続・性春時代

あかいとまと

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内祝い

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### 内祝い

 帰宅したマサシをカズは優しく迎えた。

「おかえり。どうだった? 合格しただろ?」

 そう聞いてくるカズの顔には、もう答えを知っているような、どこか余裕のある笑みが浮かんでいた。
 まるで、マサシの未来をずっと見守ってきたかのような、そんな表情。

 マサシは、思わず声を上げた。

「連載が決まったよ! 『月刊コミック・スピリット』に、『塔の向こう』が掲載されるんだ!」

 言葉にすると、胸の奥が熱く膨らんでいく。
 現実じゃない気がする。
 夢の続きみたいだ。
 でも、ポケットの中にあるカズのペンが、確かに冷たい金属の感触で、それが現実だと教えてくれていた。

 カズは目を細め、ゆっくりと頷いた。

「ほらな、やっぱり。お前には実力があると言っただろ」

 そう言って、彼はマサシの頭を軽く撫でた。
 その仕草は、まるで兄のような、あるいは導き手のような、温かくて懐かしいものだった。

「なら、今日は内祝いだな。何か美味しいものでも頼もうぜ。何が食べたい?」

 マサシは迷わず答えた。

「高級寿司が食べたい! あとウナギも!」

「おお、豪勢だな!」

 とカズは笑いながら、電話帳を取り出した。

「寿司屋とウナギ屋、両方頼んじまおう。今日は特別だ。お前の“プロ初日”だものな」

 電話をかけるカズの横で、マサシはふと、自分の部屋を見渡した。
 机の上には、まだ完成していない第二話のラフの下書きが散らばっている。
 壁には、『塔の向こう』の主人公のスケッチがピン留めされていて、その目が、まるで今も何かを語りかけているように見えた。

「ねえ、カズ⋯⋯」

 マサシは、ふと声をかけた。

「この連載、本当に大丈夫かな⋯⋯。読者に届くかな⋯⋯」

 カズは電話を置き、マサシの顔をまっすぐ見た。

「お前が心から描いたものなら、絶対に届くよ。だって、お前の“声”は、嘘をつかないだろ? あのマンガに詰まってる迷いも、葛藤も、希望も――全部、本物だ。それこそが、人の心を動かすんだ」

 マサシは、じっとカズの目を見返した。
 その瞳には、自分と同じくらいの熱がある。
 夢を信じる、揺るぎない光が。

「⋯⋯カズ。お前、昔もこうやって、誰かの背中を押してたのかな?」

 カズは少し驚いたように目を瞬かせ、それから静かに笑った。

「⋯⋯まあね。昔、マンガ家をしていた頃は、新人マンガ家たちといつものように打ち合わせしてた。誰かの夢に触れられることが、何よりの喜びだった。でも、心が耐えきれなくなって⋯⋯それ以上、支えてあげられなくなった」

