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運命の出会い
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夕方になっても、コレットが必要最低限の時以外はベッドに寝たままであったので、さすがにライナスも心配になった。
「やはり、足の傷が痛むのか?」
それまでにも何度も問いかけられたが、コレットは否と言い続けてきたものの、時計をちらりと見て、刻限だと悟ると、短く答えた。
「……薬を切らしてしまっているのよ」
足は姿勢を崩したり、無暗に走り回ったりしなければ痛みはない。傷はもう跡を残すだけで、薬は無意味だと知っていたが、コレットはそう告げた。
話を進めるためだ。
ライナスは顔色を変え、すぐに寝台から立ち上がった。
「やっと理由を言ったな。頼むから、私の前では我慢しないでくれ」
「……雨だから言いにくくて」
「そんな事は気にしなくて良い。痛み止めを買って来るから、待っていろ」
「……えぇ」
ライナスは慌ただしく支度を整えて、コレットに休んでいるように念押しすると、部屋を出て行った。静まり返った部屋に一人残ったコレットは、溢れ出た涙を拭った。
――――これで良いわ。
雨の中、ひっそりと王都に帰還したディアは暴漢に襲われる。そこに現れたライナスはディアを救い、王女の顔を知らない彼は名乗る事もせずにそのまま立ち去るが、ディアは先んじて恋に落ちるのだ。
その後ようやく追いついてきた聖隷騎士団員の口から、彼の正体を知る事になる。
『時々、無茶をする方でしてね。単独行動をとる事もあるので、困っているんですよ。またどこかに行ってしまいましたか?』
騎士団員達がディアに向かって、彼が一人ふらりと現れた理由を告げている言葉を思い出し、コレットはゆっくりと身体を起こした。
次にディアとライナスが顔を合わせるのは、この雨があがった時だ。部下である騎士団員達が、彼を探し出して王城に連れて行く。
それまで、まだ時間がある。
――――ここに戻ってくるかしら。
ライナスはディア王女の恋の相手で、出会う場面でも彼女を庇い立った。
逞しく強い彼に、ディアが一目惚れするわけだ。ライナスは彼女の正体に気付かずに去るが、その心には確実に残っただろう。惹かれ合う二人を止める事はできない。
――――私にできるのは、黙っている事だけね。
思えば、長姉が自分をこの世界に堕としたのは、忍耐力を付けろという事だったのだろう。
初めは誰にも気兼ねせず、警護も監視もない自由な世界で過ごせるなんて、何て素晴らしいのだろうと思ったが、姉がそんな甘えを許すはずが無かったのだ。
ここでは、自分の言い分は通らない。定められた道を進むしかない。
たとえ恋をした所で叶う事は無く、他の女性に心を動かされる様を、黙認することしかできない。
現実世界においても、王家の名を穢すような言動は恥とされ、政略結婚の相手ともなれば尚更、本心を語る事は許されない。子を孕めなければ、夫が大勢の妾を抱えることも黙認するものだ。
これから自分に求められる生き方を思い知るために、私はこの世界に堕とされたのだろう。
「……嫌な人生だわ」
ぽつりと呟いて、だが扉の向こうから足音が聞こえて、慌てて表情を消す。
部屋の鍵が開き、ライナスが姿を見せた。激しい雨に降られたせいか、頭から足元までずぶ濡れだ。
「……お帰りなさい。何か拭くものを……」
「いや、いい」
立ち上がりかけたコレットを、ライナスは手で制した。その表情は険しく、無言で歩み寄ってきた。
「なにか……あった?」
「別に。それよりも……」
ライナスは多くを語らず、話を変えようとする様子に、コレットの胸はずきりと痛む。涙があふれそうになり、だが自分が仕向けた事だと、唇を噛んで必死で堪えた。
そんな時、コレットの眼前に差し出された物があった。
ライナスが、脇に丸めて抱えていた上着を開いてみせたのだ。上着の中から出てきた小さな袋は、コレットが指示した薬屋の包みだった。
