!」
小さなシャトーの若い女将さんは嬉しそうに笑い、奥から顔を出した若い男も嬉しげに笑っている。
「本当だ。このワインは……」
「貴腐ワインというのですよ。特別なブドウを使って作っているのですが、数が作れないので」
「貴腐ワイン?」
「完熟した葡萄に、貴腐菌という菌がついて自然と乾燥葡萄のような状態になるのですよ」
「そんなのがあるのか」
ワインを回し、飲み込んでまたを繰り返している。すっかり研究員の目だ。
「天候などに大きく左右されるもので、まったく作れない事もあるのですがここ最近は順調なのです。でも、市場に出す程の量はないのでここを訪れた方や、個人で求められる方だけにお出ししているのですよ」
女将さんが嬉しそうに言う。レイバンはもう一口それを飲み込み、とても甘い味わいに笑みを浮かべた。
「酔い覚ましに出たのに、出先でも飲んじゃったね」
「あれは飲まない方が失礼だ」
貴重なワインを頂いたジェイクは多少興奮した様子で言う。本当に分かりやすいと思う。
身軽にもう少し。思って歩く田舎道の先、そろそろ空が茜という頃だ。そこに、さっき見た二つの影が見えた。
「あれって……」
今度は声をひそめて言う。リデールの孫娘リュミと、恋人のカイルは硬く手を握って森の方へと歩いていく。その様子のただならない様子に、レイバンは不安を感じていた。
「ジェイさん、俺はあの二人を追うからリデールさんに知らせて」
「大丈夫か?」
「平気」
「分かった」
ジェイクは急いでリデールの屋敷を目指し、レイバンは距離を保ちつつ二人を追って行く。やがて森へと入った二人は更に奥へ。赤い日差しの中を進む二人に躊躇う様子はない。
これから夜だ。十月とはいえ夜は冷え込む。凍死こそしないだろうが、賢い選択ではないはずだ。そんな事、こういう土地で暮らしているなら分かるはずなんだ。
嫌な予感がする。木の陰に隠れながら追うレイバンはすっかりワインの酔いも覚めてしまった。
やがて森を大分入った所に、一つの泉が見え始めた。水の澄んだ綺麗な泉はそこそこの深さがある。
「いい?」
「えぇ」
短い返答、強く握られた手。向き合った二人を見てレイバンが焦った。
「なにも良くないっての!」
慌てて出たレイバンは泉の中に数歩入った二人を追って腕を掴む。驚いたカイルの目には追い込まれた狂気があり、リュミの目には追い込まれた絶望が見えていた。
「バカな事しないでよあんた達! どうしてこんな事選べるのさ!」
「離してくれ! 俺達はもう、これ以外の道はないんだ!」
「お願いです、二人でずっと一緒に!」
「バカ!!」
死んで一緒に。そんなバカな事はない。死んだら終わりだ、それはよく知っている。沢山の仲間が死んだんだ。それを見送ったんだ。どんな言葉を掛けても、もう彼らには聞こえなかったんだ。
水の中でもみ合う。足元は倒木などで滑りやすいがそれでもレイバンは何とか二人を陸へと上げようと必死に腕を引いた。
カイルの腕がレイバンを払い除ける。途端、足が滑って深みに落ちていく。リュミが手を伸ばして止めようとして、カイルも深みへと落ちるレイバンを見て慌てたようだった。
十月の泉は身を切るように冷たい。足がつかない事に一瞬パニックになった。それでも着衣水泳は騎士団でもやっている。透明な空へと向かい、手を掻いていく。寒さに体が縮こまって動かなくても、進みがほんの少しでも構わない。
手を一杯に伸ばした。その手を、取った誰かがいた。少しゴツい、節のある手。その手がレイバンをしっかり掴まえ、引っ張りあげた。
「レイバン!!」
「あ……」
僅かに水に体を濡らすジェイクがレイバンを抱き上げて陸へと連れて行き、毛布で包み込んでいく。見ればリデールの他に、見知らぬ農夫が二人いる。
そしてカイルとリュミの二人が青い顔をしていた。
「早く風呂へ! これから冷え込むから風邪でも引いちゃいけない」
リデールに言われ、ジェイクが抱き上げる。「自分で」と言ってみるが、ガタガタと体が震えて言うことをきかない。ジェイクは強く抱き寄せて首を横に振った。
「大丈夫だ」
その言葉だけで安堵する。体の震えは止められなかったけれど、もう大丈夫という安心感は深くて、レイバンはいつの間にか眠ってしまった。
