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出口のない教室
22.
しおりを挟む「おい、蔵之介!」
「いや、もうそのまま持って帰ればいいんじゃねえのか。お前そういうの好きだろ」
「む…………」
それも確かに。と、一瞬騙されかけ――
「そういう問題じゃない」
鷹人はかぶりを振った。
「生活に支障が出る。利き手なんだ、噛み付かれているのは」
「それこそ、そういう問題じゃねえだろ」
九雀が嘆息する。ともあれ、助ける気にはなってくれたようだ。
再び近付いてくると、彼は警棒の先で人形をつついた。
「どうなってんだ、これ。まあ、特定古物なんだろうけど」
「この人形の名前はトモと言うんだろう? 花岡智と同じだ」
とだけ言ったところで、九雀には分からないだろう。
顔をしかめながら鷹人は続けた。
「異能の世界において、名は重要な意味を持つ。それだけで人生が決まるとまでは言わないが、魂の種たるものであるとされる。古い時代に本名で呼び合うことを避けたのも同じ理屈だ。名はその人の力であり、同時に弱点となりうるわけさ。西洋においても同じ文化がある。人は悪魔を恐れ、真の名を口にすることは避けていた。名を呼べば、そこで縁が結ばれるからだ。悪魔に目を付けられる。一方で悪魔を退散させるには、やはり真の名が必要とされた。これは、退散の儀式が神の御名において交わされる契約のようなものだと考えてくれれば分かりやすいと思う――」
「説明してくれてるとこ悪いが、痛くねえのかそれ」
「痛いから顔をしかめているんじゃないか!」
「だったら要点だけ言やいいのに……」
話の腰をぽっきり折ると、九雀は手の中でくるりと警棒を回した。
「つまり、こういうことだ。同じ名前を持った人形が、事故で意識不明になった花岡智を憐れむかなにかしてクラスメイトや真田の意識を思念世界に閉じ込めている、と」
「君の言い方にはいつだって悪意がある」
「客観的なんだろ。お前は、特定古物に寄りすぎだ」
この件に関して、九雀と意見が合うことはないのだろう。冷ややかに言ってなんの躊躇もなく警棒の先端を人形の頭に突きつける彼に、鷹人は思わず半歩後退った。
「おい、助けてほしいのかほしくないのかはっきりしろ」
「そうは言うが……」
人形の口は、食らいつかれている鷹人だけがようやく感じ取れる程度に、かたかたと震えているのだ。まるで怖い大人を恐れる子供のように。
「これは悪い呪症ではないような気がする」
痺れを切らしつつある九雀から庇うように、鷹人は両手をさっと背中に隠した。
「お前の悪い癖だぞ!」
案の定目をつり上げる悪友に、言い訳がましく立てる。
「考えてもみてくれ。相手は子供だぞ」
「言っておくが、この遊園地ができたのはお前が生まれる前だからな」
「心は子供なんだろう、きっと」
「現実の子供には目もくれないくせに――」
がちがちと歯を鳴らして威嚇までしてくる。その焦燥感は分からないでもなかった。こうしている間にも律華や子供たちは、不安定な思念世界を彷徨っている。
だが特定古物を庇うのが鷹人の悪い癖だとすれば、優先順位を付けて他の可能性を切り捨てるのは九雀の悪い癖だった。鷹人は人形を庇ったまま、告げた。
「律華くんなら、僕と同じことを言うと思う」
「お前――」
一番痛いところを刺されて、九雀の腕が下がる。
「卑怯だぞ」
「後輩に胸張って言えないようなことは、君だってしたくないだろう」
それで勝敗は決したようなものだ。軽く溜息を吐くと九雀は警棒を腰のホルダーに戻して、鷹人にくるりと背を向けた。
「で、どうすんだ? 真田の名前を持ち出すからには、他に策があるんだろう?」
「ない」
「おい……怒るぞ、しまいには」
もう何度も怒っているくせに、とは指摘しなかったが。
鷹人は胸の前で人形の頭を抱え直した。指先にはまだ鈍い痛みが残っている。だがそれの口はもう、鷹人の手に噛み付いてはいなかった。
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