続・性春時代

あかいとまと

文字の大きさ
15 / 48
15.

消えた塔

しおりを挟む
### 消えた塔

 その日、一日中、三人は物語の続きを書き続けた。

 ハヤトは『レイとミナの旅』の続きを。

 カズは三年前に書きかけた長編の最終章の続きを。

 マサシは海に身を投げたあと海から引き上げられ、浜辺で出会った老人とのマンガの続きを。

 朝食も昼食も摂ることすら忘れて、没頭するように書き続けていた。

 夕刻になり、一段落ついたころ、ようやく三人のペンは止まった。

「なんか、お腹すいたな~」

 マサシが部屋から出てきて呟く。

 それを聞いたハヤトが、

「そうだね。何か食べようか?」

 と、言っていた矢先に、カズも部屋から出てきた。

「カズ~、お腹すいた~」

 甘えるように訴えるマサシの声を聞き、カズが笑いながら、

「今、何か作ってやるよ。ハヤトは何が食べたい?」

「俺は何でもいいよ」

 ハヤトがそう言うと、マサシも、

「俺も食べられれば何でもいい!」

 と訴える。

「はいはい。すぐに作るから待ってろ」

 そう言って、カズはキッチンへと向かう。

 カズが冷蔵庫のドアを開けた瞬間、冷蔵庫の光が柔らかくキッチンを照らした。
 扉の磁石で留められた絵文字のレシートや、二人で買いに行ったスーパーのポイントカードが、少しずつ色あせていた。
 その横には、マサシが以前描いた落書き——「今日の晩ごはん、カズごはん♡」という文字と、へたくそなハート——がまだ貼られたままだった。

「⋯⋯何作ろうかな」  
 カズは冷蔵庫をのぞきながら呟いた。
 卵、トマト、玉ねぎ、残り少なくなったパスタ。
 チーズはカビが生えかけていたが、まだ救える。
  
「そうだな⋯⋯カルボナーラにしよう」 
 
 彼はひとりごち、鍋をコンロの上に置いた。
 火をつける音が、静かな部屋に響く。  

 その頃、リビングではハヤトが窓の外を見ていた。
 夕焼けが空を赤く染め、街の灯がひとつ、またひとつと点り始めていた。
 まるで塔の灯のように、弱くても、確かに光っている。
 彼のノートはテーブルの上に開かれたまま。
 インクの匂いが、まだ紙の上に漂っている。  

「カズ、火、大丈夫?」
  
 ハヤトが対面テーブルからキッチンを覗き込むと、カズはパスタを湯がいていた。
  
「ああ、もうすぐ。ちょっと焦げそうになったけど、なんとかなったよ」  

「それ、よくあるよね」
  
 ハヤトは笑いながら、カズの隣に立つ。
  
「俺たちの物語も、そうだったよな。ちょっと焦げそうになって、でも、火を弱めて、ちゃんと戻ってきた」  

 カズは手を止めた。
  
「⋯⋯そうだな。三年前、オレは『彼女が死ぬべき理由』って書いて、それ以上進められなかった。でも、今日、その続きを書いた。彼女は死ななかった。病院のベッドで、妹の手を握って、笑った。⋯⋯なんで、あのとき、そこまで書けなかったんだろうな」  

「答えはわかってるよ」
  
 ハヤトが静かに言った。
  
「その物語を、終わらせたくなかったからだろ。死んでしまったら、もう会えなくなる。だから、ペンを止めた。でも、今日、また書いた。それは⋯⋯彼女を、ちゃんと生かしたかったからだ」  

 カズは目を伏せ、鍋の湯をかき混ぜた。
  
「⋯⋯ああ。そうかもしんないな」  

 そのとき、マサシがソファから飛び起きた。
  
「お~い、匂いがしてきたぞ! もうすぐ食べられるのか?」
  
「もうちょっとだ。マサシ、皿出して」 
 
「了解!」  

 マサシは食器棚の中から山積みの皿を引っ張り出し、テーブルに並べる。
 どれも少しずつ欠けていたり、色が変わっていたりする。 
 でも、どれも、一緒に使ってきた証だった。  

「なあ、カズ」 
  
 マサシがふと声をかける。
  
「俺のマンガ、あの老人、どうしてあんなこと言ったと思う?」  

「⋯⋯『誰かが、お前をまだ必要としてる』って?」  

 カズが振り返らずに答える。
  
「お前のマンガの主人公が、海から戻ってきたときのセリフだろ? あれ、もしかして⋯⋯オレたちのこと、だよな?」  

 マサシは黙って、テーブルにフォークを置いた。
  
「⋯⋯俺、あのとき、本当に死にたかったわけじゃない。でも、誰かに『やめろ』って言ってほしかった。誰かに、『まだ必要だ』って言われたかった。⋯⋯でも、誰も言わなかった。だから、自分で、その言葉を書いた。老人の口から、だ」  