王都へと戻るその道中にある広大なブドウ畑といくつかの家。その中でも一番大きな屋敷を目指していた。
「ブドウ畑だけど、ドラールさんの所とちょっと違う」
村の入口で馬車を降りて屋敷への道を歩いているレイバンの問いに、ジェイクは頷いた。
「ワイン用のブドウだ。ドラールさんもワイン用を作ってはいるが、メインは果物としてのブドウだからな」
「違うの?」
「品種がな」
「へぇ」
知らなかった。
背の低いブドウの木々を見ながら進む長閑な田舎道。その先に建つ屋敷は、人の声が溢れていた。
この辺はワインを作るシャトーが集まっている。といっても、ワインを作っているのはこれから行く屋敷の他数カ所。一番大きいのがあの屋敷だ。
多くの農夫がブドウの収穫をし、ワイン仕込みの準備をしている様子を横目に見ながらレイバン達はその中の一人に声をかけた。
「リデールさん!」
数人の農夫と話し込んでいた人は、ジェイクを見ると温厚そうな目尻を更に下げた。
「これは! ようこそいらっしゃいました、騎士様」
「いや、俺は騎士じゃなく単なる料理番なんだが。ジェイクだ、この度は忙しいのに急な申し出を受けていただき、有り難うございます」
「なんの。こちらも騎士団ほどの大きな取引が出来て光栄ですよ」
リデールという五十代くらいの温厚そうな男はやんわりと言って頭を下げた。
レイバン達がここに立ち寄ったのは、旅行というよりはジェイクの仕事だ。
それというのも近々行われるカール四世の婚礼の際、騎士団でもワインが振る舞われる事となった。そこで出すワインの下調べと発注をジェイクが負ったらしい。
ジェイクは「仕事兼ねてになって悪いな」と言ったが、こんなの仕事のうちにも入らない。一緒に美味しいワインを飲んで選んで発注をかけるだけだ。
しかもこの屋敷の主人リデールの計らいで、今夜はこの屋敷に泊まる事が決まっている。
リデールの案内で屋敷の中へと招かれたレイバン達は、ツインの一室へと案内された。流石にダブルではないが、二人一室がいいと言えば受け入れられた。しかもベッドは大きい。
「立派な屋敷だね」
「それについては先祖に感謝ですね。わしの先祖はここら一帯の領主でしてね、ワイン作りを生業としておりました」
古いが手入れの行き届いた屋敷は空気もいい。数人使用人がいるらしいが、ゴチャゴチャしている感じはない。長くここに務めているらしい恰幅のいい三十代くらいのメイドとすれ違ったくらいだ。
「ワインはどこで選びますか? ダイニングにお持ちしましょうか?」
「いや、せっかくだから樽のある場所を見学したいんだ。こんな機会もなかなかないので、楽しみたくて」
「構いませんよ。今、来年分を仕込んでいるので少し慌ただしいですが」
「お忙しいのに申し訳ない」
「いやいや、光栄ですよ」
荷を置いて、リデールに連れられて再び仕込みをしているという作業場へ。収穫されたブドウの枝や葉を取り除く女性達、収穫されたブドウを潰す娘達など、見るものがとにかく珍しい。
「凄い、ワインってこんな風に作るんだ」
思わず呟くと、リデールは穏やかに笑って頷いた。
「今仕込んでいるのは来年用ですよ。今一番新しいのは去年のものです」
作業を横に通り過ぎ、その奥へ。そこには瓶に詰められたワインが木製のラックに沢山収められていた。
「すごい!」
「流石に壮観だな」
ジェイクも何処か興奮気味に言う。
リデールは一番手前にあるラックからボトルを一つ手にし、栓を抜いてグラスへと注ぐ。白ワインは軽やかな香りがした。
「去年仕込んだ白です。ここ最近は天候にも恵まれて、出来がいいのですよ」
「どれ」
慣れた手つきでジェイクが香りを確かめ、少量を口に含む。その横でレイバンはそれらを気にせず飲み込んだ。
「あ、飲みやすい」
ブドウの香りは残しつつ、スッキリと口当たりがいい。酸味もきつくはなく、こってりと甘いわけでもなかった。
「こちらは辛口です。こちらは同年に作られたものですが、甘口に仕上げてありますよ」
そう言って出されたワインは同じように見える。けれど飲めばまったく別物だ。ブドウ本来の甘みやフレッシュ感が残っているものの、酒を飲んでいるというよりは高級なジュースを飲んでいる気分だ。
