上 下
54 / 178

54「結界張りを手伝っていただきたくて」

しおりを挟む
「黒鳥だと……?」
 アカデミーで講義中だったエイダールの許に、黒い紙鳥が降ってきた。
「あー、みんなすまないが、緊急かもしれないんで、読ませてもらうぞ」
 学生たちに断って、紙鳥を掴むと、届いた伝達紙を広げる。一般的な紙鳥の場合、到着を知らせる光は、白っぽい小鳥の形をしているが、重要事項や緊急の場合は黒い小鳥が現れるので、黒鳥と呼ばれる。ほぼ瞬時に到達するが、伝達に必要な魔力量が二桁違うので、余程の緊急時にしか使われない。
「……講義を続ける」
 しかし、読み終わったエイダールは、伝達紙を雑に折り畳んで懐に仕舞うと、講義を再開した。




「ギルシェ先生、質問があります」
「ん、何だシビラ」
 講義を終え、机の上を片付けていたエイダールに、一人の学生が近付いた。
「あの紙鳥、何か緊急じゃなかったんですか?」
「講義内容に関してじゃないのか」
 そっちかよ、という顔で、エイダールはシビラを見る。彼女は将来、魔法紋様の研究者になりたいらしく、毎年エイダールの講義を取って熱心に勉強しているので少し意外だ。
「だって私、黒鳥を生で見たの初めてなんですよ!」
 気になるじゃないですか、とシビラは正直に申告する。
「好奇心で、緊急連絡を受け取ったかもしれない相手を呼び止めるな。まあ、緊急じゃなくて、重要な伝達の方だったけどな。ちょっとした呼び出しだ」
「呼び出しって裁判所ですか? 訴えられたんですか?」
 シビラの中で、呼び出し=裁判所らしく、真顔でそんなことを言い出す。
「何でそこで裁判所が出てくるんだよ、お前は俺をなんだと思ってるんだ。呼び出しをかけてきたのは神殿だ」
 枢機卿直々の呼び出しだった。退勤時間に合わせて迎えを差し向けるとある。
「神殿って……ギルシェ先生、本当に何をやらかしたんですか」
 両手で口を覆って嘆き始めるシビラに、エイダールは胡乱な目になる。
「何でやらかして呼び出されると思ってるんだよ、俺は何も」
 ふと、神殿の中庭をぐちゃぐちゃにして、東屋を倒壊させたことを思い出すが、あれは自然現象による落雷の被害である。自然現象って言ったら自然現象である。
「…………何も、してないからな」
「先生、その変な間は一体」
「講義に関係ない質問は控えるように」
 エイダールはそそくさと講義室を後にした。






「あれ、何か挟んである?」
 その日も当たり前のようにエイダールの家に帰ったユランは、扉に挟まれた紙を見つけた。

『神殿に呼び出されたので行ってくる。遅くなるかもしれないが心配するな』

 一度家に戻ってから神殿に出向いたエイダールの短い置き手紙である。
「神殿に呼び出されたって……先生、何したんだろう」
 ユランも、エイダールが何かやらかしたのだと思って心配した。






