辺境の娘 英雄の娘

リコピン

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第一章 

6-1.

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6-1

イノリオ帝国士官学校における己の味方は極端に少ない。ユニファルアが去った今、気にかけるべき相手はたった一人に限定されてしまう。

その一人、自身の入学推薦人であり、魔法攻撃学の教授であるサイラス・フーバーの様子がこのところおかしい。元から30代とは思えない風貌にヨレヨレの白衣を着こなしている男だが、ここ数日はろくに寝ていないのか、目の下には濃い隈が目立つ。

下手にこちらが手を出すよりはと静観していたが、彼が講義中に意識をとばすにあたり、彼との接触を決めた。

味方は少ないが、敵対者にはこと欠かない校内での接触を躊躇ちゅうちょし、外部での接触のタイミングを見計らっていたそのわずかな隙―事態は最悪な方向へと動き出す。




再び呼び出されたシューベインの執務室。直立する自分の横には、同じく呼び出されたのだろうサイラスが並び立つ。間近でまみえた彼の顔には、隠しきれない焦燥と疲れが浮かんでいる。

執務室にはシューベイン以外の姿は見当たらない。しかし部屋の奥、併設された隣室への扉の向こうに、彼らの気配。常より抑え込まれたそれは、気配遮断の魔法、あるいは隠密のスキルによるものか。

感じる魔力の視線は向かって左、壁に掛けられた鏡から流れて来る。上手く隠蔽された、鏡を媒体とした遠見とおみの術。自分達の様子は隣へ筒抜けということなのだろう。

「…さて、ラスタード君。今回は君とフーバー君に来てもらったのだが、その理由は承知しているかね?」

「いえ。」

短く否定の意を示す。

「ふむ…。まぁ、フーバー君には既に何度か事情を聞いていることでもある。君にも正直に答えてもらいたいところだ」

「承知しました」

「…」

こちらの表情を見逃すまいと鋭い眼差しを向けたまま、男は抽斗ひきだしから取り出した書類を無造作に机上に放る。

「これは君の入学時の申請書類だ。ここに三通の推薦状がある。一通はここにいるフーバー君。残り二通は、シュタウト伯とカリーブトロ伯のものとなっている」

男の指が書類を指し示す。

「…ラスタード君、君はこのお二方と面識があるのかね?」

「…」

部屋の空気が張りつめる。一つの嘘も、失言も見逃すまいと刺さる視線。なるほど―彼らの描きたいシナリオが見えてきた。

「…ラスタード君はどこの出身だ?書類だと北の方らしいが、お二方の領地は北からは遠い。お二方の領地自体も相当に離れているしな」

「私は北の出です。両伯との面識はありません」

「そうか。では君は推薦人の条件を知っていたか?『被推薦人の能力を正しく把握し、かつその人柄をよく知り、被推薦人の身元及び資質を保証する者』これが推薦人の条件だ。さて、果たしてお二方がこの条件を満たしていると言えるかね?」

「いえ」

「…なるほど、ではこの推薦状は無効。さかのぼって、君の入学自体を取り消さなければならないな」

「!?待ってください!」

淡々と進むシナリオに、サイラスが待ったをかけた。

「何度も言いますが、そんなのおかしいでしょう!こんな条件なんて既に形骸けいがい化してるじゃないですか!推薦人の名前を借りるなんて、他の推薦入学者だって、多かれ少なかれやっていることだ!」

サイラスがいい募る。

「それを!彼女のことだけをあげつらって排除しようなんてのは、絶対に許されない!」

サイラスの主張は規則を外れるとは言え、学内の現状には則している。通常であれば問題にもならないような問題。こんなものを持ち出してくるほどには、彼らも私の排斥に本気と言うことだ。