「白は辛口がいいな」
「わかりました」
「赤はどうだ?」
「それならこちらを」
リデールは奥の方からやや古いラベルのワインを出して来て、新しいグラスに丁寧に注ぐ。色の濃いものだ。
一口飲み込んだレイバンは思わず眉根を寄せた。それというのも飲み慣れないものだったのだ。渋みを強く感じる。鼻に抜ける香りは確かに濃いのだが、沢山飲むようなものには思えない。
「渋いんだろ」
笑うようなジェイクを睨むと、リデールも笑った。
「確かにフルボディは飲み慣れない方には受けが良くありませんからね」
「俺はこれで十分に思えるんだが、確かにワインを飲み慣れている隊員は少ないかもしれないな」
「では、こちらの若いワインはいかがでしょう?」
そう言って出してくれたのは手前側にあるものだ。
グラスに注いだ時の色がまず違う。透明感のある赤がとても綺麗だ。
「あ、飲みやすい」
渋みが少なくフルーティーで、香りも果肉の瑞々しいものを感じる。
「随分若いが……レイバンはこっちか?」
「これ、好き」
「お前、甘党だからな」
コクコクと注がれた分を飲み干せば、笑ったリデールが今度はしっかりと注いでくれる。
隣ではジェイクが先に開けてもらったフルボディの赤を飲んでいる。
コレが好きなんて……。思いながらも飲めない自分が子供なのかと、少し負けた気になりながらレイバンは若いライトボディのワインを堪能していた。
結局白は辛口のものを、赤はフルボディを少量とライトボディを仕入れる事が決まった。
「レイバン、少し赤いぞ」
「ジェイさんも首筋、少し赤くなってるよ」
美味しくて、結局何だかんだと話ながらセラーで少し飲んでしまった。足元が危ういわけではないが、少し気持ちがいい。
そうして明るい場所にリデールも含めて出てくると、その先で若い男女が人目を避けるように抱き合い、深刻そうな顔をしているのが見えた。
「あれ?」
「「!」」
レイバンの声に驚いたらしい娘が先に走り出し、男もそれとは違う方向へと走っていく。その背中を見たリデールは悲しそうな目をした。
「孫娘のリュミと、ここで働いている農夫の息子です」
「恋人だよね?」
「そう、上手く行かなくて困っているのですよ」
穏やかなリデールのただならない様子に、レイバンとジェイクは顔を見合わせてしまう。何か、とても困ったもののように思えたのだ。
「どういうことだ?」
「当人達は想い合っているのですがねぇ。あれの父親同士がどうにも上手く行かないで、反対しているのです。どちらも片親、捨てられなくて」
親のないレイバンにしたら、おそらく一生分からない問題。ジェイクももう親がどうのという年齢ではない。以前水を向けてみたら「勝手にしていいらしい」と簡単に返ってきた。
「リュミの父親と相手のカイルの父親は同い年で、同じワインの仕込みの仕事をしておりましてな。どちらも腕がいいものだから比べられて。そして性格も似ているのか、互いにライバル心が強く次第にいがみ合う様になって」
「辛い事ですね」
「でも、それで子供が不幸っておかしくない?」
「わしはいいと思うのですよ。リュミは気立ての良い子ですし、カイルは働き者で明るく真面目で。年もリュミが二つ程上の姐さんですからね。このような仕事では女が年上の方が安定するものです」
孫を思う祖父の顔をするリデールを見て、レイバンとジェイクは互いに顔を見合わせ、なんとも言えない顔をすることとなった。
ほろ酔いを冷ますように二人でブドウ畑を歩いている。ワイン用のブドウは果物用よりも粒が幾分小さい。
歩いている間に、ジェイクが違うシャトーへと寄ってそこで昼食を頂いた。シャトーであり、レストランをやっていたのだ。
季節野菜のピザと、牛ステーキ、それにワインが出てくる。
だがこのワイン、リデールの所で飲んだワインとはまったく違っていた。
「何コレ甘い! でも、ジュースみたいな甘さじゃない!」
小さなシャトーの若い女将さんは嬉しそうに笑い、奥から顔を出した若い男も嬉しげに笑っている。
「本当だ。このワインは……」
