続・性春時代

あかいとまと

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お正月

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### お正月

「今日から三日間、何をしてもダメだぞ! 仕事はもちろん、家事も禁止! ケンカも禁止! 風呂も禁止だからな!」

 カズの声が、広いリビングに響いた。
 彼は26歳、現在日本で最も売れている小説家の一人。
 その鋭い観察眼と、どこか懐かしさを誘う文章で、老若男女を問わず多くの読者を魅了している。
 だが、そんな彼のもう一つの顔は——家事が得意な、完璧な“主夫”タイプ。

 そのカズが、正月三ヶ日の初日である1月1日、突如宣言したのだ。

「⋯⋯は? 風呂も禁止? 匂いそうだけど?」 
 
 マサシが眉をひそめる。
 彼も26歳、人気マンガ家。
 カズの恋人であり、同棲している。
 普段は穏やかで、カズの言うことに大抵従うタイプだが、さすがにこれは疑問符だらけだった。

「いや、でも、昔からそうなんだよ」  

 カズは真剣な顔で、キッチンから大きな黒い重箱をリビングのテーブルに運んできた。
 漆塗りの重箱は、五段重ね。
 蓋を開けると、鮮やかな色とりどりの料理が、丁寧に詰められていた。

「これが“おせち料理”だ。三ヶ日、何もしないようにするために、昔の人が考えた知恵なんだよ」

「へ~⋯⋯」
  
 ハヤトが、手元のノートにペンを走らせる。
 彼も26歳、カズの幼なじみで、現在はミステリー小説で注目を集めている人気作家。
 いつも何かを観察していて、そのネタを小説に活かすタイプだ。

「つまり、三ヶ日は“神様が家に滞在している期間”で、その間、火を起こしたり、掃除をしたり、ゴミを出したりするのは失礼に当たる。だから、あらかじめ作っておいた“おせち”を食べて、静かに過ごす。火を使わない、動かない、騒がない——それが正月のしきたりなんだ」

 カズの説明に、ハルがうなずいた。
 彼はカズの実の兄で28歳、人気イラストレーター。
 普段はのんびり屋で、弟の言うことに流されることが多いが、実はこの家で唯一、カズの育った田舎の風習に詳しい。

「ああ、ウチの実家もそうだったな。三ヶ日は“神迎えの日”。神様が家に来て、家族を見守ってくれてる。だから、掃除も炊事もしない。風呂も、昔は井戸水で沸かすから火を使うからダメだった。今は電気風呂でも、習慣として“火を起こさない”ってことになってるんだよ」

「へえ⋯⋯なるほど」
  
 ハヤトがメモを止めて、重箱をじっと見つめる。

「つまり、おせち料理は“三日分の無為を保証するための保存食”ってわけか。すごいな、日本の文化って」

「そう! だから、この重箱の中身、全部保存がきくものばかりなんだよ」
  
 カズが得意げに蓋を開け、一品ずつ説明を始めた。

「まず、黒豆。『マメに働くように』って願いを込めて。甘く煮てあるから、日持ちする。次に、数の子。ニシンの卵で、『子孫繁栄』の意味。塩漬けだから腐らない。タコは『人生を踏みしめて長く歩むように』——タコの足、八本あるでしょ? だから“八千代に”って縁起がいい。昆布巻きは『よろこぶ』の語呂合わせ。田作りは昔、田んぼの肥料に小魚を使ったことから、『豊作祈願』。栗きんとんは金の色だから『金運アップ』ね」

「⋯⋯全部、意味があるんだ」  

 マサシが感心したように呟く。

「もちろん! おせちって、ただの豪華料理じゃないんだ。全部、願い事と、保存性のバランスで作られてる。だから、三日間、火も使わず、何もせず、この重箱の中身だけで過ごす。それが、正月の“無為の儀式”なんだよ」

「でも⋯⋯」
  
 ハルが苦笑いしながら言う。

「三日間、何もしないって、意外と辛いんだよな。テレビもスマホも見ていいけど、動くの禁止、掃除禁止、仕事禁止⋯⋯ずっとソファに座ってたら、逆に疲れるんだよ。昔、実家でやったことあるけど、三日目には“掃除したい⋯⋯!”って叫びそうになったわ」

「それ、わかる」 
 
 ハヤトがうなずく。

「作家って、普段から家にこもってるから、何もしないって言われても、むしろ楽じゃない? って思われるけど、逆に“何もしてはいけない”ってルールがあると、ストレスになるんだよな。無意識に何かやろうとしてしまうし」

「だからこそ、意味があるんだよ」 
 
 カズは静かに言った。

「現代って、常に何かをしなきゃってプレッシャーがあるよな。仕事、SNS、家事、人間関係⋯⋯全部、“生産性”を求められる。でも、三ヶ日だけは、神様のいる世界。そこで“何もしないこと”を許される。むしろ、何もしないことが“正しく過ごす”ってことなんだ」

