続・性春時代

あかいとまと

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ハヤトの物語の始まり

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### ハヤトの物語の始まり

 カズの手から渡されたペンは、月明かりを受けて、まるで星の欠片のようにきらめいていた。
 ハヤトはその重みを確かめるように、指先で軽くペンの軸をなぞった。
 冷たいはずの金属が、なぜか心の奥まで温かく染み渡っていくような気がした。

「⋯⋯こんなもん、書けるかな」
  
 ハヤトは笑いながら言ったが、声は少し震えていた。
  
「俺、小説なんて読むのは好きだけど、書いたことないし⋯⋯」

「だからいいんだよ」
  
 マサシが空を見上げたまま、静かに言った。
  
「書けないって思ってる奴ほど、本当の物語を書ける。無理に上手く書こうとしなくていい。ただ、感じたことを、そのままにすればいい」

 カズは頷き、遠くの街の灯りを見つめた。
  
「オレたちが始めたのも、最初は適当な落書きみたいなもんだった。『こんな世界があったらいいな』って、ただの夢話。でも、それがいつの間にか、誰かの心に届いて⋯⋯今、アニメになって、歌になって、人の声になってる」

「⋯⋯それ、今度は俺の番だってこと?」 
 
 ハヤトが尋ねると、カズは肩をすくめた。
  
「番ってわけじゃない。ただ、物語は一人で完結しない。誰かが受け取って、また次の誰かに渡す。それが、オレたちのやり方だ」

 風がまた吹いた。
 夜の空気はまだ冷たいが、胸の奥は熱い。
 ハヤトは、ポケットから小さなノートを取り出した。
 表紙は擦れていて、角が少し折れている。
 これまでは、ただのメモ帳として使っていた。
 買い物リストや、ふとした閃きを書き留めるための、誰にも見せないもの。

 でも今、そのノートが、何か違うものに変わる気がした。

 彼はペンの蓋を開けると、ページの一番上に、一文字を書いた。

「⋯⋯『光』」  

 声に出して読んでみた。
  
「⋯⋯なんか、変な感じだな。でも、悪くない」

 マサシが笑った。 
 
「最初の一歩って、大概、変なもんだよ。俺、最初の絵は、主人公の顔が左右非対称だった。目が三つあった。でも、それを見て、カズが『こいつ、未来が見えるんだ』って言ってくれた。それで、設定が生まれた」

「そうだったな」 
 
 カズも笑いながら言った。
  
「偶然が、運命になることもある。だから、ハヤト。完璧じゃなくていい。むしろ、完璧じゃなきゃいけない」

 ハヤトは、その言葉を胸に刻んだように、もう一文字、ノートに書き加えた。

『光が、影を照らすとき——』

 途端に、頭の中に映像が広がった。  
 知らない街。
 古びた駅のホーム。  
 一人の少年が、手を差し伸べられている少女を見つめる。  
 彼女の影だけが、なぜか逆光の中で動いていた。  
 そして、その影が、少年の手を握った。

「⋯⋯なんか、見えてきた」 
 
 ハヤトの声は、震えながらも、確かな熱を帯びていた。
  
「この子たち、名前は⋯⋯レイと、ミナ。二人は、影の世界と表の世界の狭間で、何かを探してる。光と闇の境界線みたいなところに、塔がある。あの塔⋯⋯」

「塔?」  

 カズが目を細めた。 
 
「⋯⋯オレたちの物語にも、塔は出てきたな。でも、あんな場所、覚えてないぞ」

「違う塔かもしれない」
  
 マサシが言った。
  
「でも、形は似てる。ハヤトの塔は、錆びついてるけど、てっぺんに星のモチーフがある。俺たちの塔には、太陽の装飾があった」

「⋯⋯共鳴してるのかな」 
 
 ハヤトはノートを見つめたまま、呟いた。
  
「俺の物語が、お前たちの物語と、どこかで繋がってる」

 カズは、ゆっくりと立ち上がり、ハヤトの隣に並んだ。
  
「物語ってのは、そういうもんだ。一人の心から生まれても、誰かの記憶に触れた瞬間、別の色に変わる。オレたちの『塔』が、お前の『塔』になった。それって、すごく尊いことだ」

 そのとき、遠くの空で、また一つの流れ星が走った。  
 三人は同時に、空を見上げた。

「⋯⋯今度こそ、ちゃんと願い事した?」
  
 マサシが尋ねた。
  
「ああ」  

 カズは微笑んだ。
  
「『この物語が、誰かの希望になりますように』って」

「俺は⋯⋯」
  
 ハヤトは少し考えて、
  
「『俺の言葉が、誰かの心の灯になりますように』って」

 マサシは、ふっと笑って、自分のペンを取り出した。  
 それは、カズのものとは違う、赤いインクのペン。
  
「じゃあ、俺も書くか。今、ハヤトが描いた世界に、俺の絵を重ねて」

 彼は、空に浮かぶ月を背景に、ノートの余白にスケッチを始めた。  
 錆びた塔。
 星の装飾。
 そして、手をつなぐ二人の影。  
 万年筆の先が走るたびに、その絵は現実味を帯び、まるで動いているように見えた。