コレットが包みを受け取ると、ライナスが表情を緩めた。
「濡れなくて良かった。早く薬を飲んで休むといい。どうして起きているんだ?」
「雨の中……大変だったでしょう」
「いや? 私は嵐の中でも訓練した事があるから、全く苦にならない。そういえば、帰って来る時に何だか派手な身なりの娘が妙な連中に襲われていたから追い払ってきたが、あれもこちらが拍子抜けするほどだ」
あっさりと言った彼は、全く何とも思っていない様子だった。
暴漢に襲われていた誰かを助けただけ。騎士として当然のこと。
それ以上でも、以下でもない。
「……どんな方だったか、覚えている?」
「さて。貴女に早く薬を届ける事で頭が一杯だったからな、いちいち見ていない。それに、向こうは護衛が大勢いたんだ、かまっていられるか。貴女には私しかいないんだぞ?」
「…………」
「平和な国だと思っていたが、どうも物騒だな。貴女もやはり私を傍に置いておいたほうがいい」
「貴方って……どうしていつもそう調子がいいのよ……」
「前向きと言ってくれ。何しろ、周りの者はみんな好き勝手な事を言って来る者ばかりだからな、図々しくないとやっていられない」
平然とそう言うライナスに、コレットは泣き笑いの顔を浮かべた。そんな彼女を見つめ、ライナスは不思議そうな顔をした。
「なんだ。どうした? あぁ、私がいなくて寂しかったんだな」
「違うわ」
「即答しないでくれ」
不貞腐れたような顔をしたライナスに、コレットは小さく微笑んで、頷いた。
コレットに薬を飲んで休むように告げ、一先ず部屋を出たライナスは、大浴場へと足を運んだ。雨と泥で汚れていたからだ。手早く身綺麗にして風呂場を後にすると、急いで彼女のいる部屋へと戻る。
その時の表情は、どうしても厳しいものになった。
――――あいつら……何者だ?
薬屋から宿屋へ帰る途中で、ライナスは襲撃されている一行と鉢合わせた。襲われている方は、どこかの令嬢のようで、悲鳴を上げて泣き叫んでいた。それはまだいい。
だが、一緒にいた兵士らしき者達が右往左往しているのを見て、何のための護衛だと辟易した。剣を抜いて彼らに襲いかかっていた者達も僅か数人だ。
その場を収めるのは難しい事では無いように思えたし、実際ライナスが割って入ったら、あっという間に逃げて行った。
コレットにも言った通り拍子抜けする程で――――そして、強烈な違和感を覚えていた。彼らは逃げる時、娘に見向きもしなかった。
狙いは彼女では無い。恐らく自分だ。
だが、その理由がよく分からない。たびたび『予知』してくるコレットならば、何か分かるかもしれない。
そう思い、彼は再び部屋に入って彼女がいる寝室に向かったが、コレットは寝台の上で身体を横たえていた。
「……薬が効いたか」
傍らに座って声を掛けてみたが、返事はない。ただ、彼女の傍に置かれた薬の袋は、未開封のままだ。
「嘘だったのか?」
答える事の無い彼女に、ライナスはほろ苦い笑みを浮かべた。
「痛くなくなっただけならいいんだが、私を追い払う手段に使うな。昨日からどうも妙な奴らがうろついている。王女である貴女の事が心配だ」
「…………」
「コレット」
「……そんな義務感はいらないわ。貴方が守りたいものは、私じゃないわよ」
ライナスは息を呑む。
今までにない、彼女の強い拒絶に凍り付き、二の句が継げない。布団の中に頭まで潜ったコレットは、強い眠気に襲われて、すぐに意識を手離した。
室内に静寂が包み、ライナスはようやく我に返ると、まだ湿り気の残る頭をぐしゃぐしゃと掻きむしった。
「待ってくれ。確かに初めは義務感もあったが、今はそれだけじゃない。私は貴女が……っ」
思わず毛布をとって、言葉を続けようとしたが、ライナスは唇を噛んだ。
「あぁ……くそ、またか」
静かな寝息を立てるコレットに、ライナスは天を仰ぐ。
本当にもどかしいし、苦しい。唯一の慰めは、彼女の寝顔に苦痛がなかったことだ。
