続・性春時代

あかいとまと

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13.

続く物語

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### 続く物語

「ハヤト、明日も休みだろ? 今晩も泊まっていけよ」
  
 カズがハヤトの肩を軽く叩きながら言う。
 屋上の風が、まだ冷たい朝の匂いを運んでくる。  

「お前の物語を続けようぜ。あの塔の向こう——扉の先に、何があるか、まだ誰も知らないんだ」  

 マサシが赤いペンを指先でくるりと回しながら、微笑んだ。 
 
「そうだよ、ハヤト。今度は君の番だよ。君が描いた世界に、僕らが触れた。でも、次のページは、君が書かなきゃ意味がない」  

 ハヤトはまだ、ノートを胸に抱いたままだった。
 朝日が昇っても、彼の心には、まだ夜の静けさが残っている。  

「でも⋯⋯俺が書いた物語が、本当に誰かの希望になるのかな?」  

 声は小さく、でも確かに、風にのって飛んでいった。  

 カズは立ち上がり、空を仰いだ。
  
「お前が感じたその震え、その熱——それこそが、物語の始まりだ。誰かが、暗がりの中で、その一文を読んだとき、きっと『ああ、自分も独りじゃない』って思える。それだけで、十分だ」  

 マサシがノートのスケッチを指差す。
  
「この塔の星が、青く光った瞬間——あれは、誰かに願いが届いた証だ。君の言葉が、誰かの心に灯をともしたってこと」  

 ハヤトはゆっくりと、ノートを開いた。
 最後のページに書かれた一文を、指でなぞる。  

『この物語は、誰かのためじゃなくて、でも、誰かのための物語です。——次は、あなたの番です』  

「⋯⋯次は、俺の番か」  

 彼は深く息を吸い、ペンを手に取った。
 万年筆はまだ、朝の光を受けて濡れたように輝いている。  

『塔の扉の向こうには、影の街があった。』  

 ハヤトのペンが、静かに走り出す。  

『光が届かない、でも闇でもない場所。  
そこは、忘れられた記憶と、叶わなかった願いが、静かに呼吸している場所だった。  
街の建物は、すべて逆さに建てられていて、屋根が地面に刺さり、扉は空へ向かって開いていた。  
人々は、誰一人として顔を持たず、代わりに胸の奥に小さな灯を灯している。  
その灯が、彼らの名前であり、記憶であり、心だった』  

「⋯⋯影の街?」

 マサシがノートを覗き込む。
  
「まるで、心の裏側みたいだな」  

 カズは腕を組んでうなずいた。  

「そうか! 光の世界で忘れられたもの——後悔、失った時間、伝えられなかった言葉。それらが、ここに集まってるのか」  

 ハヤトは続ける。  

『レイとミナは、その街の中央にある広場に立っていた。  
地面には、無数の影の足跡が刻まれていて、それぞれが違う方向を指している。  
“どの道を選べばいい?”  
ミナが問うと、レイは影を見つめたまま答えた。  
“選ばなくていい。影は、迷ってるんじゃない。探してるんだ”』  

「⋯⋯探してる?」

 マサシが眉をひそめる。
  
「何を?」  

 ハヤトは、少し間を置いてから、静かに言った。
  
「自分自身の、もう一つの形」  

『ミナの影が、ふいに口を開いた。  
“あなたは、私を怖がってる?”  
ミナは息をのんだ。  
“怖い⋯⋯でも、あなたは、私の一部じゃないの?”  
影が微笑んだ。  
“怖いのは、当然だよ。だって私は、あなたが隠してきた全部を、抱えてるから”』  

 カズの目が、ふと細くなる。
  
「⋯⋯オレたちも、そうだったよな」  

 マサシがうなずく。
  
「自分の書いたキャラが、ある日突然、『お前の心の闇を知ってるよ』って言い出すようなもんさ」  

 ハヤトはペンを止めず、続けた。  

『そのとき、塔の星が再び青く瞬いた。  
風が、影の街を駆け抜ける。  
建物の逆さの窓から、小さな光が一つ、また一つと浮かび上がる。  
それは、忘れられていた願いの欠片だった。  
“もう一度、笑いたい”  
“あの人に、ごめんね、って言いたい”  
“まだ、夢を見ていいかな”』  