「もう禊を再開してるんだ? 他の被害者はまだ大半が入院療養中なのに」
 神殿に着いたエイダールは、枢機卿がいるという地下の禊の場に案内された。
「結界張りまでもう時間がありませんから、のんびり寝てなどいられません。……よく来てくれました、エイダール・ギルシェ」
 瞑想していた枢機卿は、ゆっくりと立ち上がる。
「有無を言わせない呼び出し状をもらった気がしたけど?」
 退勤時間の一時間前には、研究所の門の前に迎えの馬車が来ていた。
「そうでしたか?」
「黒鳥を飛ばしてくる時点で何事かと思うだろ。それに『何があっても絶対にお連れするようにと言われている』って迎えの馬車に乗ってたこいつが付き纏ってきて鬱陶しいことこの上ないし」
 それを無視して一度家に帰った訳だが。
「鬱陶しくて悪かったですね」
 迎えに出ていた側仕えの神官が頬を引きつらせる。
「というかギルシェ殿、枢機卿に対してその言葉遣いは何ですか」
 くどくどと注意を受ける。
「いいんですよ、彼とは旧知の間柄です」
 枢機卿が取りなした。
「別に親しくはないと思うんだけどな……十五年の付き合いだけど」
 十五年前、エイダールの魔力検査に立ち会っていたのが、当時上級神官だった枢機卿である。その後もなんだかんだで関わりがある。
「で? わざわざ呼び出して俺に何の用ですか、枢機卿」
「結界張りを手伝っていただきたくて」
 枢機卿は、前置きなしで本題に入った。
「お断りします」
 エイダールは被せ気味に断る。
「結界張りは神殿の仕事だし、俺は神殿の人間じゃない。その線引きをうやむやにすると面倒なことになるっつったのはあんただろ」
 国を覆う結界張りに関する事柄は、ある意味国の重要機密である。本来、部外者を参加させることは出来ない。
「基本的にはその通りですが、今回はあまりに魔力が足りません」
「魔力持ちなら、魔術師団にいっぱいいるだろ」
「あなたほどの清冽な魔力持ちはいませんよ。前にも言いましたが、あなたの魔力は神聖力にかなり近い。結界張りには喉から手が出そうなほど欲しい人材です」
 アカデミーを卒業する前、そういう理由で、熱心に神殿入りを勧められ、体目当てで求婚されるような不快感を覚えた。
「そんなのそっちの都合だろ」
 今も感覚としては同じだ。
「そんな……老体に鞭打って働く私を見捨てるのですか?」
 枢機卿は泣き落としに作戦を変更した。
「老体ってなんだよ、あんた四十歳になったくらいだろ、働き盛りだろ」
「二十代のあなたに比べれば老体ですよ」
 枢機卿は、悪びれた様子もない。


「そういえば聞いてくださいエイダール。一ヶ月半振りに懐かしの神殿我が家に帰ってきたら、大切にしていた中庭がずたずたになっていて」
 とても残念でした、と落ち込んだ様子を見せる。
「それは災難でしたね」
 エイダールは棒読み気味に言葉を返す。
「雷が落ちたそうなんですよ、雲も何もない空から。ですので魔法ではないか、神殿に仇なす者の仕業ではないかと調べたそうですが、そんな痕跡もなくて」
「……自然現象恐いですね」
 あれは自然現象、自然現象、とエイダールは自分に言い聞かせる。
「自然現象だと思いますか?」
 雲一つない空からですよ? と枢機卿は納得しない。
「魔法の痕跡がないのなら自然現象でしょう」
 引きつりながらも、自然現象説を推す。
「私、実は、痕跡を残さずそういうことをやってのける魔術師に心当たりがありまして。その魔術師がちょうどその時間、神殿にいたそうなんですよ」
 偶然でしょうか、と枢機卿はエイダールを見た。
「偶然でしょう。それに、証拠もなく疑うのはどうかと思います」
 完全にばれてるな、と思いつつ、エイダールは建前を崩さない。
「そうですね、やったという証拠探しも、やっていないという証拠探しも難しい」
 難しいだけで出来ない訳ではない、と匂わせる枢機卿。
「結界張りも近い訳ですし、そのようなことに御心を砕かれずともよいのでは?」
 その話題忘れてくれないかな、とエイダールは思う訳だが。
「中庭を見る度に心が引き裂かれるような気がするのです。あなたが結界張りを手伝ってくだされば、少しはこの心痛からも解放されるかもしれません」
 枢機卿は畳みかけてくる。抵抗しても無駄だなと、エイダールは判断した。
「枢機卿の御身体も万全ではありませんし、少しでも御心痛が減るなら、今回だけ手伝います」
 今回だけだからな! と強調することで、手打ちにする。
「ありがとうございます」
 枢機卿は満面の笑みを浮かべた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

服を脱いで妹に食べられにいく兄

恋愛 / 完結 24h.ポイント:795pt お気に入り:19

男が希少な「あべこべ世界の掲示板」

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:333pt お気に入り:32

氷血辺境伯の溺愛オメガ

BL / 完結 24h.ポイント:305pt お気に入り:2,954

あまり貞操観念ないけど別に良いよね?

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:1,917pt お気に入り:2

はぐれ妖精姫は番の竜とお友達から始めることになりました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:327

処理中です...