どうして、私の言葉は貴女に届かないんだ。
貴女に伝えたいことが沢山あるのに。
まるで強い力が働いているかのようだ。
邪魔をしているのは、誰だ。
「やはり、足の傷が痛むのか?」
それまでにも何度も問いかけられたが、コレットは否と言い続けてきたものの、時計をちらりと見て、刻限だと悟ると、短く答えた。
「……薬を切らしてしまっているのよ」
足は姿勢を崩したり、無暗に走り回ったりしなければ痛みはない。傷はもう跡を残すだけで、薬は無意味だと知っていたが、コレットはそう告げた。
話を進めるためだ。
ライナスは顔色を変え、すぐに寝台から立ち上がった。
「やっと理由を言ったな。頼むから、私の前では我慢しないでくれ」
「……雨だから言いにくくて」
「そんな事は気にしなくて良い。痛み止めを買って来るから、待っていろ」
「……えぇ」
ライナスは慌ただしく支度を整えて、コレットに休んでいるように念押しすると、部屋を出て行った。静まり返った部屋に一人残ったコレットは、溢れ出た涙を拭った。
――――これで良いわ。
雨の中、ひっそりと王都に帰還したディアは暴漢に襲われる。そこに現れたライナスはディアを救い、王女の顔を知らない彼は名乗る事もせずにそのまま立ち去るが、ディアは先んじて恋に落ちるのだ。
その後ようやく追いついてきた聖隷騎士団員の口から、彼の正体を知る事になる。
『時々、無茶をする方でしてね。単独行動をとる事もあるので、困っているんですよ。またどこかに行ってしまいましたか?』
騎士団員達がディアに向かって、彼が一人ふらりと現れた理由を告げている言葉を思い出し、コレットはゆっくりと身体を起こした。
次にディアとライナスが顔を合わせるのは、この雨があがった時だ。部下である騎士団員達が、彼を探し出して王城に連れて行く。
それまで、まだ時間がある。
――――ここに戻ってくるかしら。
ライナスはディア王女の恋の相手で、出会う場面でも彼女を庇い立った。
逞しく強い彼に、ディアが一目惚れするわけだ。ライナスは彼女の正体に気付かずに去るが、その心には確実に残っただろう。惹かれ合う二人を止める事はできない。
――――私にできるのは、黙っている事だけね。
思えば、長姉が自分をこの世界に堕としたのは、忍耐力を付けろという事だったのだろう。
初めは誰にも気兼ねせず、警護も監視もない自由な世界で過ごせるなんて、何て素晴らしいのだろうと思ったが、姉がそんな甘えを許すはずが無かったのだ。
ここでは、自分の言い分は通らない。定められた道を進むしかない。
たとえ恋をした所で叶う事は無く、他の女性に心を動かされる様を、黙認することしかできない。
現実世界においても、王家の名を穢すような言動は恥とされ、政略結婚の相手ともなれば尚更、本心を語る事は許されない。子を孕めなければ、夫が大勢の妾を抱えることも黙認するものだ。
これから自分に求められる生き方を思い知るために、私はこの世界に堕とされたのだろう。
「……嫌な人生だわ」
ぽつりと呟いて、だが扉の向こうから足音が聞こえて、慌てて表情を消す。
部屋の鍵が開き、ライナスが姿を見せた。激しい雨に降られたせいか、頭から足元までずぶ濡れだ。
「……お帰りなさい。何か拭くものを……」
「いや、いい」
立ち上がりかけたコレットを、ライナスは手で制した。その表情は険しく、無言で歩み寄ってきた。
「なにか……あった?」
「別に。それよりも……」
ライナスは多くを語らず、話を変えようとする様子に、コレットの胸はずきりと痛む。涙があふれそうになり、だが自分が仕向けた事だと、唇を噛んで必死で堪えた。
そんな時、コレットの眼前に差し出された物があった。
ライナスが、脇に丸めて抱えていた上着を開いてみせたのだ。上着の中から出てきた小さな袋は、コレットが指示した薬屋の包みだった。
コレットが包みを受け取ると、ライナスが表情を緩めた。
「濡れなくて良かった。早く薬を飲んで休むといい。どうして起きているんだ?」
「雨の中……大変だったでしょう」