 その言葉に、マサシの胸がぎゅっと締めつけられた。

「⋯⋯でも、カズ。お前のその思い、今、ちゃんと繋がってるよ。多田編集長も言ってた。カズ・タチバナという男の意志が、今も誰かの中に生き続けてると⋯⋯」

 カズは、一瞬、目を見開いた。
 それから、ゆっくりと、深く息を吐いた。

「⋯⋯そうか。じゃあ、お前は、オレの“声”の継承者ってわけだな」

 マサシは、思わず涙ぐんでしまった。

「そんな大それたことじゃ⋯⋯」

「いや、大それてるよ。夢を渡すって、すごく重いことなんだ。でも、お前なら、ちゃんと背負える。だって、お前は『描くこと』を、命のように愛してるだろ?」

 その言葉に、マサシは強く頷いた。

「⋯⋯うん。今は描かずにはいられない。描いて、誰かの心に届けたい。そのために、ペンを握ってる」

 カズは満足そうに笑い、再び電話を手に取った。

「よし、じゃあ寿司もウナギも、大盛りで頼んじまったぞ。夢を背負う男には、エネルギーが必要だ」

 待つ間、二人はソファに並んで座った。
 カズが淹れてくれた紅茶の香りが、部屋にふんわりと広がる。

「ねえ、カズ。『塔の向こう』の第二話⋯⋯『光の重さ』ってタイトル、どう思う?」

「いいね。光って、誰もが求めるものだけど、その重さに押しつぶされそうになることもあるよな。でも、それでも歩き続ける――その葛藤が、きっと読者の胸を打つ」

 マサシは、膝の上に広げた『連載ノート』を見つめた。
 カズの字で書かれた構想の端々に、彼の思考の軌跡が刻まれている。
 まるで、二人の対話が紙の上で続いているようだ。

「⋯⋯カズ、お前のノート、すごく参考になる。でも、それ以上に⋯⋯勇気をもらえる」

「それはよかった。でもな、マサシ。これはお前の物語だ。オレの構想に縛られるんじゃなくて、お前が感じたままに描いてくれ。読者は、完璧な物語より、心の震える物語を求めている」

 その夜、寿司とウナギが届いた。
 テーブルは豪華な料理で埋め尽くされ、マサシは思わず笑った。

「これ、一人じゃ食べきれないよ!」

「だったら、明日の昼まで楽しめばいい。連載が始まれば、そんなのんびりご飯なんて、そうそう食べられなくなるからな」

 確かに、これからは締切との戦いが待っている。
 でも、そのプレッシャーさえ、今は希望に感じられた。

 食事の後、マサシは机に向かった。
 ポケットからカズのペンを取り出し、原稿用紙に手を伸ばす。

「⋯⋯第二話、書き始めるよ」

 カズは、そっとリビングの灯りを落とし、ドアの外から声をかけた。

「がんばれよ。オレも、お前の描く世界を見たいからな」

 マサシは、ペンを走らせた。

 ――塔の向こうへ、光が差し込む。
 だが、その光は温かさだけではなく、過去の自分を照らし出す。
 主人公は問う。

『この光を背負って、前に進めるだろうか?』

 一枚、また一枚と、コマが生まれていく。
 線はまだ荒く、構図も未完成。
 でも、そこに込められた想いは、確かに脈打っていた。

 夜が更けていく中、マサシはふと、窓の外を見た。
 空には無数の星が瞬いていた。
 その一つ一つが、誰かの夢のように見えた。

「⋯⋯カズ。お前の夢も、今、この星のどこかにあるのかな」

 そして彼は、静かに呟いた。

「でも、今は――僕の番だ」



 数日後。

 マサシは再び編集部を訪れていた。
 第二話のラフを提出するためだ。
 手には、汗ばんだファイルケース。

 多田は、彼の提出したラフを一枚ずつ丁寧にめくっていった。
 表情は読めない。
 マサシの心臓は、鼓動を早める。

 やがて、多田が顔を上げた。

「⋯⋯いい。すごくいい。特に、主人公が過去の自分と対話するシーン。あの影のような存在――あれは、読者の心にも《自分の影》として重なるだろう」

 マサシは、安堵と喜びで胸がいっぱいになった。

「⋯⋯ありがとうございます。カズのノートを参考にしながら、でも、自分の言葉で描こうと⋯⋯」

「それができたのが、何よりだ。プロとは、影響を受けつつも、自分を失わないことだ。君は、それをちゃんと理解している」

 多田は立ち上がり、マサシの前に立った。

「来月号の表紙候補にも、君の作品を入れることにした。読者アンケートで、『次号注目作品』に選ばれるだろう。覚悟はできてるか?」

 マサシは、力強く頷いた。

「はい。どんな反応でも、受け止めます。そして、もっといい物語を描いてみせます」

 その日、編集部を出るとき、多田が最後に言った。

「カズ・タチバナのペンとノートは、今、君の手にある。その重さを、決して忘れるな」

 外は、また晴れていた。

 マサシは空を見上げ、ポケットのペンに触れた。

「⋯⋯次は、僕が、誰かの光になる番だ」

 そして彼は、歩き出した。

 次のコマへ――。
 次の夢へ――。
 塔の向こうへ。

 



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