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Ⅱ 幽閉
3. 死の淵からの奪還(3)
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サライヤは引きつった悲鳴を上げながら、寝台に駆け寄った。
「お兄様! おやめください!」
魔王はレイの首から唇を離すと、突然の来訪者を怒気と共に迎えた。
「下がれ、サライヤ! いくらおまえでも、このような無礼は許さぬぞ!」
「レイ様をご覧下さい!! 殺してしまうおつもりですか!?」
サライヤは兄の怒声にひるみもせず、その眼を見据えて一喝した。
妹のただならぬ気迫と、その言葉に、魔王の目から狂乱の色が消えていく。
「レイを……殺すだと……?」
魔王は視線をレイに落とした。
「レイ……?」
魔王が呆然としている間に、サライヤはレイの手を取り、胸に耳を寄せ、息を調べた。
やがて顔を上げたサライヤの言葉に、魔王は凍りつく。
「……心臓が……止まっています」
「…………嘘だ……。……まさか……そんな……レイ、レイ!」
返事はない。
横たわったレイの首筋に、破れた血管が皮膚の下で血溜まりを作っている。
痛々しいそのさまを目にした魔王は、やっと自分が何をしたのか思い知った。
――夢中に血を貪り、自分がレイを、死に至らしめたのだ。
魔王はレイを掻き抱くと、慟哭に顔を歪め、サライヤに取りすがった。
「助けてくれ! 頼む、サライヤ、レイを助けてくれ!」
青ざめ震えながらも、サライヤはしっかりとした声で兄に答えた。
「ええ、助けましょう。魂はまだ離れていません。今なら間に合います」
サライヤはすぐさま行動に移った。
寝室の絨毯を引き剥がし、露出した石の床に、呪文により編み出した光で魔導陣を描き出す。これから行う療術のための紋様と、古代アキュラージェ語で綴られた丸い陣が、速やかに形作られてゆく。
「お兄様、レイ様を陣の中央に。それから、その忌まわしい腕輪を外してください。治療の妨げになります」
レイの脈を取ろうと手に触れたときから、その腕輪がただの装身具ではないことに、サライヤは気付いていた。
術を封じ、魔力をことごとく奪い取る呪具の腕輪は、ずいぶん前に禁呪となっている。
魔族にとって魔力は、体を巡る血潮も同然である。それを根こそぎ奪うこの呪法は、非道で残虐極まりなく、卑しむべき行為とされ、忌み嫌われてきた。
この禁呪に手を出すなど信じ難い愚行だが、誇り高い兄をそこまで追い詰めるほど、兄のレイに対する恋情が深く激しいのだということを、今になってサライヤは痛切に感じた。
魔王が陣の中央にそっとレイを横たえ、腕輪をはずすのを確認すると、サライヤは陣の外へ立ち、兄を呼び寄せた。
「これから行う療術には、大量の魔力が必要になりますが、ここに来るまでに、わたくしは多くを消費してしまいました。お兄様のお力添えが必要です」
「何でもする。おまえに魔力を注げば良いのだな? 始めてくれ、早く!」
魔王は妹の傍らに立ち、そっと彼女のうなじを押さえて、魔力を注ぎ始めた。
流れ込んでくる兄の力強い魔力を受け取りながら、サライヤは目を閉じ、精神を集中させた。そして大きく息を吸い込んだあと、呪文の最初の一文を唱えだす。
まずは止まった心臓を蘇生させ、一時的に<気>を注いで生命活動を再開させなければならない。その後、大量に失われた血を取り戻し、傷を修復するために、身体の再生能力を極限まで増幅させる。
術の難易度も高いが、切迫した状況によって極度の緊張が強いられる。長い呪文のどれか一綴りでも間違えれば、術が途切れる可能性がある。そうなれば、すでに死の扉を半分くぐっているレイを取り戻すのは、更に困難になる。
額に玉のような汗を浮かばせながら、サライヤは確実に呪文を詠唱し続けた。
やがて光で編み出された陣が一斉に、ひときわまばゆい光を放ち、レイの体を包みこむ。
どれほどの時間が経っただろうか。
妹の傍で魔力を休むことなく注ぎながら、固唾かたずを呑んで見守る魔王には、永劫のように感じられた。
しばらくして、レイを包んでいた光の繭が徐々に輝きを失い、レイに吸収されるように消えていった。
――サライヤの詠唱は、少し前から止んでいる。
光が完全に消え去り、静かになった室内で、床に横たわっているレイの瞼が、ピクンと小さく動いた。
サライヤは弾かれたように、レイの傍に駆け寄った。
魔王も呆然とした面持ちで、妹の後を追う。
サライヤはレイの手を取り、脈を確かめ、胸の鼓動を聞いた。
全身の傷や内出血の跡はすべて癒され、滑らかな肌は瑞々しく輝いている。苦悶に歪んでいた表情は安らかな寝顔に変わり、胸は規則正しく刻まれる呼吸と共に、ゆっくりと上下している。
「あ……ああっ……!」
取り戻せたのだ。
死の淵から、この大切な命を、救い出すことができた。
緊張の糸がぷつりと切れ、サライヤは優雅さをかなぐり捨てて、大泣きした。
「良かった……良かった、レイ様。……ああ、神よ、ありがとうございます!」
髪を振り乱し、声の限りに号泣しているサライヤの傍に、魔王はがっくりと膝をついた。そして震えの止まらない手でレイの頬に触れ、その温かさに感泣した。
「すまない……レイ……すまない……」
