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第二章 牙を剥く皇帝

プロトタイプ

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「ほらほら、遅いぞアリーシャどの!」
「はぁ、はぁ……待ってくださいよ、シュルヒ……!」

 ダンジョン五階層、見渡す限りの広大な草原にて、お下げ髪を揺らしながらシュルヒを追いかける少女がいた。

 一月ほど前に《エンペラー》に入ってきたこの新メンバーのアリーシャは、パーティーにとって最早なくてはならない存在となっていた。失敗をして叱られても決して折れず、すぐに立ち直って明るい笑顔を周りに振り撒いてきた少女は、《エンペラー》の精神的な柱だったのである。

「まったく……シュルヒめ、まだ体力のないアリーシャをそこまで走らせるなんて、虐待と同じだろうに……」

 二人の様子を見て苦笑するリーダー、ジェナート。すらっとした長身の男で、眩しさのために細くなった目は全てを見通しているかのように青く透き通っていた。

「……わ、私もリーダーの言う通りだと思います。アリーシャさんをいじめるなんて許せません……」
「おーい、声がちいせえぞ、バジルの旦那」
「むっ……」

 照れ臭そうに顔を赤くした長髪の青年バジルをからかったのは、低身長だがやたらと彫りの深い顔立ちと鋭い目つきをした男グルーノであった。

 中堅パーティー《エンペラー》は五階層の攻略に挑んでいたのだが、長閑な景色に加えてモンスターの姿もなく、常に温暖な気候であるため緊張感は皆無だった。

「シュルヒ、速すぎです……」
「アハハ……しかしここはアリーシャどののためにあるような階層だな。あまりにも平和すぎる」
「な、なんか酷いですよそれ! その通りかもしれませんが……」

 シュルヒとアリーシャが談笑する中、バジルがおずおずと近寄っていく。

「そ、そういえば、ここは確かサービスステージとも呼ばれていて、どこかにある石板さえ見つければ攻略できるそうなのですよ……」
「あー、バジル、もしかして私をサービスステージ扱いするんですかー?」
「いや、そういうつもりではなくてですね……」
「酷いです……」
「ち、違いますって! それは誤解――」
「――冗談ですよっ! ふふっ……」
「う……」
「おーい、顔真っ青だぞ、バジルの旦那?」
「ま、まったく、いちいちうるさいですねえ、グルーノさんは……って、あれっ。どこです……?」
「ケケケッ……」

 いつの間にか忽然と姿を暗ましていたグルーノ。彼のアビリティは【仄身】であり、使用中は動けなくなるものの、姿だけでなく気配も完全に消えるため、見つけるためには直接触れるしかないという、隠れるにはうってつけのアビリティであった。

「さてはグルーノどの、またアリーシャどのに悪戯するつもりなのか!」
「さーな? シュルヒにもやるかもなあ? ケケッ……」
「むうぅ……どこだ、出てこい!」
「シュルヒ、ここは私にお任せあれ! 悪漢グルーノはどこですかー! わっ!?」

 アリーシャが何もない宙を勢いよく掴もうとして転び、どっと笑い声が上がる。

「ま、たまにはこういう和やかなダンジョンも悪くはないか……ん?」

 穏やかな笑みを浮かべるリーダー、ジェナートの背後にアリーシャが隠れる。

「リーダー! このままだと悪戯されちゃうので守ってくださーい! 私の盾として……!」
「お、おいおい……」
「ケケッ、なんでも見抜けるリーダーの後ろに隠れるなんて、アリーシャも結構腹黒いぞ?」
「うふふっ――」

 パーティー《エンペラー》の雰囲気は最高だった。この瞬間までは。

「――きゃああああぁぁぁっ!」

 平和な空気が悲鳴によって千切れていく。

 通りがかったパーティーの一人が急に暴れ出し、そのメンバーの一人を長剣で斬り殺したのだ。それはまさに青天の霹靂だった。あっという間に仲間を全員殺し終わった血まみれの暴漢が、近くにいる《エンペラー》のほうに向かってくるのも時間の問題であった。



 ※※※



「シュルヒ……?」

 急に彼女が黙り込んでしまったので様子を見たら、両手で顔を押さえていた。

「み、見ないでくれ、ウォールどの……」
「シュルヒ……」
「……こんなところで話を折ってしまって申し訳ない。ただ、自分が覚えているのはそれくらいなのだ。気付いたときには幾つもの死体が転がり、その中にはアリーシャどのもいて……。あとでわかったことだが、突然のことで呆然としていた自分を庇う形で亡くなったとか……」
「……」
「自分を含め、みんなに慕われていたあの子が死んだことでパーティーはおかしくなってしまった。リーダーのジェナートどのが責任を取って辞め、交代でリーダーとなったバジルどのは別人のように合理的になり、悪戯好きだが勤勉だったグルーノどのは仕事をさぼるようになった。そして……自分は罪悪感のあまり感情が凍り付いてしまった……」
「シュルヒ……でも、俺の前でこうして泣いてるじゃないか」
「……」
「ってことは弱みを見せられるようになったってことだし、凍った感情が溶けて動き始めた証拠だろ? だったらいつの日か心の底から笑うことだってできるようになるよ」
「……だと、よいが……」

 シュルヒは、しばらく俺に寄り添うようにして泣いていた。
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