【完結】囲われサブリナは、今日も幸せ

ジュレヌク

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老執事シルベスターは、今日も微笑む 前編

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シルベスターと言う名前で呼ばれる前、彼は、ドブの匂いがする貧民街の片隅で生きていた。

「俺が出たら、鍵をかけろ!絶対開けちゃ駄目だからな!」
「分かってるわ」

 品のある微笑みを浮かべた母親は、触れれば噛みつきそうな殺気を放つ息子を、当たり前のように見送った。
 少年は、そんな母に苛立ちを覚えた。本当は、知っているはずだ。彼が持ち帰る食べ物が、人には言えないような手段で手に入れられていることを。それを『ありがとう』の一言で片付ける彼女は、未だに大店のお嬢様なのだ。
 彼女は、貴族の家に行儀見習いへ行けるほどの商家だったらしい。そこで当主の子を身籠り、追い出された。本人は、『真実の愛』などと言っているが、ようは摘み食いされただけ。
 実家は、ある程度の金を持たせて縁を切った。最初は、小さいながらも一軒家が与えられていた。それが、身重の為働けず、産んだら産んだで寝込んでしまい、家財を売り払い今に至る。
 少年が3歳の時には、もう、路地裏でゴミを漁る生活をしていた。無論、母はベッドの上で微笑むだけで、食料調達は彼の仕事だ。

「……ス」

 母に、名前を呼ばれるのが嫌いだった。『サイラス』と言うのが、父親の名前らしい。未だに恋した乙女のような目を息子に向ける母親が、気持ち悪くてしかたなかった。

 ヒョロヒョロの体なのに、背だけが伸びる。子供だからと目溢しを受けていた物乞いも当てにできず、今は、盗みを中心に食べ物を得ていた。
 手先が器用な彼にとって、簡易的な鍵など開けることは容易い。一度に沢山盗むとバレるので、不審がられない程度ギリギリを狙って掠め取る。

 だが、この地獄のような場所で、毎日食事にありつけるのが奇跡なのだ。周りの者達から目をつけられ、襲われるのも日常だった。
 今日も、小麦を卸業者の倉庫から盗み出すことに成功した。粉だらけの巾着袋を、目立たぬように懐に隠す。腹の部分が少し膨らむが、腹水が溜まった病人のようにも見えるので誰も声を掛けない。

 しかし、裏路地に一歩入れば状況は一変する。

「小僧、懐の物、出してもらおうか?」

 食料強奪を目論む男は、何を食べたらそんなに太れるんだと聞きたくなる体をしていた。少年も、何度か殴られ食料を取り上げられたことがある。コイツは、子供ばかり狙う。それは、腕力しか自慢できるものがないからだ。
 普段は見つからないよう注意をはらっていたが、今日は運が悪かったらしい。少年は、後退しながら、

「お前にやる餌はない、豚野郎」

と叫んだ。その視線は、武器になりそうなものを目敏く探し出す。

「はぁ?弱いくせに、吠える元気はあるんだなぁ」

 ニヤニヤと笑いポキポキ指を鳴らすのは、相手に威圧感を与えるためだろう。指を鳴らしたからといって、強くなれるわけでもないのだから。今までと同じように、顔面に一発入れれば素直に食料を出すと高を括る男と、日々危険に晒され、戦う術を得ようと必死に足掻いた子供の戦いは、どちらに転ぶか分からない。
 無駄な手数を踏む巨体をよそに、少年は、素早く古びた扉の閂(かんぬき)を引き抜いた。ズシリと重く、思ったよりも長い木の棒は、普通の7歳の子供では扱えそうもない。
 だが、身長だけは高い少年は、非力な力で肩に木を乗せると、ぐるぐると回転した。細い路地でフラフラと回る子供を男は面白そうに見つめる。

「なんだそれ。戦ってるつもりか?」

 侮った巨漢男は、少年に不用意に近づいた。子供など、一捻りだと言わんばかりに右手を伸ばしてくる。
 その瞬間、閂がクルクル回りながら自分の方に飛んできた。少年が投げたと気づいた時には、口元に太い木の棒がめり込んでいた。

「ゲフッ」

 歯が何本か折れた。大木が薙ぎ倒されるように、後ろに倒れていく。すかさず、少年は男の顔を踏みつけ、現場から逃走した。太っちょがどうなろうと知ったことではない。物陰から何人かの人間が自分達の争いを見ていた。きっと、身ぐるみ剥いで、どこかに捨ててくれるだろう。