「いや? 私は嵐の中でも訓練した事があるから、全く苦にならない。そういえば、帰って来る時に何だか派手な身なりの娘が妙な連中に襲われていたから追い払ってきたが、あれもこちらが拍子抜けするほどだ」
あっさりと言った彼は、全く何とも思っていない様子だった。
暴漢に襲われていた誰かを助けただけ。騎士として当然のこと。
それ以上でも、以下でもない。
「……どんな方だったか、覚えている?」
「さて。貴女に早く薬を届ける事で頭が一杯だったからな、いちいち見ていない。それに、向こうは護衛が大勢いたんだ、かまっていられるか。貴女には私しかいないんだぞ?」
「…………」
「平和な国だと思っていたが、どうも物騒だな。貴女もやはり私を傍に置いておいたほうがいい」
「貴方って……どうしていつもそう調子がいいのよ……」
「前向きと言ってくれ。何しろ、周りの者はみんな好き勝手な事を言って来る者ばかりだからな、図々しくないとやっていられない」
平然とそう言うライナスに、コレットは泣き笑いの顔を浮かべた。そんな彼女を見つめ、ライナスは不思議そうな顔をした。
「なんだ。どうした? あぁ、私がいなくて寂しかったんだな」
「違うわ」
「即答しないでくれ」
不貞腐れたような顔をしたライナスに、コレットは小さく微笑んで、頷いた。
コレットに薬を飲んで休むように告げ、一先ず部屋を出たライナスは、大浴場へと足を運んだ。雨と泥で汚れていたからだ。手早く身綺麗にして風呂場を後にすると、急いで彼女のいる部屋へと戻る。
その時の表情は、どうしても厳しいものになった。
――――あいつら……何者だ?
薬屋から宿屋へ帰る途中で、ライナスは襲撃されている一行と鉢合わせた。襲われている方は、どこかの令嬢のようで、悲鳴を上げて泣き叫んでいた。それはまだいい。
だが、一緒にいた兵士らしき者達が右往左往しているのを見て、何のための護衛だと辟易した。剣を抜いて彼らに襲いかかっていた者達も僅か数人だ。
その場を収めるのは難しい事では無いように思えたし、実際ライナスが割って入ったら、あっという間に逃げて行った。
コレットにも言った通り拍子抜けする程で――――そして、強烈な違和感を覚えていた。彼らは逃げる時、娘に見向きもしなかった。
狙いは彼女では無い。恐らく自分だ。
だが、その理由がよく分からない。たびたび『予知』してくるコレットならば、何か分かるかもしれない。
そう思い、彼は再び部屋に入って彼女がいる寝室に向かったが、コレットは寝台の上で身体を横たえていた。
「……薬が効いたか」
傍らに座って声を掛けてみたが、返事はない。ただ、彼女の傍に置かれた薬の袋は、未開封のままだ。
「嘘だったのか?」
答える事の無い彼女に、ライナスはほろ苦い笑みを浮かべた。
「痛くなくなっただけならいいんだが、私を追い払う手段に使うな。昨日からどうも妙な奴らがうろついている。王女である貴女の事が心配だ」
「…………」
「コレット」
「……そんな義務感はいらないわ。貴方が守りたいものは、私じゃないわよ」
ライナスは息を呑む。
今までにない、彼女の強い拒絶に凍り付き、二の句が継げない。布団の中に頭まで潜ったコレットは、強い眠気に襲われて、すぐに意識を手離した。
室内に静寂が包み、ライナスはようやく我に返ると、まだ湿り気の残る頭をぐしゃぐしゃと掻きむしった。
「待ってくれ。確かに初めは義務感もあったが、今はそれだけじゃない。私は貴女が……っ」
思わず毛布をとって、言葉を続けようとしたが、ライナスは唇を噛んだ。
「あぁ……くそ、またか」
静かな寝息を立てるコレットに、ライナスは天を仰ぐ。
本当にもどかしいし、苦しい。唯一の慰めは、彼女の寝顔に苦痛がなかったことだ。
どうして、私の言葉は貴女に届かないんだ。
貴女に伝えたいことが沢山あるのに。
まるで強い力が働いているかのようだ。
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