 ハヤトが静かに言った。
  
「⋯⋯だから、塔は俺たちを呼んだんだ。誰かが、まだ必要としてる——って、言葉を、届けに」  

 カズがパスタを皿に盛り、ベーコンと卵を絡める。 
 
「⋯⋯オレたち、本当に、バカだよな。書けないって、終わらせたって、諦めたふりしてたけど⋯⋯結局、胸のどこかで、『続けたい』って思ってたんだ」
  
「当たり前だろ」 
 
 マサシが笑った。
  
「物語なんて、書き手が一番の読者なんだし。自分が救われなきゃ、誰も救えないじゃん」  

 テーブルに料理が並ぶ。
 温かい湯気とともに、香ばしいチーズとベーコンの匂いが部屋を包む。
 三人は向かい合って座った。  

「頂きます」 
 
 声をそろえて、箸を伸ばす。  

 一口目、マサシが目を丸くした。 
 
「⋯⋯うまい! カズ、お前、神だ!」
  
「当たり前だろ。お前の胃袋を支えてきてんのは誰だと思ってんだ?」  

「でもさ」

 とハヤトが口を挟む。

「この味、ちょっと前と違う気がする」  

 カズが眉をひそめる。
  
「⋯⋯そうか? いつも通りだけど」  

「違うよ」
  
 ハヤトはゆっくりと咀嚼しながら言った。
  
「前は、『ちゃんと作らなきゃ』って気持ちが強くて、味に緊張があった。でも、今日は⋯⋯安心してる。『書けた』って、心の底から思ってるから」  

 カズはしばらく黙って、自分の皿を見つめた。
  
「⋯⋯そうかもしんないな」
  
 そして、小さく笑った。
  
「だって、オレ、今日、三年ぶりに、物語の『終わり』を書いた。でも、それが『終わり』じゃなかった。『続き』の始まりだった」  

 マサシが口をもぐもぐさせながら言う。
  
「俺もさ、あの老人のセリフ、書いた瞬間、なんか⋯⋯胸の奥の、ギュっとしてた部分が、パッと開いた感じがしたんだよな。まるで、ずっと閉じてたドアが、やっと開いたみたいな」  

「塔の扉じゃないよ」
  
 ハヤトが静かに言った。
  
「心の扉だ」  

 食事が終わり、三人はソファに並んで座った。
 窓の外はもうすっかり夜。
 街の灯が、星のようにきらめいている。  

「なあ、」

 とマサシが空を見る。

「また、塔に行けるかな?」  

 カズが微笑んだ。
  
「行かなくたって、いいよ。塔は、もうここにいるんだから」 
 
 彼は自分の胸を軽く叩いた。
  
「ここに、灯がある。影がある。『まだ』がある」  

 ハヤトが立ち上がり、自分のノートを手に取る。
  
「じゃあ、また書くか」
  
「当たり前だ」  

 マサシが立ち上がって、自分のスケッチブックを引っ張り出す。 
 
「俺も、あの老人の続き、描きたい。彼が、主人公に何を教えたのか——それから、彼自身の物語が、どうだったのか」  

 カズも、自分のノートを開いた。
  
「オレは⋯⋯彼女の妹の視点で、物語を書いてみようと思う。彼女が病院で笑った日、妹はどう思ってたのか。どんな言葉を、言えなかったのか」  

 ペンが紙をなぞる音が、部屋に静かに響いた。  

 外では、雨がまた降り始めていた。
 でも、誰もそれを気にしなかった。  
 雨音は、まるで新しい物語のBGMのように聞こえた。  

 そして、どこか遠くの街で、誰かが傘を差し、誰かがノートを開き、誰かが——。
  
「まだ、終わらせたくない」
  
 と、つぶやいた。  

 物語は、終わらない。  
 終わらせない。  
 そして——。  
 終わらせたくないからこそ、  
 また、書き始める。  

 塔はもう、必要ない。  
 だって、灯は、  
 今、  
 ここにあるのだから。





しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

BL短編

水無月
BL
兄弟や幼馴染物に偏りがちです。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

ヤンデレBL作品集

みるきぃ
BL
主にヤンデレ攻めを中心としたBL作品集となっています。

[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった

ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン モデル事務所で メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才 中学時代の初恋相手 高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が 突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。 昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき… 夏にピッタリな青春ラブストーリー💕

処理中です...