 貧民街は、弱肉強食。膝をついた方が負けだ。弱った姿を見せれば、一気に影から捕食者達が集まるのだ。今まで恨みを買っている分、あの男の末路は、目も当てられないものになるだろう。

 辺りを気にしながら家まで辿り着くと、ドアの前に置いた藁と木の板を退けた。簡易的なカモフラージュのつもりだが、今の所、家を襲われたことはない。

 トントトントントトン

 合図を送って、母親に鍵を開けるように指示を出す。
 しかし、返事がない。

 ドンドンドン

 腹立ち紛れに思い切り叩いた。それでも、返事がない。

『あぁ……死んだか』

 ふと、腑に落ちた。数日前から熱があった。薬が手に入るはずもなく、滋養を取れるわけでもない。いつ死んでもおかしくはなかったが、一人にされると思うと認めなくなかった。
 腹に抱えた小麦を抱きしめた。誰の為に死ぬ思いをして盗んできたと思っているのか?悔しさと切なさで、涙が止めどなく流れる。

「勝手なんだよ、バカ女!」

 『真実の愛』のヒロインを気取り、最後まで迎えが来ると信じて待ち続けた母が、あまりにも滑稽で哀れだった。父親が誰でもいいが、出来たら最後を看取ってやって欲しかった。
 それから暫く、少年は動くことが出来なかった。



「この子供だが、頼めるだろうか?」

 路地裏で倒れていたところを警邏隊に保護され、辿り着いたのは小さな孤児院だった。気力をなくした少年は、引きずられるままここへ来た。

「もちろんです。さぁ、お入りなさい」

 迎え入れたのは、二十代半ばの女性だった。名前は、リーナ。両親を疫病で亡くし、幼い頃から孤児院で育ち、今ではその身を神に捧げたシスターだった。

「お名前は?」

 彼女の明るい笑顔が、荒んだ心には眩しかった。どうしても、それが嘘くさく見え、少年は顔を背けて唾を吐いた。

「馬鹿でも糞でも勝手に呼べば良いだろ」

 母親に名前を呼ばれる度に、吐き気がした。自分から名乗るなんて、出来なかった。
 そして、世の中の何もかもが憎たらしい少年は、目の前の女性も信じることが出来なかった。どうせ奴隷のように扱き使われるのだろうと想像していた。

「じゃぁ、貴方は、シルベスター。私の弟の名よ」

 使い古された名前を贈られ、益々憮然とした表情になる。前の名前も嫌いだが、まだ前の名前の方がマシに思えた。

 その日から、シルベスターと名付けられた少年の日々が変わっていく。
 朝起きると質素ながら朝食が用意されており、神に感謝を捧げた後、孤児院の皆で食べた。その後、掃除、洗濯と役割分担がされており、皆が協力しあって生きていた。十二歳を超えると、外の仕事を任されるらしい。一見七歳に見えなくともルールは厳守されており、戸籍を調べられ、彼は教会内の雑用を任されることになった。
 背の高い彼は皆に重宝がられ、窓拭きや高い所からの物の上げ下ろしなど頻繁に声を掛けられた。

「シル、シル」

 自分より小さな子供が名前を呼びながら後ろをついて歩くのに慣れた頃、シルベスターと言う名前が、リーナの死んだ弟から譲られたものだと知った。

「貴方と同じ七歳だったわ。貴族の馬車に轢かれてね」

 別の年老いたシスターから聞かされた話は、彼の心をえぐった。逃げた馬車には、貴族の紋章が掲げられていたそうだ。警邏隊に訴えても平民の孤児など相手にもされず泣き寝入り。彼女は、今も両親と弟が心安らかにいることを願って祈っているらしい。

「だから、貴族なんて嫌いなんだ」

 どれだけ偉い存在かは知らないが、奴らに不幸にされた人間にしか出会ったことがない。

「シルベスター、何故泣いているの?」

 リーナに聞かれ、初めて自分が泣いていることに気づいた。

「お、俺……ごめん」
「なぜ謝るの?」
「な、なんとなく」

 自分の血が半分貴族で出来ている事に罪悪感を感じたのだ。出来ることなら、こんな血、全て抜いてしまいたかった。

「貴方は、何も謝るようなことをしていないわ。いつも、ありがとう。貴方が来てくれて、本当に助かっているのよ」

 リーナの優しい言葉に、また、涙が出た。生きてていいのだと許された気がした。彼の中に沸々と、彼女の役に立ちたいという思いが膨れ上がった。自分に出来ること。自分にしか出来ないことを必死に考える。