「…今我々が問題としているのは、あくまで彼女の入学資格についてだ。他の推薦入学者については今は問題では無い」

「それなら、学内会議を開いて下さい!推薦人について問題があるとするなら、彼女一人の問題では終わらせません!学校全体の問題としてあげて下さい!」

「…」

シューベインが渋い顔をする。実際にこれを学内会議にかければ、学校あげての大騒ぎとなることは避けられない。幾人もが入学資格無しとして、学校を去ることになるだろう。

更に遡っての処置を可能とするならば、既に卒業し帝国軍に在籍する、少なくない数の士官もその資格を失ってしまう。そうなれば帝国全土に与える影響は計り知れない。当然、未曾有みぞうの事態を引き起こした責任で、何人もの人間の首がとぶことになるだろう。

畢竟ひっきょう、学内会議にかけることは決して現実的ではない。サイラスはそれを狙って、こちらの瑕疵かしをなくしたいのだろう。だがそれくらいのことは、彼らも想定済みのはずで―

「…学内会議で発議できるのは教授職以上の者に限られる」

今、シューベインの鋭い眼光は、サイラスに向けられている。

「フーバー君、君はラスタード君の推薦人であるが、そもそも学校関係者の推薦は禁止されているはずだ。罰則もある」

「!?それは!彼女を推薦したのは、まだここで職を得る前の話です!それは問題無いはずだ!調べてもらえばわかる!」

「…ふむ。確かに、一見では問題無いようだったな」

「っでしたら!」

シューベインの冷酷な眼差しに、サイラスの言葉がつまる。

「…しかし、君がラスタード君に非常に肩入れしているのも間違いないようだ。入学時に何らかの不正が行われた可能性を否定できない。調査の必要があるだろう」

シューベインの口から告げられる通告。

「調査が済むまで―フーバー教授、君を更迭。六ヶ月の停職処分とする」

「!?そんな!」

驚愕に見開かれた鮮緑せんりょくの瞳に、やがてゆっくりと絶望がにじむ。

「…フーバー君、私は君に期待しているんだ。君の教育者としての能力も、研究者としての実績もかっている。こんなことで君を失いたくはない」

シューベインの言葉に偽りはないだろう。サイラスが教鞭をとる『魔法攻撃学』により、士官候補生達の戦力は軒並み底上げされてきている。

軍との共同研究においても既にいくつもの実用戦術を開発済みだ。ここで彼を失うことは学校側にとっても手痛い損失となる。

シューベインの言葉から、停職といいながらも、それを理由に教授職の契約が更新されることはないことが窺える。事実上の解雇。この国での研究者としての道は閉ざされることになる。

けれど彼の―彼らの―狙いはあくまで私―ヴィアンカ・ラスタード―の排除。

隣のサイラスが、グッと拳を握り込んだのがわかった。シューベインの狙いなど、見通せぬ彼ではないだろうに。横からそっと見上げれば、瞳に灯る決意の色。

―まったく、私は恵まれている―

「…っわかりまし―」

「わかりました」

「ヴィー!?ダメだ!何を!?」

「処分を受けます。入学を取り消して下さい」

―こんな場面でも、己を守ろうとしてくれる存在が隣にいる。必死になってくれる男には悪いが、存外こんな幕切れも悪くない。そう、悪くない気分なのだ。

「…ヴィアンカ・ラスタード、本来ならば君の入学を取消すところだが、温情だ、自主退学扱いにしてあげよう。…今ここで、この書類に記入を」

「承知しました」

「ヴィー!」

いつも飄々としていることの多い男―その焦れて、混乱する様に、そんな場面ではないとわかっていても、思わず笑い声がこぼれてしまう。信じられないと目を見開くサイラス。

その瞳を正面から受け止める。私の目に曇りはあるか?この終幕への後悔が見えるか?

己のために身を挺してくれる友がいる。守りたいもの一つ守れずして、何が帝国軍人か。何のために力を磨くのか。己の無力を嘆くまねは、二度としないと決めた。だから―

引き際は、見誤らない―




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