「⋯⋯深いな」
  
 マサシがぽつりと言う。

「つまり、三日間、ダラダラしてても、罪悪感感じなくていいってことか」

「そう! むしろ、ダラダラしてこそ、正月の意味があるんだよ」

「じゃあ、風呂に入らなくても、いいってこと?」
  
 ハルが眉をひそめる。

「うん。昔は三ヶ日は風呂に入らない。でも、現代ではそこまで厳格にしなくてもいいと思う。ただ、あえて“火を使わない”ってルールを守るために、電気風呂でも我慢するって選択肢もある。でも⋯⋯」 
 
 カズは少し笑って、

「今回は、そこまで厳しくしなくていいよ。三ヶ日は“心を休める日”だから。無理に我慢する必要はない。でも、せっかくだから、三日間、仕事も家事もやめようよ。みんなで、ただ“存在する”だけの時間を過ごそう」

「⋯⋯それ、悪くないな」
  
 ハヤトが空のソファを指さす。

「普段、締切に追われて、文字ばっかり書いてるから。三日間、何も書かなくていいって言われたら、逆に解放される気がする」

「マサシも、漫画の下書きとか、ペン入れとか、全部ストップだぞ?」 
 
 カズが恋人を見つめる。

「⋯⋯うん。わかってる。でも、正直、ちょっと怖いな。何もしないって、想像以上に不安なんだよな。何かやらないと、自分が怠けている気がして⋯⋯」

「それ、典型的な“現代病”だよ」
  
 カズは優しく笑った。

「でも、三ヶ日は、怠けじゃない。儀式なんだ。神様と一緒に、静かに時間を過ごす。それが、一年のスタートを切るための“リセット”なんだよ」

「⋯⋯なるほど」
  
 マサシも、少しずつ表情を和ませていく。

「じゃあ、とりあえず、おせち食べようか」
  
 ハルが重箱を覗き込む。

「どれから食べる?」

「うーん、まずは黒豆から? マメに働くために」 
 
 ハヤトが箸を伸ばす。

「それもいいけど、オレは数の子から。子孫繁栄、願っとこうかな」 
 
 カズが笑いながら言う。

「⋯⋯お前、ずっと独身だろ」
  
 マサシがツッコむ。

「でも、将来的にはな?」 
 
 カズはにっこり。

「神様に願っておけば、叶うかもしれないだろ?」

「⋯⋯それも、おせちパワーか」
  
 ハルが笑う。

 みんなで箸を動かし、黒豆、数の子、昆布巻き、栗きんとん⋯⋯一つ一つ、丁寧に味わっていく。
 甘いもの、しょっぱいもの、柔らかいもの、歯ごたえのあるもの。
 味の変化も、おせちの楽しみの一つだ。

「それにしても、カズ、おせち、自分で全部作ったのか?」
  
 ハヤトが感心して聞く。

「うん。三日前から準備してたよ。冷凍庫にストックしてたタコを解凍して、昆布巻きは一晩漬けて、黒豆は三日間コトコト煮て⋯⋯。全部、昔のレシピ通りに作ったんだ」

「⋯⋯お前、作家業の合間に、よくやるよな」
  
 マサシが呆れる。

「でも、これも“文化を守る”って意味では、創作の一部だよ。小説も、おせちも、人の心に残るものを作るって点では、同じなんだ」

「⋯⋯また、深いこと言いやがって」 
 
 ハルが笑いながら、お茶を一口飲む。

「でも、いいよな。こうやって、みんなで同じテーブルを囲んで、何もしないで、ただ食べる。普段は忙しくて、こんな時間、取れないもんな」

「そうだな」
  
 カズも静かにうなずく。

「だから、三ヶ日は、家族や大切な人と“無為の時間”を共有する日なんだ。生産性とか、効率とか、関係ない。ただ、“いる”ってことを確かめる日」

「⋯⋯なんか、ちょっと感動してきた」  

 ハヤトがノートを閉じる。

「今年の小説のテーマ、決まったかも。『何もしない三日間』」

「それ、売れそう」 
 
 マサシが笑う。

「でも、本当に三日間、何もしないって、できるかな⋯⋯?」

「できるさ」
  
 カズは重箱の蓋をそっと閉じながら言った。

「だって、神様も、きっと一緒に、ソファでゴロゴロしてるはずだから」

 みんなが、笑った。

 外は雪がちらついていた。
 窓の外には、しんと静まり返った街。
 テレビでは初詣のニュースが流れていたが、彼らは誰も出かける気はなかった。

 だって、ここにいるだけで、正月は始まっていたのだから。

 ——何もしないこと。  
 それが、一番の“正月の仕事”だった。





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