 ふと、目に映ったのは、絵本。保護された際、住んでいた荒屋から警邏隊が持ってきてくれた母の遺品だ。幼い頃、まだ、少し元気だった母親が読み聞かせしてくれた記憶が蘇る。同じ本を何度も、何度も、『もう、やめて』と言うまで読み返した彼女は、既に心を病んでいたのかもしれない。

 恐る恐る手に取ると、耳に母の声が蘇る。

『それは、ひどくさむい、おおみそかのよるのことでした』

 文字を指でなぞり、同じ音と文字が重なる所を確認する。

「この文字は、『さむい』?」
「まぁ、シルベスター、文字が読めるの?凄いわ!」

 リーナは、ほんの少ししか字が読めないらしい。手を叩いて喜ぶ彼女に、シルベスターが頬を染めた。
 その日から、彼は、小さい子に読み聞かせを積極的にするようになった。自分も、それで文字を勉強した。

「シル、ほん、よんで!」

 いつしか彼の周りには、幼子だけでなく、外に働きに出ている年長者も座り、晩御飯の後に朗読会が開かれるようになった。それぞれが、見様見真似で文字を書き、自分の名前を覚えた。
 
「毎回、同じ本じゃ、飽きるよな…」

 シルベスターは、即興で物語を作り、皆に話して聞かせた。それが好評だったことで、ふと、

『絵本にしたら、皆がいつでも読めるよな?』

と思った。昔から、手先が器用な彼は、街のゴミ置き場から包装紙や先の曲がったペン、殆ど中身のないインク瓶を拾い絵本を作った。
 字は掠れ、紙も所々破れていたが、それでも本の形を成していた。

「シスター、こんなのを書いてみたんだ」

 みすぼらしい小さな絵本は、思いの外面白く、リーナを喜ばせた。

「シルベスター、貴方、天才だわ!」

 その日の晩、シルベスターの眼の前に、藁半紙と先の曲がっていないペン、そして満タンに入ったインク瓶が置かれた。

「これは?」
「貴方の才能は、もっと伸ばすべきだと思うの」
「でも、こんな高価なもの…」
「大丈夫、これくらい、私にだって買えるわ!」

 リーナには、給金が出ている。と言っても、下着等の日用品を買えば無くなる位のものだ。その中からコツコツ貯めたお金を全部使い果たして買ったのだとは、口が裂けても言う女ではない。

「要らないって言われても困るの。特売品で、返品不可って言われたのよ」

 文房具店で、ずっと商品とにらめっこをしていた彼女を哀れに思った店主が、少し破れが生じた藁半紙と店で試し書き用に使っていたペンと、中途半端に使ったインクを掻き集めて瓶に詰めた物を格安で売ってくれたのだ。

「………ありがとう」

 その夜、シルベスターは、貰った文具を空き箱に詰め、抱えるようにして眠った。その夜の夢は、新しい物語のアイディアで埋め尽くされていて、起きてすぐ忘れないように必死に書き留めた。
 それから、十日後。

「リーナ……あの、これ……」

 初めてシルベスターに名前で呼ばれたリーナは、パアッと花が咲いたような微笑みを浮かべて振り返った。そして、彼の差し出した物を見て、そのまま固まった。

「リーナ?」
「あ、ごめんなさい、びっくりしちゃって」

 シルベスターが差し出したのは、まだ、インクの匂いがする出来立てホヤホヤの絵本。前回の有り合わせ材料とは違い、表紙絵が実に細密に描かれており、パッと見ると高級品のようだ。

「これ、貴方が?」
「そうだけど」
「ちょっと!皆、集まって!」

 他のシスター達も呼び寄せ、リーナは、絵本を開けた。

「凄い……」
「これは、売れるわね」
「シルベスター、これ、十日で作ったの?」
「うん、構想にニ日、文字に三日、挿絵に五日」
「………」

 呆然とするリーナ達に、シルベスターは、

「なぁ、本当に売れると思う?」

と聞いた。

「そりゃ売れるでしょうけど、勿体ないじゃない」
「リーナ、材料代より高く売れたら、儲けられるだろ?駄目で元々だろ?行ってくる」

 リーナの手から絵本を奪い取ると、シルベスターは、走り出した。

つづく
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