 マサシが、ふとペンを走らせた。
 彼の赤インクが、ノートの余白に小さな灯を描く。
  
「この光⋯⋯一つ一つが、誰かの“まだ”だ。」  

「“まだ”?」カズが尋ねる。  

「うん。『まだ諦めてない』『まだ愛してる』『まだ、生きたい』——そういう“まだ”なんだ」  

 ハヤトはその言葉に、胸を打たれたように、ペンを握り直した。  

『レイが、手を差し伸べた。  
“影と手をつなぐって、どういうこと?”  
ミナが問う。  
“それはね——」  

 ハヤトはここで、一度ペンを置いた。  

「⋯⋯どうしよう。レイが何を言うか、まだ決めてない」  

 カズが笑う。
  
「だったら、今、決めればいい。物語は、作者が全部知ってなきゃいけないもんじゃない。迷いながら書くから、リアルになるんだ」  

 マサシも頷く。
  
「それに、俺たちもいるだろ? 一緒に考えようよ」  

 ハヤトは、二人の顔を見た。  

「⋯⋯うん」  

 そして、再びペンを走らせる。  

『“それはね——自分を、全部受け入れることだ”  
レイの声は、風のように静かだった。  
“影は、否定された部分じゃない。消したくても消せない、本当の自分。  
だから手をつなぐんだ。  
そうすれば、光も、影も、一つの命になる”』  

『ミナは、ゆっくりと、自分の影を見下ろした。  
そして、手を伸ばした。  
影の手が、彼女の手を握った瞬間——。
街のすべての灯が、同時に揺れた。  
逆さの建物の屋根から、光の糸が降り注ぎ、空へと繋がっていく。  
塔の星が、今度は白く、強く輝いた』  

「⋯⋯終わった?」

 マサシが聞く。  

 ハヤトは首を横に振った。 
 
「いや。まだ、始まったばかりだ」  

『その光の糸の先には、もう一つの塔が見えた。  
今度は、太陽の装飾がついた、錆びていない塔。  
風が、ミナの髪を揺らし、影の街の静けさが、少しずつ色づき始める。  
「あそこは⋯⋯どこ?」とミナが問う。  
レイは、その塔を見つめながら、静かに答えた。  
「私たちが、まだ歩けてない未来だ」』

 ハヤトはペンを走らせながら、ふと自分の手を見下ろした。  
 インクの痕が、指の間まで染みついている。  
 まるで、物語が自分を侵食しているみたいだ。  

「未来⋯⋯?」

 とカズが呟く。
  
「でも、影の街に来てるってことは、過去を抱えてるってことだろ?  なんで、未来の塔が⋯⋯?」  

 マサシが、赤インクの灯をもう一つ描き足しながら言う。
  
「過去をちゃんと見つめたら、初めて、未来が見えるんだよ。影と手をつなぐって、それ自体が、一歩を踏み出すってことだ」  

 ハヤトはその言葉に、胸の奥が熱くなるのを感じた。  
 そうだった。  
 レイとミナの旅は、終わってなんかいない。  
 始まったばかりだ。  

『ミナの影が、今度は彼女に背中を向けた。  
“ついてきて”と言うように、ゆっくりと歩き出す。  
「待って! どこへ行くの?」  
“未来へだよ。あなたが、ずっと逃げてきた、その先へ”  
ミナは一瞬、足を止めた。  
でも、すぐに歩き出した。  
影の足跡が、今度は同じ方向を指していた』

 カズがノートの端に、太陽のスケッチを描く。
  
「この塔⋯⋯もしかして、オレたちの物語にもあるんじゃねえか?」  

「どういうこと?」

 とマサシ。  

「オレたちが書いてる物語ってさ、キャラの過去を掘り返すだけじゃなくて、その先の、まだ見ぬ明日を照らすための光なんじゃないかって」  

 ハヤトは目を見開いた。  
 ――そうか。  
 書き手も、また、影を抱えている。  
 書けない日々、投げ出したい瞬間、読者に届かないんじゃないかという不安。  
 それらすべてが、インクの影となって、ページの裏側に積もっている。  

『塔の扉には、一冊のノートが置かれていた。  
表紙には、“未完成の物語たち”と書かれていた。  
ミナが手を伸ばすと、ノートが開かれた。  
中には、誰かの字で綴られた、途切れたセリフたち。  
“でも、もしも——”  
“きっと、これから——”  
“だから、もう一度——”』

「これ⋯⋯俺の小説の、途中で捨てたプロットだ⋯⋯」
  
 ハヤトの声が震える。  
 マサシとカズも、自分のノートを覗き込む。  
 そこに書かれた未完の台詞が、光の糸となって、塔の中に吸い込まれていく。  

『“書き直す勇気”が必要なんだ』 
 
 影の声が、今度は三人の背中から聞こえた。
  
「俺たちも⋯⋯まだ、終わってないんだな」 
 
 マサシが笑う。  
 カズが立ち上がり、空を見上げた。  
 早朝の空に、星がまだ瞬く。  

 ハヤトはペンを握り直す。
  
『物語は、終わらない。  
たとえ一度閉じられても、誰かの“まだ”が灯れば、  
また、ページはめくられる——』





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