「⋯⋯この子たち、どうして影と手をつなげるんだ?」 
 
 マサシが尋ねた。
  
「⋯⋯多分、二人は、自分たちが『境界』だと気づいてないんだ」  

 ハヤトは目を閉じ、頭の中の声に耳を澄ませた。
  
「光と影は、対立してるんじゃなくて、支え合ってる。それを思い出させるために、塔がある。誰かが、忘れてしまった『つながり』を取り戻すために」

 カズは、その言葉を聞きながら、自分のノートに走り書きを始めた。 
 
「じゃあ、次はオレが書く。この塔に、過去の物語の断片が刻まれてる。オレたちが作ったキャラクターたちの声が、風に乗って響いてる。そして、ある日、その声を聞いた誰かが、塔の扉を開ける——」

「その扉の向こうに、何がある?」  

 ハヤトが尋ねた。

「⋯⋯次の物語だ」 
 
 カズは目を輝かせた。
  
「オレたちの物語が、お前の物語に、そして、誰かの物語に変わっていく場所」

 マサシが、スケッチの最後に、星のモチーフに小さな光を加えた。 
 
「この星、実は、誰かの願いが集まってできたものなんだ。一つの願いじゃなくて、たくさんの『小さな希望』が、重なってできた。だから、消えない」

 ハヤトは、その絵を見つめながら、ノートに続きを書いた。

『塔の扉は、鍵がかかっていなかった。  
開けるためには、ただ、手をかざせばよかった。  
でも、誰もがそれを恐れていた。  
なぜなら、扉の向こうには、自分自身の影が待っているから。  
——でも、少年は言った。  
「影は、敵じゃない。僕の一部だ。」  
そして、少女は微笑んだ。  
「じゃあ、手をつなごう。」  
その瞬間、塔の星が、青く瞬いた。』

 書き終えたとき、三人は同時に、何かを感じた。  
 空気が震えた。  
 遠くで流れていたアニメのテーマ曲のような音楽が、はっきりと聞こえた気がした。  
 でも、それは音楽じゃなかった。  
 風の音。
 街のざわめき。
 遠くの電車の走る音。  
 それらすべてが、一つの旋律になっていた。

「⋯⋯これ、もしかして」 
 
 マサシが目を見開いた。
  
「俺たちの物語が、今、動いてる?」

「いや」  

 カズは静かに言った。
  
「ハヤトの物語が、今始まったんだ」

 ハヤトは、ノートを胸に抱きしめた。  

「⋯⋯俺の物語? でも、これは、お前たちと一緒につくってるじゃないか」

「それこそが、本当の物語だ」
  
 カズは彼の肩を叩いた。
  
「一人で書いたものじゃ、心に届かない。でも、誰かと分かち合った言葉は、どこまでも届く」

 夜が更けていく。  
 空の色が、少しずつ薄青に変わっていく。  
 東の空に、微かに明けの光が差し始めた。

「⋯⋯朝だな」 
 
 マサシが立ち上がり、手を伸ばした。  

「また、誰かの朝が、始まる」

 カズは、自分のペンを再びポケットに戻した。
  
「次は、ハヤトの物語が、誰かの朝を灯す番だ」

 ハヤトは、まだペンを握ったまま、空を見上げた。
  
「⋯⋯俺も、誰かの希望になりたい。たとえ、小さな光でもいい。誰かが、暗闇の中で、その光を見つけたら——」

「それだけで、物語は続く」
  
 マサシが言った。
  
「終わらない物語(ネバーエンディングストーリー)は、そういう風にして、書き継がれていくんだ」

 三人は、屋上の縁に並んで座り、朝の訪れを静かに待った。  
 街の灯りが一つずつ消えていく。  
 でも、星はまだ、空に輝いていた。

 ハヤトは、ノートの最後のページを開いた。  
 そこに、一文を書き加えた。

『この物語は、誰かのためじゃなくて、  
でも、誰かのための物語です。  
——次は、あなたの番です』

 そして、彼はそっとペンを閉じた。  
 朝日が、塔のてっぺんに届いた瞬間、その星の装飾が、青白く瞬いた。  
 まるで、次の物語への合図のように。

 風が、また彼らの髪をかきあげた。  
 どこか遠くで、誰かが物語を書き始めている気がした。  
 ペンの音が、風に乗って、街へ、世界へ、——未来へと、運ばれていく。

 終わらない物語は、  
 今も、誰かの手で、  
 書き続けられている。





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