「貴腐ワインというのですよ。特別なブドウを使って作っているのですが、数が作れないので」
「貴腐ワイン?」
「完熟した葡萄に、貴腐菌という菌がついて自然と乾燥葡萄のような状態になるのですよ」
「そんなのがあるのか」
ワインを回し、飲み込んでまたを繰り返している。すっかり研究員の目だ。
「天候などに大きく左右されるもので、まったく作れない事もあるのですがここ最近は順調なのです。でも、市場に出す程の量はないのでここを訪れた方や、個人で求められる方だけにお出ししているのですよ」
女将さんが嬉しそうに言う。レイバンはもう一口それを飲み込み、とても甘い味わいに笑みを浮かべた。
「酔い覚ましに出たのに、出先でも飲んじゃったね」
「あれは飲まない方が失礼だ」
貴重なワインを頂いたジェイクは多少興奮した様子で言う。本当に分かりやすいと思う。
身軽にもう少し。思って歩く田舎道の先、そろそろ空が茜という頃だ。そこに、さっき見た二つの影が見えた。
「あれって……」
今度は声をひそめて言う。リデールの孫娘リュミと、恋人のカイルは硬く手を握って森の方へと歩いていく。その様子のただならない様子に、レイバンは不安を感じていた。
「ジェイさん、俺はあの二人を追うからリデールさんに知らせて」
「大丈夫か?」
「平気」
「分かった」
ジェイクは急いでリデールの屋敷を目指し、レイバンは距離を保ちつつ二人を追って行く。やがて森へと入った二人は更に奥へ。赤い日差しの中を進む二人に躊躇う様子はない。
これから夜だ。十月とはいえ夜は冷え込む。凍死こそしないだろうが、賢い選択ではないはずだ。そんな事、こういう土地で暮らしているなら分かるはずなんだ。
嫌な予感がする。木の陰に隠れながら追うレイバンはすっかりワインの酔いも覚めてしまった。
やがて森を大分入った所に、一つの泉が見え始めた。水の澄んだ綺麗な泉はそこそこの深さがある。
「いい?」
「えぇ」
短い返答、強く握られた手。向き合った二人を見てレイバンが焦った。
「なにも良くないっての!」
慌てて出たレイバンは泉の中に数歩入った二人を追って腕を掴む。驚いたカイルの目には追い込まれた狂気があり、リュミの目には追い込まれた絶望が見えていた。
「バカな事しないでよあんた達! どうしてこんな事選べるのさ!」
「離してくれ! 俺達はもう、これ以外の道はないんだ!」
「お願いです、二人でずっと一緒に!」
「バカ!!」
死んで一緒に。そんなバカな事はない。死んだら終わりだ、それはよく知っている。沢山の仲間が死んだんだ。それを見送ったんだ。どんな言葉を掛けても、もう彼らには聞こえなかったんだ。
水の中でもみ合う。足元は倒木などで滑りやすいがそれでもレイバンは何とか二人を陸へと上げようと必死に腕を引いた。
カイルの腕がレイバンを払い除ける。途端、足が滑って深みに落ちていく。リュミが手を伸ばして止めようとして、カイルも深みへと落ちるレイバンを見て慌てたようだった。
十月の泉は身を切るように冷たい。足がつかない事に一瞬パニックになった。それでも着衣水泳は騎士団でもやっている。透明な空へと向かい、手を掻いていく。寒さに体が縮こまって動かなくても、進みがほんの少しでも構わない。
手を一杯に伸ばした。その手を、取った誰かがいた。少しゴツい、節のある手。その手がレイバンをしっかり掴まえ、引っ張りあげた。
「レイバン!!」
「あ……」
僅かに水に体を濡らすジェイクがレイバンを抱き上げて陸へと連れて行き、毛布で包み込んでいく。見ればリデールの他に、見知らぬ農夫が二人いる。
そしてカイルとリュミの二人が青い顔をしていた。
「早く風呂へ! これから冷え込むから風邪でも引いちゃいけない」
リデールに言われ、ジェイクが抱き上げる。「自分で」と言ってみるが、ガタガタと体が震えて言うことをきかない。ジェイクは強く抱き寄せて首を横に振った。
「大丈夫だ」
その言葉だけで安堵する。体の震えは止められなかったけれど、もう大丈夫という安心感は深くて、レイバンはいつの間にか眠ってしまった。
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