抱きしめればまた、この命を失うような気がして、魔王はそれ以上、レイに触れることができなかった。ただ肩をゆすり、喉を震わせて、泣きながらその場にくずおれた。
「お兄様! おやめください!」
魔王はレイの首から唇を離すと、突然の来訪者を怒気と共に迎えた。
「下がれ、サライヤ! いくらおまえでも、このような無礼は許さぬぞ!」
「レイ様をご覧下さい!! 殺してしまうおつもりですか!?」
サライヤは兄の怒声にひるみもせず、その眼を見据えて一喝した。
妹のただならぬ気迫と、その言葉に、魔王の目から狂乱の色が消えていく。
「レイを……殺すだと……?」
魔王は視線をレイに落とした。
「レイ……?」
魔王が呆然としている間に、サライヤはレイの手を取り、胸に耳を寄せ、息を調べた。
やがて顔を上げたサライヤの言葉に、魔王は凍りつく。
「……心臓が……止まっています」
「…………嘘だ……。……まさか……そんな……レイ、レイ!」
返事はない。
横たわったレイの首筋に、破れた血管が皮膚の下で血溜まりを作っている。
痛々しいそのさまを目にした魔王は、やっと自分が何をしたのか思い知った。
――夢中に血を貪り、自分がレイを、死に至らしめたのだ。
魔王はレイを掻き抱くと、慟哭に顔を歪め、サライヤに取りすがった。
「助けてくれ! 頼む、サライヤ、レイを助けてくれ!」
青ざめ震えながらも、サライヤはしっかりとした声で兄に答えた。
「ええ、助けましょう。魂はまだ離れていません。今なら間に合います」
サライヤはすぐさま行動に移った。
寝室の絨毯を引き剥がし、露出した石の床に、呪文により編み出した光で魔導陣を描き出す。これから行う療術のための紋様と、古代アキュラージェ語で綴られた丸い陣が、速やかに形作られてゆく。
「お兄様、レイ様を陣の中央に。それから、その忌まわしい腕輪を外してください。治療の妨げになります」
レイの脈を取ろうと手に触れたときから、その腕輪がただの装身具ではないことに、サライヤは気付いていた。
術を封じ、魔力をことごとく奪い取る呪具の腕輪は、ずいぶん前に禁呪となっている。
魔族にとって魔力は、体を巡る血潮も同然である。それを根こそぎ奪うこの呪法は、非道で残虐極まりなく、卑しむべき行為とされ、忌み嫌われてきた。
この禁呪に手を出すなど信じ難い愚行だが、誇り高い兄をそこまで追い詰めるほど、兄のレイに対する恋情が深く激しいのだということを、今になってサライヤは痛切に感じた。
魔王が陣の中央にそっとレイを横たえ、腕輪をはずすのを確認すると、サライヤは陣の外へ立ち、兄を呼び寄せた。
「これから行う療術には、大量の魔力が必要になりますが、ここに来るまでに、わたくしは多くを消費してしまいました。お兄様のお力添えが必要です」
「何でもする。おまえに魔力を注げば良いのだな? 始めてくれ、早く!」
魔王は妹の傍らに立ち、そっと彼女のうなじを押さえて、魔力を注ぎ始めた。
流れ込んでくる兄の力強い魔力を受け取りながら、サライヤは目を閉じ、精神を集中させた。そして大きく息を吸い込んだあと、呪文の最初の一文を唱えだす。
まずは止まった心臓を蘇生させ、一時的に<気>を注いで生命活動を再開させなければならない。その後、大量に失われた血を取り戻し、傷を修復するために、身体の再生能力を極限まで増幅させる。
術の難易度も高いが、切迫した状況によって極度の緊張が強いられる。長い呪文のどれか一綴りでも間違えれば、術が途切れる可能性がある。そうなれば、すでに死の扉を半分くぐっているレイを取り戻すのは、更に困難になる。
額に玉のような汗を浮かばせながら、サライヤは確実に呪文を詠唱し続けた。
やがて光で編み出された陣が一斉に、ひときわまばゆい光を放ち、レイの体を包みこむ。
どれほどの時間が経っただろうか。
妹の傍で魔力を休むことなく注ぎながら、固唾かたずを呑んで見守る魔王には、永劫のように感じられた。
しばらくして、レイを包んでいた光の繭が徐々に輝きを失い、レイに吸収されるように消えていった。
――サライヤの詠唱は、少し前から止んでいる。
光が完全に消え去り、静かになった室内で、床に横たわっているレイの瞼が、ピクンと小さく動いた。
サライヤは弾かれたように、レイの傍に駆け寄った。
魔王も呆然とした面持ちで、妹の後を追う。
サライヤはレイの手を取り、脈を確かめ、胸の鼓動を聞いた。
全身の傷や内出血の跡はすべて癒され、滑らかな肌は瑞々しく輝いている。苦悶に歪んでいた表情は安らかな寝顔に変わり、胸は規則正しく刻まれる呼吸と共に、ゆっくりと上下している。
「あ……ああっ……!」
取り戻せたのだ。
死の淵から、この大切な命を、救い出すことができた。
緊張の糸がぷつりと切れ、サライヤは優雅さをかなぐり捨てて、大泣きした。
「良かった……良かった、レイ様。……ああ、神よ、ありがとうございます!」
髪を振り乱し、声の限りに号泣しているサライヤの傍に、魔王はがっくりと膝をついた。そして震えの止まらない手でレイの頬に触れ、その温かさに感泣した。
「すまない……レイ……すまない……」
抱きしめればまた、この命を失うような気がして、魔王はそれ以上、レイに触れることができなかった。ただ肩をゆすり、喉を震わせて、泣きながらその場にくずおれた。
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