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第二章
21話 支援術士、店を建てる
しおりを挟む「さあ、来やがれ……化け物……」
『グルル……ルアアァァァッ……!』
「はあぁっ!」
『ギャンッ!』
そこは都から遠く離れた山の中、2メートルを優に超すSS級モンスター、ジャイアントウルフが一人の長髪の男に切り伏せられ、血を吐いて倒れる瞬間だった。
「ククッ……遂に、遂に倒したぞ、それもたった一人で、難敵を……」
男は返り血を浴びて舌なめずりすると、獣に突き立てた大剣に背中を預けて腕組みし、精悍な顔つきに充実した笑みを宿らせる。
(首を洗って待ってろ、グレイス……。今の俺は以前の俺とは違う。必ずお前をこのモンスターのように地獄に突き落としてみせる。お前があらゆるものを回復するっていうなら、俺は破壊してやるってんだよ。何もかも、この世の何もかもを、な……)
変わり果てた【勇者】ガゼルの鋭い眼光が宙を射抜いた。
◇◇◇
「「いらっしゃい!」」
お客さんが入ってきて、俺とアルシュの弾んだ声が被る。
今日は朝からあいにくの雨だが、まったく問題なかった。あれから俺たちは頑張ってお金を貯め、およそ一カ月後の今日、冒険者ギルドの前に小さな店を構えるまでになったんだ。狭いとはいえ仕切りもベッドもあるし、休憩所としても診察所としても申し分ない。
もちろん、店の名前である【なんでも屋】も、銅貨1枚という値段も変わらない、お客に優しい店として本日オープンしたばかりだった。
「グ、グレイス、先生、どうか……お願い、します……」
【吟遊詩人】っぽい格好の青年が、陰鬱そうな表情で目の前の椅子に腰かける。そのたどたどしい口調を聞いて、俺はすぐにこの男が難聴であることがわかった。それもかなり重症で、ほぼ聞こえないレベルなんじゃないか。
まず訳を話してほしい、という文章が書かれた紙を彼に見せる。あらかじめ患者から発症した経緯を聞いておくことは、治療に大いに役立つからだ。彼はうなずき、おもむろに語り始めた。
「――という、わけ、なんです……」
青年によると、一月ほど前から急に難聴になり、それからずっと聞こえない状態が続いてるそうで、どの【回復職】に頼んでもダメで、最近俺の噂を聞きつけてやってきたらしい。
青年の体に突如訪れた難聴に対し、一瞬呪いによるものかと警戒したが、俺の試行した回復術が反発も起きずすんなり耳に浸透したので違う。それにどこにも異常が見当たらない。おかしいな……。
話しにくいかもしれないが、何か思い当たる節とかもしあれば話してもらいたい。俺はそう紙に書いて彼に見せた。
「……」
彼は若干動揺した顔を見せたあと、うなずいてから重そうに口を開いた。やはり突然の難聴になった背景には何か深い事情がありそうだな。
「――なるほど……」
青年が言うには、普段【吟遊詩人】として各地を放浪していて、久々に故郷に帰ったら母が病死してしまっていて、それで酷く落ち込んでいたらいつの間にか音が聞こえなくなったんだそうだ。
それを聞いて俺はピンと来るものがあった。そうか、耳自体に異常があるわけじゃない。ショックと疲労が重なった結果、もう何も演奏したくない、聞きたくないという衝動から脳と耳を繋ぐ道に障害が起きているんだ。
これはおそらく、呪いと呼べるほどじゃないがそれに近いものであり、仕事ばかりして母親の死に目に会えなかった自分を呪うように責めたことによる精神的損傷によるものだろう。
それだけじゃなく、耳が聞こえなくなったら洒落にならないジョブってことで重圧が加わり、疲労やマイナスの感情も相俟ってここまで難聴になってしまったってわけだ。
「お願い、します……」
頭を下げる青年に対し、俺は力強くうなずいてやった。これで少しは前向きな感情を取り戻すだろう。
「グレイス、治療頑張ってね!」
「ああ。アルシュも俺と一緒に彼にプラスの気持ちを注いでやってくれ」
「うん!」
俺のジョブである【支援術士】はもちろんのこと、【回復職】で一番大事なのは前進しようという気持ちなんだ。これはあらゆる回復術を支える土台といってもいいもので、高度な回復術もこれを切らさない限り続けて行使することができる。
難聴が治療対象ってことで、俺は優しい、心地よい音をイメージしながら回復術を少しずつ耳の奥へ流し込んでいく。彼は【吟遊詩人】なので弦楽器をイメージしがちだが、そうではなくてまずは耳にすぐ馴染むような自然の音がいいんだ。
そこから徐々に音の強度を上げていく。甘やかしすぎてもダメで、本来の状態に戻すべく耳を訓練してやらないといけない。疲労にしても一気に回復するより並行して少しずつやるべきで、そうしないと拒否反応を起こしスタート地点に逆戻りしてしまう可能性があるんだ。
……よし、心身の疲労も寸断された道の状態も大分回復してきた。これならもう大丈夫だろう。
「――俺の声、聞こえるかな……?」
「……お、おおっ、聞こえます、はっきり、聞こえます……! グレイス先生、あ、ありがとうございます……!」
「よかったよかった……」
「だね……」
耳が聞こえるようになった客がむせび泣くところを見て、こっちもグッとくるものがあった。アルシュなんて顔を赤くして既に泣いてる様子。今回の客は【吟遊詩人】という楽器を演奏するジョブなだけに、耳が聞こえないことで相当の苦しみがあったと思うが、そんな辛い経験があった分、より一層感情の籠もった良い歌を多くの人に届けることができるようになるんじゃないかな。
――さて、そろそろ正午だから店を一旦閉めないといけない。
「お客さん、悪いね、今日はここまでだから」
「え、グレイス先生、もう終わるのかい?」
入ってきた白髪頭の爺さんが口をあんぐりと開いた。少々心苦しいが、これから大事なことをする予定があるから仕方ない。
「ああ、一応【なんでも屋】の営業は午前中までって店の看板に記してあるんだけどね」
「なるほどのお。気付かんかったわい……」
爺さんが残念そうに項垂れるところを目の当たりにすると診てやりたくなるが、それでも時間は守ってもらわないといけない。そうしないと今度はほかの客も便乗することになって、結局ズルズルと診察時間を伸ばしてしまうことになるからだ。
以前そういうことがあって懲りた。優しさというのは薬になるだけでなく、毒にもなるということを覚えておかないといけない。
「はい、お爺さん、明日の朝六時から正午までの間、この札を持ってくればすぐグレイスに診察してもらえるからね」
「おお、ありがたやありがたや……」
アルシュが1番という数字が刻まれた札を老人に渡した。これがあれば明日並ばなくても済むというわけだ。もちろん、外で並んでいた客たちにも同じように2番以降の数字の札を渡しておいた。これもきりがないので10名まで有効ということにしている。
「さあ、アルシュ。飯を済ませたら今日もあそこへ行くぞ」
「うんっ!」
俺はアルシュと笑顔でうなずき合い、【なんでも屋】をあとにした。
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